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お題をお借りしました。淡い空様より「王子様、お姫様で10題」


**   ひ め ご と  **

                                       
夏休み後半のふたりの他愛のない日常、です。 指定 ★性描写有り

























   01.お姫様のように。



 残暑にぐったりしながら、
「……あれ」
 大あくびと一緒に起きてきた一志は、母親が朝食の味噌汁を用意している姿を見て、素直に疑問を口にした。
「ねーちゃんは?」
 あらおはよう、と母親は味噌汁をかけていた火を止める。
「花珠保? まだ寝てるんでしょ。遅くまで勉強してたみたいだから……お母さんが出るときに起こしていくから、一志はさっさとご飯食べて、さっさと部活に行きなさい」
「今日、ねーちゃんも部活行くって言ってた」
「そうなの?」
 そうなんだよ、と、一志はなんとなく花珠保の部屋のある場所を見上げる。
「大会済んだし、受験生はもう引退したんじゃないの?」
「自由参加にはなったけど、まだ引退じゃない。ねーちゃん、からだがなまるから、とかって」
「それで部活出るって?」
「言ってた」
 一志は用意された朝食を反射で食べながら、食卓の、空いている向かいの席が、居心地が悪そうに、
「やっぱ、ねーちゃん起こしてこよ」
 ご飯も味噌汁も卵焼きも、半分ほど食べたところで席を立つ。
 いつもすごい勢いで、食べ終わるまでは席を立たない一志が席を立つのを、母親は、珍しそうに見ながら、
「寝かせといてあげなさいってば」
「ヤダ」
「なにがヤダなの。大会が終わったところで疲れてるんでしょ。部活、夏休みの間中やってるんでしょ? あと十日あるんだし、明日からでも……」
「おれだっておとついまで大会だったっつーの」
「おねーちゃん受験生なんだから、この炎天下で部活なんかやって体調崩したらどうするの」
「そんなヤワじゃない」
「花珠保の体調を、なんであんたが言い切ってんの」
「だって、今までだって、おれとおんなじよーに走って平気だったじゃん」
「今までは今まで。あんたと違って花珠保は女の子なんだから、ちょっとはいたわんなさい」
 そう言われると、なんとなく言い返しようがなくて、一志はフグのようにふくれる。言い返せない理由なら。
 理由、なら……。
 ……だって。
 花珠保は、いつの間にか……。
「よし、おとなしくなった」
 おとなしくなったついでにご飯食べちゃいなさい、と母親はふくれた一志の頬を人差し指で押す。
「我が家のお姫様はしっかりゆっくりお休み中。あんたはしっかりご飯食べて、しっかり走ってきなさい」
 一志は頬を押された分、ぷうと息を吐き出して。
 まだ暖かいままの味噌汁の香りを吸い込んで、
「……やっぱ叩き起こす」
 母親の手をよけて、階段を駆け上る。こら一志! と母親に呼び止められても、
「ねーちゃんばっかぐーたらしててずるいじゃん」
 自分だけの理由で花珠保の部屋に飛び込んだ。
 花珠保は、大抵、きちんと、仰向けに眠っている。
 真上から、花珠保をのぞき込む。
 柔らかそうな……柔らかい、頬を、人差し指でつついた。起きない、から。撫でた。
「ちょー熟睡」
 いつも、ちゃんと、一志より早く起きて、一志より早く食卓についているか、母親が早番でいないときは母親の代わりにエプロンをしてキッチンに立っている、のに。
 今日は、母親がキッチンに立っていた。食卓にまだついていなかった。おはよう、と一志より先にする挨拶が、なかった。
「ねーちゃんのくせに」
 弟に起こされるなんて、ありえない。
 よその家は知らないけれど、この家の中ではありえない。
「ねーちゃん」
 あまり、起こす気もなく呼んでみた。
 花珠保は起きない。目を覚まさない。のんびり、ゆっくりした時間の中にいる。
 起きているときは、グラウンドに立っているときは、タイムを競って誰よりも速く走るくせに。
 走る花珠保を思い出せば、炎天下の、大会で、歓声が聞こえてくる、のに。
 今は、のんきに眠っている。
 タオルケットのかかったお腹だけが静かに上下するのを触ってみる。撫でてみる。
 お腹を撫でた手で、花珠保の、頬の、一番柔らかい場所を、手の甲で撫でて。手の平で、撫でた。
 ……柔らかい。
 昔、から。花珠保は。
 その肌が、皮膚が、からだの形が。
 こんなふうに、柔らかい、と感じるほど柔らかかっただろうか。
 初めて、した、ときから、こんなに柔らかかったのか、どうなのか、あんまり覚えていない。でも多分、こんなに柔らかくはなかった。
 この頃、花珠保が、
 自分と。
 違う生き物みたいだと、思うことがある。
 いたわらなければ、加減をしなければ……。
 頬から首へ。
 触った場所を。
 柔らかさを、握りつぶしたくなる。握りつぶせそうな気がする。多分、簡単に壊せる。喧嘩をしたときは蹴飛ばしたりもするけれど。叩くけれど。ひどいことも言うけれど。
 初めて、した、ときは。ねーちゃん、というだけの、同じ、かたさの人間だった、のに。
 見た目は一志とそんなに変わらない。身長も、体重も。走っているときは身軽そうに見える細いからだは、でも、気が付けばずいぶん、丸くなった。
 胸も、腰も。
 細いウエストや足首に。
 母親が、女の子なんだから、と言った柔らかさに。
 欲情する。
 花珠保、というからだは、足は、花珠保の意思でグラウンドを、駆ける。
 花珠保、というからだは、腕は、一志が望めば、花珠保が望めば、一志を、抱き締める。
 そのからだに、触れる。
 花珠保に、触る。
 一志はベッドに膝をかけて、顔を近付けた。
 キスを、しようと思った唇をふと、よけて。柔らかい首筋に、柔らかい頬に、唇を押し付けた。花珠保が目を覚ましたのを確かめて、
「かず……」
 一志? と呼ばれる前に、呼ぶ前の唇にキスをした。
 花珠保は目覚めがいい。寝ぼけて、されるがままにされたりしない。
 なにやってるの、と押し退けようとする。その腕を掴んで。その腕の、内側の、白くて柔らかいところを強く吸った。痛みに、
「一志っ」
 怒った唇を、唇で塞いだ。パジャマの上から小さな胸を掴んだ、ときに。
 目覚ましが鳴って、
「……あれ」
 ベッドに、よじ登ろうとした体勢で、一志は花珠保を見下ろした。
「ねーちゃん、寝坊……」
 したわけではなくて。
「ちゃんと、この時間に起きようと思ってたのに。その前に起こさないでよ」
「なんだよ、起こしてやったんじゃん。わざわざっ」
「だからわざわざ、起こしてくれなくっていいってば」
「ひとの親切無駄にすんな。つか、遅くねえ!? この時間に起きてたら部活遅刻じゃん」
「だって、ちょっと走りたいだけだもん。参加自由だし、始まりのミーティングとか出る気なかったからちょうどいいの」
「ええー、ずっりー」
「……ずるくないし」
 もー、と花珠保は一志を押し退けて起きる。
「わたしのことよりも、一志が、遅刻だから。ご飯食べた? 歯、磨いた? まだ着替えてないの? 早く行かないと、ほんとうに遅刻だよ?」
「飯、まだ途中」
「もー、なにやってんの」
 着替えるから、と花珠保に部屋を追い出される。
 着替えくらいで追い出さなくても、と思いながら追い出されたドアの、あちら側とこちら側で。
「ねーちゃんと行くから、もー遅刻でいいや」
「よくないよ。一緒にも行かないから、一志、早く行きなさいってば」
「やだ」
 と言えば、見えないし、聞こえないけれど、呆れて吐息する花珠保の姿が想像できた。
「怒られて、運動場、十五周とか言われても知らないから」
「そんなん、ねーちゃんのせーじゃん」
「なんでよ」
「なんででも」
「……もー。わけわかんないし」
 着替えて出てきた花珠保に、小突かれる。小突いた花珠保は、どうせ怒られるのは一志だけだからいいか、という顔をする。
「ねえ、そういえばわたし、一志のキスで目が覚めた?」
 一志はなんとなく、花珠保には振り返らず、横目だけで見て、
「口にちゅーする前に起きた」
「……ふーん」
 どうでもいいのか、よくないのか。花珠保がなにかを言う前に、
「てか、ちゅーして起きるって、あほか、どこのお姫様だよ」
 花珠保は驚いた顔で一志を見て、笑った。
「お姫様、って、どこから出てきたの?」
 一志がそんな単語を言ったのがおかしかったのか、自分がそんなものに例えられたのがおかしかったのか。
「かーさんが、ねーちゃんのことお姫様だってさ」
「お母さんて、たまにおもしろいよね」
「つーか、わけわかんねー。お姫様ってどこのどんな生き物だよ」
「そうだよねえ」
 受験生で寝不足気味でも、大会が終わったばかりで疲れ気味でも、笑う花珠保は元気がいい。
 花珠保は、ふと、一志を見て、ふきだした。
「……なんで急におれ見て笑うんだよ」
「えー、なんでもない」
「嘘ゆーな」
「ほんとに、なんでもないよ?」
「って顔じゃないしっ。なんかムカつくっ」
 一志は階段を駆け下りる。
 わざと足音が響くように乱暴に階段を下りていく。下り切ったところで、花珠保を見返ったら、見返った一志に、花珠保は何かを思い出してまた、笑った。



01.終わり

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 02.白馬に乗った…お嬢様!? へ






































   02.白馬に乗った…お嬢様!?



 組んだ手を頭上に伸ばして思い切り伸びをする。強い日差しに目を細めて、目の中一杯になった眩しさを追い出すように目を閉じた。
「かーずほー」
 呼ばれて、真っ直ぐ、自分の先を見た。
 グラウンドの向こう側でチームメイトが手を振る。タイムを計る合図に、花珠保も手を振り返した。
 その場所で、軽く足元の砂を蹴って、一度、二度、身軽に飛び跳ねる。
 飛び跳ねる花珠保の姿に、チームメイトのほとんどが注目した。一志も、振り返る。
 位置について、スタートの合図で走り出した花珠保に、少し遅れて一志も駆け出した。花珠保と競争しよう、というわけではなくて。花珠保に遅れて花珠保にぶつかる勢いで駆け寄って、そのまま体当たりでぶつかって押し退けて、花珠保よりも先に、チームメイトからストップウォッチを引っ手繰ってタイムを覗き込んだ。
 体当たりされて尻餅をついた花珠保は、
「かーずーしーっ」
 汚れた砂を払うより先に、汚れたままの手で一志の頬をつまんで引っ張って、
「突拍子もない危ないことしないの」
 一志は花珠保の手を簡単に跳ね除けて、
「だいじょーぶだいじょーぶ、ねーちゃんにしかしない」
「わたしにもしないでよっ」
「そんなこと言ったってさあ」
「なによ」
「そんな誰にもカレにも気ぃ使ってたら人生楽しくないじゃん」
「……それって、そんなあたかもあたりまえみたいな顔して言っていいことだっけ?」
「いーこといーこと」
 どうでもよさそうに、一志はストップウォッチをチームメイトに返して、
「おれおれ、次、おれのタイム計って」
 スタートラインにはすでに他のチームメイトがスタンバイしている。そこに割り込もうとする一志を、花珠保が止めようとする、前に、
「わがまま言わないで、おとなしく並んで順番待ってなさい」
 固めのファイルが一志の頭をはたいた。
 一志は勢いよく振り返って、
「このやろう、山元、暴力女!」
 振り返ったところをまた、ファイルではたかれる。
「やーまーもーとー」
 一志と比べれば背の高い彼女を睨み上げる。花珠保が後ろから耳を引っ張った。
「もー、だから先輩を呼び捨てにしないの、ってば」
 一志は花珠保の手を振り払って、見上げたまま、
「山元山元山元山元、ばーかばーか、でか女!」
 言うだけ言って走り出して、タイムを計る列に割り込んでいく。
 花珠保は泣きたい気分で座り込んだ。
「なんで……あんな性格……。ごめんね紅美(くみ)ちゃん」
 一緒になって座り込んだ紅美は、慰めるように花珠保の髪を撫でながら、
「あれはあれで、なかなかおもしろい育て方したよねえ」
「わたしが育てたわけじゃないんだけど……」
「そうなの?」
 きょとん、と聞き返されて、
「そうでしょ!?」
 ムキになったら、今度は紅美がごめんと謝って、でも笑いながら、また花珠保の髪を撫でた。しつこく撫でる、から気になって、
「紅美ちゃん、撫ですぎ」
「だっておもしろいんだもん」
「髪を撫でるのが?」
「……じゃ、ないけど」
 紅美はちらと、スタートラインに並ぶ一志を眺めた。目が合うと、一志に睨まれる。紅美はおもしろがってさらに花珠保の髪を撫でた。
「あ、花珠保、ちゃんと日焼け止め塗ってる? 赤くなってる。鼻とか肩とか」
「塗ってないよ?」
 花珠保は、別に必要ないし、という顔をする。
 紅美は慌てて、ポケットから出した日焼け止めの容器をすごい勢いで振り出した。それからすごい勢いのまま、花珠保の顔から腕から、足まで、直接日に当る場所の全部に塗りだした。
 花珠保は、くすぐったいからやめて、と笑いながら、
「紅美ちゃんだって、日焼け止めなんて持ってるだけで塗ってないでしょ? 黒いほうが、スプリンターっぽくって格好いいよ」
「そーだけど。日焼けなんて気にしてどーすんだって思うけど。でも花珠保は焼けると真っ赤になるから、痛そうだから。気付いたら塗っとくことにしてるの」
「……ありがとう」
「どーいたしまして」
 日焼けで痛くなるのを回避できるのは嬉しいけれど。白とか、黒とか言うのなら……。
 ふと、花珠保は、一志を探した。その一志の、姿を、見て。
「でも……」
「なに?」
「……ええと、別に」
 なんでもないよ、と花珠保は引かれた腕をおとなしく紅美に差し出した。日焼け止めの、クリームを塗られながら、一志が、合図で走り出した姿を目で追う。
 差し出した、腕に……。
「花珠保、こんなところにアザ、できてる。どっかでぶつけた?」
「え?」
 痣……は。
 腕の、内側の白い柔らかい場所に、ある。
 前だけを見て走っているはずの一志と、目が合った、気がした。
「ど、っか、寝てるときにぶつけちゃった、かな」
 たぶん、と花珠保はあいまいに笑ってごまかす。
 一志の、唇の、跡、を。
 見られたくなくて、見せたくなくて、隠そうと、したとき。
 花珠保と紅美の間に勢いよく一志が割って入ってきた。
「とうっ!」
 飛ぶ勢いで、紅美から日焼け止めの容器を取り上げながら、
「そこっ、女どーしで、いちゃいちゃすんなっ」
「男同士でいちゃいちゃするよりよくない?」
 真剣な顔で言った紅美に、
「……気色わるいこと言うな」
 自分で塗れ、と日焼け止めを花珠保に押し付ける。
 花珠保は、自分で塗るなら別にいらない、という素振りで、
 そんなことより、
「一志、タイムどうだった?」
 一志はあからさまに花珠保から目をそらして、気まずそうな顔をした。
「……タイム、タイムは、じょーじょー」
「だから、いくつなの?」
 一志は、言いたくない、という顔をして、それでも言わないわけにもいかず、ごまかすわけにもいかない、様子で、恐る恐る、
「さっきねーちゃんが計ったのと一緒。ジャスト一緒」
 さすが姉弟、と紅美はこっそり呟やく。花珠保は、
「遅っ」
 と反射で呟いて。
 改めて、
「遅い、なにそれ、一緒ってなに、一緒って。もー、ちゃんと計ってるんだから、ちゃんと全力で走りなよ」
「走った、走ってたじゃん」
「それでどうして、わたしとタイムが同じなの」
 男子と、女子のタイムが同じなわけがない。一志はもう、花珠保よりもずっと速く走る。
「でも、そんなん、言われてもっ」
 一志だって、そんなタイムが出ると思っていなかった。
「たまたま、じゃん。そんな、怒られたってさあ」
「怒ってない。ちゃんとやってるなら怒らない」
「やってるやってる。やってる、けど……」
 おかしいな、と一志は自分でもよく分からないように、足元を蹴った。からだの調子は悪くない。けれど、なにか、どこか、調子が悪い、気がしないこともない。でもなにが悪いのかわからない。花珠保は怒っていないというけれど、やっぱり怒っている、ようで。逃げ腰になる。
 その一志を、助ける気があった、わけではないけれど。紅美はまあまあと、花珠保の肩を叩いた。
「カズ姉は大会三位入賞。カズ弟は八位。ベスト8。立派立派。すばらしい。てゆーか異常。大会って大会って全国だよ。なに、どーなってんのあんたたちキョーダイの足はっ。その全中レベルのタイムで、全力じゃないとか言わないよーに」
 ほらもう一本計るよ、と花珠保の手を引いて立ち上がた。一志の背中を叩いた。
 一志は、紅美に引かれた花珠保の腕にできた跡を見て、目を伏せた。伏せたことをごまかすように、どけどけ、と紅美を、蹴飛ばした。
「おれおれ、おれ先に走る」
 あっという間に走っていく。
「速い速い」
 紅美は花珠保と繋いだ手を振り回して歩きながら、
「あんたたち姉弟は、電車より車より、馬より、自力で走ったほうが速い気がするよね」
 花珠保は、なにいってるの、と笑いながら、
「電車とかのほうが速いに決まってるよ。それより、馬ってなに、馬って。紅美ちゃん乗ったことあるの?」
「イトコが乗馬クラブとか通ってて、見たことならある。なんとなく、花珠保見ると思い出すの」
「わたし、を見て? 馬を」
 花珠保は複雑な表情をする。紅美は、ヘンな意味じゃないよ、と、
「キレイ、なんだよ? 今度一緒に見に行く? 真っ白い馬とか、絶対カッコいいから。花珠保イメージ。でも、ああ、うん、花珠保、白馬に、乗ってもカッコよさそう。お嬢サマぽくって」
 お姫様の次はお嬢様か、今日はいろいろなものに例えられる日だなあ、と花珠保はひとりで笑って。
 立ち止まった
 紅美は花珠保が立ち止まったことに気が付かないで、二歩、三歩、先に行って慌てて戻ってくる。どうしたの? と聞かれて、目線で、先にいる一志を示した。
「……あの子、また列に割り込んでる……」
 花珠保は呆れて吐息する。
 スターティング・ブロックに一志が足を掛けた。
 スタートの合図の、笛が鳴った。



