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012.私を見つけて




 転がってた首は今ここにあって、投げ出されてた腕や足も、今、ここにある。
 全部がきちんと、心臓に近い場所にあるから、自分に近い場所にあるから、歩きたいと思えば歩ける。掴みたいと思えば掴める。
 例えば、おもちゃの自動車の電池と配線とボディみたいにでも、心臓と神経と手足が揃ってるから、とりあえず、人間の形をして、人間の中に混じっていられる。
 とりあえずこの形であれば、パーツが揃っていれば。
 ひとに、触りたいと思えば触れる。
 ひとの、傍にいたいと思えば、傍にいられる。



 ピアノの音に、ハナは音楽室を仰いだ。
 校舎の三階の、一番隅から聞こえてくる。
 一日の授業が終わったばかりの高等部の中庭で、
「ハナ」
 とハナを呼んだのは、音楽室のベランダから手を振るミナトだった。
 ハナはミナトの子供のような声に手を振り返した。
「そっちに行って、いーい?」
「いいよ」
 ハナは校舎に入ると階段を早足で登った。途中、追い抜こうとした背中を追い抜いて、ふと、立ち止まった。
 振り返ると、
「よう」
 タカシが、数段上にいるハナを見上げる。
「クラブない生徒は、さっさと帰れよ」
「会長もね」
 タカシは肩をすくめて階段を上り出す。三段目に追い抜かれて、ハナはタカシに続いた。
 ピアノの音が近くなってくる。
 曲、ではない。
 ポン、ポン、と、一定の間をおいて、音が、聞こえる。
 タカシが音楽室に入ると音が止んだ。
 ハナはまだ音楽室には入らず、入口から中をうかがう。
 フミオが、ピアノの前にかけていた。
 ミナトはベランダに出たまま、どこかを見ている。
 タカシはフミオの頭を軽く小突いてベランダに出ると、ミナトの頭も小突いた。
「おまえ、いい加減、窃盗容疑で逮捕するぞ」
 タカシが差し出した手の平に、ミナトが鍵を返す。
 音楽室の、鍵。
 それからピアノの、鍵。
「鍵、持ち出すときは、ちゃんと申請書出せっつってるだろ」
 タカシはまたミナトを小突く。
 ミナトはタカシを避けてベランダから身を乗り出した。
「落ちんなよ」
 それ以上身を乗り出せないように、タカシはミナトのウエストを抱え込む。
「これ、逮捕?」
 と聞いたミナトに、
「逮捕だったらどーする」
「このまま飛び降りる」
「やってみろ。騒ぎになって、名前が残るぞ」
「……それはまずい」
「まずいだろ。見つかるぞ」
「そう、だな。じゃあいっそ、飛び降りて死……」
 タカシはミナトを引き寄せた。
 タカシは手を、振り上げる。勢いでそうしたわけじゃない。感情で、そうしたわけじゃない。タカシの目は冷静だ。
 ミナトはタカシと、タカシの振り上げた手を見て、
「冗談、だよ」
 その顔が、少し笑った。笑って、目を、閉じる。
 目を閉じたミナトの頬を、タカシが叩いた。
 見ていたハナは、思わず目をそらしたけれど。
 フミオは、タカシとミナトを見ていた。そのまま、タカシとミナトを見たまま。
 フミオは、ポン、と高い音の鍵盤を叩いた。
 ポン、と同じ音を強く叩いた。
 ミナトは叩かれた頬を撫でながら、
「ごめん。もう言わない」
 タカシは吐息して横を向く。
 ミナトはタカシの視線を追った。
「悪かった。もう本当に言わない。絶対だな……って、絶対。約束? する。するから……」
 ミナトはひとりで喋って、そのうちに、我慢しきれないように吹き出して笑った。
 ポン、とさらに高いキーをフミオが叩いた。
 ミナトに見向いたタカシの顔は、気のせいか赤かった。ハナの見間違い、だったのか。
「……お、っまえ」
 タカシはミナトの顔を手の平で押しやりながら、
「俺はフミオじゃないんだから、俺の心と会話すんなっ」
「ばかだな、タカシはフミオじゃないんだ。声にしてないことがわかるわけないだろ。適当に察しただけだ」
「察するなっ」
「わかり易いんだから仕方ないだろ」
 ミナトはタカシの手を掴んで、
「ほんとに、ごめん」
 ……掴んで、離さずに。フミオを呼んだ。
「フミオ、おいで。タカシの顔、赤い。おもしろいから見てみろ」
「わざわざ呼ぶなっ。フミオも来なくていいから。ミナト、離せっ」
「離しても逃げ場ないだろ。ハナもおいで。セイトカイチョウドノのおもしろい顔が見られるよ」
 呼ばれて、フミオはぴょんとピアノから離れた。
 ハナも音楽室に入り込む。
 ベランダに出ると、笑うミナトの口封じにタカシがキスをしていて、それを見たハナの顔が一番赤くなった。慌てて目をそらすと、フミオが、ハナを見上げていた。ハナが誰だかわからない顔をする。
「ハナ、だよ」
 フミオは瞬きをする。
 ハナは、笑った。
「ハナだよ」
 フミオは小首を傾げて、なにかを確かめるように伸ばした手でハナのセーラーの襟元を触った。それからリボンに触る。掴んだリボンに顔を寄せる。
「フミオ?」
 なにをしているんだ、というミナトの声に、フミオはハナのリボンを手放した。
 手放した手で、フミオは自分の胸に手を当てた。胸に当てた手の平を眺めて、その手で、ミナトの顔に触った。
 ミナトが、ハナを見上げた。
「ハナは、見つかったこと、ない?」
 ハナはミナトと、フミオと、タカシを見た。
 なにに見つかったことがないのか、とは聞き返さない。
「ないよ。まだ、大丈夫」
 まだ、大丈夫。
「フミオくんは、見つかったこと、ある、よね。取り戻してないのは声だけ?」
「取り戻してないわけじゃない」
 ミナトはまだタカシの手を掴んだまま、
「必要ないから、探してないだけだ。首や、腕や足は必要だから見つけた。やっと見つけて、今、ここにある。ハナはそんな苦労するな。奴等に捕まるな。ばらばらにされて、そのうちに自分が見つからなくなる」
「そうだね。……でも、たぶん、いつかは捕まるんじゃないかな? 覚悟はできてるんだよ。ただね、諦めたわけじゃないくてね、ミナトや会長に会って、思うようになったことが、あってね」
 ハナはピアノの前に座ると、さっきフミオが叩いていたピアノのキーをなぞって弾き始めた。
 きちんと弾けば、曲になる。
「私を、見つけてくれる人を探そうと、思ったの。腕をなくしても足をなくしても、首をなくしても……。そうして私は、私を見つけてくれた人を、見つけてもらった腕で抱き締めるんだよ。だからね」
 ハナは滑るようにピアノを弾いた。
「だからね、それまでは頑張って生きてるよ」


 ミナトは、タカシの手を離さない。
 ふと、フミオが自分の足元を見下ろした。
 ハナのピアノを聞きながら、ミナトはフミオの手も掴もうとする。
 フミオが、ミナトの手を掴んだ。


 ここに、手があるから。
 触りたいと思えば触れる。
 傍にいたいと思えば、傍にいられる。



おわり


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