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印象の再生、花の香り4



 地球の、常夏の小さな島の教会で、大粒の雨の音を聞きながら
「ねえ、ドロシー」
 カトルはドロシーを抱き締めたまま、ドロシーを呼んだ。
 ドロシーはほんの少し、カトルの顔が見えるところまで離れると、小首を傾げた。なあに? 言葉にはせず、聞いてくる。
「……ドロシー」
 さらにカトルが呼ぶから、ドロシーはさらに、首を傾げた。
 カトルも、困ったように小首を傾げる。そうして、もう一度、呼んだ。
「ドロシー」
 ドロシーにはカトルの意図が読めたのか、呆れたようにカトルから離れた。座り込んだままのカトルを、立ち上がった場所から見下ろす。
「なあに?」
 返事を、する。
 たったそれだけのことに、カトルは満足したようだった。安心して、表情を緩める。
 ただ、ドロシーの名前を呼びたかったのだ。
 あのとき、呼ばなかったから。
 呼ばなかったことを……呼べなかったことを、きちんと覚えているから。
 だから、呼びたかった。
「その緩んだ顔は、夢から覚めた顔?」
 ドロシーはくるりと背を向けると、すたすたと窓辺まで歩いた。
「覚めてるよ」
 言いながら、カトルはドロシーの後を着いていく。
「初めからね。ほんとうは、夢だと思いたかっただけ、なんだよ」
「そうね、美化された思い出なんて、夢のようなもだものね」
 なかなか辛辣なドロシーの言葉に、カトルは返す言葉がないのであはは、と笑ってみた。そうして、少しもの惜しげに、さきほどまでドロシーを抱いていた自分の手を、眺めた。
「今なら、君の優しさに戸惑うなんてことないしね」
「……戸惑っていたの?」
「うん、実は、おもいっきり」
「あら……そう」
 えへへ、と笑うカトルに、ドロシーも負けない。
「私も、今なら、きれいなあなたにだまされたりしなかったわ」
「……きれい?」
「ええ」
「だれが?」
「あなたがよ」
「君が、だろう?」
「なにが?」
「きれいだったのは」
「あなたよ」
 ドロシーはちょんと肩をすくめた。
「天使が、もう私を迎えに来たのだと思ったのよ。始めて、あなたとあの教会で会ったときには」
「迎え、に?」
「私は、死の国を望んでいたでしょう?」
 なんでもないことのように言うドロシーに、カトルは眉根を寄せた。ドロシーは、馬鹿ね、と笑う。
「冗談よ」
 ほっと胸をなで下ろしたカトルに、
「今は、ね」
 笑ったまま言うから、なかなか質が悪い。
「未だに怯えているあなたよりは、ましでしょう?」
「あまりに似た条件が揃って、少し、動揺してしまっただけだよ」
「そう?」
「そうだよ」
 あのときは、怖れていた。たったひとりを、特別に、強く想うことを。
「今のあなたは、自分の気持ちを認めるのを怖れていないの?」
「そう言う君はまだ、言葉の持つ力を否定するかい?」
 カトルがなにを言いたいのかすぐ気付いたように、ドロシーは眼差しをそらした。カトルを見ない目は、窓の外だけを見つめた。見つめた外に、もう雨は降っていなかった。
 そういえば、雨音が消えている。
 消えていることに、二人して気が付いた。
 もう、雨は上がっている。
 降っていたのは、過去の、話だ。
「なんだか今の僕たちは、過去の話ばかりしているね」
 確かめようとしているのは、過去、口にした言葉の意味ばかり。
 過去は、必要だろうか?
 不必要なものではない。でも。
「記憶なんて、ずいぶん曖昧なものよ?」
 窓の外を眺めたまま、ドロシーはそんなふうに言いながら、くすくすとおもしろそうに笑った。
 そう、曖昧なものだから……。