02.終わり

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 03.王子様って一体… へ






































   03.王子様って一体…



「天沢、山元部長と付き合ってんの?」
 突然言われて、一志は、クラスメイトでチームメイトを凝視した。
 練習が終わって、頭から水道水を蛇口から直接かぶったところで。ぼたぼたと髪から水が落ちる。……タオルを忘れた。
 通りすがりの花珠保が、
「どうしてタオル、自分で持ってこないの?」
 文句を言いながら自分のタオルを一志の首に引っ掛ける。
「……どーも」
 一志は濡れた髪を拭きながら、
 花珠保は髪を拭く一志を無意識に手伝ってやりながら、
「豊(ゆたか)君はちゃんとタオル持ってる? だよね、持ってるよねえ。一志もちゃんと持ってきなさいよ」
「……はいはい」
 適当な返事をする。花珠保は、適当な返事に一志を小突いて、それで気が済んで、紅美と部室に入っていく。
 一志は、花珠保が最後まで髪を拭いてくれないのを不服に思いながら、花珠保が、部室のドアを、閉めるのを見て、
「……誰と誰が付き合ってるって?」
「おまえと、山元ぶちょー」
「おれと、山元?」
「そう、ぶちょー」
「……トヨトミ君」
 仕方ないので自分で髪を拭きながら、
 低くした声で呼べば、英臣(ひでお)は、なんだよ、と返事をする。
 一志は英臣をかかとで蹴飛ばした。
「気持ち悪いことゆーな」
「だって、仲いいじゃん?」
「ぶちょーと仲いいのは、ねーちゃんだろ」
「え、花珠保先輩、ぶちょーと付き合ってんの?」
 英臣の耳を引っ張って喚いた。
「あほか!」
「だって天沢、カノジョいるんじゃん?」
「は?」
「この間の合宿んときに、そーゆー噂あったって噂を耳にしたから。オレ的にはぶちょー辺りかなあ、と」
「勝手に、当たりつけんな」
「なんだ、違うのか」
「違うだろっ」
「そっか、じゃあ、とりあえず」
 気分が晴れた顔で、英臣も頭から水をかぶった。自分のスポーツタオルで乱暴に顔から頭を拭きながら、
「花珠保先輩とぶちょーがデキてなくてよかった……」
 花珠保、と、紅美が。
 ……一志は呆れて、
「トヨトミ、それ、真剣に言ってんの?」
「んー、ちょっと真剣」
「なんで? 山元狙い?」
「やー、花珠保先輩狙い」
 タオルを……、落とした一志は、慌てて拾い上げる。湿ったタオルは砂だらけになって、払っても汚れが落ちない。
 汚れたタオルを途方に暮れたように見て、ねーちゃんに怒られる、と。そんなことを、なんとなく、思った。
「トヨトミ、ねーちゃん、好きなんだ」
 英臣は、あははと笑った。耳が、赤い。
 一志は、タオルの汚れを気にしたように、タオルの汚れを、何度も払う。
「なんかさあ」
 英臣は自分のスポーツタオルをもじもじともてあそびながら、
「花珠保先輩、大会の決勝で、さあ」
「三位とか、すげーなーって?」
「じゃなくって」
「なんだ三位かよ、もっと頑張れよ、って?」
「なんでだよ、そんなこと思ってないし。結果じゃなくてさあ、そこに……あそこに立ってた先輩がさあ」
 言葉にはせずに、すごかったよなあ、と。グラウンドに立った花珠保の姿を思い出す。
「去年は別に、なんとも思わなかったんだけどなあ」
 英臣が、花珠保のどんな姿を思い浮かべているのか、一志には、想像がついたし、想像なんか、つかない。
 一志が思った花珠保の姿を英臣も思ったのか、それとも、まったく違った花珠保を、思ったのか。
 一志は砂まみれのタオルで、英臣の頭をはたいた。
 なにすんだ、と文句を言われれば、
「ひとのねーちゃんで妄想すんな」
 他人の頭の中にいる花珠保を想像すると、気持ちが悪くなった。他人は、花珠保を、どの角度からどんなふうに見ているのか。
 一志は、花珠保を、どの角度からどんなふうに、見ているのか。
 英臣は決して、一志の視点で花珠保を見ることはできない。
 一志は決して、英臣の視点で花珠保を見ることはできない。
「なんだよー、妄想とかやらしー感じにゆーなよー。そんなの、ふつーに天沢だってするだろー?」
 英臣の振り回したスポーツタオルを身軽によけて、
 は? と一志はかたまった。
「誰の……」
 誰の……。
 今、思い浮かべた、のは。
「誰の、妄想、だよ」
 なんとなく、英臣に目を合わせられなくなった一志、に。
 英臣も、は? と言う顔をして、心の底から、
「いや、知らないけど」
 そんなこと、英臣は知らない、けれど。
「天沢だって、好きな子のこと、いろいろ想像するだろー?」
「おれの好きな子って誰だよっ」
「いや、だからオレ知らないし」
「あたりまえだっ」
 そんなの、一志だって知らない。
 好きとか嫌いとか、そんなものは。
 一志が、今、思い浮かべた名前は、たかが……。
 ……それともいっそのこと、その、名前を、言ったら、どう、なるんだろう。
 一志と、花珠保の関係、は。
 花珠保との、関係は。
 たかが……。
「天沢、好きな子もいないの? なんだ、誰かと付き合ってるとかゆーレベルじゃないじゃん。でもなんかこう、想像くらいするだろ。いろいろ、女の子の、そーぞーくらいさあ」
 いろいろ……。
「そりゃ……」
 しないことはない、けれど。
 そんなこと、するより先に。
 すぐ、傍に、触りたいからだがある。
 触ろうと思えば、触りたいと思うより先に、触れるからだがある。
 想像なんて、しなくても、全部知っている。つもり、だった。
 でも、
 英臣が想像をする、花珠保は、知らな、い。
「……トヨトミ」
「なんだよ」
「おまえ、おれの前でねーちゃんらぶな話すんな」
「じぇらしー?」
「アホか。なんか、気持ち悪いからっ。おれがトヨトミの妹らぶとか言ったらどうよ?」
「おもしろいじゃん」
「おれがおまえの妹とヤりたいとかって言っても!?」
「妹、今、四歳なんだけど……ああ、うん、いろいろ気持ちは良くないあ。でもオレが先輩ととかっていうのはさあ、別にさあ、天沢とオレの妹ほどは道徳的にはさあ……」
 それ以上言うな、と一志は英臣の両頬をつまんで引っ張った。
 気持ち悪い。
 でも、
 世間的に見て、ほんとうに、気持ちが悪いのは誰と、誰だろう。
 ふたりの、関係を、一志が、気持ち悪いと思ったことはない。その関係を、気持ち悪いと言うひとの目が、気持ち悪い。
 ひとの目を気にするなにかが、気持ち悪い。
 身内に触って、なにが悪い。家族に、触ってなにが、悪い。
 いつだって傍にあるものに、欲しいものに、触っているだけなのに。それだけなのに。
「一志」
 着替えを済ませた花珠保が部室から出てきた。
「帰ろう。……あれ、まだふたりとも遊んでたの? まだ帰らないの?」
「帰るっ」
 三十秒待って、と一志は部室からカバンを抱えてくる。
「着替えないの?」
「もーいーや。帰って風呂入る」
 そう? と花珠保は一志の頬についた砂を払いながら、
「あ。わたしのタオル……なんでそんなに汚れてるの?」
「ごめんなさい。洗う洗う、帰ったらねーちゃんが洗濯するから」
「もー、たまには一志、洗濯してよ」
「やだね」
 一緒に部室から出てきた紅美も、英臣も、いつもの光景だなあと思ってふたりを見ている。
 一志は、早く帰ろう、とさっさと歩き出す。豊君ばいばい、と手を振った花珠保に、紅美が着いてくる。
 なんで山元、着いてくるんだよ、と言う顔をする一志に、
「今日、花珠保に夕飯誘われた。その後、勉強するの、べんきょー。ついでにお泊りして、明日の部活は花珠保と一緒に来るの。うわ、楽しい。え、弟も一緒? しょうがないな、別に一緒でもいいけど、あたしたちの邪魔しないでよね」
 紅美は花珠保と腕を組む。
「ええーーーーー」
 声をあげたのは、一志と英臣、一緒だった。
 英臣はうらやましそうに。
 一志は、冗談じゃない、と。
「ふざけんな山元!」
 今日は、父親と母親の帰りが遅い、のに。
 だから。
 だから、ふたりだけ、なのに。
「お母さんにはちゃんと、紅美ちゃん泊めてもいいか聞いてあるよ? いいって。仲良くしなさいって」
 だから仲良くしてね、と花珠保は一志に念を押す。
 今日は、父親と母親の帰りが遅い、から。
 だから。
 一志と一緒に声をあげた英臣にも、
「豊君もお泊りにくる?」
 そうしたら賑やかになって楽しそうだね、と楽しむ花珠保に、
「行くっ。はい、はいっ、オレ行きます」
 先輩のご飯、先輩と一緒、と浮かれて英臣は一志に来るなと蹴飛ばされながら元気良く手を上げて返事をして部室から荷物を抱えて戻ってきて一志と花珠保と紅美と並んで歩く。
 花珠保は、楽しいねえ、と紅美と笑う。
 一志は、状況の展開についていけないまま呆然としながら花珠保に着いて歩く。
 家に帰ると、主に一志宛に、母親からの伝言が、冷蔵庫に引っ掛けたホワイトボードに書かれていた。
『みんな仲良くね。一志はおとなしく、お姉ちゃんを困らせないように。花珠保とお友達は、勉強も大事だけどなるべく早く寝なさい。お母さんより』
 マメなお母さんだねえ、と紅美は感心する。その顔は伝言とは別の理由で笑っていた。
 英臣はふきだして、花珠保も、笑った。
 母親の伝言の一番初めには、
『我が家のお姫様と王子様へ』
 と、あった。
「なにこれ、花珠保たち、天沢家のお姫様と王子様なの?」
「なんかね、お母さんのマイブームみたい。今朝から言ってるの。わたし、お姫様なんだって」
「それで弟が王子様……」
「って、直接お母さんが言ったのは聞いてないんだけど、でも、わたしがお姫様なら、一志、王子様だよねえ……って」
 朝から、花珠保はそんなことを考えて、一志の顔を見ては、笑い出すのを我慢していた。
 一志は、笑うなバカ、と言う気力なく打ちひしがれた。
「おれが王子様とかって一体……」



