目が覚める直前に見る夢は、いつも決まっていた。
『逃げろ、早くっ!』
そう叫ぶ誰かの声。
誰かの……。
誰……の?
1−1
志保は短大へ。真木子は専門学校へ。圭は就職で。
これから受験という人たちには申し訳ないのだけれど、進路の決まってしまった高校三年生の三学期は、卒業式までは暇なばかりだった。
そんな彼女たちが、卒業式の一週間前、卒業旅行と称してやってきたのは山奥の有名な温泉郷だった。駅から送迎バスに揺られ、その中でも屈指の旅館の前に降り立つ。古風な建物と雪景色が相まってなかなかすごい。
「う……わああ。リッチだねえ。こりゃすごいや……」
建物を見上げながら圭は間抜け面をさらして感心した。ちなみにれっきとした女の子なので、そういう顔はしないほうがいいぞ、と友人たちは思っているのだけれど、今さら治りもしなだろうから誰もあえて言葉になしない。
「ねえ……ねえねえ、本当に……ここ、タダで泊まれちゃうの? いいの?」
思わず自分の財布の中身を心配した志保に、
「親戚の旅館だっていったでしょ。お金なんて取らないわよ」
美人の真木子は「ばっかねえ」と付け加えながら、
「払えって言われたって、正規の料金なんてとてもわたしたちのお小遣いじゃ払えないわよ」
「そんなに高いの!?」
「あたり前でしょ、一番いい部屋に泊めてもらうんだから」
なにいっっ、と一同が一斉に真木子に向く。真木子はいくつもの視線をふふんと鼻であしらった。
「それくらいいいのよ。なんてったって、わたしは五年後にはここの女将になる女なのよ」
一同、キョロンと顔を見合わせて、数秒後。
「でええええっっっ、ま、真木子サンが……」
「伊野君が……女将……?」
声を上げたのは、それまでおとなしくしていた男性陣二人で。
前者が和弘。後者が慎一。
「なによ、なにか文句があるの?」
文句があるなら聞くわよ、と低くした声で言う真木子に、圭と志保はぶんぶんと首を振った。こういう真木子には逆らわないが吉。なのに和弘は正直に、
「真木子サンの若女将って迫力があ……」
「いやいや、さぞ奇麗だよ。着物姿を想像するとね、ねえ、佐々木、白井」
慎一は素早く和弘の口を塞ぎ、同意を求められた志保と圭はこくこくと首振り人形のように頷いた。それを見て真木子はすっかり機嫌が良くなった。
「そーよ、わたしが着物なんか着たら奇麗に決まってるのよ」
元演劇部部長としては、身振り手振りが大きいのがポイントだった。
「いらっしゃい真木子ちゃん」
出迎えてくれたのは、淡い紫色の着物のよく似合う超美人の女将だった。真木子の父の姉という話だけれど、なるほど、さすが血筋。
「いいなあ、真木子のところってなんかみんな美人だよねえ」
のほほーんとうらやましがる圭に、ありがとう嬉しいわ、と女将は微笑みながら、
「本当によく来てくれたわねえ」
自ら部屋へ案内してくれようとする。途中、フロントの帳簿には、友人一人づつを丁寧に女将に紹介しながら真木子が記入した。
「そっちのボサボサポニーテールが白井圭。まじめそうに見えて本当にまじめなのが佐々木志保。背の高いいい男が菅沼慎一。で、その茶髪が藤尾和弘」
たぶん……丁寧な紹介……。
「ちなみに藤尾君だけが二年なの。志保と菅沼君と同じサッカー部の後輩よ」
「二年生? あら、じゃあ学校は?」
女将は当然の質問をした。
和弘は特に悪びれもせずに、
「それなら、ぜんぜんだいじょーぶです」
「三日間、風邪で欠席ですって。サボリよサボリ」
真木子が呆れ顔で説明する。
「伯母様、大目に見てやってね」
「あら、真木子ちゃんがいいなら私はかまわないけれど? でも志保ちゃんがサッカー部なんて、勇ましいわねえ」
