〜 ヒョウメン 5 〜



 そんなふうに、達して、まだ荒い息を繰り返す僕と、君が。
 引き抜いてもまだ元気な僕に、君が顔を赤くする。ダメ、とは言わないから、また、抱き締めた。
 ……キリがない。
 君としたいと思うのは、ただのからだの生理現象だと思うけれど、君を知って、次も、また次もと君を望む気持ちは、ちゃんと、君を好きだと思う気持ちの延長線上にある。……あるよ。
「一番初めは、君を見つけただけで満足だったのに」
 とりあえず、済んだ行為に満足して、ぽろっと口にすると、君は疲れた眠そうな目でキョトンとした。
 そういえば、口にしたのは初めてだった、かもしれない。
 君はベッドの中で、ごそ、と動いて、素肌のまま擦り寄ってきた。……あ、それはちょっと、もう。
「アヤ……、タイム」
「たいむ?」
 なにがタイムです? と、とろんとした目でさらに擦り寄ってくる、から。
「待った、待った。今日はここまで」
 僕は飛び起きて、その拍子に剥いでしまったシーツを慌てて君にかけ直した。あはは、と君はあくび混じりに笑う。僕は君に、脱ぎ散らかした制服を押し付けた。
「笑ってないで、とっとと服を着て下サイ」
「脱がしたのセンパイですよ?」
「半分はアヤが自分で脱いだけどね」
「だって、先輩が脱げって言いましたー」
「……はいはい」
 わざわざ背中を向けた僕に寄って来る。僕は後ろ手で君を押し退けながら、自分の着替えを手繰り寄せた。
 僕に押される君はずるずると、シーツの上を滑って、少し僕から遠ざかる。それで安心して服を着る。でも……なんだか、どうも、君が服を着ている気配がない。
 それでも僕はすっかり服を着て、学校から帰って来たときと同じ格好をして君に振り返る。
 君はやっぱりシーツをかぶっただけの姿で笑っていた。
「……アヤ」
 がっくりした僕に、
「一番初め、って、いつです?」
「高校デ、君ミタイナカワイイ子ヲ見ツケタトキノコト」
「……なんか、なんでそんな棒読みみたいなんですか」
「切羽詰ってるから」
 僕はがっくりしたまま、君を見ないようにベッドの脇に転げてあった時計を眺めた。時間を確認して、なんとなく、自宅の玄関先を思い浮かべた。
「その姿は決して、誓って、嫌いじゃないけど。むしろかなりいい感じだけど、母親が帰ってきたら卒倒するんで、服を着て下サイ」
 趣味と実益を兼ねて友人の喫茶店でパートをしている母親は、いつも決まった時間に保育園の妹のお迎えをして一緒に帰ってくる。
 君はシーツの中で、
「ねえ、あたし、いい感じ、ですか?」
「……かなり」
「どんなふうにです?」
「ふたりだけの世界なら、このまま朝が来ても、次の夜が来ても、服、着てくれなくっていいくらいには」
「…………わぁ」
 なんだか君は慌てて自分の制服までを目測して手を伸ばした。シーツの端が肩から滑り落ちると、ちらと僕を見て、目が合うと顔を赤くした。
「服っ、着ますから、ちゃかちゃか着ますからっ、あっち向いててくださいっ」
「僕が着てるとこは、ずっと見てたんじゃないの?」
「見てるのはおもしろいけど、見られるのは恥ずかしーんですぅ」
 べ、と出した赤い舌に、なんだか僕も慌てて目を逸らした。
 開いてあっただけの課題のノートを引き寄せる。問題を目で追うだけのつもりが、ふと解き方を思いついて真剣に考え込む。頭の中で答えをどうにか導き出したところで、君が、
「着服完了っ」
 背中にすごい勢いで抱きついてきた。ああ……答えが……。
 君は背中から問題集を覗き込んで、
「あたしも来年の今頃はこんな問題、解いてるんですねぇ」
 問題をじっと見て、すぐに降参したように、
「センパイは問題、解けました?」
「……今の衝撃で忘れた」
「今の?」
「アヤの」
「あたしの?」
「……抱きつかれて」
「ええ!? あたし、そんな脳みそ崩れちゃうくらい勢いよかったですか!?」
「…………じゃなくて」
「じゃなくて?」
 じゃあなんです? と擦り寄ってくる、から、かたまった僕に、
「あ!」
 君は目一杯に笑い出したいのを我慢するように、ぎゅっと抱きついてきた。抱きついてきた、というか、首、締まってるんだけど……っ。
 苦しいから、と伝えるより先に、君が笑った。
「やーだ、先輩、あたしらぶらぶですね??」
 たった今まで、さんざんすることしておいて、それでも、抱きつかれただけで、頭の中身が吹っ飛ぶくらいには。
「らぶらぶ……」
 と、呆然と呟いたのは、ちなみに僕じゃない。君でもない。
「わー、らぶらぶー」
 と、元気よく言ったのも僕じゃない。君でもない。元気よく言った声はそのまま元気なまま部屋に飛び込んできて、とうっ、と元気な掛け声と一緒に僕と君に飛びついてきた。その際、小さなその手の指が勢いよく僕の口に突っ込んだことなんて、その元気で小さいのは気にしない。
「にー」
 と、言ったのは「お兄ちゃん」の「にー」で、僕をよじ登って君に抱きつく。君は僕のことそっちのけで、その元気で小さいのを抱き上げた。
「愛実(まなみ)ちゃんだ。おかえりなさい、こんにちはー」
「あやなー、ただいまー、こんにちはー」
 君は保育園児の小さな愛実を抱いたまま、こっそりとこちらを覗き込んでいる母親に駆け寄った。
「おじゃましてます。こんにちは。というか正確にはこんばんはです」
