017.エゴイスト
スチールのパイプベッドは、体重をかければぎしぎしと、同じようにタカシが体重をかるミナトと同じリズムで声を上げた。
「あ……っ、あ、あ、……ぅん……っ…………っふ」
開かせた足を持ち上げて、その膝を抱えてタカシはさらにミナトに体重をかけた。ベッドもミナトも、悲鳴を上げる。繋がった場所はねとねとと絡んで、ミナトとタカシの呼吸を追いやる。
薄っぺらい布のついたての向こう側で。ミナトの制服はスカートだけが捲くれ上がって、タカシは中途半端にズボンだけをずり落として、誰かが見たらずいぶんひどい格好で、ふたり、繋がっていた。
「……っうぁ、あ……あっ……あ、んっ」
ミナトはすがるように伸ばした手でタカシの肩を掴んだ。タカシはかまわずに繋がった場所を揺らす。
ミナトの指先はタカシのシャツに引っ掛かって、かろうじて掴んでいる。タカシはその手を取ると、その手のひらに唇を押し付けた。物足りずに引き寄せて、引き寄せた唇と唇を重ねた。その合い間合い間に、大きく呼吸して。
ミナトがタカシよりも少し早く、ベッドに沈み込んだ。上り詰めて達して悲鳴を上げる。そのまま少し意識を手放しかけたところで、タカシの熱を受け止めた。
「っ……はっ」
大きく、呼吸して。
タカシはミナトの脇に片手を付いて自分の体を支えた。ミナトを見下ろせば、鼻先から落ちた汗が、ミナトの頬を流れていく。
目を閉じて、ミナトはもう眠っているようだった。
タカシの体はまだミナトが咥えている。揺らせば、
「……ん」
ミナトはうっすらとまぶたを上げた。タカシは吐息して、ミナトから体を離した。どんな、意味の、吐息だったのかは、タカシだけが知っている。
ミナトも、知っていたのかもしれない。
ミナトはベッドから降りて身なりを整えるタカシの袖口を掴んで、引き寄せた。さっきタカシがそうしたように引き寄せて、キスをした。舌の絡まる音がしばらく部屋に響いた。
タカシは自分の身なりを整える。ミナトの身なりを整えてやる。ミナトはベッドの上でシーツを手繰り寄せる。タカシの立つ場所に向いて、横になって、体を丸めて目を閉じた。
タカシはついたての向こうから出てくる。ついたてのこちら側に、本来いるべきはずの保険医の姿はない。窓の外では体育の、次の授業の支度を始め出す生徒たちの声がする。
保健室を、出たところで、タカシはぎょっとして足を止めた。
ハナが扉の傍に座り込んでいた。タカシを見上げて、なにかを確認するように笑いかける。その仕草に、タカシはなんとなく、フミオを思い出しながら。
「どれくらい、待ってたんだよ?」
「どれくらい、かなあ。もうとっくに始まってたから、だから待ってただけ、なんだけど」
ミナトと、タカシと。始まっていたから。
声が。
「どきどき、しちゃった」
「顔、赤いな」
「あんな声、聞いちゃったらねえ」
ハナは強がって笑う。強がって笑う自分を、知っている。
ふと、笑うのをやめて、
「あのー。会長とミナトと、想像は、それは、そうなんだろうなって思ってたけど、多分、他のみんなも思ってるくらいは思ってるんだろうけど、目の当たりにしちゃうと……って、見てないけど、ほんと、刺激が……ねえ」
いっぱいいっぱいに顔を赤くした。でも、俯かずに。
「それで、ミナト、は?」
「寝たとこ」
「起こしちゃまずいかなあ?」
「できれば」
「でも、次の授業、古文なんだけど」
どうしよう? と眼差しで問いかけるハナに、タカシは天井を仰いだ。
ミナトは国語でも英語でも、言葉に関する授業の成績があまりよくない。
タカシはしばらく天井を見上げたあと、
「……まかせた」
ミナトを起こすのか、起こさないのか。あとはハナに任せる。
「はあい」
任されたハナは、タカシと入れ替わりに保健室に入り込んだ。
ハナはタカシを振り返る。タカシはハナに振り返らない。そのまま、歩き出して遠ざかっていく。
「ねえっ」
ハナが呼び止めると、やっと、振り向いた。
なんだよ、という顔をする。
「会長、私に口止め、しないの?」
ハナに、タカシは表情だけで笑って見せた。
でもその表情がなにを語っているのかハナにはわからない。言えば? とも、言うな、とも取れる。
「……次からは、人目を気にしてやってください、ね」
と言っても、
「出来れば学校ではあんまり……」
と言っても、タカシは表情を崩さない。
……そんなに。そんなことでは表情も崩れないくらい。
「会長は、ミナトが好きなの?」
タカシの表情は変わらない。変わる表情も、想像できない。
「……ミナト、起こしちゃお」
ハナは答えないタカシにじれて保健室に顔を引っ込めた。
タカシは、そのまま、廊下から保健室を見ていた。そのときどんな表情をしていたのかは、タカシには、鏡がないからわからない。誰もそのときのタカシを見ていないから、誰にもわからない。
ただタカシだけが、自分が、そのときなにを考えていたのかだけをわかっていた。
なにを、考えていた?
