〜 鐘の音1 〜




「やめろよ、乱暴にするなよ」
 セイはナーナを庇って二人の間に割って入った。
 押し退けられたカヅカは、自分の威厳を示すように肩にかかる髪をかきあげた。ふと、その自分の手を見る。ナーナに触れた手に、なにか違和感を感じた。嫌な、感じだ。
 ……まさか。
 そう思ったのを振り払うようにぱたぱたと身なりを正す。ついでに、思いきりセイを見下した。
「じゃあおまえが代わりに説明してくれるとでも言うの?」
「なにをだよ」
「この子が教会の時計を止めたという理由よ」
「止めるとか止めないとか、常識で考えても、そんなもの簡単に止められるわけないだろ。真に受けて、なにムキになってんだよ。ていうか、あんた誰だよ」
「おまえに『あんた』呼ばわりされる覚えはないわ」
「おれだって『おまえ』呼ばわりされる覚えはないよ。突然現れて乱暴なことして、名前も名乗れないような奴と話すことなんかない」
 セイの言い分はもっともだと思われた。でも、カヅカには通用しない。カヅカにはカヅカの言い分がある。
「理由を知ってるのなら教えなさい、と言っているのよ。鐘守り(かねもり)の身になりなさい」
「鐘守り……って、あんた、街の西のお姫(ひい)さま、か?」
 セイはぽんと手を打った。
 それなら合点がいく。
 街の西には教会を中心に、街長(まちおさ)をはじめ資産家の大きな屋敷がいくつもある。
 屋敷の当主たちが順に何年かづつ任を受けることになっている「鐘守り」は、街でも最高の名誉にあたる。それが鐘も時計も止めてしまったとあっては面目がたたない。
 ただしセイがここで納得したのはそのことではない。
 家庭教師がつくため学校に通うことがない屋敷の娘たちは、姫とかお嬢様とか呼ばれてちやほやわがままに育てられている、という噂はあながち嘘ではないらしい。高飛車だ。同じ年くらいの女の子にこうもあからさまに見下されたのは初めてだ。
「納得したついでに、話をする気になったかしら。でなくてもせめて、そこで訳のわからない顔で惚けてる彼女に、わたしの立場ってものを説明してくれないかしら」
 お姫さまが指差した先で、ナーナは確かに惚けていた。
「あんたがいきなり出てきて喚いて、驚かせるからだろ」
 カヅカの髪にまだ一枚残っていた葉っぱを取って見せてやる。
「お姫さまがこんなもの付けて、おれたちのこと、いつから見てたんだよ」
「時計の動力の水がこの小川のものだと聞いて、確かめに来ただけよ」
「確かめたってなんにもない。あるわけない」
 セイの眼差しはきつい。かと思うとくるりと後ろを向いて、大丈夫? と別人のような声でナーナを気にかける。ナーナはまた眉間にしわを寄せていて、セイは頭をかいた。
「なに? 今度はなにに困ってんの?」
 ナーナがさらに眉根を寄せるので、セイは慌てて確認した。
「そーゆう顔するのは、困ってるときなんだよね?」
 違う? と聞かれ、
「……違わない」
 たまらずに、ナーナは自分の顔を隠すように両手で覆った。
 ナーナはセイといるときのほとんどを、驚いた顔か困った顔で通してきていた。通したくて通してきたわけではないけれど、それにしても、すっかり見抜かれてしまうくらいには常にそういう顔をしていたのだ。そこまで考えたら、ちょっと、限界になった。
 だって、セイは……。
 ぼん、と煙を吐きそうな勢いで、ナーナは顔を赤くした。
「え、なに!? なに急に赤くなってんの!?」
「だって、セイが」
「え、おれ? おれがなに!?」
「セイが、困ってるのもびっくりしてるのもわかるくらい、いつもナーナを見てる、から」
 つまり、そういうことだから。
「えー!?」
 いつも? たしかにいつもかもしれないけれど、改めてしかも本人から言われるとものすごいことを言われた気がして、セイは逃げ腰で、こちらも赤面しながら大きく一歩退いた。
 その際、カヅカに体当たりしてしまったことなんて気にしない。が、カヅカの方は気にする。心の底からおもしろくない。
「いちゃつくのは二人だけのときにしてくれないかしら」
 踏ん反り返って、腰に手を当てる。
「森の中はいつだって、おまえたち二人きりなんでしょうからね」
 セイは顔を赤くしたまま、
「そーだよ、だからあんた、さっさと出ていけよ。邪魔すんな」
「思いきり嫌味で言ってるのに開き直らないでよ!」
「え、嫌味だったの?」
 どこが? とナーナとの会話ですっかり気分のいいセイに悪気なく聞き返されて、カヅカは我慢できなくなった。
「気が知れないって言ってるのよ!」
 ナーナを睨みつけて、
「なにもあるわけないですって? この子を見なさい。この壁から出られないなんて、確かに罪を負ったものだわよ。それにこの感じ……」