真木子には甘々の女将は、どうやらボールを蹴る志保の勇姿を思い浮かべたようで、
「志保はマネージャーよ、伯母様……」
「そうなの? それも素敵ね、青春って感じがするわ」
「青春ついでに志保と菅沼君は恋人同士なのよ」
「まあ、じゃあ、お部屋は一緒がいいかしら?」
「いーえ、お気遣いなくお願いしますっ」
志保と慎一は仲良くふたりして力一杯にお断りした。
「真木子っ」
志保が睨むと、真木子はつんと横を向いて、
「さ、伯母様、お部屋までお願いします」
志保を無視して女将を促す。
慎一がぽんぽんと宥めるように志保の肩を叩いた。
「佐々木、そこまで青筋立てなくても……」
「だって、このうえもう一部屋なんて、もったいないよ。贅沢だよ。それはいくらなんでもご迷惑かけすぎだよ」
「……あー、そうだね」
慎一は意外な答えだった、という顔で、
「それは、ご迷惑や贅沢じゃなかったら、いい、わけ?」
「……え?」
「え?」
「ええ!?」
びっくりしながら、志保はこっそりと慎一のジャケットの裾を掴んだ。それがもう返事で、耳まで赤くなるから、つられて慎一も赤くなる。
「らぶらぶだねえ」
見てられないよねえ、と圭もなんだか赤くなる。
そんな一行の気配を背後に感じながら、真木子は、
「ホントかしらねぇ」
口の中で呟いた。
それを耳聡く聞きつけたのは、和弘で、
「真木子サンはなにを疑ってるんですか?」
真木子は目も向けずに、
「別に」
「まさか、あのふたりがらぶらぶでないと?」
「……別に」
応えた一瞬の間に、和弘は突っ込んだ。
「それはいったいどうゆうことでしょうか、真木子サン?」
「別に! って言ってるでしょ!?」
「ムキになるとこ、怪しくないですか?」
「わたしがムキになろーとどーしようと、あなたには関係ないわよ」
「そうですかあ?」
「そうよ。そんなことよりも、あなたねえ。志保と一緒に旅行してたなんて菊ちゃんにバレたらどうするの?」
「『志保たち』の間違いじゃないんですか?」
「どっちでも同じよ『志保』が一緒ならね」
「そうですかねっと」
和弘はチラリと志保を見て、肩を竦めただけだった。それで平静を装ったつもりだったけれど……。
「あなた、わかってるわよねえ?」
「なにがです?」
「あなたの女性遍歴はキリがないからわざわざ並べ立てたりはしないけど、とにかく今はせっかく菊ちゃんに落ち着いてるんだから、取り敢えず今は彼女を大事にしなさいよ。いいわね、そんなことはわかってるわよね、もちろん」
「からみますねえ」
「わかってるわねって聞いてるの」
「……………………」
和弘はつんとして返事をしない。年下に馬鹿にされて、真木子は和弘の胸元をつかみ上げた。
「今回は菅沼君が男一人じゃ嫌だって言うから、それじゃあ志保がかわいそうだから、仕方なくオマケであなたを呼んであげたのよ。だからって、調子に乗って、志保に、手を出すんじゃないわよ」
「はいはいはい」
和弘はふざけた笑顔でホールドアップのギブアップを宣告する。
これは真木子の言い分をまるで理解しようとしていないからでは、なかった。
「でもねえ、真木子サン、そんなこと言われてもねえ」
くつくつと笑う。
その先を、言われなくても真木子は、たぶん、わかっていたから。
憎らしくて、真木子は和弘から手を離した。一行からずいぶん遅れてしまって、女将の呼びかけに真木子は駆け寄っていく。
そんな真木子の後をのんびりと着いていきながら、和弘は真木子が並んだ志保の背中を眺めた。
手を、出すなと、いわれても。
そう、そんなことを言われも、ねえ。
「……今サラだし、ねえ」
◇
「キャープテーン。風呂行きませんかー?」
部屋について早々、浴衣に着替えた和弘はタオルを引っ掴んで慎一に提案した。
