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002.しらんぷり




 りん、と音がして振り向いた。
 フミオが、ミナトには気付かずに公園を通り過ぎていく。
 りん、と鳴ったのは小さな鈴。学生鞄に黒い紐で結んである。紐が黒いのには意味がない。探したら、書類を綴じる綴じ紐しか見つからなかったのだ。
 ミナトはそれまで眺めていた場所を、もう振り返らない。目を逸らして、そこを見ていた自分にしらんぷりをする。
 りん、と音が遠ざかっていくのに慌てて歩き出した。
 ミナトは声をかけずにフミオについて行く。フミオはゆっくり歩くので、ミナトもゆっくり歩いた。
 フミオの制服はぶかぶかで、ときおり袖口がずり落ちてきて、歩みを止めて、鞄を置いて袖口を捲くり直す。フミオの真っ黒の学生服はタカシのお下がりで、どうにも大きい。
「……大きすぎだろ」
 以前、ふと思いついてミナトの中学生の頃の制服をフミオに着せてみたことがある。紺色の、プリーツスカートは膝上、ブレザーに赤い細いリボンを結ぶ。サイズはピッタリで、
『……やべぇ』
 とタカシが目を逸らした。
『可愛いじゃねーか』
 フミオはふたりにとって暴力的に可愛かった。
 決して女顔ではないのだけれど、少し癖のある柔らかい髪は伸びっぱなしだったし、顔つきにはまだ幼さが丸く残っている。体付きもミナトに似てまだ華奢だ。しかしそんなことよりも、女物を着せられ恥ずかしそうにする姿が、なによりも可愛かった。可愛いのがおかしくてミナトとタカシが笑うので、フミオはますます恥ずかしそうにして、早く脱ぎたい、と拗ねて唇を尖らせた。
 タカシが、そんなフミオとミナトを見比べてため息した。
『……なんだよ』
 とミナトが聞くと、
『おまえにはもう、こーゆう初々しさがねぇ』
『はあ?』
『あの、花も恥らう初々しさがおまえにも確かにあったのにな……』
『いつの話だよ』
『ああ、ホントにな。いつの話だったか。本物の女の分だけ、フミオよりまともに可愛かったのに』
 タカシはわざとらしく遠い目をした。
 ……蹴飛ばしてやらないと気が済まない、とミナトは思ったのだけれど、フミオが、早く脱がせて、とバンザイのジェスチャーをし始めたので、諦めて脱がせてやった。
 タカシを蹴飛ばすのも、フミオの可愛い姿をもう少し見ていたかったのも諦めた。タカシを蹴飛ばす機会はいくらでもある。フミオはいつでも可愛い。
 ミナトの視線の先でフミオは袖口を捲くり直すと、鞄を持ってまたゆっくり歩き出す。
 歩き出したと思った足を、また止めた。
 建物の間から出てきた少年がふたり、フミオを見つけて、お互い、耳元でなにかを言い合う。ふたりはフミオとそんなに年は変わらない。
 ふたりはひそひそとしながら気味悪そうな眼差しでフミオをちらと見る。フミオはふたりの嫌な雰囲気に俯いた。その足元をふたりのうちのひとりが蹴飛ばした。
 フミオはぺたんとしりもちを付く。
「おい! おまえ、この間、おまえの兄貴となにを公園に埋めてたんだよ」
 フミオがキョトンとしたのは……。
「なんだよ、その顔。おれたち見てたんだ。なに埋めてたんだよ。おまえにだけ見えるとか言う例のヤツかよ!」
 フミオはふたりを見上げ、その向こうにあった空を見た。
 青い空。
 建物の隙間に、小さな、それでも確かな、青、を見て。
 思い出した小鳥にまた、俯く。
 ち、と舌打ちしたのは、ミナト。
「おまえ、気味悪いんだよ! 兄貴たちとさっさと出てけよ!」
「間違えた人間が、なんでオレたちと同じ場所に住んでんだよ!!」

 青い鳥は、誰にも見えない。

「出て行け!」
 フミオを再び蹴飛ばそうとした足を、フミオと、ふたりの間に入ったミナトが受け止めた。片手で、軽々と止めておいて少年の軸足を蹴飛ばす。ふたりはもつれ合うようにしては派手にしりもちを付いた。
 ミナトはふたりを見下ろして、
「うちの子に手を出すな」
 真っ直ぐに立つミナトに、ふたりはぎょっとする。学校帰りのミナトは白いスカーフのセーラー服姿だった。
 ミナトはふたりに綺麗に笑って見せた。
「生憎、わたしは兄じゃなくて姉なんだ」
 なあ、とフミオを見下ろすと、フミオはこっくり頷いた。そうして、気になっていたことが解決して、安心したように小さく笑った。
 ほら、可愛いフミオはいつでも見ることが出来る。
 ふたりは恐る恐るミナトを見上げた。
 私服姿のミナトは確かに少年のように見えた。そして少年のように軽々とふたりをあしらった。それでも、目の前に立つのは確かに女だ。笑えば尚更間違えようがない程に、綺麗だった。
「お……おまえも、間違えた人間だろ。なに埋めてた!?」
 虚勢を張った大声に、ミナトはふたりを見下ろしたまま、ただ、鮮やかに笑った。色の抜けた髪に縁取られた顔はいっそう白く、艶のいい唇が形よく笑う。
 花の開く瞬間のような笑顔に見惚れるふたりを、その笑顔のまま、ミナトは再び蹴飛ばした。学校指定のローファーの甲で三たび、踵で四たび蹴飛ばして気が済むと、気が済んだ笑顔を見せた。



