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声と手のひらそれから笑顔


   
02.あのね。(翌2月下旬)



「あのね」
 今日は、寒い日のはずだった。ちらほらと梅が咲き始めたというのに、天気予報では確か、雪が降るかもしれないと、言っていた。
 といっても、店内は暖房がよく効いている。
 あのね、と静かでかわいらしい声を聞いた店員は、何気なく、その声の主を見た。
 もちろん、声は、その店員にかけられたものではない。明るめの紺色のセーラー服に真っ白なマフラーを巻いた女子高生が、すぐ傍にいる美人を見上げている。
 姉妹だろうか、と店員は考えた。でもすぐに、あまり似ていないな、と思う。
 女子高生のその制服は、近所でも有名な高等学校の制服だった。高校、というよりも高等学校、というのが似つかわしい、由緒正しい御子息御令嬢の通う学校で、噂では幼稚園児の頃から、大学を卒業するまで、由緒正しい身分のこどもたちに見合った由緒正しい教育を一貫して受けることができる、らしい。
 由緒正しい、というものがそもそもどういうものなかよくわからない店員には、詳しいことはよくわからないのだけれど。
 それでも、その制服を着ているのなら間違いなくお嬢様、なのだろう。
 こんな小さな雑貨屋でそのお嬢様を見るのは、珍しい、けれど。
「あのね」
 お嬢様はきれいな姿勢で立っていた。隣の美人も、これまたきれいだ。
 びっくりするほど背が高い。明るい茶の髪はお嬢様の黒とは対照的だった。髪の色と同じように、華やかで、明るい色のパンツスーツがよく似合っている。どこかの雑誌のモデルのようにも見えた。それでも、決して、ふたりの存在までが対照的なのではなくて。どこか、とても似て見える。
 ふたり、姉妹には見えないけれど、そうして並んだ姿は、ひどく近い存在に、見えた。
 きっととても仲が良いのだろう。
 今もこうして仲良く買い物をしている。
 店員は、今日はなんだかいいものを見たなあ、と思っていた。
 今、この瞬間までは。
「あのね、雅巳さん」
「なんです?」
「ほら、見てください」
「入浴剤、ですか?」
「はい、先日買っていただいたものがとてもよい香りだったでしょう? あれは雅巳さんのご趣味ですか?」
「いえ、佳乃子さんが好きだろうな、と思って」
「そう、だったんですか?」
「ええ、そうですよ」
 ふたりの会話を、店員はその辺りにある雑貨の整頓をしている振りをして聞いている。
 ほら、すてきなふたりだなあ、と思っている。
 入浴剤かあ、きっとバラの香りに違いない。
 とか、思っている。
「わたし、りんごの香りのものが良かったです。雅巳さんはどれがお好きですか?」
「……えーと」
「あまり興味がないですか?」
「というか、りんごの香りをさせていたらおかしくないですか?」
「わたしが、ですか?」
「いいえ」
「雅巳さんが、ですか?」
「ええ」
「そうでしょうか?」
「そういうものでしょう? この間は劇団の仲間に笑われてしまいました」
 劇団……女優さんか、と店員は思った。
「お友達に……あの、恥を、かかせてしまいましたか?」
「いいえ、そうではなくて。佳乃子さんと仲がいいんだね、とからかわれたんです。嫌な気分では、ないですよ」
「そう、ですか?」
「はい、だから、どうぞ。佳乃子さんが好きなものを選んでください」
「そうですか?」
「はい。あ、でも」
「なんです?」
「今晩は、泊まっていってくれるのでしょう? だったら、できれば、白く濁るものがよくないですか?」
 背の高い美人が、それはそれは鮮やかに微笑んだ。店員が思わずぞっとしたのは、彼女の色香にか。それとも、彼女の考えたことに、彼女側の思考で、同調、したからか。
「だって佳乃子さん、透き通ったお湯だと、一緒に入るの、恥ずかしがるでしょう?」
 佳乃子さん、と呼ばれるお嬢様が一気に顔を赤くした。
 店員も訳がわからず顔を赤くした。
「だって、それは、雅巳さんがっ」
 そう躾けられているのか、決して大声を出さずに。
「雅巳さんが、あの、その、わたしを……」
「なんです?」
「さ、触っているのを見るのが、恥ずかしくて……」
「濁っていて見えないのも、またいやらしっぽくって恥ずかしいと思いますが」
「見えるほうが恥ずかしいですっ」
「そうですか?」
「そうです……っ」
 佳乃子さん、は顔を赤くしたまま、雅巳さん、の背を押した。
「それより、お花を探しましょう。小道具、ですよね? 雅巳さん、そのために舞台衣装で来たのでしょう? きれいなメイクもしたのでしょう? わたし、頑張ってあなたに似合いそうなお花、探しますから」
「そうですね。そうでした。俺もそれがいいと思います」
 雅巳さん、はちらりと店員を見やって、吹き出しそうになるのを我慢した。
 ふたりは造花のコーナーに移動する。
 店員は呆然としている。
 美人女優とお嬢様の関係に呆然としているのか。美人女優の一人称からその正体に気が付いて呆然としていたのか、どうなのか。
 佳乃子さんと雅巳さんは、この季節には決してありえないような大輪のひまわりを抱えるほど購入して店を出た。
 ふたりの華やかさはしばらく店の噂になったけれど、その店員の言い分を信じたものはいなかったとか。



01.あのね。おわり


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