03.終わり

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 04.王子になったお姫様 へ






































   04.王子になったお姫様



「かーずしっくん。あっそびましょ」
 しつこく玄関チャイムを鳴らされながら喚かれて、一志はうんざりして無視をした。
「おれ、出ーない」
 読みかけのマンガから顔も上げないまま、居間で、ごろんと横になる。
 台所から顔を出した花珠保は、
「出ない、じゃなくて、出てよ。あの声、広田君でしょ?」
 一志はさっぱり出る気のない声で、
「居留守、居留守。おれいない」
「……もー」
 花珠保は濡れた手を拭いて、エプロンをはずす。
 夕食の手伝いをしていないのは一志だけで、紅美は豚肉をパックから出すところで、英臣はトマトを洗っている。広田って誰だ、と顔を見合わせる。
「ねーちゃんも出なくていーし」
「なんでそんな意地悪するの?」
「意地悪じゃないじゃん。あっそびましょーって、あいつ何歳だ。今何時だと思ってんだ。夕飯時だし。カラスが鳴くから帰れって言っとけ」
「そんなこと言えません」
 玄関を開けると、博則が、大きなスイカを持って立っていた。
「ああ! センパイ、大会三位おめでとーございます。すっごいですね。やっぱ会場まで見に行けばよかった」
 元気にスイカを差し出されて、
「すごい、広田くんそれ、一志へ貢物?」
「は?」
 花珠保は大きな声で、
「一志、広田くん、スイカくれるって」
「いえあのどっちかっていうと、天沢にじゃなくて、センパイに……」
 どちらかといえば花珠保のために持ってきた大きな重たそうなスイカ、を。
 スイカ! と喚いて、いるけれどいるはずのいない一志が飛び出してきて、さんきゅー、と片腕で抱えて去っていく。
 素早く現れて素早く立ち去った一志に呆然としながら、
「天沢、スイカ好き、なんですか?」
「すごい、大好きなの。ほっとくとひとりで食べちゃうから」
「丸ごと一気に、ですか?」
「さすがにそれはないけど、でも、四回くらいで食べちゃうよ? 一日で、朝とお昼と、おやつと、夕飯のときで、完食、きれいに」
「聞いてるだけで、腹、壊しそーですね」
 すごいな、と博則は一志の姿を追って台所を覗き込む。
 大会のお祝いを言われた花珠保が、ありがとう、と言うと、僕も来年は全国行きたいです、
「あ、一応天沢にもおめでとーって」
 言っておいてください、と言って帰ろうとした、から。
「え、スイカ持って、お祝いにきてくれた、だけ? わざわざ?」
 それはすごくありがとう、と素直に言葉にする花珠保に、
「やー、スイカは、田舎からすっごい送ってきたんで、お祝いがてらとゆーか、おすそわけがてら、とゆーか」
「遊びに来たんじゃないの?」
「よく考えたら、時間が時間だから、またゆっくり……」
「広田君、そうめん食べる?」
 何束食べる? と、弟の、手を掴むように気軽に花珠保は博則の手を引いた。
「今夜はそうめんですか?」
「そう、食べていく時間ある? あ、豚肉好き? トマト食べれる? 他の野菜は? シソ、大丈夫? 一志シソ嫌いなの。広田君は好き嫌いある?」
 引かれた手を、振り払う理由もなくて、おじゃましますー、と博則は花珠保に引かれていく。部屋に入ると、
「ああ!」
 同時に声をあげたのは、一志と英臣、だった。
 どうして手とか繋いでるんですか、そいつ何者ですか、うらやましいじゃないですか、という顔をする英臣には、
「なに大声出してるの」
 と紅美が突っ込んで、
 なに手ぇ繋いでるんだ、
「つか、なに上がりこんでんだ広田っ」
 離れろ、と花珠保と博則の間に割り込んだ一志は、
「スイカもらうときだけいい顔して……もう」
 花珠保に鼻をつままれた。
 一志と花珠保の他には母親と父親がいるものだと思っていた博則は、紅美と英臣の姿にきょとんとする。
「あのね、同じ陸上部の山元紅美さんと、豊英臣君。と、それから、第三中の広田博則君。はい、みんなよろしくー」
 紹介をすれば、されれば、紅美と博則も、博則と英臣も、大会などで顔を見たことはあった。
「よろしくー」
 と頭を下げ合う。けれど。
 見たことはあっても、食事の支度が済んで全員で食卓につくと、
「……なんか、この面子おかしー気がする」
 一志は椅子の上にあぐらをかいて座る。
「なんで、我が家で部活メンバーと合宿メンバー揃ってんだ」
 花珠保は、いただきます、と手を合わせて、
「合宿みたいで楽しくない?」
「別に」
「え、楽しくないの?」
「ねーちゃんは、なにが楽しーんだ」
「賑やかでいいよ」
「おれ、静かでいい」
 一志も、花珠保と一緒に、いただきます、をしようとして、自分の皿の中にシソを見つけた。それを当然のように花珠保の皿に移す。
「あれ、一志のにシソ入ってた? よけたはずだけど」
「入ってる」
 見ろよ、入ってるじゃんか、と皿ごと花珠保に見せる。花珠保は悪気があったわけではないので、
「はいはい、ごめんなさい、入っちゃいました」
「もっと、誠意をもって謝れっ」
「別にシソ食べて死んじゃうわけじゃないでしょ」
「死ぬ、おれは死ぬ」
「うそ、ほんと? ちょっと食べてみて」
 花珠保は自分の箸を一志の口元に持っていく。
 一志の目の前には、青い、シソの葉っぱ、で。花珠保は、あーん、と食べさせる気満々で、
「ぎゃああああ。ごめんなさい。死ぬから食べません。てか、ふざけんな、食えるかっ」
 放っておけば永遠に続きそうなふたりのやり取りを見て、博則と紅美と英臣は、どこでもこのふたりはこうなんだなあ、という顔をする。
 無理矢理にシソを口に突っ込まれた一志は、シソを、飲み込めずに、台所に駆け込んで流しに吐き出した。
 花珠保は、もったいない、という顔で、
「もー、シソ職人さんに謝りなさいよ? 心の中で、ちゃんと」
「謝るの、ねーちゃんだろっ。謝れ、まず、おれに謝れっ」
 紅美と、英臣は。
 シソ職人さんてなんだ、とこっそり思う。
 博則は、あははー、と笑って、
「天沢、シソに負けてる。かっこわるー」
 正直に、
「センパイはかっこいーですね。冷蔵庫んとこに、おかーさんからのメッセージあったの見ちゃいましたけど、センパイが王子様でもぜんぜんいーですよね」
「……なにがいいんだよ」
 一志は口の中がまずそうなままの顔で戻ってきて、げんこつで博則の背中をぐりぐりする。
 博則は、痛い痛い、とよけながら、
「悪党退治するのは、お姫様じゃなくて王子様のがサマになるじゃん?」
「だれが悪党かっ」
「あんただ」
 紅美が、スリッパで、一志の頭をはたいた。
「手伝いしてないくせに、文句ばっかり言わないの。好き嫌いもしないの。さっさと食べる」
 さっさと片付けて、さっさと静かに勉強させてよ、と付け足されて、空腹だし反抗するのも面倒で一志はおとなしくそうめんをすする。隣に座る英臣がこっそり、オレも先輩に、あーんとかされたいんだけど、天沢いいなあ、と言うので頭突きした。
 花珠保は紅美と、はやりのドラマの話を始める。博則が、僕も見てますよ、と話に加わる。
 賑やかで楽しいね、と言っていた花珠保が、楽しそうで。
 一志は向かいに座る花珠保の膝を蹴飛ばした。
 花珠保は、なにするの、と一志を睨む。一志は目を合わせず横を向く。機嫌を、悪くしたらしい。
 面倒だなあ、と花珠保は吐息した。



04.終わり

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 05.お姫様のイメージ へ






































   05.お姫様のイメージ



 スイッチを入れて、回り出した洗濯機を眺める。
 洗濯機のある脱衣所は、風呂の湿気で暑くて、首元に伝ったのは汗だと、思った。
 乾かしていない髪のしずく、だった。
 食事が済んで、結局泊まっていくことになった博則と英臣と一志が、冗談じゃな いとなぜか頑なに嫌がるのを、時間かかってしょうがないでしょ、という理由で一緒に風呂に入らせて、そのあとに、紅美と一緒に風呂に入った。
 部屋を覗いたら、一志たちはスポーツ雑誌を広げて覗き込んでいた。紅美は英和辞典と格闘を始めて、花珠保は、洗濯を始める。
 洗面台を覗き込んで、少し伸びた髪を無理矢理くくっていたゴムをほどく。花珠 保専用のマイナスイオンドライヤーは花珠保の部屋にある。戻ると紅美の邪魔になりそうで、洗面台に置きっぱなしの、父親と一志が適当に使っている古い型のドライヤーを棚の奥から引っ張り出した。
 ドライヤーのスイッチを、入れようとして、入れずに、なんとなく、吐息する。
 まだ……。
 まだ、機嫌、悪そうだったな、と面倒な気分になる。
 食事の片付けのときも、三人で風呂に入れと言ったときも、一志は無言のままだった。文句も言わない一志は、面倒くさい。なにを考えているのか分からない。分かりたいわけじゃないけれど、分からない、のは、なんだか、気持ちが悪い。
 文句を、口で言うのは、それを分かってほしいからで。
 口にしないのは、どうでもいい、からで。
 花珠保はなにかを、どうでもい、と思うことがあまりない。
 どうでもいいことなんかない。伝えたいことは伝えたくて、伝えなくていいことは伝えなくていいことで。
 でも、一志には、どうでもいいことが、ある。
 そういうときは、すこし、怖い。
 怖い、というか、なんだか、どきどきして落ち着かない。家族なのに、いつも傍にいるのに、いつもはだいたい、単純に、なにを考えているのかわかるのに。こういうときは、分からない。家族なのに家族じゃないみたいで怖い、みたいな気がする。家族だから、面倒くさい。
 一志が機嫌を悪くしている理由なんて、花珠保は知らない。無理矢理シソを食べさせたからか、紅美や英臣が泊まって行くからか。博則が来たからか。その全部か、そのどれでもないのか。
 花珠保は一志じゃないから、一志の着火点が良く分からない。風呂に入ってなんだか疲れたから、という理由だけで機嫌が悪くなるときだってある。そんな、良く分からないのが、怖いとか面倒だとか、とにかく気になってしょうがない。一緒にいる、から、気にしないわけにも、いかなくて。
 あとで、ジュースでももって行こう、と思う。
『一志は勝手に機嫌が悪いんだから、花珠保が機嫌取ることないでしょ』
 と、母親がいつも言う、けれど。
 花珠保は、誰かの、機嫌をとることが嫌いじゃなかった。それで相手の機嫌が直るならそれにこしたことはない。
 花珠保は、自分の機嫌が悪いときに気にかけてもらうと、ちょっと嬉しくなる、から。それで機嫌が直る、から。
 一志は、大抵、ますます機嫌が悪くなる、けれど。
 それでも、花珠保は一志を気にかける。相手が一志ではなくても、気に、かける。
 一志は大抵、なにも、気にかけない。
 花珠保はそういう性格で、一志はそういう性格、なんだろう。
 洗濯機の回る音を聞きながら、なんとなく鏡を見ていたら、勢い良く脱衣所のドアが開いて、花珠保は驚いて振り返った。
 一志が、わざと音を立ててドアを閉めた。まだまだ機嫌が悪い。
「今日は、なに、怒ってんの?」
 聞いても答えない。答えないだろうな、と花珠保も思っている。
「シソ、そんなにイヤだった? ほかに、なんかイヤなことあった?」
 聞けば聞くほど、一志は、うるさいな、という目をする。
 そもそも、ここになにをしに来たのか。
「ドライヤー使うの?」
 聞いても、一志は返事をしない。
 花珠保は、他にかける言葉も見つからなくなって、ドライヤーのスイッチを入れた。しばらく、自分の髪を乾かす。
 鏡の中の一志は、洗濯機が回っているのを見ている。
 このまま、黙ってままでも、いい、けれど。やっぱりなんだか落ち着かなくて、
「一志?」
 一応、かけた声が、ドライヤーの音でかき消される。相変わらず、無視を、するのかなと思った一志が、鏡越しに花珠保を見た。なんだよ、という顔をする。
 花珠保はドライヤーを切った。そのドライヤーが、一志に触って、一志は飛び退いた。
「熱っ……!」
 古い、ドライヤーは、風の吹き出し口のプラスチックがが高温になる。使い慣れ
ていない花珠保はそれを知らずに、
「え……ごめ……」
 ごめん、と謝る、前に。熱さに触れて赤くなった手の甲を、差し出されて、
「あ……水で冷やさないと……」
 蛇口をひねると、
「ヤダね」
 一志は、勢い良く、流れる水を見る、だけで、文句だけを口にした。
「痛いっ、熱いっ」
「だから、冷やした方が……」
「熱いっ、痛い痛い痛いっ、熱いっ!」
 手の、甲を、目線に突きつけられて。
 花珠保は、その手を取って、赤くなった場所を舐めた。
 途端に、一志は花珠保の手を振り払う。
「したくないくせに、触るなっ」
 振り払われて、花珠保は一志の言葉の意味をそのまま、受け止めて、ふくれた。
 花珠保だって、あんまり、意味もなく、機嫌を悪くされてばかりではいい気がしない。
「そんなこと、言ってないでしょ」
 少し、怒った声になった。
 言ってない。花珠保は、そんなこと、言っていない、から。
「だったらなんで山元とか連れてくるんだよ」
「だってそういう約束してたんだもん。一志、なんで急にそんなこと言うの」
「ずっと、腹は立ってたんだよ」
「ご飯のときまで、そんなに怒ってなかったくせに」
「でも、なんか急に腹立ったんだよっ」
「シソ食べさせたから?」
 一志は、なに言ってんだ、と言う顔をして、
「シソがなんのカンケーがあるんだよ」
「え、ないの?」
 気が、抜ける。
 一志はいつだって、一志のタイミングで機嫌を悪くする。花珠保にはそのタイミングが読めない。どちらかといえば、読めるわけが、ない。
「もうちょっと、分かりやすいところから分かりやすく怒ってよ……」
「なんだよそれ」
 まだ、口調は怒ったままの、一志に、
「それで、ずっと、今日はもう怒ってる、の? いつまで怒ってるの?」
「さあね」
 一志は、火傷をした、手の甲を、また差し出す。
「痛いっ」
 痛い、という手は、確かに痛そうだった。跡に残ることはない、だろうけれど。
「痛い。痛い痛い痛い。いーたーいーーー」
 花珠保は、一志の手を、取った。
 二階の部屋には紅美がいるから、とか。博則と英臣もいるから、とか。そんなこと言ったらまた、きっと、もっと、機嫌を悪くする、んだろう。
 それに。
「そんなに、痛い?」
 花珠保だって。
「痛いっ。熱いっ」
 花珠保、だって……。一志の機嫌が悪いから、こんなことを言うんじゃない。
「……時間、あんまりないよ?」
 あまり遅くなれば、紅美が様子を見に来る。
 時間になれば、父親と母親も帰ってくる。
「とーさんたちの寝室なら、鍵、かかるじゃん」
「そんなところでするの?」
「まさに、そーゆーことをする場所じゃん」
「そういう言い方、しないでよ」
「ここでするよりいーじゃんか」
 それはそう、かもしれない、けれど。
「……あれ、持ってる?」
「持ってる」
 花珠保は、一志の手を、もう一度舐めた。
 一志は花珠保の耳元に唇を押し付ける。押し付けた、場所で、
「お姫様抱っこでもしてこーか」
「……なんでよ」
「ねーちゃん、お姫様なんじゃん? だからお姫様みたく。あれだろ、お姫様って、この間、さっちんがやってもらってた」
 七つ年上のイトコの名前に、花珠保は小さく笑った。
「早智子(さちこ)ちゃんの結婚式のときの?」
「そー。ダンナが張り切って抱き上げてたじゃん」
「花嫁さんだから、でしょ」
「だから、お姫様じゃん」
「一志、ドレス着てたらお姫様だと思ってる?」
「そーじゃないの」
「なんか、ちょっと違うと思う」
「どこが」
「……どこがって……」
 一志にはどうでもいいことを、一志は考える気もないようで、
「なんでもいいけどさあっ」
 手首を掴まれる。そこからなぞり上げてひじを、肩を掴まれる。背中を、抱かれる。
 クーラーも効いていない、暑い、場所で。
 ……暑い、と思う。
 首筋に髪が張り付くのは、汗、のせいなのか。髪をまだ、乾かしきってなかったから、か。
「おれ、ちょっと、今、離れるのヤダ」
 花珠保を、お姫様のように抱き上げようと、して、
「おおお!?」
 思ったほど簡単に抱き上げきれずによろめく。
 並べば、同じ身長のふたり、だから。
「ねーちゃん、意外に重かった……」
「重くないもんっ」
 一志は花珠保を落とさないように、壁に片手をついて、膝をついて、花珠保を抱え込む。
 花珠保は落とされそうになって、一志にしがみついた。
 脱衣所の、隅で。
「寝室まで持ってけねー」
 だから、
 もう。
「……もー」
 抱き、直されて、抱き締めた。
「もーって、怒ってんの今回おれなんだけど」
「……はいはい」
 一志の手が花珠保の肌に直接触るよりも先に、花珠保の手が、一志のシャツをたくし上げて、撫でた。
 暑い場所で、汗ばんだ花珠保の肌はしっとりと柔らかい。
 一志の肌は、陽に焼いたまま放置されて、少し、かさかさ、している。
「ねーちゃん、肩、赤くなってる」
「……うん」
 一志が撫でる肩を見返る。
 肩を撫でる一志の肌は、指の先から、よく、日に焼けていて、黒くて。
「一志は、ちょっとかっこいー、よね。すごい、きれいに焼けてる」
 花珠保の肌は、黒くなりきらない。
「なんでねーちゃん、あんま黒くなんないんで、いちいち赤くなるんだろーなー」
「ねえ」
 姉弟でも、いろいろ、違うことはある。
 でも、そんなことは。
「まーどーでもいいけど、さ」
 真冬意外、いつも日にさらしているのに、黒く焼ける肌と、赤く焼けるだけの肌と。
 細くて筋張ったからだと、細いのに柔らかいからだと。
 見た目には、似ているようで違うもの、を。
 ひとつにするのはわりと簡単、で。



