〜 番外編3 〜




 それでも、サカエとユイの勉強会は続いていた。
 相変わらず砂場に座り込んでいるふたりに、まーいいけどね、とリュウは投げやりに思う。
 ユイをまだ高校へ行かせる気があるのかないのか知らないけれど、とりあえず、リュウにユイを近付けない手段にはなっている。
「……いらねーよ」
 とリュウは誰にともなく呟いた。
 サカエはリュウがユイを抱いているのを知っていた。いつ知られたのだろう。いつ、見られたのだろう。
 ち、と舌打ちする。
 冗談じゃない。自分が腰を振っている姿を誰かに見せる趣味はなかった。ユイをツレにマワしてやったときだって、リュウは一緒にヤる気にはならなかったし、実際、やっていない。それを、弟に見られていた。知られていて、今さらユイを抱く気にはならなかった。
「あ、リュウくんだよ」
 リュウに気が付いたユイが、いつものように砂場からひらひらと手を振ってきた。
 その隣で、サカエはチラリと顔を上げただけだった。「おかえり」と口を開くことはない。にこりと笑うこともない。……睨んだりもしない。どうでもいいみたいに見るだけで。
「……冷えてねーし」
 なんだかひとりごとの多い自分に気が付いて、リュウはふたりに背を向けた。灰色の空を見上げて、ひとりごとのついでにまた、呟いた。
「誰かヤらせてくんねーかなあ」
 一度だけ、立ち止まって公園を振り返った。
 めんどくせえ、と思う。
 ユイならいつでもヤれた。それくらいしか使い道がないくせに。じゃなきゃ、誰があんなヤツの面倒を見るのか。果たして今さら、自分で自分を慰めるくらいで満足できるのか。そんなことで、この相変わらずのイライラが解消できるのか。
 ……そもそも、なぜ苛々しているのか。
 結局わからないままなのでまた苛々する。
 だから、誰かヤらせてくれねーかな、と思う。苛々を解消する方法を、ほかに知らない。
「サカエはユイでマスかけるってかぁ?」
 うっかり想像したらすっかり自分のものに触る気がなくなった。
 苛々が、治まらない……。


