『また、明日ね』
そう言ったのは、ナーナ。確かそんな名前の少女だった。そうしたら隣の少年が、こちらはセイといったか。とにかく納得いかないというか、そりゃずるいよとでも言いたげに、ナーナに向いた。
『ええ!? もう「また明日ね」なの!?』
『セイも、初めてナーナに会ったときそう言った』
どこが間違っているのか、と言う顔をする。
『言ったけどさあ。しかも笑顔つきだしー。おれがその笑顔もらうまでにいったい何日かかったか知ってる!? ねえねえ』
セイは指折り数えながら嘆く。
カヅカが見ていたのは、そこまでだった。見ているのがばかばかしくなって、回れ右をした。小高くなっている森を駆け降りた。ずっとずっと、全力疾走で教会まで走った。
時計はまだ動いていない。集っている人々はさらに増えていた。どういうことだ、どうなってるんだ、と文句が絶えることはない。なにもしようとせずに、文句ばかり言う人々。なにもできないくせに、文句だけは言う人々。
カヅカは彼らを愚かだとは思わない。彼らをまとめるべき者がまとめられずにいることのほうが愚かなのだ。ここは、そのための教会なのだから。
人混みを擦り抜けて教会の奥へとたどり着く。
「まあ、お姫さま。いったいどこにいらしたんですか?」
カヅカの姿を見つけて、おそろいのエプロンをした女たちが駆け寄ってくる。彼女たちをカヅカは片手を上げて制した。
「ユキナリはどこ? まだ、おじじさまたちにしぼられてるの?」
「はい、奥のお部屋で、もうずっと……」
そんなことよりもさあお屋敷に戻りましょう、という女の手を払い除けた。ミクがお願いするのも振り払って、奥の部屋に入り込む。蹴飛ばす勢いで扉を開けた。ユキナリと、ユキナリを囲むように掛けていた年寄りが一斉にカヅカに見向いた。彼らには正確には、教会の役員という肩書きがある。
「ごきげんよう、おじじさま、おばばさまがた」
「なんの用かの、カヅカ殿」
正面に掛けていた老体が、皮が落ちて細くなった目をさらに細めた。
「ええ、長さまたちが時計の止まった原因を聞き出せたかしら、と思って。新人が証言したんですってね、このユキナリが珍妙な声を上げた途端、時計が止まった、と、このユキナリが」
それだけの理由で、ユキナリは今までずっと事情徴収されていた。技術者たちは図面と首っ引きで、故障カ所を探し出そうとしているようだったが、ご老体方はこんなことでもしているしかないようだ。こんなところで、ほんの少しの証言をもとに、チンタラと。
ユキナリのほうは、下っ端なので自己主張もしなければ文句も言わない。もうそろそろ昼を回る時間だというのに、朝食も取らされていなかった。
「長さま、提案があるのですけれど」
「なんですかな」
にこり、とカヅカは笑った。ただし唇の端だけで。
ミクをはじめカヅカを追ってきた女たちはカヅカの後ろに控えている。カヅカは彼女たちに指示する。
「教会に詰めかけている人々を帰しなさい。ここにいる役員の皆様も一人残らずよ。それが終わったら、禊の用意をして」
女たちはすぐに動いた。追い出されようとする長が疑問を口にするが、カヅカは見向きもせずにユキナリに歩み寄った。
ユキナリは長を見かねて、長の疑問を口にする。
「なにをなさるつもりですか」
ユキナリは相変わらずだ。疲れた様子もない。
「おまえの疑問なんてどうでもいいからわたしの問いに答えなさい。おまえがすっとんきょうな声を上げるなんて、なにがあったの」
「カヅカ様の声ほどではなかったはずなんですが」
「うるわいわね。そこまではどんなに締め上げてもツルマも知らないと繰り返すばかりなのよ。おまえのこと告げ口しておいて肝心なところは知らないなんて、話にならないわ」
「締め上げたんですか?」
あなたには逆らえなかったでしょうに、かわいそうに、と無表情でユキナリが哀れむ。そんなこともどうでもいいのよ! とカヅカはとすっとんきょうな声で喚いた。
ユキナリは耳を塞いで吐息した。
「水が……」
言いかけて躊躇うのは、すでにユキナリも確信がなくなってきていたからだった。ほんの一瞬のことだった。だから口を噤んだまま、ご老体方にも言っていない、のだけれど。
「赤く染まった水が、流れていったんです」
「血のような?」
ユキナリは微かに眉を上げた。カヅカにとっては、それで十分だった。
「もういいわ、おまえはさっさと朝食でも片付けてしまいなさい」
早く行け、と手を振る。が、ユキナリはまったく気にせず、当然のようにカヅカの横に並んだ。お腹は減っていても、表情を造る顔の筋肉の働きはまったく変わらない。
「なにをするおつもりです」
「お浄めよ」
カヅカは、他になにをするのよ、という言い方をした。
「お浄めをするのよ、神女神さまがね」