〜 番外編1 〜




 寒さは相変わらず続いていた。
 北風にうんざりしながら家路を急いでいたリュウは、近所の児童公園の砂場でサカエとユイが楽しそう遊んでいた光景に目を疑った。
 ふたりが一緒にいたから、ではない。一緒に笑っていたから、でもない。そんなのは、今までにも見ている光景だった。
 リュウが見たことがなかったのは、その先だった。
 まずサカエがリュウに気が付いた。サカエにつられてユイもリュウに気が付く。リュウは無意識に自分の領域を広げる。広げた領域にはすぐにユイがやってくるはずだった。真っ黒の髪に縁取られた白い頬を寒さに紅潮させて駆けて来るはずだった。
 バカな頭の中身はともかく、あの顔は気に入っていた。付き合いが長いから見慣れた、とかそんなレベルではなくて、よく出来ていると思う。細い華奢なからだは連れて歩くのにも抱くのにもちょうどよかった。他の女なんて知らないけれど。
 リュウはマスターベーションをするようにユイを抱いた。自分の手でする必要なんかない。生理もまだのユイは、思わず笑いが漏れるほど都合がよかった。
 今日はどんな風に抱いてやろうか。
 最近は制服を脱がせないままするのが気に入っていた。セーラー服の裾から時折のぞく肌を見ると興奮した。ユイのスカートに隠されて突っ込んだ部分が見えないのがいい。確かに繋がっているのに、
『……っん』
 ユイはリュウの腰を揺らす衝動で漏れる声を我慢するのに。見えるのはユイの白い腹だけで。
 ベッドに掛けるユイの足を持ち上げ、自分は立ったままする。ユイの腰が跳ね上がり、胸のほうへとセーラーがずり上がる。白い肌が見える。リュウは昂ったものを便所でするようにチャックを下ろして、突っ込むだけだった。
 今ではすっかりリュウに慣れたユイはねっとりとリュウに絡みつく。相変わらずの狭さに無理矢理入りねじ込むと、ユイは悲鳴を上げる代わりにシーツを握り締める。言いつけ通りユイは声を上げない。その征服感に興奮する。
「ねえ、兄さん」
 サカエの声に我に返る。サカエは砂場で手にしていた棒切れを、小さな子供がするみたいに振り回した。
「ぼくたちもう少ししたら帰るからって、母さんに言っといてよ」
「……おう」
 サカエの笑顔に無意識に返事をしていた。
「じゃあまあ、適当に帰ってこいよ」
「うん、そうする」
 普通の兄弟の会話を普通にしている自分に気が付く。なにかおかしい。
 なにがおかしい?
 歩き出して、やっと、自分の隣に誰もいないことに気が付いた。ユイがいない。
 リュウは自分の目を疑った。
 ユイが、いない。
「あのバカッ」
 バカなのはわかっている。が、口にせずにはいられない。自分の隣にいないということは、まだサカエの隣にいるということだ。ユイを見るサカエの迷惑そうな顔がよぎって慌てて振り返った。
 案の定、ユイはさっきと変わらずにサカエの隣にちょこんと座っていた。
 だけれど、サカエは、リュウが今想像したような表情をしていなかった。
 また、目を疑った。
 ふたりは、仲良く並んで、無邪気に遊んでいる。ユイはともかくサカエのそんな姿は珍しい。いつもならユイに構う素振りなど見せない。面倒見てやってんのはぼくなんだからね、とでも言いたげにしぶしぶユイと並んで歩いている姿しか記憶にない。それが珍しく構ってやっているのでユイも楽しいのだろうか。
 リュウは、自分がサカエだったら、と考える。
 ユイの面倒など見たいと思うだろうか? なにからなにまで面倒を見てやらなければなにもできないユイを、ユイよりも小さな自分が面倒見たいと思うだろうか? リュウならごめんだった。一緒にいて、間違っても、ユイに面倒を見られている、などと周りに思われるのは冗談じゃない。だからユイにはサカエにはなるべく構うなと、言ってある。