05.終わり

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 06.王様ってどうよ? へ






































   06.王様ってどうよ?



 赤く焼けた肩を舐めた。
 その場所がいつもより熱い気がするのは、この場所が暑いからなのか、それとも単に、焼けた肩が、熱を持って熱い、のか。
 焼けた肌を舐められるのは、焼けていない肌を舐められるのと少し、感触が違う気がした。
 一志は、抱き上げようとして失敗した花珠保のからだを床に置く。正面から抱き締めて、肩口から、うなじまで。邪魔な首筋の髪をかきあげる。
 床に下ろされた花珠保は、一志のシャツを脱がせる。それだけで。
 舐めていたのを中断されて、一志が睨む。睨むのに目が合って、それが、合図のように唇と唇を重ねた。
 最初は、触れるだけ。触れるだけ。柔らかい場所と場所を、押し付けるだけ。
 花珠保が一志の頬に触った。
 一志は花珠保の両頬を両手で挟んで固定して、角度を変えて舌を絡めた。一志から。花珠保から。どちらともなく。
「……っ、ふ」
 キスを、続けながら。
 一志の手が花珠保のパジャマのボタンを外す。一番上から、順番に。全部をはずし終える。
 それ、だけで。
 いつもは、ふたりだけのときは。それで花珠保の胸を、素肌を触ることができるのに。今日は、他人がいる、から。つけていたブラジャーのフロントのホックをはずした。
 パジャマと下着を肩からずり落とす。
 少し、花珠保が嫌がるのを尻目に唇を離した。
 嫌がったのに唇から離れた唇が、鎖骨を降りて胸の先に吸い付いた。
「ん! あ……」
 花珠保はかたく目を閉じた。手のひらを握り締めた。
 一志は、花珠保が握り締めた手のひらを見つけて掴んで、その指先をほぐして広げて、広げた手のひらに、指の間に、吸い付くように、舐めた。
「かず……っ」
 声を、漏らすのは花珠保、ばかり、で。
「かず、し。一志……っ」
 なんだよ、という目だけを、一志が向ける。
 花珠保は指の間を舌がなぞる感覚に息を飲みながら、
「舐、めてばっかり、で、楽しい……?」
 一志は目を伏せる。花珠保の人差し指を咥えて、指の硬さや柔らかさを確かめるように奥歯で噛んだ。
 力いっぱい噛めば、食い千切ることができる。そうしたい衝動を抑える。ぎりぎりに、花珠保が痛がらないところまで、力を加える。
 花珠保は息を飲む。力いっぱい噛まれれば、きっと、食いちぎられる。一志なら、するかもしれない。しないに決まってる。
「わりと……」
 人差し指を噛むのに飽きて。
 噛んで、舐めて、べとべとになった手の、甲に、唇を押し付けながら、
「楽しい」
 その、証拠に。
 花珠保は掴まれていない手で、一志の頭を撫でた。頬を撫でた。一志は猫がじゃれるように、花珠保の手に自分から頬を撫で付ける。
 撫で付いた手を、掴んで、ためらいもなく、自分の、その場所を握らせた。
「勃ってるじゃん」
 だから、
「わたしのこと、舐めてる、だけなのに」
「それでも」
 それだけでも。
 それだけが、
「気持ちいーんじゃん」
 ふうん、と、花珠保はなんとなく、分かっていない返事を、する。
 花珠保も一志を舐めたらわかる、だろうか。
 そんな提案をしたら、
「……また、今度」
 少し、気を惹かれないこともない、声音で、断られた。
 そんなことは、もっと、ゆっくり、時間のあるときにすればいい、から。
 花珠保は、握らされたものを、撫でる。
 一志は眉をひそめて、
「ねーちゃん、は?」
「……ん?」
「舐められんの、いい?」
 うん、と答えれば、
「じゃー、ふたりともよくっていーじゃん」
「そ……だね」
 そうそう、と一志は、一志自身を握ったままでいる花珠保の手を押し退けた。
 押し退けられて、花珠保はそこに、口をつけようとする。触っているだけじゃ物足りないのかと思う。舐めようと、するのをまた、押し退けられた。しないの? という顔をすると、
「そんなんされたら、すぐ出ちゃうじゃん」
「いいよ?」
「よくない」
 すごく、良くない。花珠保を抱く時間が、なくなる。
 いつもなら丈夫なのに。今日はダメ、で。
 一志はさっきまで怒っていたのを思い出して、花珠保を手荒に引き寄せた。
 引き寄せた勢いでキスをしながら、花珠保の、パジャマのズボンに手をかける。
 引き寄せられた勢いでキスをされながら、花珠保は、一志の手が花珠保のからだをなぞるのを感覚で追う。腰骨に親指を引っ掛けて。下着の中へ入れ損ねた手のひらが太ももの内側を、柔らかさを確かめるように何度も撫でる。
 花珠保を、背中から、抱き締める。背中に唇を押し付けて、指先は、太ももをなぞり上げて下着の脇から、その場所へ、突っ込んだ。
 一志に、背中から抱き締められて、花珠保は身をすくめた。
「一志……?」
 とっさに足を閉じても、無理矢理に、指が入り込んでくる。
 一志の準備が整っていたように、花珠保のそこも、ぬるりと一志の指を誘い込む。花珠保が抵抗するほど、そこは抵抗しない。
「っあ、……ん……っ」
 ひどく、濡れた感触に、背中で一志が笑った気がした。
 やる気満々じゃん、と言われた気がする。見透かされた気がして恥ずかしい。
 ひどく、濡れた感触に、一志は花珠保の背中で少し、笑った。
 自分だけがしたかったわけじゃない、んだと、言葉にされるより確かで、満足する。
「……ねー、ちゃん」
 耳元で、耳を噛む。
「や……っ」
 反射的に、花珠保は耳を押える。押えた手を、舐められる。手を退ければ、そのまま、耳の奥まで舌が入り込んでくる。逃げるように丸めた背中を抱き締められる。一志が密着する。
「あ、あ……っ。か、ずし…………っ」
 呼べば、声の返事はなくて。指先を、奥、まで突っ込まれる。
「……かずしっ」
 呼ばれれば、声で返事をするより、指先に触れている場所を引っかいた。返事をするよりも、確実に、花珠保に届く。
「んっ、ん、あっ……」
 花珠保は、花珠保を抱き締める一志の腕を強く掴んだ。そんなつもりはなかったけれど、爪を立てる。爪を、立てたことに気が付いて、爪跡を舐めた。
 一志は、爪を立てられた痛みには気が付かなかった。でも、舐められて、首筋がぞっとした。そのままその感覚が下半身を刺激する。
「ねー、ちゃ……」
 花珠保がからだをねじって、振り返ろうとする。
 する、ときはいつも、正面から、だったから。
 いつでも、そうだったから。花珠保はからだの向きを変えようとする。
 一志は、花珠保の背中を、とん、と押した。
「……え?」
 不意、なことに花珠保は床に手を着いた。その背中に、一志が覆い被さる。からだを起こそうとする花珠保の背中を、押さえつける。
「一志……っ」
「ちょ……、限界っ」
「で、もっ……。や、なんか、これ……」
 花珠保が、押し退けようとしても簡単に。
 ごそ、と用意を済ませた一志は、後ろ、から。花珠保のその場所を確かめるように一度なぞっただけで。
「あ……、んんっ!」
 花珠保は慣れない体勢で一志を受け入れる。あげそうになった声を、一志が手のひらでふさいだ。
「……ふ、う……んっ」
 余裕もなく花珠保に押し込めた一志は、いつもと違う具合を確かめる余裕も、なくて。何度か自分勝手に腰を振った。
「んん、ん、ふ、んっ、ん……っぁ」
 同じリズムで花珠保が声を漏らす。
 花珠保の、口をふさいでいた手のひらの、熱い吐息に。一志は慌てて口をふさぐ手をどけた。おもわず、ごめんなさい、と謝ろうとした言葉は、花珠保に睨まれて飲み込んだ。
「ね……ちゃんが、悪い、んじゃんっ」
 なんでよ、と花珠保は声にする余裕がない。受け入れている一志にいっぱいいっぱいで、聞く余裕もない、けれど。
 一志は、聞かれた、ように。
「なんででも、だよっ」
 ぬるぬるとした場所の、奥を確かめるようにかき回す。
「ぁあ、あ、は……っ、んんっ、ん、あ!」
 花珠保は床に爪を立てる。
「も……これ、や、だ。一志……」
「おれ……、けっこー、いい」
「ば……かっ」
「ねー、ちゃんの中、だって、どくどくしてる。いい、んじゃん……? も、イく?」
 一志は花珠保の腰を抱え込んだ。より近くに。より、奥に。押し込めて、突く。花珠保の中は、気持ちが良かった。
 腰を抱え込まれて、花珠保はされるがままになる。突かれて、揺らされて、一志のことだけを考える。一志の、それが、気持ちいい。こんな姿勢はイヤ、なのに。
「あ、あ、は……、ん……ふっ」
 一志が腰を振るたびに、その反動だけじゃなくて、花珠保も、反応した。花珠保の腰を抱え込む一志の手を、すがるように掴んだ。指先を絡めて、握り締める。
「だ……め、一志っ、わ、たし……い、く」
「おれ、も……っ」
 最後の快感から、無意識に逃げ腰になる花珠保に、一志は自分のからだを押し付けた。
「あ……、ぁあっ!」
 のけぞった背中に、一志はキスをする。繋げた、一番奥で。花珠保がイったのとほぼ同時に一志もイった。
 自分が達した感覚にか、それとも一志が達した感覚にか、震えた花珠保のからだを一志が抱き締めた。ふたり、指先を絡めたままの手を、強く繋いだ。
 大きく、呼吸して、
「……どーする? おれ、もっかいしたい」
 一志はまだ入れっぱなしのそこを揺らす。
「どーする……じゃ、ないし」
 敏感になった場所を揺らされて、花珠保は、息を、飲む。
「ねーちゃんの中、すげ、まだどくどくしてる」
 なにこれ、いつまでどくどくしてんの、と無邪気に聞かれて、
「知、らない……っ」
 知らない。そんなこと、聞かれても知らない、けれど。
「あ、の。でも、一志……」
「んー?」
「もう、ちょっと……」
 このままがいいなあ、と、呟いた花珠保のからだを、一志は、抱き締めた。
「入れた、まんま、でいい? ……動、くと抜ける抜ける。このまま……」
 その、格好に抵抗はあった、けれど。
「……ん」
「あ、でもヤバい。おれ、また大きくなっちゃう、んだけど。って、そのどくどくしてんのやめろよっ。ほんっとヤバイんだけどっ」
「だって、そんなこと言われたってっ」
「また、感じてんの? まだ、感じてんの?」
 花珠保は、言いにくそうに、言いたくなさそうに、
「……まだ」
「男なんて一瞬なのに。女のからだってすげえ。それか、ねーちゃんがすげえ?」
 抱き締めている、というよりも抱きついている脇から聞かれて、花珠保は知らない、と横を向いた。
「他の、女の子で確かめてみれば?」
「ヤ、だね」
「そう……なの?」
「ヤじゃん」
「わたしは、いい、のに?」
「だってねーちゃんじゃん」
 花珠保は一志を見返る。一志は、あたりまえの顔をして、
「ねーちゃんが他の男とすんのもヤだな。てゆーかすんな」
 花珠保は、驚いた顔で一志を見て、目を、伏せた。
 なに言ってるの、と、思ったけれど、言わない。言いたかったけれど、言わない。
「……一志は、あれだよね。王子様って言うか、王様。わがまま大王」
 花珠保はからだを起こすと、
「…………っ、ぁ」
 ゆっくり、一志を引き抜いて、離れた。
 正面から、向き合って。顔を近付ける。
 キスをするんだと思った一志が、子どもがちゅうをねだるみたいに唇を突き出してくる。花珠保はその顔がおもしろくて笑った。
 キスをしないで、一志の頬に、頬を、摺り寄せた。



