013.球状星団M13
球状星団M13、というのはヘラクレス座にある50万個もの星が集まった、天で一番美しい球状星団、らしい。
ミナトはフミオがじっと見ている天体図鑑を横から覗き込んでいた。
フローリングに寝転んで、うつぶせになって、頬杖を着いて図鑑を覗き込む。ふたり、同じ格好で並んでいて、それを見たタカシはなんとなくメザシを思い出した。スーパーに売っているアレだ。
タカシは天体には興味がないので自分の部屋に入った。今日出された課題でも済ませてしまおうか、と教科書を広げる。
フミオはずっと、じっと球状星団M13を見ている。
だからミナトも球状星団M13を見ている。
フミオがなにを思ってそれを見ているのかはミナトには分からない。ミナトはなんとなく、球状星団M13、が、読みにくくて言いにくそうだな、と思っていた。
真っ黒なページに、星、だという白い点々が無数に散らばっている。点々はページの真ん中で丸い形を描いている。そしてその周りにも、無数の点々。
それは星がぎゅっと中心に集まっている姿なのか。それとも中心から散っていこうとする姿なのか。
「集まってるならいいな」
ミナトのひとり言だ。
フミオがミナトを見た。
「ばらばらだったのが集まって、それでそんなに真ん丸で、キレイなら、いいな」
図鑑から離れたフミオの目線に、ミナトは笑いかけた。
「フミオみたいだ」
フミオは小首を傾げる。自分に向けられた、キレイ、という言葉に納得できない表情をする。
フミオはつと伸ばした手で、ミナトの顔を触った。瞬きをする。
そうやって、なにかをミナトに伝える。
ミナトは、違うよ、と答える。
「わたしじゃない。フミオが、キレイだよ」
フミオの手を掴んで、ミナトはフローリングに座り込んだ。引かれるようにしてごそごそと起き上がったフミオを、ミナトが抱きしめる。
「フミオの手も足も、頭も心もここにあるだろ? ばらばらだったのが集まって、それでこんなにキレイだ。キレイだよ。フミオを見ると、人の形はキレイなんだと、そう思う」
抱き締められるフミオはミナトを抱き締めない。
「わたしも、人の形をしていてよかったと、思う」
フミオは視線を図鑑へ戻した。
星、だという白い点々は明るい。その明るい点々が作る形を球状星団と名付けて綺麗だと観賞する。
人が見ているのは、白い、点々。
誰もわざわざ、その向こうにある黒い空を見ない。
星なら、手を伸ばせば触れる、はずだ。どんな星でも、星という形が、ある、はずだ。
どんなに遠くても光って見える。
触れない闇の中に、形がある。
だから形だけが見える。でも。
闇がもし、もっとどろどろしていたら?
こぼしたペンキのようにどろどろしていたら?
夜の闇が、今ここにある空気の延長線上のものだとしたら。
闇がどろどろのペンキなら、今ここにある目の前の空気もどろどろのペンキだったら。
どろどろに隠されてしまって見えないのなら、形になんて意味がない。どんな形だってかまわない。
他人がどんな形をしていても、きっと、誰もなにも言わない。
でも。
見えるから、人は、人と違う形をしているヒトに敏感になる。
手があって、足があって、頭がある。
ひと、という形に、縛られる。
「こんな体はいらないと、思ってた。バラバラに壊して、なくなってしまえばいいと思ってた」
ミナトが、どろどろしていない闇の中に見るのは、もうひとりの自分だった。
同じ姿。同じ顔。同じ形。同じ、人。
きっと、同じだったから縛られている。
どちらともなく、もうひとりの自分に縛られていて解放されない。
いっそ違う形だったなら、こんなに、執着しただろうか?
