〜 セカイ 4 〜



 兄さんが笑っていたように見えたのは、気のせい?
 嬉しそうに、心の底から幸福そうに笑っていたように見えたのは、気のせい……?
 許さない。
 許さない、と口にする私を見て、どうして笑うの? なにがおかしいの?
 宮澤さん、ポケットから出した携帯で時間、確認して、
「メシ?」
 聞かれて、兄さんは、
「そう、ついでにみんな、下で休憩中」
「じゃ、オレも一服」
 タバコ、どこのポケットにしまったのか、探しながら、
「武司は?」
「後で」
「あ、そ」
 私、ここにいないみたいに、普通に、会話して。
 宮澤さん、私が組み立てた段ボール箱、またいだ。
「オレら、休憩済んだら、アパートに荷物、置きにいってくらぁ。武司は残った荷物、まとめとけ」
「僕も行くよ」
 兄さんの苦笑に、宮澤さん、私を見た。
「家具の配置なんて、どーせ来週の美南ちゃん次第で変わるんだから、テキトーにやっとくよ」
 私から、目、そらした。
 ……嘘。
 私、息、飲んだ。
 うそ、ヤだ。
 目、そらした宮澤さんの表情、私を……哀れんだ?
 それは同情?
 ……なにに?
 誰、に?
 バタン、と乱暴にドアが閉まった。
 ……宮澤さん、いない。
 あのときと同じ。
 ふたりのセカイに、ふたりだけに、されて。
「……兄、さん……」
 イヤだ。ここから出して。
 このセカイは狭くて息苦しい。そのうちにきっと、息、できなくなる。
 苦しいのに。
 こんなに恐いのに。
 兄さんは、笑ってる。
 カチャン、と、ドア、鍵、かけて。
 もうこのセカイに、誰も、入ってこられない。
「おまえは今でも、僕を許してない?」
 笑ってる意外は、いつもの兄さん。少し首、傾げるのも。優しく尋ねるのも。
「僕を許してない?」
 私、兄さんから、目、そらせない。
「……許そうと思ったことなんて、ない」
「どうして?」
 私、愕然とした。
「どうしてって!! 許すと思ってるの? そんなこと思ってたの!?」
「と、いうか」
 兄さん、安心したように、息、吐き出しながら。
「許されたらどうしようかな、と、思ったことはあるけどね」
 言葉が、通じてないみたいだった。
 ねえ、これ、会話になってるの? この受け答えは正しい? 
 私、一歩、下がって、踏みつけたガムテープに転ぶの、兄さんに助けられた。
 腕、掴まれて。
 掴まれた腕、振り払った。
「触らないで!」
 兄さん、肩、すくめて。ものすごく仕方のないことみたいに、
「でも触りたいんだよ」
「……な、に?」
「触りたいんだよ」
 穏やかに。穏やかに。
 朝食……家族の揃ったテーブルの光景の中にいるみたいに。
「おまえに、触りたい」
 あの朝食の光景は偽りのものじゃない。父さんと母さんと兄さんと、私と。4人、いるから。ふたりのセカイじゃないだけ。仲のいい兄妹も、甘えた妹も、演じてたわけじゃない。あの世界で私は、兄さんのただの妹、だった。
 でも、このセカイは……。
「コトコ」
 古都子。
 ………コトコ。
「……や、だ」
 兄さん、私を見下ろして。
 目の前にいる私、いつでも捕まえられる顔をして、満足そうに、自分のシャツの袖口に、唇、押し付けた。
 朝の私、思い出して。
「うん、僕もするよ」
 唇を押し付けたシャツの腕が、私をまた掴んだ。
 僕、モ……。
「僕は、おまえを思い出してするよ」
 兄さん、私の指、舐める。
「……っ」
 唾液の絡まった舌の、暖かい感触に、わたし、どうして……。
「コトコ……」
「いや!」
 でも、今度は振り払えなくて、逃げられなくて、引き寄せられた勢いで唇、重なってた。
 同じ。
 あのときと、まるで同じ。
 掴まえられた両腕、びくともしない。逃げようとする唇、追いかけられて、ふいに離れた瞬間にまた、重なる。
「兄……さ……っ」
 押し退けて、退いたかかとが壁にぶつかった。
「……やだ。だめ……んっ」
 壁に力任せに押し付けられた。
 唇も。入り込んでくる舌も。荒くなる吐息も。
 兄さんの手、たくし上げたTシャツの中、入り込む。
「……い、やぁ」
「嫌がってもするよ」
 手が、素肌なぞりながら、
「感じた方が楽だよ」
「ぜ、たい、いや……」
 ジーパンのベルトに手、かけられて、私、逃げる場所そこしかなくて座り込む。
