・・・悪の秘密結社データ・・・
雨宮架折(あまみや かおり)
中学3年生 15才
性別 女
……は、目覚めると世界征服を企む悪の組織の一員になっていた。
「おはよう、架折ちゃん。素晴らしい朝がやってきたわね」
架折を起こしにやってきた母が、いつにも増して浮かれながらカーテンを開く。トレードマークのエプロンドレスは今日も真っ白だ。
「ああもうっっ、本っ当に、なんて素晴らしい朝なのかしら」
そのうちに節をつけて歌い出すかもしれない母は、ついでにそのうち踊りだすかもしれない。
はて、今日はいったいなんの日だったか?
架折自身も、なにかとても大切な日だと記憶していたような気がする。と、思った途端思い出して、その込み上げた感動の行方を求めて母の手を取った。
「そーだよね、素晴らしい日だったんだよね。よりによって今日この日を一瞬でも忘れてたなんて、なーんてことだったの。ありがとう、お母さんのおかげで思い出せたよ」
「ええ、ええ。そうでしょう。今日はなんといっても架折ちゃんが悪の組織……」
「そう、今日はなんていっても、叶くんに逢える素晴らしき日だったの。思い起こせば木群くん目当てで見ていたバスケット部の練習試合。あなたは北中、敵方のユニホームを着てコートに立っていた」
「もしもし、架折ちゃん?」
「ああ運命の出会い。あたしの差し出したイニシャル入りスポーツタオルを受け取ってくれたあの日から、一ケ月と十四日。逢瀬を重ねる度にあたしたちはラブラブに。そして今日、また再び練習試合であなたに逢えるのよ叶くんっ」
そう、木群陸朗(きむら りくろう)と叶礼士(かのう れいじ)。
タオルのイニシャルを変えずにすんだこれもまた運命のご縁。手を合わせて生まれたてのお日様に感謝する。
「それもすてきだけど、でも違うでしょう架折ちやん。今日はあなたが正式に……」
母の言葉はなど架折の耳には届いていない。オーソドックスな二本ラインの紺のセーラー服に着替えると、朝食をつめこんで家を飛び出す。
食卓で新聞を呼んでいた父がなにか声をかけたのたが架折は気付かない。
目標、叶礼士、ロックオン。
いざ、一路爆進。
「はい、ストップ。急いだからって、急いで試合開始の放課後が来るわけじゃないのよ」
ガツン。
学校の門をくぐろうとしたとき、なにかでかなり勢いよく頭を叩かれた。痛さのあまり涙目で振り向くと礎井亜矢(いしい あや)が立っていた。きれいな空色の傘を持っている。どうやらそれが今回の犯行に使われた凶器のようだ。
「あの、亜矢、超大親友をそんなもので殴りつける動機は?」
「ラブラブモード発動中のところ、水差すみたいでわるいけど、お誕生日おめでとう」
「へ?」
「誕生日、オメデトウ」
「…………おお、忘れてた。ありがとう」
丁重に新品の傘をいただく。なにも降水確率ゼロの晴れ渡った日にこんなもの持ってこなくてもいいのに、とは言わないでおく。これもまた友情。
「で、三日前にも逢ったはずなのに、誕生日を忘れちゃう勢いで今日もまたそんなに喜べちゃう木群氏は元気?」
架折はぶんと傘を振り回した。
「ちっがーう。叶くんでしょ、か・の・うくん。北中期待の4番ユニホーム。なになに? えー、亜矢ってば12年もあたしと付き合っててそんなことも知らなかったのー?」
「木群氏の前が緒川氏で、その前が田仲氏で、その前が涼木氏で今居氏で、小学校までさかのぼると山基氏で西打氏で神屋氏で、まだまだ続くのは知ってるけど」
「ああ、あたしの片思いという名の愛の軌跡。すべて覚えててくれてるなんてさすが我が心の友。でも今は叶くんと『両想い』なの。これまでのデータは削除してくれちやってかまわないから」
架折はどこまでも幸せそうだった。
◇
北中 123 対 南中 40
勝者 北中。
「素晴らしい試合だったね。特に最後のあのスリーポイントシュートなんて、もう完璧。さすが叶くん。見る目あるじゃん、あたし」
思い出すだけで感動の涙が溢れてくる。
架折は目尻を人差し指でそっと拭う、興奮冷めやらぬ帰り道で。
「南中の応援席で南中の制服着て、目一杯北中の応援かましてるあんたも、とても素晴らしかったとわたしは思ってるわよ」
「いやあ、そんなにほめられちやうと」
「ほめてないわよ」
だいたいあのへなちょこ試合でアツくなってたのはあんただけよ、と亜矢はさらに付け加える。
「で、今日は叶氏に誕生日のお祝してもらうんじゃなかったの? わたしと一緒に帰ってる場合じゃないでしょ」
「ミーティングとかあって遅くなるから、また今度遊園地に連れて行ってくれるって。おめでとう、って言ってもらったからそれだけで十分なんだけど。まあ今日はどっちにしてもなんにしても、お母さんがご馳走用意してくれてると思うから、帰らないと大変」
今朝の母のあの浮かれた様子を思い出す。あれは、お誕生日おめでとう、の感情表現だったに違いない。
「いらないって言ったら泣かれちやうよ」
「それもそうね」
付き合いが長い亜矢は妙に納得する。
住宅街の十字路に差しかかり、亜矢は右に曲がっていく。
「亜矢ー、傘、ありがとうねー」
架折が喚くと亜矢は手をひらひらと振った。架折もぶんぶんと傘を振って、それからまじと傘を見る。あらためて嬉しくなって、えっへっへと笑う。
いい日だ、と、たいそう気分がいい。
が、十字路を真っ直ぐ十三歩ほど行ったところで、架折は表情をどっと曇らせる事態に遭遇した。
白装束の男が五人、立ち塞がって架折の帰路の邪魔をする。ズボンもシャツも帽子も靴も、クリーム色すら許されていないようなとにかく白い男たちだ。
架折が右に避けて通ろうとすれば右に。左に避けようとすれば左に寄ってきて通せんぼする。
「……いじわるだ」
危ない、こんな奴らに関わるな。と直感が叫ぶ。
回れ右して逃げ出そうとしたとき、彼らが架折に向かって叫んだ。
「AHK第127支部長オリトの娘カオリだな。天に代わって我らSNMが成敗してくれる。覚悟!」
このわけのわからないセリフを、もしかして本当に自分に向かって言ったんだったらものすごくヤだなあ、と架折は思った。