 という話をすると、タカシはあからさまに呆れた顔をした。
「そーいうのには構うなつってんだろ」
 セーラーの白いリボンを外すミナトを、ドアに持たれて眺めながら、
「しらんぷりしとけ」
「わたしだって、ただの喧嘩ならほっとくさ」

 青い鳥は、誰にも見えない、から。

「……俺たちには、どうせ見えねぇんだ、言わせとけ。フミオがそれだっていう証拠なんて誰にも見つけられねーだろ、どーせ」
 ミナトはタカシに目を向けないまま、
「でも、わたしには見える」
 タカシは大きく息を吐いた。
「まあ、そんくらいでおまえの気が済んでんならいーけど、本気で相手にすんのだけはやめとけ」
「……してない」
 そりゃそうだ、とタカシは肩を竦めた。
「おまえが本気出したら、マジ、死ぬって」
 タカシはドアから離れて、引き寄せた椅子に掛ける。ふと目にとまったものに、に、と笑った。
「おい」
「なんだよ」
「あれ、着ろよ」
 目線で示したのは、フミオに着せたまま出しっぱなしにしていたミナトの中学の頃の制服だった。
 ミナトは痴漢でも見る目つきで、
「次のごみの日に捨てるんだよ」
「バーカ、捨てんな」
 いいから着てみろ、としつこく言われてミナトはしぶしぶ腕を通した。
 タカシはミナトがきちんと赤いリボンを結ぶまで待って、
「おまえ、ほんっと、どこもかしこも1ミリも成長してねーな。あの頃のまんまじゃねーか」
 呆れるのを通り越して感心しながら、タカシは何か思いついて、また、に、と笑った。
「おい、ちょっとスカートの端っこ摘んで、恥じらいながら『して』とか言ってみろよ」
 語尾にはハートマーク必須だぞ、とおまけに言う。
 ミナトは完璧に痴漢を見る目つきで、
「恥らう女がそんなセリフ言うと思ってんのか」
「そこを言わせるのが醍醐味なんじゃねーか」
「……あほか」
 ミナトはため息と一緒に吐き出して、スカートの両端をギリギリまで持ち上げて見せた。
「するならこいよ」
「……色気ねぇ」
「しないなら出て行け」
「……するする」
 タカシは椅子に掛けたまま、ミナトのあらわになった細い太ももに手を伸ばす。内ももへと移動して、ミナトの落としたスカートの中に滑り込む。そのまま下着に手を掛ける。
 ミナトはタカシのベルトをといて、机の引き出しから出した避妊具を自分で支度した。そうしながらタカシの額からこめかみへ唇を落とし、跨いだタカシに腰を落としていく。
 タカシがミナトに入り込む。そこから生まれてくる快楽を味わいたくて、ミナトはゆっくり腰を落としていくのに、タカシは焦れてミナトの肩を押さえた。
「……ぁあっ!」
 一気に奥まで貫かれて、反らした背を支えられる。
 タカシはミナトの胸元に顔を寄せた。リボンをほどきブラウスのボタンを外し、たくし上げあらわれたささやかな胸を愛撫する。
「っ……んっ」
 胸の頂を舌先で転がされ、甘く噛まれ、下半身には小刻みに振動を与えられて、ミナトはその気持ちよさに震える手でタカシにしがみ付いた。
「……タカシ……」
「なんだよ、もっと呼べよ」
 タカシ、とまた呼ぶ。
「そういやあ、そういうとこも変わらねえな」
 ギシ、と椅子が悲鳴を上げる。
 かまわず大きく突き上げると、大きく、ミナトが悲鳴を上げた。
「……ミナト」
「な……んだよ……」
「その制服、捨てんなよ」
「そんなの……っ、勝手…………っん!」
 昇りつめていくミナトにタカシも昇りつめる。ミナトに打ち付けて熱を放ってしまいたいのを、ほんの一瞬、耐えながら、
「おまえが、唯一持ってきたモンだろ……取っとけ。おまえが、おまえにしらんぷりすんじゃねーよ」
 ……もう、耐えられない。
 深く深く互いを繋げた。
 絶頂を間近にしていたミナトがタカシの言葉を聞いていたのかどうか、タカシにはどうでもよかった。
 捨てる、とミナトは言う。
 でも捨てない。ミナトは決して捨てないのだから。
 ミナトはタカシの言葉など聞いていなかった。
 意識はタカシに支配されていて、耳に入り込む言葉を理解する余裕などなかった。
 ただ、あの場所を思い出していた。
 思い出して、目を逸らした瞬間に真っ白になった。
 タカシに翻弄されて、その絶頂で悲鳴を上げタカシに爪を立てた。


 ……ミナトの中学の制服は、今も部屋の奥にある。


おわり


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