フミオは図鑑のページをめくった。適当にめくって、太陽系を眺める。
……きっと、違う形だったなら、時間は少し違った流れ方をしていたに違いない。
例えば、星の位置が少しずれただけで、この星には生命が誕生しなかったように。
……だけど。
ミナトもフミオもタカシも、今、ここにいる。
同じヒトの形をして、どろどろではない空気の中にいる。手を伸ばせば、自分のものと同じ形をした手や足や頭に触ることができる。
その体温を暖かいと感じる。
感じることに、感謝をする。
「……なくしてしまわなくて、よかった」
フローリングに、ミナトが、フミオを押し倒す。
こぼれたミナトの髪をフミオが掴んだ。少し、心配そうな顔をする。
「心配、いらない。もうなくしたいなんて思わない。思ってみろ、タカシに叩かれる」
フミオはミナトの髪を掴んでいない手の平を、閉じたり、開いたりする。
「げんこつで殴られたこともあっただろ? この間……音楽室では平手だった。手加減? するわけないだろあいつが。は? そりゃ、痛いよ。この間も手形が残って……」
ひどいよなあ、と笑ったミナトの髪をフミオが引っ張った。
引かれるまま顔を寄せた。
唇が重なる。でも、相変わらず重なるだけだ。
ミナトが覗かせた舌先からフミオは顔を背ける。ミナトは、背けたせいであらわになったフミオの首筋に唇を落とした。舐めるのは嫌がるけれど、きつく吸うのには文句はないようだった。
ミナトはフミオに残したうっ血の跡に満足する。フミオのシャツのボタンを外すと、胸元の肌を直接撫でた。
無駄な脂肪どころか、必要と思える筋肉も付いていないような細い体を撫でた。
フミオはいつでも、まるで処女が初めての行為に身をおいているように、されるがままだ。ときおり感じては体を揺らすのに、声は、漏れなくて。声にならない声は、声を、我慢して飲み込んでいるようでミナトを煽った。
「気持ちいい?」
聞いたものの、ミナトはフミオの答えを待たずに、とうに勃ち上がっていたフミオ自身に口を付けた。
空の果てには50万個もの星が浮かぶ空間が存在しているようだけれど、今は、手を伸ばせば届く範囲にあるものにしがみつくことだけで精一杯、だ。
おわり
ミナトはタカシの部屋に飛び込んだ。
「どーした」
のんびりと教科書から振り返ったタカシにミナトは飛びついてキスをした。タカシの顔を掴んで離さず、念入りにキスをする。絡まる舌と唾液の卑猥な水音にミナトは飲み込まれる。が、タカシは飲み込まれない。
「おい、こらっ。いい加減に……っ」
タカシは力尽くでミナトを引き離す。引き離されたミナトは我慢できなくてタカシに抱きつく。
「なんだ、フミオと喧嘩でもしたか」
「するわけないだろ。なに言ってんだ」
あほか、とまで言われてタカシは溜め息をついた。
「じゃーなんだ」
「……フミオが、相変わらずしてくれない」
「ああ?」
タカシは手にしていた筆記具を離さないまま、
「仲良くメザシやってると思ったら……」
「めざし?」
「んで、フミオは?」
「図鑑、見てる」
「おまえは?」
「欲求不満」
「俺はセックスレス夫婦のお悩み相談員か」
「相談員に迫るわけないだろ」
「……迫ってんのか」
「じゃなきゃ、なんだと思ってるんだ」
「俺、ベンキョー中」
「2、3時間わたしに付き合ったっていいだろ」
「3時間もさせる気かっ」
「いつもはおまえからしてくるくせに」
「おっまえなあ……」
どうしたものかとタカシは筆記具を弄ぶ。
ミナトはタカシから離れない。
「たまにはわたしから迫るのもいいだろ」
耳元に囁くと、タカシはなにかに動揺したように筆記具を落とした。……迫られて動揺した、わけではない。
「ミナト……おまえその調子でフミオにも迫ったろ」
「それがどうした」
「フミオに、してやっただろ」
「だからそれがどうした」
ミナトは涼しい顔をする。
タカシは反射的に口元を押さえた。
「ばっか、おまえ、フミオの飲んだままでキスしやがったな!?」
「なに繊細ぶってんだ?」
「そこは疑問形にするとこじゃねぇっ」
タカシは大きく息を吐き出すと、抱きつくミナトを押し返した。ミナトは抵抗しても敵わない。
「星、見に行くか?」
タカシの言葉に、ミナトは、は? と首を傾げる。
「今日のフミオは星好きなんだろ。屋上にでも上がればそれなりになんか見えるだろ」
「まあ……」
反対ではないが、いまいち乗り気になれない様子のミナトを、今度はタカシが抱き寄せた。Tシャツの裾から手を差し入れる。
肌をなぞられて、タカシを見下ろすミナトの顔は、
「他の男の前で、そんなもの欲しそうな顔、すんなよ」
「じゃあおまえが満足させろ」
「俺が?」
「あたりまえだろ。他に誰がいるんだ」
タカシは、笑う。笑ったままミナトを抱き上げた。
「んじゃ、まあ、せっかく迫られたことだし」
タカシはミナトをベットに運ぶと、横にしたミナトを跨いで見下ろした。
「星が見えるようになる時間までは付き合ってやるよ」
お互いに、自分の服は自分で脱いだ。
ベットはふたり分の重さを慣れたように受け止めた。
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