001.アオイトリはもういない
机に両手を付いて突き出した腰に、背後からタカシを受け入れる。タカシはいつでも躊躇うことなく入り込んできて、ミナトは机に爪を立てた。
古い机はタカシが腰を揺らすたびにがたがたと揺れて、予習のために広げていた数学のノートが、振動で、床に落ちた。
でも、そんなことは、今のふたりにはどうでもいいことだった。
タカシはミナトの腰を抱え込む。
「……っ、あ」
ミナトの漏らした声に応じるように、Tシャツの上からざわざわと探し当てた胸を強く揉み上げた。
「……相変わらず、おまえ、胸、小せぇ」
がっかりした声に、
「ば、かやろ……だ、ったら……んっ、触る……な……っ」
言葉は悪いが、高い、まだ子供の声が答える。そのまま顔だけで振り向いてタカシを睨む。
タカシはすぐ目の前の、茶色く痛んだ髪をかき上げた。その耳元に、
「乳首立ってるし、ココはこんなんだし、睨まれても迫力ねぇなあ」
抱える腰の、ふたり、繋がるすぐ傍に手を伸ばす。濡れたそこをぬるりと撫でられてミナトは悲鳴を上げた。
「いー声」
ミナトの中でタカシの質量が増す。
ミナトはタカシのどんな小さな動きにも敏感に反応した。見えない場所で蠢いて、タカシを中で締め付ける。
「おまえ、感度よくてサイコー」
タカシは腰の動きを早める。
激しく出入を繰り返すタカシに、ミナトは耐えられずに机に突っ伏す。タカシはかまわず腰を掴んで、さらに揺らした。
「……タカ……シ……」
「気持ちいいかよ」
「ん……」
「いいなら、イイって言えよ」
「……いい、よ……あ、も、っと……っ」
かりかりとミナトの爪が机を引っ掻く。
タカシとの相性はいつでも良かった。繋がった場所が擦られ、その快感に気を失いそうになるのを、さらに突き上げられて引き戻される。
そうして、ふたり、達するのはいつも同時だった。
コトが済んで、荒い呼吸のままタカシはミナトから離れる。ずるりと引き抜かれたそれに、ミナトの口は小さな悲鳴を漏らす。
悲鳴に引き寄せられたように、タカシは汗ばんだミナトのうなじに唇を押し付けた。ミナトが振り向くと、唇を重ねた。ねとりと舌を絡め、遠ざかる。
タカシは使用済みのゴムをゴミ箱に放り投げる。
ミナトは片足に引っかかっていた細身のジーンズを引き上げた。引き上げたところで力尽きて床に横になる。
タカシは数学のノートを拾い上げながら、
「お、メシの時間だ」
「わたしが作ってやろうか?」
「……おまえのつくったメシを食う度胸は俺にはねぇ」
心の底から言われて、ミナトは、ち、と舌打ちする。タカシはそれをおかしそうに笑った。
「フミオと遊んでろ」
いつもの言葉に、
「わかったよ」
いつものように返事をして。
「タカシ」
「んー?」
「めし、おじや、がいい」
「おじや?」
「味噌の味にして。白味噌」
そんなもんで腹がふくれるか、と抗議するタカシに、ミナトはいくらか落ち着いた呼吸で天井を眺めた。
「朝、フミオの鳥、やばそうだったんだ。フミオの食欲がなくなる。食べやすそうなものを作ってやって」
もうどうしようもないように言って、
「ほんとに、やばそうだった……」
両手で顔を覆った。
ため息と共に近付いてきたタカシは、ミナトから両手を引き剥がした。
「おまえのせいじゃないだろ」
天井を見るミナトの視界に入り込んで、
「そんな顔、フミオには見せるな」
「……わかってる」
でも、とミナトは横を向いた。視界からタカシを追い出す。色素も水分も抜け切ってしまっているような髪が、ぱさぱさと音を立てて床に広がる。
「おまえのせいじゃない」
タカシは言い聞かせるように、もう一度言った。
「フミオが不完全なのは、おまえのせいじゃない」
……誰に、言い聞かせる為、だったのか……。
ミナトは自分の手を掴んだままのタカシの手を、掴み返した。
「タカシのせいでもない」
最近、この世界にはみっつの種類の人間ができた。
コン、とドアの向こうで音がして、タカシはミナトから離れた。ドアを開くとフミオが静かに立っていた。両手で、大切そうになにかを持っている。
でも、タカシには見えない。ミナトと同じ背格好の小さなフミオの頭をぽんと撫でると、台所に消えていった。
フミオはその場所でぽつんと立ったまま、自分の手の中を見ている。
ミナトはからだを起こすと、フミオを手招いた。
「おいで、フミオ。ドアは、閉めて」
フミオは小さく頷いて、言われた通りにする。
ミナトと同じ背格好。でも、足音もなく歩く姿はどこか不安定で、ミナトよりずっと小さく見えた。
床に座り込んだままのミナトの横に、フミオもぺたんと座り込んだ。
フミオの手の中には、小鳥が一羽。
小さな青い鳥が、ミナトには見える。
鳥はぴくりとも動かない。
「……死んだの?」
聞くとフミオは、そうだ、と頷いた。
「……そう」
ミナトが眼差しを伏せると、フミオはすがるようにミナトの胸元に顔を寄せた。泣くんだ、と思った。同時に、泣くわけがない、と思った。
ほら、フミオは泣かない。
「フミオ、鳥、置いて。そう、椅子の上でいい」