……そんなこと、タカシにしかわからない。
何分、経ったのか。ハナがそっと保健室のドアを開けたとき、タカシはもういなかった。
ハナはついたての向こう側のミナトを覗き込んだ。
ミナトは体を丸めて静かに寝ている。頬が、濡れていたので涙の跡かと思って慌てた。触ってみると、なにか違う気がした。ふと、髪の生え際が湿っていて、その汗をかいた経緯を想像してまたひとりで慌てた。
そのうちに慌てる自分に疲れて、ため息をついて、傍にあった椅子に座り込んだ。
「ミナトぉ、古文、始まっちゃってるよぉ」
耳元で、小声で言ってみたけれどミナトは目を覚まさない。寝顔は、ひどく疲労しているようにも、ひどく安心しているようにも見えた。
「……どーゆう寝かせつけ方かなあ、これは」
いろいろと、想像することもしたいことも山のようにあったけれど。ハナは壁にかかった時計の、秒針の進む音を聞きながら、そうして時間が進んでいくことを思いながら、ミナトの寝顔を見ていた。
ごそ、とミナトが寒そうに、さらに体を丸めた。あ、とハナが思ったときには、ミナトはもう一枚、シーツをかぶっていた。ハナはそのシーツをミナトの耳元まで掛けなおす。
このシーツは、ハナには触ることができる。ハナには見ることができる。
ミナトにも、見ることができる。
タカシには、できない。
ハナにわかるのはそこまでだ。このシーツをかぶったミナトが、突然現れたシーツ一枚分、暖かい思いをしているのかどうかまではわからない。
でも、それでも。ミナトはそれ以上の寒さに目を覚ますことはないし、ハナは変わらずここにいる。
ハナはなんとなく、振り返った。ついたての向こう。扉の向こうに、まだタカシが立っているような気がした。
……本来。
本来、例えばどんな場合でも、たかが生徒会、でも。上に立つ人間には報告をする義務がある。
間違えた人間を見つけた、と。
少し間違えた人間を、見つけた、と。
ハナはもうタカシに見つかっている。
でも、まだ、ここにいる。
どうして? と。
聞くことが出来ないのは。
だれのエゴだろう。
時計の、秒針の進む音がする。
ミナトの寝息が聞こえる。
窓の向こうからは体育の授業の声がする。
体育の授業の声がする。
タカシは遅れて入った教室で、保健室の窓から見た生徒たちを思い浮かべた。タカシの席から見える窓の景色は空ばかりだ。
隣の席のクラスメイトが一生懸命にノートを取っている。
でも、タカシには、そのクラスメイトが手にしているはずの筆記用具が見えない。
タカシは自分の筆記用具でクラスメイトを突付くと、そのまま、その筆記用具を渡してやった。クラスメイトは慌てて筆記用具を持ち替えた。その目が、どうして? と問いかけてくる。
どうして、黙って庇うのか。
でも、どうして? と声にはしない。授業中だからか、どうなのか。
声にはしないからタカシには聞こえなくて、タカシはそのまま聞かなかったことにする。
……聞かないのは。言わせないのは。
それは誰のエゴだろう。
それは、誰の……。
おわり
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