男女別に二部屋もらったのだけれど、その一部屋がなんだかとにかくとても広い。ベットルームに二間続きの和室に、きちんと温泉を引いている檜の浴槽つきの専用浴室に、大庭園を見渡せる縁側に……。旅館なんて、修学旅行やグループ旅行で狭い部屋にいくつもの布団を敷きつめた経験しかなくて落ち着かない。こんな広い部屋でいったいなにをしろと言うのか。高そうな絵や壺がいくつも品よく飾ってあって、むやみに暴れることもできやしない。いや、別に暴れる気はないのだが。
「そうだな、取り敢えず……」
慎一も浴衣に着替えて、二人は旅館自慢の露天風呂へ向かうことにした。本館とは少し離れた場所にある浴場まで、からからと下駄を鳴らす。
「ところでおまえ、今のキャプテンはおまえだろ」
慎一はいつまでたっても自分のことをキャプテン呼ばわりする和弘に物申す。
「いい加減、俺のことキャプテンて呼ぶのやめろよ」
「いやー、もう癖で」
「直せ」
元サッカー部キャプテンの命令に、現サッカー部キャプテンは「とーぶんはムリですね」とお手上げのポーズで答えながら、フロント横を過ぎて行く。
ふたりと入れ違いにそこへ現れたのは、黒の制服に黒の帽子姿の警察官がひとり。
出てきた女将となにやら話を交わした後、素早く敬礼をして出ていった。後には、警官を見送る女将の不安げな表情が残った。
◇
コンコンと響いたノックに、来客を出迎えたのは圭だった。入り口はドアではなくて引き戸になっている。がらがらとした引き戸自体も、その小気味の良い音も珍しくて三人はなかなか気に入っていた。
「お圭、誰が来たの? 菅沼君と藤尾君なら入ってもらって……」
荷物の整理をしながら入り口を覗いた真木子は、次の瞬間にはもう、訪ねてきた人物に飛びついていた。
志保と圭はギョッとする。
飛びついたというのはつまり抱きついたということで。
「お、おおおお男の人だったよ」
誰に飛びついていったのかわからないでいる志保に、圭はそんな報告をする。というか、他になにを言ったらいいのかわからない様子だった。
「あー? そうなんだ?」
と、志保の返事もなにやらあやふやになる。
真木子の、舞台の上でのラブシーンなら何度も見たけれど。
それとはぜんぜん違うもので。
「ま、真木子、あの、その人、どちら様?」
邪魔をしたら怒られるかなと思いつつも、圭が勇気を出して聞いてみた。すると真木子はどちらかといわなくても上機嫌で、
「典明よ、従兄弟なの。大学の二年生」
にこにこと答えながら、典明とやらにも志保と圭を紹介した。
典明ははにかんだような、女将に似た柔らかい笑顔を絶やさない人物だった。
「ちゃんと真木子を出迎えたかったんだけどね、どうしても抜けられない講義があって。でも、母さんに部屋を聞いて真っ先に来たからそれで許してよ」
「真っ先に?」
「そう、真っ先に」
「なら、許してあげるわ」
「それは良かった。安心したよ」
ふたりの周りにふたりの世界のバリヤーが見える。
圭が、がーん、という顔をした。
「うそぉ、らぶらぶじゃないのってあたしだけえ?」
「五年たったら結婚するの」
相変わらず上機嫌のまま真木子がそう言ったのは、男性陣に遅ればせながらやってきた露天風呂の中だった。ついたての向こうでしている物音が男性陣のものだろう。
岩造りの広い風呂で、
「うわあ、本当に外にあるお風呂なんだねえ」
と、圭は真剣に感動している。露天風呂初体験らしいのでそう言いたくなる気持ちはわからないではないけれど、もう少しまともな感想はないのか、と思いながら。
「結婚って……誰と……?」
「典明とに決まってるでしょ。なに見てたのよ」
「だって典明さんって、従兄弟じゃ……」
「従兄弟は結婚できるのよ」
