〜 月、ゆらり 4 〜





「どうしてほしいか、言えよ」
「好きに、していい……ってば」
「誘ったのおまえだろ」
 靖宏は制服の由羽を見下ろす。由羽は目が合った靖宏から、目を、背けたくないように、背けた。
「さっきから、なんか言いたそーじゃん」
「……別に」
 ふうん、と靖宏は由羽の背けたあごを取って、キスを、した。
 由羽が、驚いた顔をする。
「なんだよ」
 すぐ、傍で。
「もっと……」
 由羽は靖宏の襟元を引いた。
「もっと、して」
「キス?」
「うん」
 由羽に触れた唇が、また、触れる寸前で笑った。
「さっきから言いたそうにしてたの、これか」
「だって」
「今さら、俺の彼女にでも気兼ねしてんの?」
「一応」
「今さらだろ」
「……だって」
「なんだよ」
「特別、な気がする、から」
「キスが?」
「うん」
「……そうか?」
 今こうしていることとなにが違って、どう特別なのか。
 靖宏にはよくわからない。この状況で由羽の持論を聞く気もなかった。
「おまえ、修羅場する気あんの?」
 例えば、靖宏の彼女と。
「ないよ」
 あるわけがない。
「……んじゃあ、別になんでもいいじゃん」
「いいんだ?」
「いいんだろ?」
「……うん」
 そう、別に、いい。
 由羽には関係ない。この部屋の外の靖宏に、興味はない。
 部屋の外の靖宏は彼女のものだ。
 でも、ここにいる靖宏は、
「わたしの、だ」
「そーだな」
 愛も、恋も、ない。
 そんなもの、ない。あるわけがない。
 あるのは、手に触るのは、唇に重なるのは、由羽にとっては、靖宏、と言う名前のひと、であるだけ。
「……っん」
 深く重なった唇の奥で、絡んだ舌に背筋が痺れてぞっとした。行為の後ろめたさに震えたのではなくて、素直に、行為そのものに震えた指先で靖宏の腕を掴んだ。掴んだ、腕が、
「や……いや、邪魔……っ」
 上着も、シャツも。
 唇を、離す間も惜しんで服を脱いだ。
 ざわざわと、布の音。
「……は、っぁ」
 がさがさと、息の、音。
 靖宏の手は少し荒れていて、たまに、由羽の肌を引っ掻いた。でも、それも由羽の声になる。
 肌をさらした由羽をあらためて見下ろして、靖宏は息を飲んだ。
 細い首筋から胸を辿って、下腹を撫でた。そこで過剰に反応した由羽に、
「ここがいいんだ」
「……ん」
「ちゃんと言えよ。いいようにしてやるよ」
 おかしそうに、
「やって欲しいように、やってやるよ」
 わざと意地悪そうに笑ったから。
 由羽は靖宏の耳を引っ張った。
「なんだよっ」
「なんか、キャラ、違うっ」
「おまえもだろ」
 下腹に靖宏は舌を落とした。
 由羽は誘うように足を開く。
 また、笑った靖宏の息が、熱く触る。
「舐めろ、って?」
 指で、さらに下部をなぞられて、由羽のからだは波打った。
「っあ……っ」
 指が、遠慮なく柔らかな部分を割って入り込む。
 由羽は少しも、漏れる声を我慢しようとしなかった。眉を寄せ、切なそうな顔をして靖宏を煽った。靖宏が生み出す感覚に逆らわずに身を任せる。
「おまえ、そーゆう女なんだ」
「……そ、ゆう、って……?」
「こーゆう」
 入れ込んだ指を大きく動かされて、悲鳴を上げる。
 跳ね上がった腰を、靖宏が押さえ付ける。
 こういう、女なんだ?
「……ら、ない」
 もう整わなくなった息で、
「他人の評価、なんか、知らない……っ」
「そりゃ、そーだ」
 靖宏に中をいいように弄ばれて、ときどき、呼吸困難のように大きく息を吸い込んだ。
 開いていた足を、靖宏がさらに大きく開いた。指でこじ開けたそこに、ぬるりと入り込まれて、由羽は我慢できずに大きく首を振った。
 熱いのは、靖宏の息。
 入り込んだのは、舌の、感触。
「や……っん、あ……っあっ」
 つま先まで感覚を支配される。
 この、感覚の中に、ずっといたい、と思う。
 だって。
 だって、優しくしたいのにできなかったり、なにか嫌なことがあったわけでもないのにいらいらしたり。
 そんなのとは違う、から。
 感じるままに感じているような、そんな気がする、から。
「……あっ、ああっ」
 靖宏は由羽を追い立てる。
 やがて、由羽は、きつくシーツを握り締めた。押さえつけられていた腰がそれでもがくりと痙攣して、かと思うとずるりと、立てていたひざを落とした。荒い呼吸を繰り返す。
 浮かんだ涙は、別に、終わりを見たから、じゃない。ずっと漂っていたかった感覚の中から追い出されたからじゃ、ない。
 だって。
 だって、まだ終わらない、でしょ?
 頬にかかった長い髪を払おうと伸びてきた靖宏の手を掴んだ。
 靖宏がそうしたように、由羽も靖宏の首から胸へとなぞった。そのまま、靖宏へとたどり着く。躊躇わずに触ると、靖宏は眉をひそめた。
 靖宏がそうしたように、由羽も、
「舐める?」
「嫌」
 靖宏は苦笑する。
 おもしろい、と思った、と後で言う。
 由羽はただ靖宏が欲しいだけだ。手に触れたそれが欲しいだけだ。
 反応も思うことも欲しいと乞う姿も、どれも隠さず素直で、おもしろい。
 だから。
 じゃあまあいいか。
 そんな顔をした。
 本当にそう思ったのかは靖宏にしかわからない。ただ、からだはとっくに、由羽の手の中で馬鹿みたいに正直に反応していたし。
 再び加えはじめた愛撫にからだを揺らし声を漏らす由羽は、悪くなかった。
 悪く、ない。
「……おい」
 念のため取った了承に、
「…………ん」
 由羽は縋りつく。
 力なく開いたままの足に手がかかる。
 体重が、かかる。
 触れ合って重なる重みに由羽は爪を立てた。
「……ん、んんっ」
 靖宏の体重が、
「っふ、あ……ぁああっ」
 体重が、かかるその途中で上げた悲鳴が。
「おい……?」
 その悲鳴の理由を、
「おまえ、まさか初めてじゃ……」
 ぎょっとして腰を退こうとする靖宏を掴んだ。
「違……っ」
「だって、おまえっ」
 悲鳴は、痛み。
 痛い、痛い!
 引き裂かれるような痛みは、処女、だから?
「そ、んなわけ……ない、でしょ!?」
「じゃあなんだよっ」
 靖宏の声にも、その振動にも痛がるのに。
「いい……から、きて」
「だけど」
「別に……」
 痛みに、眩暈がするように、由羽は細く、息をした。
「辻君、別に、恋人としてるわけじゃない、んだよ……?」
 だから気遣う必要なんてない。
 そんな必要、ない。
 ち、と靖宏の舌打ちが聞こえたような気がしたけれど。
 靖宏を受け止めた由羽の声で、よく、聞こえなかった。


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