06.終わり

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 07.お姫様ってかっこいい♪ へ






































   07.お姫様ってかっこいい♪



「まあーだあああああ?」
 車の、後部座席に横着な格好で座っていた一志が、渋滞に絶えかねて運転席のシートを蹴飛ばした。
「こらこらこらこら」
 どかどかと蹴飛ばされて、どかどかと蹴飛ばされる衝撃に、運転手の父親が声をあげる。
「もーちょっとだから、おとなしくしてなさい」
 助手席から、母親が叩こうとする、のを身軽によけて、一志はおとなしく座っている花珠保の膝を膝枕にして、狭い場所でごろんと横になった。片足を、全開にしている窓から突き出す。
 危ないでしょ、と母親に怒られれば、
「じゃーもっとでかい車買えよ」
 無茶なことを言う。
 花珠保は、むちゃくちゃだなあ、と思って一志を見る。膝枕をさせられていることは、別に、気にならない。少し、くすぐったい、けれど。
「一志、足、ほんとに危ないよ」
 横になれて気が済んだのか、一志はおとなしく足を引っ込める。
 花珠保は時間を気にして、
「お母さん、お坊さん、何時に来るの? 大丈夫? 間に合う?」
「大丈夫大丈夫。間に合うから」
「つか、なんで、夏休みも最後の日曜に法事なんだよ。盆にやれよ、盆に」
「あんたたちの練習があったから、別の日にしてもらったんでしょ」
「おれたち不参加でもいーじゃん。めんどくさいし」
「なに言ってるの、お盆には親戚全員集合でご先祖様にお経上げるもんなの」
「すでに盆じゃねーし。ご先祖サマとか、盆終わってあの世に帰ってるし」
 だいたいこんな時期外れに、よく親戚が集まるもんだ、と一志は面倒そうにする。
 一志も、花珠保も、法事のために制服着用で。
 大あくびをした一志は眠そうに枕に顔をうずめる。……枕、は、花珠保の膝、で。
「ちょっとっ、一志、どこ触って……っ。なーんでスカートに手、突っ込むのっ」
 なにやってるの、と今度こそ母親に殴られてしぶしぶ起き上がる。
「おお……ねーちゃんの足だった。枕じゃなかった」
「って、え、今、真剣に寝てたの? 一瞬で?」
「んー、ちょっと寝てた」
「……すごいね」
 というかおもしろい、と笑った花珠保を、一志はなんとなく、不思議そうに見る。どうしたの? と聞けば、なんでもない、と返ってくる。
 朝早くに家を出て、渋滞に一時間ほど巻き込まれて、十時、ぎりぎりに父方の実家に到着した。
 車を止めようとしたときにイトコとすれ違う。年に二度、盆と正月にしか会うことのない親戚に、花珠保はどう挨拶しようか考える。おはよう、か、こんにちは、か。でも、とっさに言葉が出てこなくて、結局、ちょこんと、頭だけ、下げる。
 一志は、全開のままの窓から頭を出して、
「おー、ちょー久しぶりー」
 三つ年上の、セーラー服を着たイトコに、
「なあなあ、さっちんは? さっちん。新婚女来てんの? 旦那と一緒? マジでー?」
 元気よく手を振って、久しぶりといいながら久しぶりじゃないみたいに話しかける。
 イトコも、手を振り返すから。
 そうか、そういうふうにすればよかったのか、と花珠保は思う。
 父親の兄妹は全部で五人。祖父母と、五組の夫婦と、五組の夫婦の子供たちが勢ぞろいで、大所帯の、隅で、花珠保はちょこんと座って、誰かの話を聞いては相槌を打つ。
 一志は、大所帯の真ん中で、先日の結婚式で初めて見て、ひとことも喋ったこともない新婚のイトコの旦那さんも巻き込んで、野球やJリーグの話をしていた。
 花珠保は、誰に対しても屈託のない一志がうらやましい。
 いつもお経をあげるお坊さんの姿が見えても、一志たちは話足りないようにこそこそと話を続けてている。花珠保は、部屋の隅で、祖母がいないことに気がついて台所をのぞいた。
「おばーちゃん? お坊さん来たよ?」
 祖母が、お茶の用意をしているのを見て、
「わたしやってあげる。おばーちゃん、お坊さんとお話してきていいよ?」
 母親やおばたちは、お経をあげてもらったあとの昼食の用意を少しでも進めてしまおうと忙しそうだった。お茶、くらいなら、花珠保にも出せる。
 一志は、台所から出てきた祖母が、お坊さんと何か話をしているのを目に留めた。ばーちゃんと、お坊さんだなあ、と思う。そこに、花珠保がお茶を持って出てきて、一度、二度、まばたきをした。部屋の隅でおとなしくしていたと、思ったのに。いつの間にか手伝いをしている。
 お経が始まると、一志は時間を持て余した。暇なので数珠の球の数を数えたりする。
 花珠保は、真剣にお経を聞いていた。合掌すべき所では、大真面目に、見ず知らずの先祖のために合掌をする。
 昼食が始まると、一志はお腹がいっぱいになるまでその場所で食べ続けて、いっぱいになればまたイトコやおじたちと話を始めた。
 花珠保は、おばたちの手伝いをしてよく動いた。ちっとも落ち着いて食事を取らない、から。
 一志は花珠保を捕まえて、
「ねーちゃん、飯食った?」
「食べてるよ? なんで?」
「……やー、食ってるならいいけどさあ」
 花珠保は、どうしてそんな心配をされているのか分からない、という顔で、
「花珠保ちゃん、ビールまだあるか聞いてきてくれないかな」
 おじの声に、
「はあい」
 かわいらしい返事をして、
「一志は? ちゃんと食べた? もうお腹いっぱい?」
「……おう」
 ならいいけど、と言って、
「おじさーん、ビールって、瓶の? 缶の?」
「どっちでもいいけど、発泡酒じゃないやつ」
「え、どう違うの? 炭酸じゃないのってこと? そんなのあるの?」
 花珠保の父親も母親も飲まないのでよく分からない顔で、とりあえずお母さんに聞いてこよう、と空になったビール瓶を抱える。
「一志も、ジュース欲しい?」
「……コーラ」
「コーラ、コーラね。あ、お父さんは? 早智子ちゃんと旦那さんは? 何か飲みます?」
 てきぱきと動く、花珠保を、見て。
「なんか、ねーちゃんさっきからすげえ。よく次から次へ気がついて手伝いできるよなあ」
 一志に、すごい、と言われて。
 花珠保はなんだか不思議な顔で一志を見た。なんだよ、と聞かれたから、なんでもないよ、と答える。
 さっきもした、ようなやり取りに顔を見合わせる。
 花珠保はおばたちに呼ばれ、一志はおじやイトコたちに声を掛けられて。
 なんとなく
 一志は、きびすを返す花珠保の、スカートを引っ張った。
 花珠保は、なにするの、とビール瓶の底で一志の頬をぐりぐりする。
 姉弟喧嘩に、見えないこともなかった光景に、おじのひとりが、
「おお、花珠保ちゃん、強いなあ」
 と声をかける。ちょうど台所から顔を出した母親が、
「そーなの、うちの子、最強なの。ちょっと、見る? 見ます? 見ちゃいます?」
 見せる気満々で、どこに持っていたのか、用意していたビデオテープをデッキに押し込んだ。親戚一同が見守る中、テレビには、陸上競技場で、スタートの合図を待って、スタートライン手前で、二度、三度、その場で飛び跳ねるランニング姿の花珠保が、映った。
 花珠保が慌てて、
「え、ちょっと、おかーさんっ。それ大会の!?」
「そう。大会の。うちのお姫様、全国三位なんですよ。きゃー、花珠保すてき、かっこいいっ」
「お母さん……飲んでないのに、何でそんなにテンション高いの……っ」
 恥ずかしい、ので、ビデオを止めようとする、のを、母親に捕まえられて阻止される。
 捕まえられた花珠保の横から、
「かーさん、かーさん」
 顔を出した一志がビデオを止めてくれるのかと思ったら、
「おれは? おれおれ、おれだって大会出てるんだけどっ」
 恥ずかしがる花珠保とは対照的に自己主張する。
「あんたは八位、花珠保は三位。あんたの半分以下。おねーちゃんすごーい」
「そんなん、決勝には出てるんだからおんなじじゃん。半分てなんだよ、おかしな勘定すんな。ベスト8じゃん、立派じゃん。おれおれ、おれの勇姿は!?」
 騒ぐ一志は、けれど。
 テレビの中で、花珠保が走り出した途端に静かになった。誰よりも真剣に映像を見て、三位着のテレビの中の花珠保に親戚一同が拍手をする中、ふてくされて、その場を抜ける。
「一志?」
 花珠保のビデオしかなくてふてくされてるんだと思った。でも、
 花珠保のあとに、きちんと、一志の映像も入っている。それでも、なにか、考え込んだ顔で、部屋を出ていく。
 一志は、祖父が趣味で手入れをしている庭の見える縁側に、座り込む。花珠保が隣に立つと、スカートを掴む。
 スカートを掴まれて、花珠保も座り込んだ。
「一志もちゃんと映ってるよ? 見ないの?」
「そんなことより」
 あれだけ騒いでおいて、そんなこと、呼ばわりする、一志に、
「……なに?」
「ねーちゃんのタイム……」
「うん?」
 自分のタイム、は、覚えている。花珠保も、一志も。
「わたしの三位のタイムより、八位の、一志のタイムのほうがぜんぜん速い、んだよねぇ」
 男と、女の違いは、そんなところに出る。けれど。
「そーじゃなくってさあ」
 そんなことじゃ、なくて。
「ねーちゃん、あれ、大会のタイム。自己新じゃん?」
「……うん」
 花珠保は膝を抱えて、抱えた膝に頭を、乗せて、一志を見た。
「ちょっと気持ちよかった」
 自己ベスト、だった。中学に入ってずっとやって来たことの結果が出た。一位じゃなくても、それでも。
 ……一志には追いつけなくても、それ、でも。
 まだ、走れる。
「おれだって、もっと、速く走れた、のにっ」
 一志の、スカートを掴んでいた手が、花珠保の顔を撫でて、頬にかかった髪を、引っ張った。
「ねーちゃんばっか気持ちよくって、ずりー」
「なに、言ってんだか」
 花珠保は、ちょっと笑う。
「一志は速いよ」
 花珠保はもう絶対に一志に追いつけないから、とか、そういう意味では、なくて。
「すごい、よねえ」
「だから、それはねーちゃんじゃん!」
 大きな声に、花珠保はびっくりする。髪を掴まれたまま、きょとんとする。
 きょとんとする花珠保に、一志は、気が削がれて、吐息した。
「プレッシャーあんのに、大会、の決勝とかで、自己新とか出せちゃうの、すげー。なに最後の大会とかで自己ベスト更新とかしてんだよー」
 掴んでいた髪を、引っ張った。かと思うと顔を寄せる。
「……かず……」
 一志、と呼ばれるより先に、掠めるように、キスをした。
 ほんの少し、触れただけの唇と、一志の顔が遠ざかって、花珠保は慌てて辺りを見回す。
「誰も見てないっての」
 誰にも、見せるわけがない。
 みんな、母親持参のビデオを見ている。
「母さんが、ねーちゃんばっかすごいとか言うのは、ほんとに、ねーちゃんがすげーからじゃん。おれだって、自己ベストで八位ならかーさんうざいほど浮かれてるっつーの。でもダメダメタイムの八位だったから、ねーちゃんと比べるとおれへの態度冷たいんじゃん」
「え、そーなの?」
「そーだろ。いっくらねーちゃん三位でも、ねーちゃんのベストじゃなかったらかーさん放置プレイする、ぜったい」
 そうだったのか、そういうことなのか、と花珠保は今、気が付いて。
「じゃあ、これからもがんばらないと」
「とりあえずおれ、絶不調」
 大会以後、一志はなぜだか花珠保と同じくらいのタイムしか出すことができない。なんでだろーなー、と祖父の庭を見渡す。さっきからうるさいセミがいる。でもどこにいるのか分からない。
「ホント、気分いいくらい絶不調」
 やべえ、と呟いた声は、特にあせっているようでもなかった、から。
 花珠保も、特に深刻にならずに、
「大丈夫、だよ。うん、大丈夫大丈夫。きっとだいじょーぶ」
「って、すっげテキトーに言うな」
「あはは、ばれた」
「バレるだろっ」
「でも、きっと大丈夫、だと思うなあ。……きっと。うん、きっと」
「なに自信なさげに、遠い目ぇして、きっと、とか言ってんだよ……っ」
 きっとかよ、と一志は花珠保の髪を引っ張る。痛いからやめて、と、言いながら。うるさかったセミが、鳴きやんでいく様子に、ふと。ずっと思っていたことを改めて思い出して、ぽつりと言った。
「そんなことより」
「……なにが、そんなことより、だっ」
「んー? 中学最後の大会、終わっちゃったなあ、と思って」
 ねえ、と言われて。一志は、何かに、初めて気が付いた顔をした。
 どうしたの? とのんきに聞く花珠保、を。何か言いたげに睨んだ、と思ったら、おれもビデオ見てこよーと立ち上がる。髪を、離す。
「かーさん、かーさん、もっかいねーちゃんの走るとこ見せて。地区大会んときとかもある? ある? 広田ぁ? いや、あいつのはどーでもよくて」
 一志はすんなり輪の中に入っていく。
 花珠保は、引っ張られてた髪をくるくると指に絡めて、ほどいた。はじめは部屋の隅でビデオを見ていた、けれど、なんとなく、なにかを思い直して、一志の隣に割り込んだ。