 では、曖昧でないものにするには、どうしたらいいんだろう。
 今の話を、しよう。
 窓の外の、明日には取り壊されてしまう教会に掲げられた、十字架を見る。
 そのもとでは、将来を誓いあったばかりの二人が、祝福をしてくれる人々に囲まれた記念撮影を始めていた。この道何十年、というふうに見える老カメラマンがカメラを覗く。
 よたよたとしながらもなんとか反射板を抱えて助手を務めているのは老カメラマンの孫だろうか。柔らかな雰囲気の中で撮影は柔らかに進んでいく。
 その景色に触れたいように、ドロシーは窓の硝子に、そっと触れた。爪が当たる、かつんと、音がした。
「ドロシー」
「なあに、カトル」
 見ているのは窓の外ばかり。真新しい教会に響くのは、二人の声、ばかり。

『なあに、カトル』

 かつん、と硝子を叩く。整えられた爪。きれいな、指。
 カトルは、息をのんだ。
 のんだ息で再び呼んだ名前にドロシーが振り向く。
 振り向いたドロシーに、口接けた。
 まだ、雨の香りがする。
 君の、香りがする。
 すぐそばで、吐息が言葉を紡いだ。
「僕は君を、とても強く想っています」
 これは、あのときと同じ告白。
 ドロシーが、少し、笑った。
「あなたが、私を……」
 これも、同じ台詞。
 その台詞を、カトルが遮った。
「愛しています」
 ……たった、一言を。
「僕は君を、愛しています」
 口移しするように、囁いた。


 いつ思い出しても確かなものであるように。
 いつ思い出しても、確かなものでありますように。




                    おわり

↓ですがもう少し続きがあります











  ところで……の後日談
   (というか数時間後談……というか、直後談)