 でもまあ、サカエが構いたいのならかまわない。たまには気の向く日もあるのだろう。
「子供は気まぐれだねぇ」
 まさか、その気まぐれが何日も続くとは思っていなかった。まして、この先ずっと、今この時間から思えば気の遠くなるほど先の先まで続くことになるとは、思ってもいなかったのだ。


 その後も何日かは、放課後、公園で遊んでいるサカエとユイを見かけては、リュウは兄らしく、
「風邪ひかねーうちに帰ってこいよ」
 と声をかけた。
 ユイが、遊んでくれるサカエに引っ付いて自分の元へ来ないことを気に留めることもなかった。どういうわけかその間は、ユイを抱きたいと思うこともなかった。
 そんなふうに何日かは過ぎた。
 何日も続くと、今までとは違うはずの日々も日常になる。
 日常になる……はずだった。
 その日常に苛つくようになったのは、いつの頃からだろう。
 なにに苛ついているのかわからなくて余計に苛つくようになったのは、いつの頃からだろう。
 学校帰り、いつものように公園の脇で足を止めたリュウは、いつものふたりの姿に呟いていた。
「いい加減、あいつら、ばっかじゃねーの」
 北風が強くて風の子の子供たちだって家にこもっている。なのに寒々とした灰色の空の下で、サカエとユイは昨日も一昨日もそうだったように、今日も一緒になって笑っていた。
 ふたりして、砂場になにか描いて遊んでいる。拾った棒切れで大きななにかを描いて、立ち上がってはつま先で消していく。なにがおかしいのか大きな声で笑ったかと思うと、顔を寄せ合って砂場を眺める。ふたりが近付くと、寒さに凍って白くなった息はどちらのものかわからなくなる。
 リュウは自分が吐き出した白い息をかき消すように、右肩に引っ掛けていたリュックを振り回した。公園の柵に当たって、中に入っていた筆箱がカツンと音をたてた。そんなに大きな音ではなかったはずだけれど。
 振り向いたサカエが、
「お帰り、兄さん」
 当たり前のセリフを当たり前の顔で言った。サカエの向こうからひょいと顔を出したユイがひらひらと手を振ってきた。
「リュウくんだ。おかえりなさーい」
 そんなふたりに舌打ちしたのは、苛立ったからだ。理由なんて知らない。知らないけれど、空も灰色なら、気分も灰色だ。
 公園の柵を蹴飛ばした。すごい音がして、ユイは頭ごなしに怒られたように耳をふさいだ。その拍子に砂場に描いたなにかが目に入る。すると、たった今リュウに驚いたことなど忘れてしまう。棒切れを握り締めて小首を傾げながらサカエの袖口を引っ張った。サカエはリュウを気にしつつもユイに見向く。そのままユイに気を取られて、もう、振り返らない。
 リュウはリュックを肩に引っ掛け直した。
 ……別に、ふたりの気を引きたくてリュックを振り回したわけじゃない。……別に、わざと、振り回したリュックで音を立てたわけじゃ、ない。
「寒ぃ……」
 ポケットに手を突っ込み身を縮めると、足早に家に向った。しばらく歩いて、ふたりの笑い声が聞こえたような気がして振り返った。もうずいぶん離れた。公園も見えない。ふたりの声が聞こえるはずがなかった。


 以前、玄関から堂々と泥棒に入られたことがあって、それ以来、家中の鍵はいつでも閉められていた。あまりの寒さに半ば駆け足で帰って来たリュウは、身を縮めたまま自宅のドアチャイムを押した。母親は大抵家にいてすぐに鍵を開けてくれる。
 なかなか鍵が開く気配がない。母は外出中だろうか。しぶしぶポケットから手を出してリュックの底を引っ掻き回した。ようやく見つけた鍵を鍵穴に突っ込もうとしたとき、内側からドアが開いた。
「あら、リュウなの?」
 お帰りなさい、と顔を出した母親はコードレスの受話器を耳に押し付けていて、玄関に入ったリュウがきちんと鍵をかけたのを確かめながら、電話向こうの相手にぺこぺこと頭を下げた。