07.終わり

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 08.弱いよ、王子様。 へ






































   08.弱いよ、王子様。



 日差しが強くて。日陰が濃くて。
「暑い……」
 校門を潜ってからは、木陰から木陰を選んで歩いていた紅美に、英臣が駆け寄ってきた。
「部長っ。山元部長ーーーー」
 紅美は日陰で立ち止まる。部活中なら、日向も日陰も気にせずに走るけれど、制服姿では、なるべく汗をかきたくない。英臣が運動場の向こうから走ってくるのをのんびり待つ。
「部長、今日は、今から走るんですか?」
 走ってきた英臣は、紅美のいる狭い日陰に入れないまま、
「走る……つもりはないけど。家で勉強するのも飽きたから、なんとなく様子を見に来ただけ、なんだけど」
 何かあせっている様子の英臣に、なにかあった? と聞く。もっとも、聞いてみたところで、
「なんか、大変そうな問題勃発なら、ちゃんと男子部の部長に言ってよ。それか顧問。むしろ顧問」
「男子部部長は受験勉強に集中するとかで、ずーっと出てきてません。顧問は、なんか、さっき呼び出しあって職員室行っちゃいました」
「え、なにそれ、すっごいなんか、大変なことでも起こってるの?」
「そういうわけでもなくて。顧問は、まあ、ぺろっと呼ばれただけでどうでもいいんですけどー」
「けど?」
「天沢が」
 英臣が運動場を見返る。
 笛の合図で、一志が走り出したところだった。
「弟? まじめに走ってるじゃない」
 そーなんですけど、と英臣は呆れた顔で一志を見ながら、
「天沢、一時間、二時間、ぶっ続けで走りっぱなしなんですけど」
 紅美と、英臣の見ている先で。走り終えた一志はタイムを確認すると、ゆっくりスタートラインに戻って、片手を上げる。足元を何度か蹴って、スターティング・ブロックに足をかける。笛の合図で、走り出す。何度も、何度も。
「……あの調子で、走ってんの?」
「走ってます」
 止めてください、と英臣が目で訴える。
「この炎天下で休憩取ってないの? ヤメロって言いなさいよ。自己管理しなくって熱中症で倒れたら恥ずかしいでしょ」
「言ってもきかないんですー」
「なんでよ」
「知りませんってば。なんかもう、むちゃむちゃ走ってるんす」
「花珠保、は?」
「今日は来てません。部長、待ち合わせとかしてないんですか?」
 してない、と美紅は呟いて。
「トヨトミ、携帯持ってる?」
「あー、部室に」
「あたし、家に置いてきちゃった。借りても良かったら貸して」
「え、花珠保先輩の携帯とかにかけちゃいます? そしたらオレ、もしかして先輩の番号ゲットですか??」
 紅美は英臣をじっと見て。
「花珠保、携帯持ってないし」
「そうなんですか、なんですか、じゃあどこかけるんですか」
「自宅」
「ああ……」
 なるほど、と残念そうに納得して、英臣は部室に駆けていく。職員室まで行って電話を借りるよりも、英臣が走った方が早い。
 紅美は青空を見上げて、日陰から、出た。それだけで、空気の温度がぜんぜん違う気がする。陸上部の後輩たちを眺めて、こんな暑い中、よく走るな、と思う。紅美だって、着替えれば、走りたくなる、けれど。
 後輩たちに近付くと、元気よく、体育会系の挨拶をされる。一志も、紅美に気が付いたけれど、挨拶も、会釈もない。一瞥しただけで、片手を上げて、早くタイム計ってくれ、とストップウォッチを手にしたチームメイトを促す。
「あーまーさーわー。天沢弟」
 声をかける紅美を無視して、走り出す。
 走り終えて、タイムを確認して、なにか納得をした顔をして。戻ってきた、と思ったらまた、スタートラインに立つ。
「こらっ」
 紅美は、一志のシャツを引っ張った。
「うわ……」
 一志のシャツは、掴んだだけで搾れそうなくらい、汗だくだった。
「ちょっと、汗かいた分、水分取ってる?」
「……うるさい」
 一志に手を払われて、紅美は足を、引っ掛けた。
 紅美に足をひっかけられて、一志は尻餅をつく。
「なにっ、すんだよ!」
「それはこっちのセリフでしょ。なに、してんの」
「タイム取ってんじゃん」
「簡単にすっ転ぶくらい足にきてるのに、タイムも何もないでしょ」
「うるさいな。ぜっこーちょーだ。邪魔すんな」
「絶好調には見えませんー」
 紅美は座り込んだままの一志の足を持って、引き摺り始める。なにすんだよ、と一志が抵抗すれば、
「天沢弟、強制撤去」
 紅美のしたいことが分かったのか、おもしろがっただけなのか、他の部員がやってきて一志の手を掴む。手足を持ってぶら下げて、一志を運動場を囲む桜並木の日陰まで連行する。
 途中、携帯を握り締めた英臣が追いついて、紅美と交代する。
 折りたたみの携帯を開いた紅美に、
「おい、こら、どこに電話する気だ!」
 一志が喚く。
「どこだと思ってるの?」
「ねーちゃんだろっ」
「わかってんじゃない」
「おれがっ、ねーちゃんの言うことだったらきくと思うなよっ」
「そんなこと別に思ってないけど」
 いつだって、一志はわりと誰の言うこともきかない。紅美の言うことも、花珠保の言うことも。
 紅美は天沢家に電話する。すぐに、花珠保が出た。
「あのね、天沢さんちの王子様、弱ってるから介抱に来て」
「誰が王子だ! つか弱ってない! 絶好調だっつってんだろ」
 一志は暴れようとするけれど、手足を拘束されているのでままならない。日陰に置かれて、自由になって、運動場へ戻ろうと立ち上がりかけたときに、ペットボトルに汲んできた水を英臣に頭からかけられた。それでいろいろな熱が覚めて、ぺたんと、座り込んだ。
 ほら弱ってる、と言う紅美にはあくまでも、弱っていない、と言い張って。
 一志は、日陰の涼しさに深呼吸する。これ以上、力尽くで抵抗する気力はないようだった、けれど、一応、口では、言いたいことを言う。
「ちょー、マジにぜっこーちょーだったんだけど。走らせろー。山元ー、横暴ー」
 言いながら、仰向けに大の字になる。
 構うとうるさいので、無視をして遠ざかると、そのうちに静かになった。
「なにあれ、ほんとどっか弱ってんの?」
 紅美は英臣に携帯電話を返す。英臣は発信履歴で、紅美が花珠保に電話をしたのを確かめて、もうすぐ来るはずの花珠保の姿にそわそわしながら、
「全中で八位とか取った後に、浮かれるんじゃなくて弱っってるって……」
「だって、弟、大会の記録、ぜんぜんベストタイムじゃなかったでしょ」
「だったら、大会終わった直後に落ち込みませんか、ふつー」
「一応、ずっと花珠保のタイムは気にしてたじゃない」
「そこでなんで花珠保先輩のタイム気にすんのか、オレにはちっともわかんないんですけどー。比べよーがなくないです? 女子と男子じゃ」
 そんなの知らないけど、と紅美は肩をすくめて、
「あたしも着替えてこよ」
「走る気になったですか?」
「なんとなく」
 なんとなく、その気になって、なんとなく、着替えて運動場に出る。なんとなく、気になって運動場の隅を見れば、一志は大の字のまま寝ていた。ほんとうに寝ているのか、おとなしくしているだけなのかまではよく見えないけれど。
 タイムの記録を取っていた英臣に呼ばれる。なに? と聞けば、おもしろいですよ、と記録の一覧表を見せられた。
 一覧表に、よく目を通す前に、花珠保が運動場に姿を見せた。紅美に近付いてこようとするのを手を振って止めて、運動場の隅を指差した。そこに一志を見つけて、花珠保はそちらへ駆けていく。花珠保の動きを、英臣が見送る、のが、おもしろいなあ、と思う。
「花珠保先輩、好きな人とかいるんですかねえ」
「さあ?」
 どうなんだろうねえ、と言う紅美に、
「え、山元部長、知らないんですか!? 仲良しなのに、いつも一緒にいるのに」
「でも聞いたことない、し。あんまり、そういう話もしない、し」
「そーゆーもんなんですか?」
「花珠保を好きなやつ、ならいっぱい知ってる。下級生の女の子には大人気だし、下級生の男の子にも大人気、だし」
 紅美は英臣を指差して、
「トヨトミとか」
「なんでバレてるんですか!?」
「……なんでバレてないとか思ってんの」
「花珠保先輩にもバレてますかねえ?」
「興味ないんじゃない?」
 紅美は適当に言う。へこむかと思った英臣はへこまずに、やる気満々で、
「こっそり片思いよりも、がんがんアピールした方がいいと思います?」
「さあ?」
 花珠保を目で追ってばかりの英臣に付き合いきれずに、一志のタイムの一覧表をあらためて見た。
「あ」
 記録の、数字を見て、紅美が声を上げたのと同時に、
「あああ!」
 英臣が大声を上げた。
 すぐ耳元で上げられた大声に、うるさい、と紅美は英臣を蹴飛ばして、
「いえ、あの、ちょっと、あれ見てくださいよ、あれ」
 どこかを指差す英臣を一覧表を挟んだバインダーで頭を叩いて、
「そんなことより、カズ弟の記録……」
「天沢の記録より、あっちあっち、ぶちょー、あれあれっ。あっちの天沢がっ」
 英臣の、指を差す先で。
 英臣がずっと見ていた一志と、花珠保が、
「……きす」
「は?」
「……してました」
「はあ?」
 細切れの英臣のセリフを頭の中でひとつにする。
 一志と花珠保が、キス、してました。
「キョウダイ、で……っ」
 冷静でない英臣を、紅美が冷静に蹴飛ばした。
 なに言ってんの馬鹿じゃないの、何妄想なの。と見た、花珠保と一志は。
 一志が花珠保を蹴飛ばそうとするのを花珠保がよける。花珠保は水筒からコップに注いだドリンクを一志に差し出す。一志は、いらない、とそっぽを向く。それでも無理矢理に飲ませようとする。そのドリンク、を、なにがどうなったのか花珠保が一志の頭からかけてしまって、一志が怒って叫ん、だ。
 そんなふたりの光景、は、
「どこからどう見ても喧嘩してるよーにしか見えないんだけど」
「そー、なんですけどー。えーでもー」
 英臣は目をこする。確かに見た、光景を。
「眼科行っといで」
「……そーですね」
 確かに見た、のではない光景、にする。
 ありえるわけのないことを、ありえなかったことにする。
 ありえるわけがない、と思えば確かにありえるわけがない。
「そんなくらだないことより」
 紅美は頭から信じない。考えた、こともない。
 英臣はもう一度、花珠保と一志のいた場所を見る。……いなく、なっていたから。いないなあ、と思っただけで。それだけで。
 見間違い、だったならそれでいい。ショック、だったのは。
 花珠保と一志が、というよりも。花珠保、が。
 花珠保が、誰かとそんなことをしていると考えただけでショックな自分がショック、だった。
「いや、むしろ、花珠保先輩の相手が天沢ならいいか、とか思っちゃうのってどーなんでしょーか。ねえねえ。キョーダイだったらそれ以上どーにかなるもんじゃないよーな気もするんですけど、先輩の相手が見ず知らずの男だったらとか考えただけで……うわあ、胸が痛い。なにオレ、本気? どーも本気みたいですよ!?」
 胸を押えて、どーしましょーか、と尋ねれば、
「……どーにでもすれば?」
 紅美はまるで興味がない、ので、バインダーの一覧表から目を離さないまま、英臣が言いたいことを言ったように、紅美も言いたいことを言う。
「天沢弟、絶好調ってほんとだったんだ、ね」
 英臣はまだ胸元を押えながら、
「あー、ですよね、おもしろいですよねー、そのタイム一覧。あんなめちゃくちゃがむしゃらに走ってただけのくせに」
 一志のタイムは、走れば走っただけ、上がっていた。
「あと一時間くらい走ったら、自己新出るんじゃないの?」
「まあ……」
 走ることができたら、だけれど。
 紅美と英臣は、桜並木の一角を見た。
 一志も、花珠保も、いない。いないものはいない。
「……あたしも走ろ。タイム計って」
「らじゃでーす」
 紅美はバインダーを英臣に渡して、スタートラインに、着いた。



