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004.殺して頂戴




 世の中は広くて、同じようなセリフを吐く女はゴロゴロいるもんだな、とタカシは表情も変えずに思っていた。
 表情は……意図的に変えなかったわけじゃない。呆然、とか、唖然、とか、言葉にするならそんな気分だったから、表情にまで気が回らなかったのだ。
 とりあえず、タバコを深く吸い込んだ。
「ダメよ」
 甘ったるい声はすぐ傍から落ちてきた。
「その制服……あなた、まだ高校生でしょ? 体に悪いわよ」
 声にはかまわず、タカシはタバコをくわえた。声とは反対にあった景色を見た。
 限られた土地に詰め込まれた団地を見下ろす場所で、
「ねえ」
 甘い声が再び、同じセリフを口にした。
「―――」
 長い赤毛の女で、手も足も細い。名前は知らない。年は……目の前をランドセルを背負った子供が駆けて行く。多分、あれくらいの子供がいてもおかしくない年だ。
「好きにしていいのよ? それとも、さすがに、こんな痩せっぽっちの体には興味がないかしら?」
 自分自身を嘲笑うような声に、
「……つーかさあ」
 タカシは新しいタバコに火をつける。
「俺、間に合ってるんで」
 あら、と女が口先で呟いた。
「彼女、いるのね」
「……やー、別に」
「違うの?」
「まあ、どっちかってぇと」
「……じゃあ」
 隣にいたはずの女が、正面から覗き込んできた。
「とにかく試してみて? 最初からそういう約束だもの。それで気が向いたら」
 タカシのタバコを取り上げて、
「殺して頂戴」
 三度目の、セリフと、一緒に近付いてくる吐息を、
「触んな!」
 タカシは力の加減をせずに叩いた。
「間に合ってるって言っただろ」
 低く言って、女に触った手を眺め、その手の平を、舌打ちしながら制服の裾で拭った。
 女はなにが起こったのかわからない顔をしていた。
 タカシは足元に落ちたタバコを踏み付ける。
 小さな、火を、踏み消した音は女に聞こえただろうか。……聞こえなかったに違いない。だから、分からない。
 年齢なんて重ねても重ねなくても、わからない人間には一生分からないことがある。
『―――』
 女が三度も口にした言葉の意味は。
 多分、それを口にした人間にだけ分からない。どんなに説明しても、説得しても、届かない。……意味がない。
 意味がないものに触れる意味は、ない。
「……あなた、違うの?」
 女はやっと、人違いに気が付く。
「じゃああなたは、どうしてこんな場所に……?」
 タカシは初めから、女が人違いをしていることに気が付いていた。
「うちでタバコ吸うと、怒られるんだよ」
 背後でざわと数人の気配がした。タカシと年の変わらない少年ばかり三人が、女をわざとらしく、おねーさん、と呼んだ。
 少年たちは女の手を取り、木々の奥にある廃屋へ連れ込んでいく。少年のひとりが、
「おまえも来いよ」
 とタカシを誘った。
 タカシは無視してその場所を後にした。



 あの女の年も名前もすぐに分かった。
 パソコンを電話回線に繋ぐ。今はそれで分からないことはなにもない。
 わりと有名なサイトの掲示板に、あの女の名前があった。
 あの場所で、あの時間に。
『好きにしていいわ。その代わり―――』
 ……その、代わりに……。
 ――――。
 こういった書き込みは多い。
 タカシはうんざりしてパソコンの電源を落とした。
 ……どうして人は、形のないものをそんなふうに望むことを覚えたのか。そんなふうに望めば叶ってしまうことを、知ってしまったのか。
 ……あの女の望みは、もう叶っているのだろうか。多分、きっと、叶っているのだろう。
 部屋をノックされて振り返ると、ミナトが覗き込んできた。
「タカシ……? なんだ、いたのか」
「……なんだとはなんだ」
 機嫌の悪い声をするタカシに、ミナトは肩をすくめる。
「別に、いるならそれでいいよ」
 いなかったら? と聞けば、そのうちに帰ってくるならそれでいいよ、と返って来た。
 タカシはミナトを引き寄せた。細い腕を掴んで、強引に唇を重ねた。
 ミナトは抵抗せずに応じて来る。
 けれど、その唇を開いて入り込んだら、
「ばっ……タカシ……!」
 抵抗を始めた。
 タカシは気にしない。
 ミナトは力まかせにタカシから離れた。
「おまえ! タバコ吸った後にするなって言ってるだろう!」
 口の中がまずそうにミナトは唇を手の平で拭く。
 タカシはかまわずに乱暴にミナトを壁に押し付け、唇を押し付けた。入れ込んだ舌の、タバコの味にミナトは表情を歪める。
「……んんっ」
 タカシは執拗で、ミナトは入れ込まれた舌の合い間合い間にタカシを呼んだ。
 どれくらいそうしていたのか、タカシはようやく唇を離すと、静かに、ミナトに眼差しを落とした。ミナトの形を確かめるように、頬を撫で、首筋を撫でる。
 唇が離れて文句を言う気満々だったミナトは、そんなタカシを見るとおかしそうに笑った。
 タカシは機嫌が悪かったわけではなくて、
「もしかして、何か拗ねてるのか?」
 タカシは眼差しを揺らす。揺らした自分をごまかすように、
「……バーカ」
「ばかはどっちだよ」
 ミナトが、タカシの首に腕を回した。そのまま頭を引き寄せ、
「今日だけだからな」
 ミナトから唇を重ねる。
 慣れたようにミナトの舌が入り込んでくる。
 タカシもミナトを抱き締めた。
 他のことなどどうでもよくなるくらい、その行為に夢中になった。


おわり


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