「無駄だよ」
 体、隠そうとしても簡単に、ベルト、はずされた。
「感じ方はわかってるんだろ?」
 壁に押し付けられたまま、ベルト、はずされた場所から手が……。
「じゃなきゃ、なんでもう濡れてるの? いつもひとりでするのに思い出してる男、僕に重ねてるの?」
「ちが……う……あっ」
 ジーパンと体の隙間、狭い場所に無理矢理入れた手。
 そこに、兄さん、指を……。
「ん……やっ。……あ、あっ!」
「こんなに濡れてて、嫌なわけないのにね」
 兄さん、少しもためらわずに。
 私、少しも抵抗できずに、
「飲み込むのは、コトコだよ」
 入口から、指、奥へ、入る。
「ほら、飲み込んでる」
 指……自分の、指、じゃない。
「……んんっ」
「それはイイの? 喘いでるの?」
「ちが……」
「違うの?」
 残念そうに、言うだけで。
「気持ちいいんじゃないの? だから飲み込むんじゃないの? 僕はイイよ。もうすぐにここに僕が入る。考えるだけでぞくぞくする」
「あ……!」
 おもしろそうに指、動かす。
「指、動いてるのわかる? 僕の指が、わかる?」
 私の、より長い指。ぐるりと、なぞるように。つ、と引っかくように。
「いやあっ! ……あ、いや……兄、さ……」
 いや……。
 こんなのは、いや……なのに。
「なに?」
 兄さん、満足そうに。
「いやなら、本気で抵抗しなきゃ」
「い、や……ん」
「そう?」
 指だけで支配されて、会話に意味、なくなる。
 ……支配されるの、に。
 だって……。
 声で、指で、支配されるの、慣れてた、から。
 いつもいつも、夢の中で。欲しいものが欲しくて。欲しくて、望んで、手に入ったと思うと、目が覚める。
 ……夢。
 ただの夢。
 欲しいもが手に入った夢。
 でも、目が覚めた現実に欲しいものはない。
 欲しいものを求めて火照ったままのからだ、自分で鎮めるしかなくて。せめて、目を閉じて、思い出した声に……。
 欲しいもの。
 欲しい声。
 欲しい、人。
 目を閉じないと、現れなくて。
 だから、目を、閉じる。
『コトコ』
 閉じたら、聞こえる声。
『僕を感じる? 僕が、わかる?』
「……ん……んんっ」
 飲み込む声は、目を閉じると吐息に変わった。
 無理やりされるのが辛くて目、閉じたのに。
 私の、吐息……。
 目を、閉じただけで。
『いい……?』
 声が……。
「コトコ」
『コトコ』
 誰の、声?
「………う……んっ。あぁ……」
 ……声……。
『声、出して』
 ……声。
 いつもの?
 でも、私を責めてるのは、私の指……じゃない。
 だけど。
『コトコ……コトコ。おまえしか好きじゃないよ』
 声は、いつも私に指示する声。
 確かにその声だったから、
「ほんと?」
 目を、開けると。
 目の前にいるのは、兄さん。
「ほんとうだよ」
 ……兄さん。
 他の、誰でもない。
 他の誰かで、あるわけが、ない。
「……兄さ、ん……」
 からだの奥。
 奥に、私が感じてるのも……兄さん。
「コトコだけを、愛してる」
「……あ、……んっ」
 兄さんの、声に。
 言葉に。
 指の、動きに。
「んんっ………っ!」
「そのまま感じて、イって。コトコのいい顔、見せて」
「兄……っ」
「うん」
「兄さ……」
「うん、おまえにそうやって呼ばれると、見て、鳥肌が立つ」
 本当にそうなのか、私、もう見えなかった。
「おまえだけが、世界中でひとりだけ、僕のことをそう呼ぶ」
 私、兄さんしか感じてなくて。
 兄さんしか、感じたくなくて。
 だって。だって……。
「……ん……いく……」
「いいよ」
 気持ちがよくていい顔する私に、兄さんが、言う。
 イって、いいよ。
「……いい?」
 兄さんは小さく笑って、
「ああ、それ、かわいいね」
「……ん」
「いい? て聞くの、かわいい。うん、いいよ。いって。そうしたら次は、僕をココに受け入れて」
 優しく優しく。
「……やぁ……ん」
 背中にあった壁、いつの間にか、ない。私、兄さんにしがみついてた。
「ん、……い、く……あ、あ……兄……っっ」
 私、兄さんを感じてた。
 兄さんだけを……。


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