08.終わり

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   09.だって姫だもん♪



「ほんとだ、弱ってる」
 大の字で寝ていたら、真上から覗き込まれた。
「弱ってない」
 閉じていたまぶただけを動かして開いて、一志は花珠保を見上げる。
「けど、のど渇いた」
「思いっきり、日射病の手前だよ」
「そんなことないね」
 傍らに座り込んだ花珠保は、きちんと制服を着ていた。ブラウスのリボンが歪んでいる。紅美から電話があって慌てて出てきた、んだろう。
 花珠保は持ってきた紙袋から水筒を出す。その花珠保の、スカートの裾が気になって引っ張ると、なにやってるの、とはたかれた。
「……やりてー」
 花珠保は呆れた顔で、
「なにを?」
 一応、聞いてくる。一志はためらいもなく、
「えっちしよー」
「なんでよ」
「ちょっと、いろいろこーふんしてるから」
 走れば走るだけ記録は伸びていた。いくらでも走れそうな気がする。気分が先走る。
「どーして、疲れてるのにそういうことがしたいの。できるの?」
「疲れてるから、したいんじゃん」
「変なの」
 わけが分からない、と言う顔を花珠保がする。
 一志は、はっとして、慌てて、
「疲れてないし。おれぜんぜん疲れてないし」
「一志は、疲れたときはいっつも、大の字になって寝てるよ」
「うっそ、マジで?」
「まじで」
 そんなことないね、と一志は、大きく開いていた手と足を閉じる。
「……別に、無理しないで、疲れてるなら疲れてるでいいのに。むちゃくちゃに走ってたんだって?」
「だから、疲れてないっ」
「じゃー自分で、ちゃんと飲んで」
 水筒に入れて持ってきたスポーツドリンクを、
「やだ。飲ませて」
「……どーやって……」
「口移し口移し」
 一志は、寝たまま、で。
「もー……」
 できるわけないでしょ、という花珠保に、
「んじゃ、飲まない」
「え、なに、ここはわたしがお願いして一志に水分取ってもらわなきゃいけないとこ?」
 花珠保にしてみれば、飲んだほうがいいよ、という親切で。一志が花珠保なら、一志がするべき体調管理なのだから、飲まない、というのなら放っておく。けれど。花珠保は花珠保、だから。
 花珠保は一志の、額から頬を撫でた。
 頬を撫でられて、一志は期待した顔で花珠保を見る。
 花珠保は、一志の頬を軽くつねった。
「肌、熱くなってる。飲んだほうがいいよ?」
 水分を、取ったほうがいいなんて一志だってわかっている。でも、ここは頑なに返事をせず、そっぽを向く。そうすれば……。
 そうすれば、
 花珠保は辺りを見回して、スポーツドリンクを口に含む。
 ほらみろ、と思う。
 花珠保は、一志を……誰かを、誰も、放っておかない。
 一志の傍らに手を突いて、傍らから、覆いかぶさるように、唇を重ねて、スポーツドリンクを流し込む。
 ……ほらみろ、と一志は思う。
 思ったら、笑えた。思うままだ。
 笑ったら、花珠保が飛び退いた。
「ど……して急に笑うのっ。わ、なんかドリンク逆流してきた、一志から」
「逆流とか、キモそーに言うなっ」
 上半身だけ飛び起きた一志が、花珠保を蹴飛ばす。
 花珠保は一志の足をよけて、手で押しやりながら、ぷは、と笑った。
「一志菌だ。あはは、飲んじゃった」
「キモがってんの、愉快なの、どっちだよっ」
「両方」
 一志にはちっとも楽しくないことを、楽しかった、という表情で、
「ほら、後は自分で飲んで。ちょうど起き上がったんだし」
 花珠保はコップに注いだドリンクを差し出す。一志は、いらない、とそっぽを向く。
「せっかく作ってきたのに、飲まないの?」
「頼んでねーもん」
「もー」
 コップを押し付けられても無視をする。諦めた花珠保はコップを引っ込めた、拍子に、水筒本体を転がして、栓を閉めていなかった水筒を慌てて起こそうとして、手に持っていたコップの、中身を、一志の頭に引っ掛けた。
「あ」
 やっちゃった、と花珠保の声はのんびりで。
「どうせ、汗だくだから、今日も頭から水、かぶるよね」
 よかったよかった、それでスポーツドリンクの糖分のべたべたも落ちる、よね、と、笑顔で言われて。
「……ねーちゃんっ」
「んー?」
 一志は花珠保の手を引いて勢いよく立ち上がった。ほんの少し立ちくらみがしたのを気力で踏ん張って、体育館脇の水場で、頭から水をかぶった。シャツも脱いで、洗って絞る。流しっぱなしの水を、水道水はまずい、と思いながら飲んだ。
 思う存分に水を飲んで、かたく絞ったシャツで顔をふいた。運動場を、見る。紅美がスタートラインについていた。英臣がタイムを取るらしい。そのふたりを……ではなくて、単に、走る者と、計る者、を、走る者と計るものだなあ、と思って見ていた、ら。
「まだ、走りたいの? 走ってく、の?」
 すぐ、傍でした花珠保の、声に。
「無理しないで、明日にすれば?」
「だって」
 シャツで、髪を拭く。
「だって、……きっと、って。ねーちゃんが言った、んじゃん」
 のどの渇きなら、水を飲んで治まった、のに。
 のどが、渇いて仕方ないみたいに息を飲んだ。
 花珠保は、一志がなにを言いたいのかよくわからない表情で、
「ほら、髪、拭いて」
 花珠保が持ってきたタオルを一志の頭にかぶせて、拭く。
 一志はしばらくおとなしく拭かれていた。けれど。
 我慢が、できなくなって。
「……ねーちゃん」
 なに? とタオルの隙間から覗き込んだ花珠保に、キスを、した。唇が、触れて。触れた感触に触発されて、もっと。
「もっと……っ」
 抱きつこうと、して、押し退けられた。
「ねーちゃんっ」
 花珠保は、辺りを気にする。
「家にっ、帰ったら、いいけど……。今はだめ」
 そんなのあたりまえでしょ、と怒られる。
 でも、
 そんなあたりまえのこと、知ってて。それでも。
「したい。今すぐしたい、やる」
「一志っ」
「オレ、やりてーって言ったっ」
「言った、けどっ」
 言ったからと、いって……。
「いや、絶対。ここじゃしない」
 強く、拒絶されて。また、花珠保の手を引いた。体育館の裏の、適当な、人気のない場所で。
 一志だって、わかっている。
 絶対に、ひとに、他人に、見つからない場所、で。
 キス、をした。何度も、触れて、
「……一志」
「さっきの、場所じゃなきゃ、いーんじゃんっ」
「違……っ」
「ねーちゃんがそー言った!」
 言った。ここ、は嫌と言ったから、ここ、じゃなければいいはずだった。場所を変えた。一志は勝手にそう判断する。
 唇に、唇で触れれば触れるほど、花珠保は逃げようとする。舌で追っても、応じない。かたく、口を閉じられて、髪を掴んで逃げられないようにして、指で、口をこじ開けた。そこに舌を押し込む。花珠保は、花珠保なら、舌に、噛み付いたりしない。舌が、触れた舌を、夢中で吸った。
 どうにか一志を押し退けようとしていた花珠保の、手元が緩んだ。
「……っ、ふ、ぅ」
 なにを、どう妥協したのか、一志に応じる。早く済ませたほうがいいと、思ったのか。その気に、なった、のか。
 一志も、花珠保も、セックスを嫌いじゃない。花珠保は、たまに面倒そうにするけれど、そういう態度を取ってみるだけで、始めてしまえば、あまり抵抗をしない。
 制服の上、から、花珠保の胸を触る。手のひらに簡単に納まるふくらみを撫でる。スカートの裾から手を、突っ込んだ。
「かず……かずし、わたし、持って、ない……っ」
 一瞬、一志の動きが止まった。間近で、花珠保の瞳を覗き込む。
「ゴム?」
 と聞くと、微かに花珠保が頷く。
 一志は、なにか、大声で言いたかったこと、を、飲み込んだ。
「……おれも持ってない」
 シャツは脱ぎっぱなしで、短パン姿で。どこに、持っているというのか。
 花珠保が、なにか言おうとした言葉を、言わせないように、唇を重ねた。また、花珠保が一志を押し退けようとする。
 一志はかまわずに、スカートの中の、下着、の、中を触った。
「ん! ……ん」
 どこをどう触ったら濡れはじめるかなんて、知ってる。多分、一志は、花珠保よりも花珠保のことをよく知っている。
 ずっと重ねたままでもいい唇をほんの少し、離して、
「……入れ、ないから。する、から、してっ」
 唇が、触れるか触れないかの距離で、触れる。指先を、柔らかい場所を割って、その奥に、入れ、込む。
「っふ、あ……あ!」
 中指。それから、人差し指。親指に触れたものを、ぐり、と押すと、花珠保のからだはのけぞった。
「か……ずしっ。あ、やだ。す……る、からっ」
 花珠保が、一志に、
「わ、たしはいい、からっ。……一志、して……あげる、よ」
「やだね」
 指先の入る限界の場所を突く。
 花珠保は一志に抱きつく。抱きつく、花珠保に、
「おれが終わった後に、うっかりねーちゃんもしたくなったらヤバいから、やだ。ねーちゃんのイイ顔見たら、またしたくなる。入れたくなる、じゃんっ。……先に、イって。イった顔で、おれもイく、ぐらい……」
 それくらい、感じてくれれば、一志も感じる、から。
「あ、あ……っ、で、もっ」
「イイ声」
 キスを、続けながら、
「……もっと」
 一志は花珠保の中を触る。ほんとうは、
 ……足りない。
 そんなんじゃ足りるわけない。そこに、入れたいのは指じゃない。
「か……ずしっ」
 一志しか感じていない声で、呼ぶな、と思う。
 そんな声を聞かされて、
「一志……」
 自分の、張り詰めたそれを、収める場所がなくて。
 だから、呼ばれると、声を聞くと、イイ顔を、見ると。なにかが切れそうになる。切れない、ように。花珠保の中をぐちゃぐちゃにする事に集中する。
「一志……っ。痛……、や、痛いっ、そんな、乱暴にし、たらっ」
 花珠保が、痛みに、一志の背中に爪を立てる。
 爪を、立てられて痛かったわけ、ではなくて。花珠保の声に、はっとして。
 一志は指の動きを止めた。でも、キスは止めない。止めない、合間に、
「優しく、がいい?」
「ん……」
 指先に絡んだぬるぬるしたもの、を。指先にさらに、絡め取るように、なぞれば、花珠保は、細く、細く息を吐き出した。なにを我慢、しているのか。花珠保の、眉根を寄せた表情に、一志は一度、かたく目を閉じて、開いて吐息、した。
 抱き締める柔らかいからだを、細いからだを、ねーちゃんというからだ、を、腕の中にある、からだを。
 不意に、母親が、お姫様、と言っていたのを思い出した。
「は……お姫様、じゃん……」
 花珠保が、唯一、の。
「ねー、ちゃん……っ」
 イって。
 と。花珠保を、そこ、まで押し上げる。
「……んんっ!」
 花珠保は一志に、きつく、抱きついた。かと思うと、大きく喘いだ。
 一志が、下着とスカートを何事もなかったように戻す、まで、なんとか一志にしがみついていた、けれど。
 一志が、もう一度キスをする。
 花珠保、は、ぺたん、と一志の足元に座り込んだ。一志の短パンを下ろして。花珠保の中へ、入れることのできない、それ、に触った。
 唇、より先に、熱くなった吐息が触れる。
 花珠保が、ほんの少しためらった後に、それを口に咥えるのを待って、一志は花珠保の頭を抱え込んだ。