 母親は、僕を見て、君を見て、
「……らぶらぶ?」
 今にも笑い出しそうな顔をする。はじめて彼女ができた息子がおもしろくてしかたない、といつだったかの夕食のときに言っていたので、今もきっと、多分、おもしろがっているに違いない。
 君は愛実に負けず元気に、
「はい、らぶらぶですっ。大好きです」
 よっこいしょ、と愛実を片手で抱いて、空いた片手のコブシを握り締めて力説する。
 母親が我慢できないように口元に手を当てた。明らかに、笑い出すのを我慢する。そんな母親の姿が君にはどう映ったのか、君は慌てて、
「でも、あの、タクロー先輩はおかーさんも大好きなんですよ?」
 ……君には母親がなにか悲しんでいるようにでも見えたのか。なんだかとにかく必死になって、
「先輩、ちゃんとおかーさんの言い付け守って毎日ヨーグルト食べてますし……って、あの、今日はあたしが食べちゃって、だからほら」
 少し重そうに愛実を抱いたまま、テーブルの下に突っ込んであったコンビニの袋を引っ張り出した。
「夕食後のヨーグルト、購入してきましたっ」
 ね、センパイ、と君が僕を見る。きみはなんだか母親の機嫌を損ねないように必死、だけれど。
 我慢しきれなくなった母親が笑い出した。君とか、君といる僕とかが、なんだかもう微笑ましくておかしくてしかたがない、らしい。
 君はなぜ母親がそんなふうに笑うのか、わかっているようなわかっていないような顔をして、でも、本当はちゃんとわかっている顔をして、一瞬、ぽつりと泣きそうな顔した。
 ……どうしてだろう。
 君はたまに、
 そんな顔をする。
 僕はたまに、
 君のそんな顔を見る。
 でも次の瞬間には、君は母親と一緒になって笑っている。その、一瞬に、昼間、広瀬がなにか喚いていたことを思い出した。
 君はいつも元気で、僕は君の泣いた姿を見たことがない。……ないな、と思う。……思った、けど。
 笑いながら母親と話をしていた君が、ふと、僕を見たから。
「先輩」
 と呼ぶから。
 僕を見て、僕を呼ぶから。
「なに?」
 君は、あははと笑って、
「今、おかーさんのお話、聞いてました? あたし、おゆーはん、一緒に食べてってもいいです? 先輩んち、今日はお鍋だそーですよ。よかったらあたしもどーぞ、だそーです」
 ……ナベ。
「アヤがよければ、どーぞ」
 我が家では一年中存在しているナベは、母親の手抜き料理の筆頭、なのだけど。
「やった。あ、あたしお手伝いします? 肉じゃが作れとかは、これはもうすごく無理ですけど、野菜切るくらいならできます。きっとできますっ」
 母親に、宿題は? と聞かれて、
「あとで先輩にやってもらうからいーでーす」
 教えてもらう、でも、手伝ってもらう、でもなく、やってもらうと言い切った君を母親が笑う。笑う母親の後について君が部屋を出て行った。かと思ったら戻って来た。
「先輩、セーンパイ。愛実ちゃんパス」
 愛実の両脇を持って、ぶらーんとこちらに小さなからだを預ける。
「見ててください先輩。腕によりをかけてお野菜、切ってきますからっ。目に物見せてあげますからっ」
 僕は愛実を抱きとめながら、
「……その用法はどうだろう……」
「え、間違ってました?」
「僕に恨みでもあるなら別だけど」
「……恨み……」
「なにか僕に思い知らせなきゃならないことでもあるとか」
「ああ! あるっ。ありますよー」
「あるの?」
「あたしの料理の腕前とか」
「とか?」
「お鍋っていったら、愛情たっぷりじゃないですか、あったか家族じゃないですか。この、あたしの溢れんばかりの愛情をですねぇ」
「もったいないから、吹きこぼさないようにね」
 熱いから、気を付けて。
「らじゃっ。気を付けますっ」
 ぴしっと、見よう見まねの敬礼をして破顔する。
 そんなふうに無邪気に笑われて、なぜだかさっき、君がぽつりと落とした表情を思い出して、無意識に君の腕を掴んだ。でも、掴んだ途端、その柔らかさとか温かさにのぼせて引き寄せてた。
 僕はいったいどんな顔をしていたのか、君は愛実の耳を塞いで僕の耳元に声を寄せた。
「アナタ」
 柔らかくした声で囁いた。
 ……アナタ…………??
 なんだか背筋の奥のほうが本能的にぞっとしたのを煽るように、
「ワタシのことはさっき食べたでしょ?」
 煽るだけ煽っておいて、君は我慢し切れなくて、ぷはっ、と吹き出した。
「今度は一緒にバンゴハン食べましょー」
 声の調子は同じで、でも台詞回しは微妙な感じで、笑いながら、
「やだもー、失敗ー」
「な、にが?」
「新婚さんごっこ」
「……新婚サン……」
「失敗したので撤退しますっ」
 君は再び敬礼して、
「じゃあ、愛実ちゃんと宿題はまかせましたー」
 いつも自分の家ではその調子なのか、ぱたぱたと駆けて、はたと自分の家じゃないことに気が付いてしずしずと、でも早足で君は台所に消える。ぼうっとしていた僕は、
「にー」
 愛実が振り回す腕に顔を平手打ちされて我に返った。
 ……課題はやっぱり僕がやるのか……じゃなくて、新婚サンごっこ……。
 なんだか色々と惜しいことをした気分、だった。



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