「いえ、はい、サカエだと思ったらお兄ちゃんのほうで。ええ、最近ですか? サカエが、ですか? いえ、特に変わった様子はないと思いますけど……」
 頭を下げているわりには、謝っているようには見えなかった。申し訳ない、という態度でもない。なんとなく、リュウは母親が電話を終えるのを待った。電話の内容が気になった。
「サカエのやつ、なんかやったの?」
 自分で言いながら、まさか、と思う。なにかやらかして親の手を煩わせるのはいつもリュウだ。両親がサカエに手を焼いた姿など見たことがない。サカエが両親の手を焼かせるなどと、考えたこともない。
 母親は受話器を親機の付近に戻すと、もう一度玄関に鍵が掛かっているのを確かめてからリュウが脱ぎっぱなしにした靴をきちんと揃えた。エプロンを結び直しながら、
「今の電話ね、サカエの担任の先生だったんだけど、最近のサカエ君の様子はどうですかって聞くのよ。サカエにそんな電話掛かってくるの初めてでしょう? ドキドキしながら、サカエがなにかしましたか? って反対に聞いたらね」
 母親は、まったく意味がわからない、という顔をした。
「サカエね、最近のテスト、全部百点なんですって。おかしくないですか? って言われちゃったわ」
 テストの出来がよくてなにが悪いのか。リュウには思うところがあった。
「カンニングでもやってんじゃねーかって思ってんじゃねーの?」
「え、そうだったの?」
 母親はそういう可能性にまったく今、たった今気が付いたという顔をする。これがリュウなら、言われるまでもなく真っ先に疑ったかもしれない。サカエを疑うことはない。そんな母親にリュウは腹を立てたりしなかった。リュウだって、そう思っている。
「あいつがそんなんするわけねーじゃん」
 母親を安心させるために言ったわけではない。
 事実を、言っただけだった。
 母親もこれっぽっちも心配してない。そうよねえ、と言いながら気持ちは夕食作りに切り替わっている。
「サカエはそんな面倒なことしないわよねえ、わざわざ」
 サカエは頭のいい子だ。というか、要領がいいのだろう。宿題を忘れたという話を聞いたこともないし、忘れ物もしない。テストは満点ではないにしろいつもいい点を取ってくる。満点だってよく取ってくる。それが何回か続いたからといってなんだというのか。
 以前、サカエがいつもあまりにも惜しい点数ばかり取るので、これは満点を取らないために何問かをわざと間違えているのでないですか? と言ってきた担任がいた。そう、そのときも思ったものだ。なぜそんな面倒なことをしなければならないのか、と。
「あの子にだって百点取ったり、取れなかったり、波くらいあるわよねえ」
 よその子供よりは少しは頭がいいかもしれないけれど、でもその程度の問題だろう、と思っていた。母親も。リュウも。
 いつものように父親のいない夕食のテーブルにその話題が上って、サカエは「そうだね、波くらいあるよ」と特に興味なさそうに答えた。サカエはいつも自分の成績に興味がない。
 興味がないから波があるのだろうと、思っていた。サカエにだって得手不得手な問題があるのだろうと、思っていた。母親もリュウもそれを疑っていなかった。
 サカエを疑ったことのない母親とリュウの前で、
「そうだね」
 と言ったサカエは、「そうだね」と言ったのとまるで同じ調子でこう続けた。
「でもぼく、次も百点取るから」
 最近やたらとユイに構っているのと同じ、それもまたサカエの気まぐれだと、リュウは思った。何事もなかったようにサカエは食事を続けるので、リュウも思わず止めてしまった箸を動かした。飲み込んだ味噌汁は気のせいか少し、しょっぱかった。



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