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005.剃刀の使用法




 ここは夢の中。
『ミナト』
 と呼ぶ声にミナトは目を覚ます。
 真っ暗な部屋の中で気配に振り返ると、声は、
『ミナト』
 とまた呼んだ。
 目を閉じているのか開けているのかも分からない闇の中で、
『ここだよ』
 ミナトと同じ顔が柔らかく笑った。
 ……ミナトと同じ顔。同じ髪型。同じ体型。同じ……でも、よく見れば、少年の体付きをしていた。髪の色が違った。髪の色は闇と同じ艶やかな黒。昔のミナトと同じ、色。
「……あ……おまえ……」
 ミナトの声は怯えていた。同じ顔をしたもうひとりの自分の名前を呼んだ。
 もうひとりの自分は、
『そうだよ』
 と答える。
『そうだよ、ミナト。よく覚えていたね』
 ……よく覚えていたね。
『僕の、名前を』
 ミナトと同じ声。よく聞けばミナトより少年らしい声。
 ミナトは耳を塞いだ。塞いだまま答える。
「当たり前……だろ」
『そうだね。それはそうだよね』
 耳を塞いでいるのに聞こえる声。
 ミナトはますます怯えてベットの隅で小さくなった。
『僕が怖いの?』
「……怖い、よ」
『なぜ?』
 近付く声に、
「やめろ! 来るな、触るな!」
『酷いこと言うなあ』
 ギシとベットが軋んだ。ゆっくり、近付いてくる。
「触るな!」
 はね退けた手は冷たかった。冷たさに、ミナトは悲鳴を飲み込んだ。声に出して叫べないほどの恐怖に涙が溢れた。その冷たさに身が凍えた。冷たさが触れたそこから体中に広がっていくような気がして、自分自身を抱き締めた。
 ……冷たいのは、生きているものの体温ではないから。
「……触るな……」
 また、ベットが軋む。軋ませて近付いてくる。
 彼、の、名前を呼ぶ。
 近寄るな、と呼ぶのに。
『なんだい?』
 と近付いてくる。
 近付いてミナトの手を取った。
 冷たい……冷たい!
 ミナトの上げた悲鳴を、その冷たい唇が飲み込んだ。
 冷たいキスにミナトは気を失う。でも、これも夢。
『ミナト。ミナト』
 まだ、覚めない。
 冷たい手がミナトの髪をかきあげる。頬をなぞり、確かめた唇にまたキスをする。
 ミナトはもう声も出ない。されるがまま、ただ、冷たさを感じる。
 同じ顔をしたもうひとりの自分に。
 名前が違うだけの。
 髪の色が違うだけの。
 性別が違うだけの。
 もうひとりの自分に犯される。
「……っあぁ!」
 足を開かれ、内ももの柔らかさをなぞられて。その奥へ、入り込まれる。
『ずいぶんいい声を出すようになたね』
 彼はミナトを味わう。じわりと、そうすることが当たり前の顔をして奥まで犯す。
 いやだ、とミナトが首を振る。
『嫌なら本気で抵抗しなよ。相変わらず僕は君には敵わないんだから。それともなに? 君はやっぱり僕に遠慮をするの?』
 彼の言葉などミナトは聞かない。ただ、嫌だ、と表情だけで訴える。彼もまたそんなミナトの訴えなど聞かない。
『ねえ、タカシとしてるときはずいぶん悦んでるのに……フミオのことは欲しがるくせに、どうして僕だけ拒むの?』
 体を揺らされて、ミナトは手の平を握り締める。
『そんなに強く握ったら、傷になるよ』
 冷たい手がミナトの手の平を開かせる。指に指を、絡める。
「…………っ」
 彼の名前を。
 名前を呼べば、彼を煽った。煽られて、彼はさらに奥へ奥へ入り込んでくる。入り込んでくるそれが、また冷たくて。ひどく冷たくて。
 冷たく弄ばれて、体が悲鳴を上げる。ミナトはまるで乱暴に抱かれる処女のように、体の痛みに泣いて喚いた。
 絡む指先に力を込める。爪が、冷たい皮膚に食い込んだ。その食い込む感触に、はっと顔を上げると、彼が、あのときの表情をして、あのときの言葉を口にした。
 これは、夢、だから。
 様々な彼が様々な表情をする。ミナトの一番見たくなかったあの場面を見せる。
 彼の部屋で、彼は楽しそうに笑っていた。まるで大好きなお菓子をもらった子供のような笑顔で、カミソリを自分の手首に当てていた。
『ねえ、ミナト』
 いつものようにミナトを呼んで、
『ミナトは、剃刀の使用法、知ってる?』
 手首に押しつけた刃先を、引いた。
 ミナトは逸らした目をかたく閉じた。
 ……閉じたそこは夢の中。
 ミナトを抱いたままの彼が笑っている。お菓子をもらった子供のような笑顔で、ミナトを抱きしめる。
『愛してるよ』
 カミソリの刃よりも鋭くミナトに傷を付ける言葉は、今度こそ本当に飛び起きたミナトの、夢の中の言葉になった。



 ミナトは大きく息を吐く。涙が止まらない。
 目が覚めても部屋の中は暗くて、手首には冷たい感触が残っている。
 ドアをノックされて、驚いて肩を揺らした。まだ夢の中だろうか、と思う。
 ドアが少し開いて、向こうの明かりが縦に細く見えた。
「ミナト」
 とタカシの声。
 こん、こん、こん、とドアを叩いたのはフミオ。ミ、ナ、ト、と呼ぶ。
 ふたりはミナトの様子に顔を見合わせると、声にはせずに、せーの、と互いの利き手を出した。タカシがちょき。フミオがぐー。フミオはぐーのままバンザイをした。ちぇ、とタカシは舌打ちする。
「おやすみ」
 と言ったのはタカシ。フミオがミナトのベットに入り込むのを確認してドアを閉めた。しばらくして、タカシの部屋にタカシが戻った音がした。
 フミオは小さな子供が母親にそうするように、ミナトの胸元にもぐり込んで丸くなった。
「……フミオ」
 なんとなく呼ぶと、フミオの手がミナトの頬を撫でた。
 ……温かい
 温かい、と思っていると、キスが降ってきた。額に、まぶたに、涙に、頬に、唇に。
「フミオ……」
 フミオがその声で返事をする事はないけれど。なあに? と真っ直ぐに見てくる。闇の中、多分、真っ直ぐに見ているに違いない。
 フミオがそのまま声にせずに聞いてくる。
 なにかしてほしい?
 ミナトは首を振る。横に。
 温かいからもういい。
 それは本心。でも、本心じゃない。
 フミオはミナトと手を繋ぐ。
 かちゃり、とどこかで音がした。ドアがひとりでに開いて、細い明かりが部屋に入り込んできた。
 もう、闇がない。
 闇は、ないよ。
 フミオが大きなあくびをした。つられてミナトもあくびをする。もう半分眠りながら、ミナトはフミオの柔らかい髪に顔を寄せた。
「……おやすみ」


おわり


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