 カヅカは先ほど気になった自分の手を、もう一度見た。
「神女神さまのご加護のない地に追われた分際で、汚れた血で鐘の音まで止めるなんて。まして街の者と親しくするなんて了見違いも甚だしいわ! おまえもね!」
 セイを、見て。
「穢れに触れていることにも気が付かないで、騎士(ナイト)気取り? こんなところで、こんな得体の知れない子とよく一緒にいようと思うわね」
「穢れって言うな」
 セイはカヅカを見下ろした。見下しているわけではない。身長の関係でそうなるだけだ。
「そんなもんで止まる鐘なら、この先ずっと鳴らなくていいよ。だいたい、なんでいつも鳴ってんのかよく知らないし」
「神女神さまを称えているのよ。おまえ、知らないわけがないわ」
「忘れた」
 強い眼差しで、
「街を守護してくださってる神女神さまが、たったひとりの穢れとかで鐘を止めたりするわけない。そのたったひとりを、こんなところにひとりきりで閉じ込めておいたりするわけない。ここは神女神さまのご領地じゃない。神女神さまはいつも自分の領地でおれたちを守ってくれていて、だからこんな所に入り込んだおれのこと怒ってるんだとするならまだ納得も行くけど、だったらとっくに時計なんて止まってるはずなんだ。おれ、ずっと前から森に来てるもん」
 やりかけていたのを思い出して、ナーナの指にきちんとハンカチを巻いてやる。
「行こう、ナーナ」
 カヅカなんて初めからいないみたいに、ナーナに手を差し出す。
「行こう、ねえ、困った顔なんかしないで」
 ナーナは手を差し出されて、
「触っても、いい、の?」
 躊躇いながら、
「だって、ナーナは」
 ナーナには忘れられない言葉がある。
『母様もナーナも、街に入れないつみびとなのよ。私たちのことなど誰も見てくれない、誰も触れてくれないわ』
 と。
「つみびとだからダメ? ダメだと思ってて、それでいつも触ると嫌がるの? 驚くの? 一体ナーナになんの罪があるの? なんかしたの?」
 正面から聞かれて、あれ? とナーナは首を傾げた。
「知らない」
 そういえば本当に、知らない。
 セイが、おかしそうに小さく笑った。
「誰だよ、ナーナにそんなデタラメなこと言ったの」
「いつも、母様が……。でも、どうしてかは知らない」
「うん、おれも知らない。だからさ、全然おっけー。知ったときにまた一緒に考えればいいじゃん」
「一緒、に?」
「そう、一緒に」
「……ナーナと、セイと……」
「うん、そう」
 躊躇いもせずにセイが返事をする。
 ナーナはセイの手を掴んだ。
「よっしゃっ!」
 セイはガッツポーズを決めて、座り込んでいたナーナを引っ張って立たせる。その反動にナーナが声をあげた。
「あっ」
 直後に、ゴン、という音がして、おでこを押さえて再びうずくまる。
「え、あれ? ナーナ?」
 慌てふためきながら、セイはさっと青ざめた。
「壁……かな?」
 確かこの辺にあったような気がする壁に、ナーナがぶつかったのだ。そうだ、と頷くナーナの赤くなったおでこを一緒にさする。大丈夫だから、としきりに遠慮するナーナに、やがてセイは楽しそうに笑い出した。
「ナーナ、かわいい」
 語尾にハートマークが五十六個くらい付いている。正確に数えたら、もっと付いているかもしれない。
「壁の傍は危ないから、どっか他に行こうよ」
 それまで心ならずも黙って二人を見ているだけだったカヅカは、二人が歩き出すのにつられて、つい、一歩踏み出してしまった。
 セイが振り向いた。その顔は冷たくも、怒っているわけでも、呆れているわけでも、ナーナに向けるように笑っているわけでもなかった。
「着いて来るなら、努力してよ」
「努力ですって?」
「君はもうおれたちを先入観で見てるじゃないか。森にいる穢れた人間、て。でもおれたちはそんなんじゃない。ちゃんと、君の目でおれたちを見て、理解する努力をしてよ。そうしなきゃわかり合えないし、仲良くできない。そうできない相手なら、一緒にいる必要なんてない。ちゃんと見てくれる気がないんなら、二度と会いたくない」
「言い訳のつもり? そう言って逃げるの?」「おれたちが違うって言ってるんだから、違うんだよ。ほかの人の言うことなんかどうでもいい」
「馬鹿なことをっ」
「ちゃんと見てくれれば、わかることだよ」
 カヅカはそれ以上一歩も踏み出さない。セイもそれ以上言わない。もう、振り返らない。
 ナーナだけが振り返って、笑った。
「また、明日ね」 



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