「でもさーあ、なぜ五年? どうせなら高校卒業してすぐとかのがかっこいくない?」
平泳ぎを満喫していた圭に、
「ばっかねえ、典明の大学はどうするのよ。わたしは今すぐ結婚したって全然かまわないけどね。まあ、五年だけ、いいよって言われたし」
「なにを?」
「演劇よ」
「演劇って、真木子、専門学校に行くんでしょ?」
「行くわよ。行って簿記とか会計とか習うのよ。愛想だけじゃ女将は勤まらないのよ」
「ハードじゃない?」
「大丈夫よ、女将やろうってんだから、専門学校と演劇の両立くらいしてみせるわ」
真木子は言い切る。志保は、すごいねえ、と言うしかない。圭はそんなことよりも、
「ねーねー、典明さんのこと、いつから好きだったの? ねーねー」
「……小さい頃からずっと好きだったわよ。でも本格的に気がついたのは中学の頃ね……ってなに言わせるのよ」
真木子の顔が赤くなる。本人はお湯が熱いせいだと言い張っているが。
「ふーん」
圭は「なるほどお」と頷きながら、
「あたしたちが知り合ったのって高校に入ってからだけど……中学かあ、どーりで真木子ってキレイだったわけだよねえ」
真顔でそんなことを言ってみる。
「コイの力って偉大だよね。志保だって高部先輩と付き合いだしたらますますキレイになったしー」
と言ってしまってすぐに、しまった、と圭は口を塞いだ。志保が高部先輩と付き合っていたのは、もう前の話だ。
ごめんねえ、と圭は志保に謝罪する。
「あら、お圭が謝ることはないわよ」
と言ったのは志保ではなく真木子だった。
「わたしもあの頃の志保は奇麗だったと思ってるわ。そうね、一番奇麗だった。去年、高部先輩が卒業するまではね。別れるとき、先輩はなんて言ったんだっけ?」
「………」
志保は俯いて口をつぐむのに、、
「『俺のこと本当に好きだったの?』だっけ? ばっかみたい」
真木子は容赦がない。志保は変わらず口を閉じたままなにも言い返さない。
……言い返せなかったのだ。
ひとつ年上の高部先輩はサッカー部のレギュラーで、でもどちらかといえばかなり補欠に近くて、だからこそ一生懸命に練習をしていた姿が好きだった。
『本当に俺のこと好きだったの?』
突然別れを告げられたのは、去年の卒業式だった。志保が持っていったスイトピーの花束を受け取らずに、
『好きだったの?』
『……どうして?』
『俺は佐々木が好きだよ。でも佐々木は、俺になにも言わないからね』
……なにも言わないから?
違うのに……。
そうじゃないのに……。
「真木子の、ばかあ……」
「馬鹿なのは志保でしょ」
やっとの言葉も、あっさり打ちのめされて。
「志保、念のため聞くけれど、今、菅沼君のこと好き? 高部先輩よりも?」
真剣な真木子に、志保はどうしてそんなことを聞かれるのかわからない、という顔で、
「好きよ?」
「本当に好きなの?」
「好きだったら」
即答。
「じゃあ藤尾君は?」
え? と返答までに一瞬の間があって、
「和弘君に、なんの関係があるの?」
「……別に」
半ば呆れたように息を吐き出して、真木子はそれきりなにも言わなかった。
◇
女性陣が風呂から帰ってくると、しばらくして慎一と和弘が遊びにやってきた。おじゃましまーすと言いかけて、思わず立ち止まったのは、
「いたい痛い、いーたーいー!!」
涙を溜めて喚いている圭に恐れおののいてしまったためだ。
「あの……なにやってるんでしょうか?」
「見ての通りよ。志保がお圭の髪のブローしてるだけ」
それ以上部屋に入ってこれないでいるふたりに、かまわないから入ってらっしゃいよと真木子は手招きする。
「……ブローって、佐々木のやりかったがそんなにひどいとか?」
「ひどいのはお圭の髪の毛よ。ほんっとにボサボサなんだから。伸ばせばいいってもんじゃないわ」
