指定された飛行機の到着した場所には、乾いた砂っぽい風も、日干しレンガの建物もなかった。海の匂いがする。排ガスの匂いもする。だけれど、なに不自由ない生活のできる場所だった。
他国に遠征に出たまま行方不明になった娘に、家族は優しかった。
もとの生活には、すぐに慣れたつもりでいた。でも、
「リン」
呼ばれて振り向くと、お母さんは仕方なさそうな顔をしていた。「鈴花」と呼んでも返事をしないので「リン」と呼んでみたようだった。
気分転換に連れていってもらった美容院では、結局、毛先を揃えただけだった。切ったら結えなくなる、そう言ったらお姉ちゃんは、別に結わなくったっていいじゃない、と言った。
食事の時間は、いつまでたっても辛かった。どうした、好物だったろ。お父さんが言うけれど、ぜんぜん、おいしいなんて思わなかった。だから……。
だから。
◇
相変わらず長い夏の、暑い日だった。二年ぶりに戻ってきた村には、今は当たり前のように水路が造られていて、白い小道のように村中に網目模様が広がっていた。川では子供たちに混ざって、いい大人も何人か水浴びをしている。
そんな風景を見なから自分の家に向かっていて、ふと、足を止めた。足元に、なにか見慣れたものが落ちている。拾い上げると、チリリンと音がした。背中のほうで、聞き慣れた声がした。
「なーんでなくすのさ」
「だって、ひも、切れちゃったんだもん仕方ないでしょ?」
「だからさ、ひもが古くなってるんだから気を付けなよって言ったじゃん」
「うそ、いつ言ったの?」
「言った言った、ぼく聞いた」
「だいたい、あれ、特注で高いんだよね? せっかく向こうのお父さんが毎年一個づつ誕生日ごとに送ってきてくれるんだから、もっと大事にしなよ。オレだったら泣いちゃうよ、遠くに預けてる娘がこんなんだったらさあ」
チリリン、と音がした。
鈴を拾って最初に足を止めたのが、ユワン。
その後にやってきたのがヨウシュとチェンチーと、リン。
四人、対面して、じっとユワンの手の中の鈴を見る。
そう、確かにこの鈴だ。
「なんで……」
ユワンが驚いて落とした鈴にヨウシュとチェンチーが飛びつく。
ユワンは鈴にも、鈴に飛びついた弟たちも目に入らない。気になるのは、リンひとりだけだ。
リン。
そう、確かにリンだ。
「帰ったんじゃ……」
戸惑う声に、リンは笑う。
「帰ったよ。ちゃんと帰った」
この二年でユワンの身長はずいぶん伸びていた。見上げる角度が変わっていた。
「でもやっぱりここがいい。言ったでしょ? 自分の居場所は自分で決めるって。わたしはここにいたくて、ちゃんと、わたしがここにいるって決めた。駄目?」
リンの髪もずいぶん伸びていた。相変わらずまとめないままで、風になびく。
「ユワン、駄目でも、もう、帰れなんて言わないで。わたしはずっとここにいる。それがユワンの望んだわたしの幸せだよ」
「……違う」
「違わない。わたしはみんなと、ユワンの傍にいる」
傍に……。
風がリンの髪を揺らすのを、ユワンは見ていた。夢でも見ているような顔で、見ている。
「ああああああああっっ!」
ヨウシュが二人の足元ですっとんきょうな声を上げたて、ユワンははっとする。はっとしたユワンをリンが笑う。
その笑顔さえ、夢だと思う。
……夢を、ヨウシュの大声がかき消した。
「鈴っ! 十七個しかないっ。ひとつ足りない! 兄さんもリン姉も探して、早くっ」
早く早くと急かされて、チェンチーも一緒に四人で鈴を探す。そのうちに、なにやってるの? と子供たちが集まってきた。みんなで一緒に探す。見つかったかい? と大人たちは微笑ましそうに声をかける。
やがてユワンが小さな銀色の鈴を見つけた。
小さな鈴を、確かめるように握り締める。
握り締めるユワンを、リンは見つめた。
「ユワン、わたしはここにいないほうがよかった? ここにいて、ユワンの期待を裏切った? ユワンの期待はまた裏切られた?」
リンの差し出した手の平にユワンは鈴を返そうとして、そのまま、リンの手を掴んだ。その柔らかい感触に驚いたように、
「……リン?」
姉さん、ではなく、リン、と呼んだ。
今度はリンが、驚いた顔をする。
「リン……」
リン、と呼ばれて、
「なあに?」
「本当に、リン?」
「本当に、わたしだよ。そんなに疑うほど、わたしにいてほしくなかったの?」
「……じゃなくて、いつもの夢の続きかと思って」
意外な言葉にリンは小首を傾げた。
「夢?」
ユワンはなにも望まないと言っていた。夢に見るほど強く思う事はないと、言っていた。
「わたしの、夢? 本当に?」
疑わしそうに、けれど嬉しそうにリンが笑った。ユワンも、笑った。
「本当だよ」
笑うユワンに、チェンチーがおかえり、と抱きついた。ヨウシュも抱きつく。
二人を抱えたまま、ユワンはリンの手を引き寄せた。
リンの鈴が、チリリンと鳴った。