言われた通りにして両手の空いたフミオは、そのままミナトに抱きついた。
フミオがそうしてくる理由をミナトは知っている。今は、悲しんでいるのではなくて……。
少し早い呼吸を聞きながら、ミナトはフミオに触った。勃起している。
「わたしたちがしてるの、聞いてたんだな」
フミオは小さく小さく頷く。持て余した熱を自分でどうしていいのかわからない。
「今日こそ、わたしを抱いてみるか?」
フミオは怯えたように首を横に振る。
「そ、っか」
諦めたように吐息して、ミナトは触っていたそこのチャックを下ろすと、フミオ自身に直接触れた。軽く握り締めて、指でやわやわと弄んでやる。
フミオはさらにしがみ付いてくる。
「フミオ……フミオ、離して」
おずおずとフミオが離れると、ミナトはフミオを直接口に含んだ。
床に這いつくばるようにしてフミオを舐めた。
「……っ」
フミオの吐息に煽られて、さらに舌を絡める。のどの奥まで含んでやるのを繰り返すと、フミオはあっけなく熱を放った。
顔を上げたミナトは飲み込み損ねた精液で唇を汚していた。白いそれをフミオの手の平がふき取る。そのまま、押し付けるようにキスをする。
ただ唇を合わせるだけのキス。ミナトはもっと先を求めるけれど、フミオはそれで限界だった。逃げるように離れていく。その手を掴んで、ミナトは自分のジーンズのチャックを下ろし、そのまま、下着の中にフミオの手を導いた。
「濡れてるだろ?」
フミオはその感触にぎゅっと目を閉じる。
ミナトは諦めてフミオの手を開放した。
それで安心をしたフミオが、言葉にはせずなにを言いたかったのか、ミナトにはわかっていた。
「これはタカシじゃない。フミオだよ。してるときに、少しだけ聞くことのできるフミオの声にぞくぞくして濡れるんだ。フミオが欲しいよ。フミオ、気持ちよかっただろ? わたしも気持ちいいのは好きなんだ。だからいつか、気が向いたらフミオもわたしを抱けばいい」
笑いかけて、目を閉じる。少し唇を突き出すと、フミオがそこにキスをした。
さて、とミナトは自分とフミオの服の乱れを直すと、何気なく……本当に何気なく、鳥を手に取ろうとして、はっとした。
両手で丁寧に鳥をすくいあげる……すくいあげたはずだ。
でも鳥はまだ椅子の上に冷たそうに横たわったままでいる。
ミナトは鳥に触れない。見えるけれど、確かにそこにあるけれど触れない。まるで立体の写真にでも触れているように。
……そんなことはわかっていた。だけれど、実際にそこにあって影すら落しているものに触れないショックにミナトはかたまる。
フミオが慌てて鳥を胸に抱きしめた。ミナトには触ることのできなかった鳥を確かに胸に抱いて、心配そうにミナトに見向く。
「……平気だ。どうも、まだ慣れないだけだ」
ミナトの笑顔はぎこちなかった。
最近、この世界にはみっつの種類の人間ができた。
青い小さな鳥は、フミオの想像が生み出した。
『今度は青い小鳥だ』
ミナトが説明すると、タカシは本棚を見て納得した。
本棚に適当に積んであったモーリス・メーテルリンクの「青い鳥」をフミオが読んでいたのはつい最近のことだ。
『フミオも幸せが欲しいんだろ』
タカシには、その青い小鳥とやらは見えないけれど。
『幸せって?』
ミナトが聞くと、タカシは難しい顔をして、知らねぇ、と言いかけて、
『だから青い鳥なんだろ』
『……なるほど』
でも、青い鳥は死んでしまった。
フミオはこの世界では生き辛くて、そんな危うい人間の作り出したものはさらに危うい。
「行こう、フミオ」
ミナトはフミオの手を引いて団地を抜けると、公園の隅に見つけた植木の根元に鳥を埋めた。
帰り際、フミオは何度も公園に振り返った。ミナトはフミオの手を離さないように、強く、握った。
強く握って、フミオの感触を確かめる。掴める。その存在を確かめる。
……フミオは、あの青い鳥とは違う。
ここにいる。
そうして、
アオイトリはもういない。
いないのだ。
もう何度目か、公園を振り返るフミオにミナトは、
「フミオ。フミオにはわたしとタカシがいる」
同じ高さの視線に同じ高さにある声で言う。
フミオはミナトをじっと見る。ミナトはもう一度、
「わたしとタカシがいる。わたしがいなくなってもタカシがいる。タカシがいなくなってもわたしがいる」
フミオがミナトの手を握り返した。なにかを問いかける眼差しに、ミナトは笑った。
「そうだな、わたしやタカシがいなくなるなんて事はない」
フミオが、笑った。小さく小さく、でも確かに笑う。
「さあ、早く帰って食事にしよう。タカシにはフミオの食べやすそうなものをリクエストしておいた。食欲、あまりないだろう? タカシのご飯はなんでもおいしいって? そうだけど、あいつ赤味噌派なんだ。味噌は白だろう? え? 玉子が入ってればなんでもいい? フミオは玉子好きだよなあ」
手を繋いだまま帰る。
フミオはもう公園を振り返らない。
おわり
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