5.20(火曜日) 「五月の晴れた午後に」 副題:今日の近所の子どもたち
大荒れ風雨一過の穏やかな午後。早々と家に帰りつくと、まだ近所の子どもたちが、外で遊んでいる声が聞こえてくる。
ずいぶん日が長くなった。子どもたちは元気だ。
台所から窓を覗いてみる。そこから子どもたちが見えるかと思ったら、ちょうど、最近新築された家が邪魔になって見えない。声だけが、楽しそうに聞こえてくる。
「だーるまさんがこーろーーーーんだーーーーー」
懐かしい遊びをしている。
わたしには懐かしい遊びだけれど、今の子どもたちには、それが今の遊び、なんだろうか。
「だーーるまさんがーーーこーろーんーーーだっ」
笑い声がやまない。
元気でいいなあ、と台所に来たついでに、手を洗う。うがいをする。
子どもたちの遊びは続く。
「だーーーるまさんがあーるいた」
……はい?
うがいの終わった水をうっかり飲み込みそうになる。
……いかんいかん、年を取って耳が遠くなった、かもしれない。なにかおかしなことが聞こえた。
だるまさんが歩くわけがない。足がない。
「だーるまさんがーーーーーーはーしった」
……………………歩くなら、走るのかもしれない。
「だーるまさんがーーーーおーどった」
踊るのもいい。
「だーるまさんがわーらった」
ああそう。
「だーーーるまさんがおーこーーーった」
「だーるまさんがーーーなーいーたーー」
怒ったり泣いたり表情編になってきた。ごろがあってない気がするけれど、まあいい。
だるまさんがころんだも、ずいぶん時代とともに変化したなあ、となんだか脳みその奥のほうがかゆいようなくすぐったいような微妙な気分になってくる。
つぎのだるまさんはなにをするんだろう、とちょっともう投げやりな気分で子どもたちの声を聞いていたら、
「だーーーるまさんがーーけーたいしたっ」
……なんかもうおかしな動詞になってきた。
電話した、をすっ飛ばして、携帯するのか、そうか。現代的だなっ。だるまさんはDoCoMo派かな、au派かな、それともソフトバンクのホワイトプランかなっ???
わたしのささやかな悩みをよそに、子どもたちの遊びは続く。
子どもたちが元気で楽しければそれでいいじゃないか。わたしが子どもだった頃も、きっと、おとなたちから見たらおかしなことをしていたに違いないのだから。
わたしは自分にそんなふうに言い聞かせた、五月の晴れた午後のことだった。
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