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声と手のひらそれから笑顔


   
13.何とかなるさ。(11月下旬−4)



「何とかなるさ」
 と気楽に言ったつもりだったけれど、賢治にじっと見つめられて、
「……多分」
 と雅巳は弱々しく付け足した。そのまま雅巳は賢治から目を逸らして、いつものファーストフード店の店内を見るともなしに眺める。平日の昼食時だというのになぜだか制服姿の学生がいるのを不思議だな、と思って見ている。
 賢治はコーラをずこーっと最後まで吸い込んだ。
「僕的には、今日、なにごともないように雅巳クンはバイトに出てて、佳乃子サンが学校に行ったって言うのが摩訶不思議」
「当たり前だろ。ほかになにするんだよ。ふたりでアパートに籠もってろとでも?」
「じゃなけりゃ、愛の逃避行で、今頃津軽海峡ぼちぼち冬景色辺りを電車でごとごとしてるとか」
「あほか」
「アホは君」
 賢治はカップの底の氷をばりばりと食べつくし、空になったカップを手のひらでもてあそんでいたけれど、そのうちに席を立つと今度はコーヒーを買って来た。よっこいしょ、と席に着く。
 雅巳は賢治がコーヒーにちょっと気持ち悪くなるくらいミルクを入れるのを見ながら、
「別に、逃げる必要はないんだよ」
「そうだっけ?」
「今、たった今、そういう話をしただろ」
「ああ、佳乃子サンのおとーさまに『勝手にしなさい』って言われて、ホントに勝手にしちゃったんだっけ。つい、勢いで」
「……」
 そう、つい、勢いで。
 雅巳は若さゆえの勢いを思い出して頭を抱えた。
「わかってるよ。こんなの、長く続けていいはずがない、とは思ってる」
「え、そうなの?」
「じゃあ、ってこのまま佳乃子さんを俺だけのものに? まだ17歳のあの子を? ……そこまで恥ずかしい男じゃありまセン」
「へー」
「……ちゃんと、帰すよ」
「佳乃子サンを? お家に?」
「そのうち、に」
「ふうん」
 それまで神妙な顔をしていた賢治が、ふいと笑った。それまで手にしたままだったコーヒーをテーブルに置いて、向かい合った雅巳に身を乗り出す。
「ねえ、雅巳クン」
「なんだよ」
「君、めろめろだねえ」
 知ってたけどさ、と面白そうに付け足す。
「うん、でもまあ、佳乃子サンをどうにか手に入れて、そのまま鳥カゴ生活に突入なんてコトにはならなかったみたいで一安心、かな」
「トリカゴ生活?」
「だから、ふたりでアパートに籠もって、世間と隔絶した生活を……」
「なんだそりゃ」
「え、ちょっと背徳的で楽しそう」
「楽しいのか?」
「アナタがいればほかになにもいらないわ、ってね」
「餓死しそうだな……」
「愛のために、どう?」
「ヤなこった」
 雅巳が自分の飲み物に手を出す。賢治が見ている限り、それが今日、賢治の目の前で初めて雅巳がものを口にする姿で、賢治はまた少し、笑った。その笑顔がなんだか意味ありげで、なんだよ、と訝しい顔をした雅巳に、賢治は、まあまあ、と自分の食べかけのトレーを押し付ける。
「僕の分もお食べなさい」
「って、おまえ、腹減ってんじゃないの?」
 さっきから賢治は飲み物ばかりすごい勢いで飲んでいる。
「喉が渇いてただけ」
「なんで?」
「君の心配をし過ぎて」
 賢治が笑う。
 雅巳はコーヒーを、飲み込んだ。
「そりゃ、どーも」
「どういたしまして」
 やれやれ、と賢治は冷や汗を拭う仕草をして、それから「あ」と何かを思い出して声を上げた。
「そうそう、雅巳クン」
「なんですか、賢治クン」
「お家に帰すまではとりあえず君だけの佳乃子サンを、大事にしなさいね。淫行罪なんかで捕まったら、僕、恥ずかしくって面会に行けないから」
「……なんの話だよ」
「だって佳乃子サン、未成年だし」
 声音を落さずにそんな話をする賢治を、近くの席に座る小さなこどもを連れた主婦グループがちらちらと見る。
「おっまえ、ねえっ」
 顔を赤くするべきか青くするべきか決めかねるような雅巳の肩を、ぽん、と賢治は叩いた。
「これからどうしようかな、と悩んでるはずのわりにはなんだか幸せそうだからイジメてみただけ、イジメてみただけ」
 よかったねえ、と言いながら賢治はまた雅巳の肩を叩く。どうも、昨晩のことを見通されているようで、雅巳はやはり、顔を赤くするべきが青くするべきが決めかねる。でも決めかねている雅巳のことなどどうでもいいように、
「僕も早く彼女、作ろう」
 賢治は切実そうに呟いて、
「そうだ、とりあえずらぶらぶお祝いにアイロン、買ってあげようか?」
「アイロン?」
 雅巳は心の底からわけのわからない顔をする。今、賢治が言っていることも分からないので、これから言おうとすることがわかるわけがない。わりと長い付き合いのはずなのだけれど、自分でない人間を理解することはなかなか難しい。
「そう、アイロン。うっかり気が急いてつい乱暴にしちゃって、ほら、佳乃子サンの制服をしわくちゃにしちゃったりしたときに、ないと困るよ? まさか、お嬢様にしわのある制服を着せとくわけにいかないでしょ?」
「そんなにがっついてないっ」
「どーだかねぇ」
 と言われると、雅巳も強く反論できなかった。すでに昨夜、佳乃子の制服のリボンをしわくちゃにしている。
 蒸気の出るアイロンがいい? なんだっけ、スチームアイロン? と話を続ける賢治に雅巳はなんだかがっくりする。まじめに話に付き合う気が失せて、お食べなさい、と言われた賢治の昼食を遠慮なく頂く。
 食べ慣れた味を味わいながら、ふと、今夜の夕食のことを考えた。
 今から昼からのバイトに入って、それが終わったら一緒に買い物に行く約束をしている。
 不安も、あるけれど。
 一緒に買い物……。
 そんなことを考えてつい、笑ったりもする。そんな気持ちの狭間にいることは、どちらかといえば楽ではない。
 でも、何とかなるさ、と簡単に思ったりもする。
「雅巳クン」
「なんだよ」
「気持ち悪いからにやにやしないで」
「……してた?」
「してた。気持ちはわかるけど。とりあえず、その気持ちは引き締めて、よく食べて、頑張ってお仕事して、それで佳乃子サンにおいしいもの食べさせてあげなさいね。お預かり中の大事なお嬢さんなんだから」
「……はーい」
 雅巳に春からのテレビの仕事が入るのは、もう少しだけ後の話。
 佳乃子が家に戻るのももう少し後の話で、だからそれまでは……と考える雅巳のことなどお見通しのように、賢治はとりあえず、雅巳の食いっぷりのよさに拍手などしてみた。



13.何とかなるさ。おわり


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