 学校が終わってからの時間に、リュウがユイと接することはなくなっていた。
 学校にいる間の距離は以前と変わることはなかったけれど、学校にいる間のリュウがユイに手を出すことはない。というのはサカエの計算の内のようだった。
「リュウくん、リュウくん、あのね」
「……なんだよ」
 学校でのユイは相変わらずだ。サカエがここのところすっかりリュウを敬遠しているのをまるで知らない様子で、平気で傍に寄ってくる。
 放課後になったばかりのざわめく教室の中で、寄んなよ、とリュウは心の中で毒づいた。
 なんだか知らないけれど、とにかく寄るなよ! と思う。
 場所も構わずヤりたくなるから、とか、サカエが面倒くさいから、とか、ではないのだけれど。
「リュウくん?」
 机の向こう側から覗き込んできたユイに、リュウは飛び退いて椅子から立ち上がった。
「なんだよ! さっさと帰れよおまえはよ!」
 飛び退いてしまったのをごまかすように怒鳴っても、ユイはキョトンと首を傾げるだけで。
「うん、もう帰るけど、あのね」
 ユイの下校はいつも女友達と一緒だった。ユイはユイを待っている友達にひらひらと手を振りながら、
「でも、リュウくんにお客さんなんだよ?」
「客ぅ?」
 なんだそりゃ、と思いながらユイの振り返った場所を見た。
 二年生の赤いバッチをつけた女生徒が立っていて、目が合うと恥ずかしそうにして慌ててペコリと頭を下げた。
「おおー、コクハクタイムじゃん」
 からかうクラスメイトに、バーカ、と返して。
「……ふーん」
 こりゃいいや、と意地悪く心の中で呟いたことなど女生徒は知らない。
 だけれど、リュウもまた知らなかった。リュウの苛立ちは、ここでピークに達する。
 ……呼び出されたことに苛立ったわけじゃない。赤くした顔を俯かせた彼女が、人気のなくなった場所で自分になにを言うのかなんて、わかっていた。こう見えてもこういったシチュエーションには慣れている。特にリュウは年下にウケがよかった。
「あの、わたし、ユイ先輩が羨ましいです」
 年下の彼女たちは大抵、そうして話を切り出す。
「ユイ先輩みたいに、リュウ先輩の傍にいたいです」
 ユイのように守られたい、と。ユイのように時には容赦なく怒鳴られることがあっても、それでも、それすらも羨ましいのだ、と。仲の良い証拠だ、と。
 校舎に背を預けて相変わらず俯いたままの彼女に、リュウも悪い気はしない。が。
「ソバに、ねえ」
 呆れたような溜め息と一緒に呟いた言葉に、彼女はますます俯いた。泣きそうな顔をしたのは、リュウの返事を予想したからだ。……とっくに、予想していたからだ。
 リュウにはユイがいる。だから、他の誰とも付き合わない。今までも、これからも。
 そんなふうに、本当は最初から諦めている。諦めて、いたのに。
 リュウの沈黙に、彼女がうかがうように顔を上げると、すぐ傍に、リュウがいた。
「先輩?」
 どうしたんですか? と小首を傾げると、リュウも真似て傾げる。その仕草に彼女が小さく笑った。
 リュウは彼女の肩口に、自分の額を押し付けた。
「せせせせ先輩……!?」
「……静かに、してろよ」
「でも、あのっ」
 おろおろとして彼女が上げた手を取って、校舎の壁に押し付けた。もちろん、そのまま無理矢理に先に進んだりはしない。悲鳴でも上げられたら面倒だ。
 そのまま……しばらくそのままでいる。すると。
「先輩……?」
 彼女の手が、リュウの髪を撫でた。
「どうしたんです?」
 母にでもなったつもりなのだろうか。リュウは笑い出したいのを堪える。甘えてくるリュウを甘やかすのは、大好きな人を心配しているからだ。でもそんなこと、リュウにはどうでもよかった。のそりと、動く。
 抱き締めても、首筋に唇を押し付けても、彼女は一瞬からだを強張らせただけだった。セーラーの裾から手を差し入れても、きゃっ、と恥ずかしさに小さく口にしただけだった。
 恥ずかしい、だけなのだ。それ以外の抵抗はない。そのうちに自分から抱きついてくる。
 都合が、いい。
 かわいい顔をしてても、もしかしたら慣れているのかもしれない。……初めてでも、リュウならいい、とでも初めから思っていたのかもしれない。それとも、こちらの思惑通りに、リュウがなにかに疲れていて、なにかに甘えたくてしかたがないようにでも見えたのだろうか。
「……カンタンじゃん」
「え?」
「べっつにぃ」
 別に、なんでもかまわない。
 互いが合意すれば、あとは、性急な時間が訪れるだけだ。
 セーラーを脱がせるのなんて慣れている。脱がせなくても、やり方なんていくらでもある。
 リュウはすぐに彼女の素肌に到達する。その感触。その、体温。冬の外気にさらされて氷のように冷たいのに、すぐに、奥から熱くなる。熱くするための、そのエネルギーを求めるように早くなる呼吸は、相手を求める声になる。
 彼女はリュウを、求めるけれど。リュウだからいいと、思っているのだと思うけれど。
 リュウは。
 彼女の足を開くことだけを考えていた。ヤれば、終わる。ヤりたいだけだ。
 ほらみろ。
 そう言うための……そう言いたいためにヤっているだけだ。
 ほらみろ。ユイなんていらない。女ならいくらでもいる。
 ユイなんて、いなくていい。
 ホックを外し、腰に引っかかっているだけのスカートの中に手を伸ばす。柔らかな太ももの感触。その奥に、触れた。
「……んっ。や………先、輩……っ」
 彼女の、声に。
 リュウはがばりと顔を上げた。
「先輩?」
 紅潮した顔で、喘ぐのに似たかすれた声で、彼女が呼ぶ。
 ぞくりと、なにかが胃から込み上がってきた。もっと、からだの中央を通るその感触なら知っている。頭の天辺から欲情した信号が流れ出ていく感触なら、突っ込んで吐き出してしまいたいだけの感触なら、知っているけれど。
 この、感触は……。
 気持ちが悪い。
 リュウは口元を押さえた。
 ヤりたいのに。からだは誰かを抱きたがっているのに。誰でもいいのに。いい、はずなのに。
 先輩? とかわいらしい声をかけてくる彼女に、吐き気がする。
 逃げるように立ち上がって、一度だけ、彼女に振り返った。
 めんどくせぇと思ったのは溜め息になって出て、脱いだ上着を彼女にかけてやった。
「悪ぃ……」
 心から思ったわけじゃない。どちらかといえば、謝ってもらいたいくらいの気分だ。それくらいに気分が悪い。それでも、トイレに駆け込んだときには吐き気は治まっていて、治まり切っていない昂りを自分で処理するハメになった。
「…………っ」
 手が冷たい。冷たさで包み込む。ずいぶんアノ感覚とは違った。中の……ユイの中の、アノ感覚。自分を沈み込めていくあの感覚を思い出す。ぞくりと、込み上がるものは吐き気ではない。その感触を逃さないように手を動かした。
「……く……っ」
 いっぱいいっぱいに張り詰めて、上り詰める。
「ユイ……」
 口にした名前には気が付かなかった。
 気が付かないから、だから、苛々する。
 吐き出すものを吐き出してしまっても、なにも治まらない。
 狭いトイレの中で一度イっても、二度、達しても、
「っ…………ぁ」
 手の中でそれはまた勃ちあがってくる。もやもやする気持ちまで消化できない。
 苛々して、リュウは丸めたトイレットペーパーを流すのにレバーを踏みつけた。水の流れる音ではごまかし切れないほどに、壁を、蹴った。隣の個室を区切っているだけのパーテーションはすごい音を立てた。気が治まらなくてまた蹴る。金具がミシと鳴って、安っぽいベニヤが悲鳴を上げた。
「……ふざけんな」
 蹴っても、壁に当たっても、気は治まらない。
「ふざけんな!」
 ヤれる女ならいくらでもいるのに。なんでこんなところでいつまでもマスってなきゃならないのか。
「冗談じゃねぇ」
 リュウは個室のドアを蹴り開けた。壊れたカギが薄汚れた床に落ちたのをまた蹴飛ばして、その勢いのまま教室に戻った。
「ユイは?」
 クラスメイトは、下級生に告白されたにしてはすごい形相のリュウに驚きながら、もうとっくに帰った、と返す。
「ああ、そう」
 リュウは荷物を引っ掴むと学校を飛び出した。
 ざかざかと大股で歩きながら自分の手を眺めた。ち、と舌打ちする。さっきのあの女の感触が残っている。腕はユイほど細くなかった。胸も、ウエストも、腰も。なにより、アノ声。
「感じてんじゃねーよ」
 気持ちが悪い。黙って抱かれていればいいのだ。
 ユイの、ように。
 そう。
 ユイを、抱きたい。
 サカエの事なんか知ったことじゃない。
 あの細い腕を掴んで、ユイを、抱きたい。



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