「え? 一発検索オッケー……ですか?」
「はい」
 はい、の後にハートマークをつけたいくらいにこやかに頷いた神父様に、カトルとドロシーは顔を見合わせた。
 神学校を出たばかりにも見えるずいぶん若い神父様は、とにかくにこやかに、
「それよりもまず、お二人の誓いに立ち会ったほうがよろしいですか?」
 あまりににこやかで、本気なのかからかわれているのかいまいち把握できない。
「当教会は明日から機能するつもりですが、今日からでも、ぜんぜんかまいませんよ」
 いったいなんの話なのか、といえば。
 ついさきほど、カトルがドロシーに愛の告白をした。そのシーンの目撃者となった神父様の結婚式の勧誘だった。
「わたしはこの春からここに務めさせていただいておりますが、どなた様も伝統ある教会でのお式には、わたしのような若い神父ではなくお師様を望まれますので。どうです? この新しい教会での初めてのお式を上げられるお二人の誓いを神へ届ける大役を、この若い神父に務めさせていただけませんでしょうか」
 がぜんやる気満々の神父に、二人は仲良く一歩、退いた。果たしてこの神父様の言い分は、心から二人の幸せを願ってのことなのか、あるいは、単に自分が結婚式の初大役を務めたいだけなのか。
 ……後者だ。
 ……後者、よね。
 言葉に出さず、二人の意見は一致を見ている。
 大切な場面を目撃されてしまった上に相手が神父様では、強気に出られないのが辛い。かといって「また今度」と気軽に言うわけにもいかない。彼さえ現れなければもうしばらくいいムードでいられたはずの二人は、今、けっこうピンチだった。
 新しい教会に入ったお咎めはなかったけれど、こうなるといっそ、子供のようにお説教されたほうがましだったに違いない……多分。
「あの……それより、こちらに保存してある帳簿の件、なんですが……」
 こうなったらあからさまだろうがなんだろうが話を変える。……正確には「元に戻す」だ。
 そもそも、現れた神父様は始め、こう言ったのだ。
『なにか御用でしたか?』
 と。
 だから尋ねたのだ。
『来訪者が記帳をしていったこちらの教会の帳簿を見せていただくわけには、いきませんか?』
 と。
 そもそも、それが目的でやってきた地球の地だ。
 そうしたら、
『お名前がわかれば、きちんと管理しておりますので、すぐにその年代の帳簿をお出しすることができますよ』『それは、ありがたいです』
『はい、そんなふうに喜んでいただくために、頑張って一発検索オッケーにしてみました』
 と、いうわけで。
「あ、そうでしたね、帳簿でしたね」
 とてもわかりやすく暗黙に話を変えられた神父様は、がっくりと肩を落とした。当分、自分に式の大役が回ってくることはないらしい。
「では、お名前をうかがえますか? お身内の方、ですよね、お捜しなのは」
「ええ、母が、いつここを尋ねたのか知りたくて」
 カトルは母の名を告げた。念のため、神父様の差し出した用紙に名前をメモをする。
「では、そうですね、それでも少し時間がかかってしまいますが……あ、どんなにかかっても三十分もあれば、はい、ここで待たれますか? 先に、お茶でも持ってきましょうか?」
「雨も上がったし、外にいても、かまいませんか? 探してもらうの、大変かな?」
「いいえ、わたしどもには庭のようなものですから、敷地内でしたら、お捜ししますから、どうぞ」
 招かれて、カトルとドロシーは教会を出た。一見平静を装いつつ、二人とも、実は逃げるように出た。
 若い神父様は一礼すると二人から離れていく。
 離れていったのを確認して、安心した。
「きっと、あの神父様が、帳簿、持ってきてくれるんだよね」
「そう、ね」
 二人、顔を見合わせる。
 どうしても式を挙げたいらしい神父様に、どうしてもとまた話を振られたら、さて、今度はいったいどうやって逃げたものか。
「あなた、そういうの得意でしょう? あたりさわりなく適当にあしらってね」
「やっぱり僕って、そういう人間なのかなあ」
「なにを今さら」
「あ、ちょっと傷付いた」
「どうぞ、好きなだけ傷付いてなさい」
 意味ありげな笑顔で、じっと見られて、カトルはきょとんとする。こんなドロシーはいつでもなにかを企んでいて、そしていつでも、カトルにはその企みは読めないのだ。
 今度はなにを、企んでいるんだろう……。
 諦めて、降参する。
「なに、企んでるんだい?」
 ドロシーはごまかすように肩をすくめた。そうして、明らかに、カトルの質問には答えない。
「思ったよりずっと早く帰れそうで、よかったわね」
「ドロシー……僕の質問に答える気、ないんだね」
「思ったことを、思ったまま言っただけよ」
「あ、そう」
「ええ、そう」
 絶対になにかを企んでいるはずなのだけれど……読めない。やれやれ、とカトルは吐息した。とりあえず、ドロシーの質問に、答える。
「……そうだね、なんだか、もう母の名を帳簿に見つけた気分で、ちょっと気が抜けちゃったかな」
「明日、教会の取り壊しが済んでしまったら、それ以降の滞在理由がなくなってしまうわね」
「君は楽しそうだね」
 ちょっと恨めしい気分で呟いてみた。
 ドロシーは晴れ晴れしい。
「ええ、楽しいわ」
「僕、帰っちゃうんだけど」
「そうね。嘘をついてまで、あなたは休暇を伸ばしたりはしないわね。真面目な人」
「……本当に、楽しそうだね、ドロシー」
 そのカトルのがっかり度は、さきほどの式を断られた神父様に匹敵する。
「だから、楽しいわって、言っているじゃない。あなたは、そうやって傷付けばいいのよ。誰よりも優しいあなたは、誰よりも自分に厳しいあなたに、どんどん傷付けられる。私には止められやしないもの。でも」
「……でも?」
 でも? と言ったカトルは、誘導尋問に引っかかったような気分だった。おそらく、ドロシーはきちんと、言葉を用意しているはずだった。
 そう、用意している。
「私は、あなたを癒せるわ」
 そうでしょう? と念まで押されてしまった。
「だからあなたは、これからも安心して傷付いていればいいのよ」
「……安心して……ね」
 安心して傷付く。
 ドロシーは相変わらず、カトルの持たない言葉を平気で使う。
「君はすごいね」
「ええ、だから安心できるでしょう?」
 これでもか、と向けられる言葉に返したカトルの笑顔は、偽りでも、おざなりでもなかった。
 向こうから帳簿を抱えた若い神父様が、もう、やってくる。もう少し気を利かせてゆっくり現れてくれてもいいのに、と二人、顔を見合わせた。



                    オワリ



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