09.終わり

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   10.王子の値打ち



 家に帰ると、誰もいなくて。花珠保は一志と顔を見合わせた。
「お母さん、今日お昼から出勤、だった?」
 一志は、さあ? と小首を傾げる。なんとなく、帰ってきたら母親がいる、予定、だった、から。
 冷蔵庫のホワイトボードに残された走り書きを、読んで。
 花珠保が、ゆっくり一志に振り向く前に、背中から、一志に、抱き付かれた。抱きついた手がブラウスをたくし上げてわき腹の、肌を、撫でる。うつむいたら、うなじを、舐められた。
 花珠保は、一志の手を掴んで、
「汗くさく、ない? お風呂に……」
「いい」
「いい……って」
「待てない」
 ホワイトボードには、急に出勤時間の変わったらしい母親から、夕食の支度をお願いね、とあった。
 一志は、らっきー、と呟く。花珠保も、否定は、しない。
「……あんなんじゃ、足りない、っつーの」
 つい、さっき。花珠保は紅美に呼び出されて学校に一志を迎えに行った。そのときに、学校で、した。けれど。
 あんなふうに、お互いに触っただけ、じゃ。
「足りない、よなあ」
 ねーちゃんだってそーだろ、と言われて、花珠保は、掴んだ一志の手を、離した。離した、ら。一志が息を飲んだ。振り返ったら、
「……なんだよ、やんない、の?」
 花珠保が、手を、離したから。一志は、そんな解釈を、した。
 花珠保は一志の手を、掴んだ。
「する……」
 一志の部屋で、何度もした。久しぶりに裸でした、気がした。直接肌が触れ合うのが気持ちよくて、一志は花珠保のからだ中を触った。花珠保は一志のからだ中を触った。感覚が麻痺するくらい、何度も受け入れた。
 ふたりのからだがやっと、離れて。
 一志が、眠そうな顔をして、花珠保を呼んだ、から。なに? と、重たくなったからだを起こすと、
「ねーちゃん、明日も部活、出る?」
「出る、よ?」
「あ、そ」
 伸ばした手で、花珠保の頬を撫でた。花珠保は、まだ、するのか、とびくりとする。一志は、びくりとした花珠保がおもしろそうに笑った。
「もーしない」
 今日は、と付け足して、引き寄せた花珠保に抱き付く。そうして目を閉じた、と思ったら寝息を立てる。
 翌日、も。
 一志は倒れるまで走りこんだ。もう、疲れきっていたように見えた、のに。家に帰れば、花珠保を抱く。ベッドの、上で。
「……疲れてる、んじゃないの……?」
 手を引かれて、花珠保は一志をまたいだ。
「でも、欲しー」
 一志が急かす、から。花珠保は、またいだ一志の、それ、を。自分に受け入れる。
「……あ」
 一志の、裸の、肩から胸をなぞった手を握り締めた。一志が突き上げるたびに襲ってくる快感を、堪えた。奥歯をかみ締める花珠保に、
「ねーちゃん、我慢、してんの?」
「だ、って……っ」
 昨日の一志の抱き方を思い出せば、感じるままに感じていたら、身が持たない、気が、する。
 でも、したくない、わけじゃない、から。
 その翌日も、一志に付き合う。求められれば、なんでも、何度でも、した。
「ね、ちゃんは? どう、してほしい?」
 聞かれれば、答える。
「……キス、しよう?」
 一志に、キスをする。そのまま押し倒される。足を開かれる。受け入れさせ、られる。
「あ、あっ、ん、……ぁあ、や!!」
 一志がイく前に、一度イっても、二度達しても、一志は構わずに花珠保を揺らした。悲しいわけでも辛いわけでもないのに溢れた涙を一志が舐める。
「泣くほど、イイ?」
「……一志、は?」
「ん……。も……、イく」
 ゆるゆると、花珠保の膝を抱えて揺らしていた花珠保に、キスをして。花珠保が伸ばした手に擦り寄って、舐める。
「足……もっと開いて」
 言われるままにすれば、さらに、花珠保ににじり寄って自分を押し込んで、
「ふっ……ぁ、あ、あ、や、あ……ああぁ!」
 花珠保の、喘ぎ声に酔ったみたいに、腰を揺らした。
 揺れる花珠保を抱き締める。
 揺らす一志を、抱き締める。
 ……揺らす一志を、抱き締めた、両手の、手のひらを、眺めた。
 花珠保は学校の、体育館脇の、水場で。やかんのお茶を冷やすために、水を出しっぱなしにしながら。
 両手を、軽く握り締める。十本の、指が、爪が。……どこかの、爪が。一志の背中に、肌に、傷を付けた、ような感覚が残っている。
 運動場では、一志は今日も、誰の制止も聞かずに走っている。
「夏休みも最後の日まで、元気、だなあ」
 花珠保は、シャツで隠している胸元を撫でた。柔らかい場所には、一志に、強く吸われたあとがある。ふと、思いついて腕の、内側の白くて柔らかい場所を見てみた。いつか付けられたあとは、知らない間に、黄色くかすれて消えそう、だった。
 ……気になる、のは。あとが消えかけていること、ではなくて。毎日毎日、花珠保を欲しがる一志、が。なんとなく。
 なんなのかな、と、思う。
「腕、どーかしたんですか?」
 背後から声を掛けられて、花珠保は慌てて、手を、腕を隠した。でも、よく考えたら、腕の内側のあとはもう消えかかっているし、指や爪に、何か残っているわけでも、なくて。
「なんでもないよ?」
 ほんとだよ、と、笑ったら。
「……そー、ですか?」
 英臣が、花珠保の笑顔に顔を赤くした。
 花珠保は、どうして英臣の顔が赤いのか見当もつかない。ただ、自分が今まで、思っていたことがほんの少しもばれたり、しなかたことに安心して、笑顔が緩む。
 無防備な笑顔に、英臣はますます顔を赤くした。
 通りかかった紅美は英臣を見て、わかりやす、と思う。花珠保を見て、鈍っ、と思う。
「豊君はどうしたの?」
 英臣は花珠保と目を合わせられずに、やかんを見た、から。
「あ、お茶ほしい?」
 水道を止めて、花珠保が両手で、せーの、と持ち上げようとした大きなやかんを、オレが持ちますっ、と英臣が、片手で持ち上げた。別にお茶が飲みたいわけじゃないです、と。
「……お茶なんて一年の仕事なんで、花珠保先輩、やんなくっていーですよ」
「そう? 手が空いてるひとがやればいいと思うよ?」
 持ったついでに、やかん運んでくれる? とお願いすれば、英臣はいちもにもなく頷いて、なんとなく、嬉しそうに花珠保に着いて歩く。
「あのですね、先輩」
「はい?」
 呼ばれたから、振り向いたのに。英臣は真っ直ぐに振り向かれて口ごもる。
「あああああああのっ、ですねえっ」
「……はい?」
 だからなあに? と見上げると、英臣は何かに耐え切れないように、やかんを抱えて座り込んで、
「……花珠保先輩は、好きなやつ、とか、いる、んでしょーか」
 座り込んだ英臣を、花珠保はきょとんと、見下ろした。
 まばたきを、する。
 なんとなく、右手の、指先を見た。爪が、何かを引っかいた感触を。手のひらを握り締めて、やり過ごして。
 ふと、今……今も、運動場を駆けているはずの、一志の、姿を。見ない、ように目を伏せた。伏せた目は自然に英臣を見る。
 目が合ったら、英臣が笑ったから、笑った。英臣の笑顔が緊張のためどこかぎこちなかったのには気がつかなかった。英臣のことなんか、なにも気がつかなかった。なにひとつ、気にかけなかった。
 気に、かけたのは。
 ……かけた、こと、は。
 そんなこと。ぜったい、絶対。誰にも、教えない。
「豊君、好きな子できたの?」
「え」
 英臣は、やかんを傾けてしまってお茶がこぼれて、慌てて立ち上がった。
「いえ、あの、オレのこと、じゃなくて」
「いないの?」
「いますっ」
 英臣はやかんを持っていないこぶしを握り締める。握り締めて、はっとして、
「じゃなくってっ。今のオレは花珠保先輩調査隊なんですけどっ」
「そうなの?」
「そうなんです」
「うん、でもいないし」
「……いないんですか」
「いないんですよ」
「あ、じゃあ、オレとか」
 どさくさにまぎれて言われて、
「弟は一志ひとりで手一杯ですー」
 もっとも、手痛いひとことを笑顔で返した。
 花珠保には、どさくさにまぎれて言われた、というつもりも、手痛いひとことを返した、というつもりもさらさらなかった、のだけれど。
「おーとーうーとーでーすーかー」
 英臣には痛恨の一撃、で。
 そこに、
「お茶!」
 いつの間に来たのか、ふたりの足元にしゃがみ込んでいた一志が、あーん、と花珠保に口をあけた。えさを待つひな鳥みたいで。
 なにやってんだ、と英臣が見下ろす。
 花珠保は英臣からやかんをもらうと、よっこいしょ、と持ち上げて。一志の口に直接お茶を注いだ。口をつけない、のがポイントで。なかなか上手に飲む、ので。
「あ、オレも」
 英臣も一志を真似て、あーん、と口を開ける。
 はいはい、と花珠保は英臣にも同じ事をしようとして、やかんの重さにバランスを崩して、やかんの底で一志の横っ面を殴った。
「ぐはっ」
 衝撃に、一志はばったりと地面に沈む。
「わあ! ごめんっ。今のはほんっとにごめんっ。痛い? 痛いよね。でもちょっと待って。先に豊君にお茶を……」
「あ、いいです。オレ遠慮しときます」
 同じように殴られてはごめんだ、と英臣は思い切り遠慮した。ので、花珠保はやかんを置くと、一志のこめかみの辺りをなでた。
「こんなとこ青あざになっちゃったらどーしよう。どうする?」
 よくさすればあざになりにくい、と母親が言っていたのを思い出して、とにかくさする。けれど。
「痛い、痛いっ」
 一志は逃げる。殴られたところをさすられるのはけっこう痛い。
「くっそー、ねーちゃん覚えてろ」
「わざとじゃないってば」
「でもおぼえてろっ」
 一志は花珠保を睨んで。
 英臣を睨んだ。かと思ったら、英臣を、馬鹿にしたように笑った。
「トヨトミ、おれのおとーとになんの?」
 英臣は、黙れ、と一志の頭をわきに抱え込んだ。花珠保に背を向けて。
「なんで、オレが天沢の弟かっ。天沢よりデカイのにっ。オレが花珠保先輩とケッコンしたら、天沢のにーちゃんだ」
「うるさい。なにがケッコンだ。あほか。おっまえ、一生懸命告ってんのに、あっさりスルーされてるくせにっ」
 バカじゃんばーかばーか、と一志が笑う。笑う一志を、英臣は蹴飛ばしたいのを画面して、あれ? と覗き込んだ。
「天沢ん前で先輩らぶの話すんなとか言っといて、なに、オレ、告んのはおっけーなの? ねーちゃんに手ぇ出すな、とか言わないの?」
「……なんでだよ」
 一志は英臣を押し退けて、
「言わないっての。そんなん、おれ、どんだけねーちゃん子なんだよ」
「かなりじゃん?」
「あほか。ばかか。違うだろっ」
「あれ、そーなの?」
 ふたりがこそこそと話す様子を、花珠保は、小首を傾げて見ている。そんな花珠保を、かわいい、と思いながら、英臣は、
「先輩と付き合うならおれより早く走ってみろ、くらい言われるかと思った」
「別にねーちゃんがいーならいーんじゃないの、勝手にしろよ。誰でも、どいつでも、速かろーと遅かろーと、ねーちゃんと、なにをどーしよーと」
 花珠保は、なにを、ふたりでしゃべってるんだろうな、と言う顔で。なんとなく、やかんを持ち上げたり、下ろしたりする。とりあえず、やかんをベンチまでもって行こう、と歩き出す。
 一志と英臣は、そんな花珠保に気がつかずに、
「だいたいっ、おれより速い中学生は全国に七人しかいないっつーの」
「あー?」
 そういえばそうだった、と英臣はぽんと手を打つ。
「そりゃムリだ」
「しかもトヨトミ、おまえ……」
 一志は、英臣が哀れそうに、わざとらしく目元を押えながら、
「どーにも、おまえよかねーちゃんのが速い、んだよ」
「……あー?」
 そんなこと、知ってはいた、けれど。
 あらためて言われて英臣の笑顔がかたまった。かたまった笑顔に、一志は追い討ちをかける。
「ねーちゃん……、ねーちゃんっ!」
 何気なく呼んだら、なぜかすごく遠ざかっていた花珠保を呼び止める。
 呼び止められた花珠保は、やかんが重そうに、なあに、と振り返る。ずいぶんと離れた一志がなにを言っているのかよくわからなくて、とりあえず、やかんをおいてくるね、という仕草をする。
 一志が、駆け寄ってきてやかんを取り上げた。一年生を呼びつけて、やかんを押し付ける。
「ねーちゃんはこっち」
「……どっち?」
 一志は右手に花珠保を、左手に英臣を引っ張って。
 引っ張られる花珠保は、なにごと? と英臣に聞くけれど。英臣は笑顔でかたまったまま、で。
「ちょ、っと。一志?」
 連れてこられたのは、スタートライン、で。
「え、走るの? 今すぐ?」
 花珠保は、百メートル、先を、見ながら、
「なに、準備いるの?」
 一志に聞かれて、いらない、と首を振った。もう、何本も走っていた、から。
 百メートル先を見ていた視線を足元に戻した。スタートラインを見下ろす。
 走る、というのなら。
 真剣に走る。
 花珠保は、一度、その場で跳ねる。もう一度、跳ねる。右隣の一志がおもしろそうに笑ったのには気がつかなかったし、左隣の英臣が、泣きそうな顔をしたことにも、気がつかなかった。
 その場所に立ったら、ほかは何も、考えない。
 紅美の合図で位置について、
 走り出す。
 百メートル、なら。
 十秒と、少し。
 それだけの時間で勝負がつく。
 スタートの合図の直後、一瞬、花珠保が飛び出る。一志よりも速くて、英臣はぎょっとする。
 一志は、花珠保の走り方をよく知っている。すぐに、花珠保に追いついて、追い越す。そのまま、差が、ついた。
 順番は、一志、花珠保、英臣。
 英臣はゴールした途端、ばたりと、気力を失って倒れこんだ。
「豊君?」
 声を、かけようとした花珠保に割り込んだ一志を、恨めしそうに見上げた。
「あ、まさわ……おまえ、先輩と付き合うの勝手にすればとかなんとか言っといてこの仕打ち……」
「女より遅いって、惨めだなあ。ねーちゃん速ぇ。トヨトミよか全然速ぇ。おまえ、おまえよかあんだけ速い女と付き合いたい?」
「ぜったい、おまえこれ、イヤガラセ、だろ……っ」
 ふふん、と一志は立ち上がった高い場所から思い切り英臣を見下ろす。
 英臣に声をかけようとしゃがみ込んだ花珠保は、一志を見上げて。
「一志、絶不調、短かったね」
「おう」
 花珠保の、表情は。なんとなく、残念そう、で。
「一生懸命な一志はわりと……」
「なんだよ。かっこいい? おれかっこいい?」
「……おもしろかったのに」
「おもしろいのかよっ」
 一志の突込みを無視して、花珠保は紅美が持ってきた今の記録を見る。
「あ、すごい。わたし、一志の速いのにつられて、けっこう、速く走ってる」
「ざまみろ!」
「……なんで『ざまみろ』なの……」
「おれのおかげなんじゃん? おれすげえ。おれかっこいい。おれの存在価値がわかったかっ」
「存在価値って……」
 勢いで、英臣を踏みつけようとする一志の足を抱えながら、
「価値っていうか、そう、だね。そう、いえば。こんなふうに楽しいのも……」
 足を、抱えたまま。ふと、一志を見て、英臣を見て、紅美を、見て。
「引退、しちゃったら、とか。来年とか、は、わたし、一志とも紅美ちゃんとも豊君とも一緒にいないんだ、なあ、って思ったら、寂しい、ね」
 そんな寂しいとか言われちゃったらオレ、花珠保先輩と同じ高校とか行っちゃおうかなと言う英臣を、一志は一志の足を抱える花珠保を振り払っておまえがねーちゃんと同じガッコに入れるかばーかどんだけレベル違うと思ってんだと蹴っ飛ばした。
 紅美は花珠保を抱き締めて友情を確かめ合った後に、立って並べば背の低い一志を見下ろして、なんだもしかしてカズ弟は結局花珠保にイイところ見せたくってがんばってたわけ? それとも、おねーちゃんいなくってもおれはだいじょうぶだぜみたいな感じ? そうなのまさかそうなの? 実は弟が一番花珠保とかあたしとか引退しちゃったら寂しんぼ!? と好きなことを言って、そんなわけあるかばか山元なんかさっさといなくなれと喚きながら、
「つか、ねーちゃん寂しいんだ?」
「うん、寂しい」
「なんだよ、えー、まじかよー。そーゆーのってさあ」
 なんだよ、と英臣と紅美と、花珠保が一志を見る。一志はちぇー、とすねながら。
「……言ってよかったのか」
 我慢して損した、という言い様に、
「愛いやつめ……」
 紅美が一志の頭をぐりぐり撫でる。撫でられて、やめろよ触んなっ! と抵抗しつつ、
「だいたいねーちゃんが、最後の大会終わっちゃったーとかしんみりするからこっちもしんみりするんじゃんっ」
「……またわけのわからないことをひとのせいにして……」
「ひとのせーじゃない。ねーちゃんのせいだっつーの。んでもまーいいや」
「なにがいいの……」
「いいからいいから。明日。ねーちゃん、明日。明日も走る。走れるうちに走る。いいだろ? いいじゃん。決定、けってー。始業式終わったらしゅーごー。そっこー集合」
 その、一志の言い方に、花珠保は、ぷ、と笑った。ちょっとだけ笑ってあとは我慢しようと思ったのに、我慢できなくて、もう少し笑った。なんだよ、と言いたげな一志に、
「だって、一志……っ」
 なあんだ、と思う。
 昨日、とか。一昨日の一志、が。花珠保と、して。眠そうにしていた一志、が。眠たくて、それでも、眠る前に、花珠保の腕を掴んだまま、
『明日っ、もする。絶対する。ヤなの? ヤじゃないんじゃん? ねーちゃんしたくないの? したくなくない? する? じゃーやる。山元とか連れてくんなよ』
 ……テンションが、おんなじ、で。
「あはは、一志、寂しんぼだ」
 大会が終わっただけ、なのに。
 夏休みが終わるだけ、なのに。
 それでも……。
 時間が過ぎていくことを実感しながら。
「寂しんぼってゆーなっ」
 花珠保は、がなる一志を、うるさい、と頬をつまんで引っ張る。つままれた場所がさっきやかんをぶつけられた場所に近くて痛いといえば、反対の頬をつままれた。頬を引っ張り続けられる腹いせに、一志は英臣の襟首を捕まえた。
「トヨトミ、おまえも明日しゅーごー」
「なんでだよー」
 できれば英臣は二度と、花珠保とは走りたくない、のに。
「え、豊君、来ないの?」
 とほんのり寂しそうに花珠保に言われてしまっては、
「行きますっ」
 地球が破滅しても来ます、と英臣はこぶしを握り締める。
 紅美は、夏休みが終わっても明日も暑そうだなあ、と青空を見上げて、お姫様最強、と呟いた。



10.終わり

ひめごと 終わり
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