真木子は冷たい。
「ねえ圭、髪の毛切ろうよ。髪質変わって良くなると思うよ」
痛んで先の茶色くなった髪の毛と奮闘しながら、志保はそんな提案をしてみたけれど、
「やっ! これで髪の毛短かったら、あたし女の子に見えなくなっちゃうじゃん」
……そんな身も蓋もないことをなにも自ら言わなくても……と一同同時に思ったのは内緒で、
「でもさあ、お圭さん。志保先輩だってショートでも可愛いんだし、きっとお圭さんも似合うと思いますけど?」
「似合わないもんっ」
圭は慰めに来た和弘を睨み付けて、
「志保や真木子は可愛いし美人だからなにやっても似合うんだもん。あたしなんて背ちっちゃいし、髪の毛切っちゃったら中学生みたいじゃん。四月からは社会人なのに、スーツ着たって似合わなくなっちゃうじゃないのよお」
就職先の制服はめちゃくちゃ格好いいんだからねっ、と付け足す。
お圭にはお圭の悩みがあったのね、とはさすがの真木子も口には出さないが。
「ばかねえ。圭はちゃんと可愛いよ」
志保はブローを続けた、ドライヤーが軽い音をたてる。ゆっくり、丁寧にブラシをかければ、ぼさぼさの髪も背中の真ん中まで届く真っ直ぐな髪になる。
「どこが? 可愛くないもんっ」
「そういうところが可愛いんだってば」
「どーゆうところよお」
「そうやって素直にすねるところ」
「馬鹿にしてるでしょ」
「してないよ」
志保が肩を竦めて見せると、納得したのかどうか圭はおとなしくなった。
「どれ、ではオレは志保先輩の髪の毛でもブローして差し上げましょうかねっと」
なに? と志保が振り向いたときにはもう、和弘の顔面には木製の飾り物が投げつけられていた。熊、だ。北海道なんかに行ったらばっちり売っていそうな熊の置物だ。
「あに……するんですか、真木子ひゃん」
鼻を押さえながら和弘が犯人に事情を問う。
「やだ、ちょっと大丈夫? 和弘君?」
「放っておきなさい志保。そんな変態サワリ魔に情けは無用よ」
「……ひどすぎる、真木子ひゃん」
相当に痛いようだ。和弘は畳の上で悶えながら涙目で真木子を見上げる。真木子はチラリと和弘を見やっただけだった。その視線が「志保に触るのはやめましょうねえ」と訴える。和弘も負けずに「それだけの理由で熊の置物投げつけないでくださいっ」と訴えてみたが、
「手が滑っちゃって、ごめんなさいね藤尾君」
真木子は誰がどう見ても白々しく言うだけだった。
「夕食までもう少し時間があるわ、トランプしましょう。男性はテーブルの用意お願いね。志保はさっさとお圭の髪を乾かしてしまいなさい」
「……伊野君は?」
「わたし? わたしは典明を呼んでくるわ」
真木子の出ていった部屋の中で、男ふたりは首を傾げた。
「ノリアキって誰?」
トランプ大会の結果は、神経衰弱は志保、ばば抜きは圭、七並べは慎一、ポーカーは典明、大富豪は真木子、の優勝で幕を閉じた。ただひとり、なんの優勝も手にできなかった和弘は、罰として明日全員に缶ジュースをおごることになった。
「オレが一番の年少者なのに、みんなでいじめるんですね」
すでに窓の外は夜がやってきていて、テーブルの上には豪華な夕食がやってきていた。女性組の部屋でトランプに熱中している間に、男性組の部屋には食事が運ばれていた。しかもきっちり六人分が。
海の幸山の幸が山ほどで、本当にただでお世話になっているのが申し訳ないほどだったが、食欲には勝てない。それらは気持ちのいいくらいに次々と各人の胃袋へ納まっていく。
「素直に負けを認めなさい、勝負の世界は非情なんだから」
どうせ藤尾君が負けるなら缶ジュースじゃ安かったわね、もっと高いもの賭ければよかったわ、と真木子。
「あれ? でも、和弘君って誕生日いつ?」
