03.あったかい。(4月上旬)
「あったかい」
春の陽射しにそんな言葉をこぼした佳乃子に、桃香は、
「そうだね」
と返事をしながら、長く伸びた髪が風になびくのが邪魔そうに後ろでくくる。きれいな三つ編にする。
ふたりはおそろいの制服を着て、午後の公園をのんびり歩く。
高校三年生になったばかりの今日は授業もなく、学校は午前中で終わっていた。
「桃香さんは、帰り、どうします? 迎えの車を呼びますから、一緒に乗って行かれますか?」
「あ、じゃあ、駅までお願い。あとは電車で帰るから」
「ご自宅までお送りしますよ?」
「せっかくこんなにのんびり遊んでるんだから、帰りものんびり帰るよ」
「そうですか? ではわたしも電車で……」
「佳乃子ちゃんは、車でどうぞ」
「わたしだけ、なぜです?」
「心配だから」
「こどもじゃありません。電車、乗れます」
なにやら真剣に話す佳乃子を、桃香はくすくすと笑った。
「電車の心配なんてしてないよ。どうか、佳乃子ちゃんがヘンな男に引っかかりませんよーに、ってね」
「引っかかりませんっ」
「でも、引っかけられる可能性はありそう。かわいい、持って帰りたい、って」
「それは桃香さんもです」
「そうかなあ?」
ゆっくり、ゆっくり、話をしながら。ゆっくり歩いた。
その高校の制服に振り返る人は多かったけれど、もう慣れているのか、それともまったく気付いていないのか、ふたりは気にしない。時折り風に乗って舞ってくる桜の花びらを一緒に追って掴まえては、楽しそうに笑い合う。
ふたりがあんまり楽しそうなので、近くにいたこどもたちもふたりを真似て桜の花びらを追いかけては掴まえた。
「みてみて、おねーちゃん、ぼく、よっつ」
掴まえた花びらを四枚、佳乃子と桃香に見せてくれる。
「あたしふたつ」
こちらは、二枚。
佳乃子と桃香は顔を見合わせると、自分たちの手のひらも広げて見せた。
ふたりの手の中には、たくさんの花びら。
花びらが、こぼれて落ちて、あはは、と笑い声になる。
笑い声が笑顔を作る。
かしゃん。
と遠くで鳴った音に、佳乃子も桃香も気がつかない。
「おいこら」
カメラを構えている賢治を、雅巳が小突いた。
遠くに、このあたりでは有名な高校の制服を眺めながら。
「盗撮すんな」
「違うよ。無意識」
ほんとうだよ、と賢治は柔らかく笑いながらカメラを鞄の中に押し込む。
雅巳は呆れながら、
「無意識って……そっちのがよっぽど危ないだろ」
「きれいなものに素直に反応しただけだよ。僕、芸術家だもん」
「……はいはい」
どうでもいいような返事に賢治は笑い、雅巳も、笑った。そうしてふたりで、遠くに、こどもたちと一緒になってはしゃいでいる女子高生を見る。
「春だねえ」
と雅巳が言うと、賢治も、春だねえ、と返した。
「ところで雅巳クン」
「なんだよ、賢治クン」
「君の春は? 次の仕事、決まりそう?」
「……春、って行ったら、カノジョだろ」
「恋人、の前に、甲斐性ナシから脱皮しなさい。まずは仕事、まずは金。彼女、はお金かかるよ?」
と、賢治はカメラをしまった鞄をなでなでする。賢治の恋人はカメラで、なるほど金がかかるらしい。
雅巳は、金かぁ、と呟いた。
「この間のオーディション、とりあえず受かったのはいーんだけど、なんだか条件がねえ」
「なにかトラブル?」
「いや、美しさは罪、っていうか……」
「……なんだい、それ?」
「まあ、すべては、無事に役をゲットできたら、のことなんだけど」
「オーディションに受かったんだから、役、あるんじゃないの?」
「だから『とりあえず』受かったんだってば」
「ふーん?」
ふたりして、なんだかそうするしかないように、南から吹いてくる風を見た。
「まあ、頑張って」
と賢治。
「そりゃ頑張るさ。生活も夢もかかってるんだから」
と雅巳。
女子高生とこどもたちはまだ楽しそうに遊んでいる。
いや、それにしても、
「あったかいねえ」
季節は春。
桜前線は順調に日本を北上中。
この上空を、すっかり桜前線が通り過ぎた頃にふたりは出会う。
雅巳と、佳乃子と。
ふたりが、言葉を交わして名前を知るまで、あと、もう、少し。
お互いの、その手のひらの温度を知るまで、あと、もう、少し。
03.あったかい。おわり
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