「四月ですが」
「じゃあ圭とひとつき違いだから、別にそんなに年少者ってわけじゃ……」
志保は真面目にそんなことを指摘してみる。和弘はものすごくショックを受けたようだった。
「えええええっっ、お圭さんて三月生まれ? 一カ月しか違わないじゃん………なんか日本の教育システムってズルい」
「わけのわかんないこと言ってないで、食うか泣くかどっちかにしろよ」
「食います」
慎一と和弘のやりとりを見ていた典明が、少し懐かしそうに笑った。
「藤尾君と菅沼君は同じサッカー部なんだってね」
僕はバスケット部だったんだけどね、といつの間にか典明は会話にすっかり解け込んでいる。
「それで志保ちゃんがマネージャーなんだよね?」
「それ、もう過去型ですよ。今は菊ちゃんていう可愛い子ががバッチリ跡を継いでくれました」
「そうそう。オレのキャプテンの座も和弘が継いでるし」
ねー、と志保と慎一のふたりは息が合っている。
「あははは、仲良しだね、やっぱり」
「やあねえ典明。仲良しに決まってるじゃない、付き合ってるんだもの」
真木子は「付き合って」をかなり強調して、さらにこうも付け足した。
「藤尾君だって『菊ちゃん』と『付き合って』るわけだし、みんな仲良しよ。青春なのよ」
「えーん、彼氏がいないのあたしだけだあっ」
喚いたかと思うと、圭はなぜか出されていたビールを飲んだ。コップ一杯一気飲みで、よく飲むなあと思ったらほんとにもうかなり飲んでいて、しかもかなり酔っていた。みんなが止めに入ったときはすでに手遅れで、ばったりと後ろに倒れ込む。
「圭!?」
大丈夫!? と志保が慌てた。ただ事じゃないと思って慌てたけれど、気持ちよさそうに眠り込んだだけだった。
「んもー、なんでビールとか出てるの?」
首を傾げる志保に、真木子が、
「典明が飲んでたのよ。まあいいじゃない、別に」
「ダメです! 未成年なんだから……って、ああ! なんかみんな飲んでる!?」
よく見れば、みんな飲んでいる。しょうがないなあ、と志保は吐息しながら、よっこいしょ、と膝枕した圭の頭を撫でた。
「みてみて真木子。圭の髪まださらさら。こうやってねえ、ちゃんとブローすればキレイで、美少女なのにねえ」
「美少女って……せいぜい子役って感じだけどね」
「あー、それは内緒」
しいぃー、と志保は人差し指を唇に押し付けた。
「内緒だよ」
志保は慎一を見て微笑んだ。了解、と笑いながら慎一が応える。和弘は食事を再開することで、そんなふたりを見ていなかった振りをした。
そんなふうにして夜も更けた頃、やっと一同はお開きを決めた。
テーブルの上はとっくに片づけられていたのだが、色々話もつもるものだった。すでに熟睡に入っていた圭は、自称一番の力持ちの典明が部屋まで運んでいった。確かに典明が三人の男の中では一番体格が良かった。
「歳の差ですよね、あれは」
電気を消して布団に潜り込んだ和弘が、しみじみと言った。ぱりぱりの真っ白なシーツの感触がきもちいい。
「典明サンってモテるんでしょうね。あの真木子サンの相手ができちゃうんだから。そっか、背を伸ばすにはバスケか、やっぱり」
真剣な和弘が、慎一には少しおかしい。
「典明さんが大き過ぎるだけで、別におまえが小さいわけじゃないよ」
「キャプテンみたいに背の高い人にはわからないですよ、きっと」
「おまえなにをそんなにこだわって、ああ……そっか……」
と、慎一はそれ以上なにも言わずに黙り込んだ。和弘はすべて見透かされていたことを悟って、ふてくされたように無愛想に「おやすみなさい」と布団を頭までかぶった。
「おやすみ」
慎一も布団を肩までズリ上げる。山の中の静かな旅館の部屋の中には、妙に静かな夜が下りていた。