〜 色、いろいろな色 6 〜
「シーちゃーん」
家に帰る途中の公園で呼ばれた。一緒に歩いていたユメと立ち止まると、ミズイロが公園の砂場から砂だらけの手を振っていた。モモイロも一緒にいた。
モモイロが砂だらけのミズイロを抱き上げようとするのを見て、シロは自分の荷物をモモイロに渡すと、代わりにミズイロを抱き上げた。
「シロ、制服、汚れるよ?」
「ていうか、すでにモモねーさんも汚れてるし」
気を遣ったのが無駄に終わってシロはがっくりする。シロの制服と違って丸洗いできなそうなカーディガンが汚れているのを見て、せめて、手で払う。肩口から、胸元まで。ミズイロの服を払ってやるのと同じようにした。
その手を、なんとなく止めたことには、意味はなかった……はずだった。
最近、こうやってモモイロに触ると、なにかを思い出さなければいけないような気分になった。
でもそれがなんなのかわからなくて、シロの手は行き場をなくす。
「今日も、ちゃんとバスケやってきた?」
モモイロが姉の顔をして聞く。シロはうなずくだけで返事にする。ユメがおもしろそうに横から口を出した。
「シロ、レギュラーになりたくって、めちゃめちゃやる気出してがんばってるんですよ」
「ユメ、見てないくせに」
「見てないけど、どうせそんな感じでしょ?」
「……そうだけど」
「でも相変わらず下手なんだよねえ」
「見てないくせに」
「でもっ、そんな感じでしょ!?」
「………………そうだけど」
砂場の隅にシロもユメもモモイロも突っ立っている。
モモイロがシロの頭をなでた。
「シロ、体調悪そうだったの、治ったみたいだねぇ」
シロはミズイロを抱き直しながら、
「ねーさん、手、砂だらけなんだけど」
「ああっ!」
モモイロは砂だらけにしたシロの頭を慌てて払う。シロは頭の砂を払われるのに少し、前屈みになりなら、
「おれ、体調悪そうだった?」
「どーかな、なんか、ずっと眠そうにしてたけど?」
「そういえばシロ、胃痛、治ったの?」
ユメが、前屈みのシロの前にちょこんと座り込んで、シロの足元の砂を手で撫でた。撫でながら手のひらにすくった砂を、さらさらとまた地面に返す。
「シロ、落し物、見つかった?」
シロは、さらさらと、地面に返る砂を見る。
「落し物?」
シロは、思い出せない。
ずっと眠そうにしていた理由も、落し物がなんだったのかも、胃が、痛かった理由も。
「なに言ってんの」
シロは心の底から言って、ミズイロを降ろすと手を繋いだ。
「帰ろう、ミズイロ」
シロはミズイロを、ミズイロ、といつものように呼んだ。
すれ違った親子が、不思議そうな顔をしてミズイロとシロを見た。ミズイロが繋いだ手を引っ張って、抱っこをねだった。シロはまたミズイロを抱き上げる。ミズイロはシロにぎゅっと抱きついた。
「ミズイロ?」
どうした? と聞くと、
「あのね、シーちゃん、ミズイロがミズイロっていうの、へん?」
シロとモモイロとユメは顔を見合わせた。
シロは突然、ここではミズイロは「みずほ」という名前があったことを思い出した。そんな当たり前のこと、忘れていたわけでは、ないけれど。
「ミズイロって、かわいいよねえ?」
ユメがきょとんと言う。
「あたし、ずっとミーちゃんはミズイロだと思ってたし。シロ、なかなかいいセンスしてるなあ、って思ってた」
そう、シロが「ミズイロ」と名前を付けた。
シロはずいぶん年の離れた妹がかわいくてしかたがなかった。
だから、シロが、ヤマスソミズイロ、と……。
「シロがねぇ、ミズイロミズイロって言うから、それに近いところで、みずほ、っておとーさんが付けたんだよねえ、確か」
「え?」
シロが声を上げた。自分でも驚くくらい大きな声だったことに、自分で驚いた。
「父さんが?」
思わず聞き返すと、
「そう、おとーさんが」
と、なんでもないことのようにモモイロから返ってきた。
そんなばかな。
ミズイロの名前はシロが付けた。
『あなたが名前をつけていいのよ』
と母に言われた。シロが十歳のときだった。自分が周りの人とずいぶん違っていることに自分で気が付きはじめた頃だった。気が付いて、それで落ち込んだりしたわけではなかったけれど。妹の名前をつけていいと言われて、嬉しかった。とても嬉しかった。自覚があったわけではないけれど、たぶん、そんな大役を任されるくらい、家族に認められていることが、嬉しかった。
生まれてきた妹は、手の指の先から足の指の先まできれいに、かわいらしい水色をしていた。
だからシロが、山裾水色、と名前を付けた。
シロはぐるりと周りを見回した。
「……そっか」
ここが夢の中だったことを思い出した。
「やばいやばい」
でも、思い出しても、思い出しただけで夢から覚めるわけではないようだった。
公園で、ミズイロを抱いたまま呟いたシロに並んだユメが、
「なにがやばいの?」
「いろいろ」
「いろいろ?」
「快適だったから」
「なにが?」
「ここが」
「公園が?」
「ほかも、全部」
「全部?」
「見た目じゃわからないし」
「なにが?」
「おれが」
ここにいれば、見た目だけでシロを判断する人はいない。バスケもできる。
でも。
「おれ、帰る」
「どこに? 家に?」
ユメに聞かれて、シロは、うん、と答えた。
おかしな夢を見ているときは、どうやって目を覚ますんだったっけ?
多分、放っておいてもいつか目は覚める。でも今、起きたい。そんなときには。
自分の意思で、思い切り布団を蹴飛ばして起きればいい。冬なら冬の寒さに、夏なら夏の暑さにからだがびっくりして、目が覚める。
「……ロ。……シロイロ?」
シロはゆっくり目を開いた。
同時に、暖かい桃色が額に触って、シロは飛び起きた。飛び起きて、それで避けたのに、モモイロは手を伸ばしてシロの額に触ろうとしてくる。
シロは逃げるようにベッドの隅に寄った。
「ねー、さん?」
「はい?」
柔らかい桃色の肌をしたモモイロがいた。拾われたシロが、一番初めに見た色だ。
ベッドのシーツは白い。学校の保健室だった。モモイロがじわじわと寄ってくるので、
「なに、してるのっ」
一応聞くと、モモイロはきょとんとして、
「目が覚めたなら、熱、計ろうと思って」
「ないよっ」
「病人なのに?」
「ばか! じゃないの!?」
シロは喚いてベッドから飛び降りた。
「病人じゃなくてけが人。階段から落ちだだけ!」
そう、階段から落ちただけ、だ。
モモイロから逃げるシロを、モモイロの後ろにいたユメが笑った。ユメはシロがモモイロから逃げる理由を知っている。知っていて、大声で笑いたいのを我慢して、口元を黄色の肌の手のひらで押えている。
「ユメ、なに笑ってんの」
「え、シロ、ちょっとあいかわらず青春中だから」
「うるさいっ」
ほら、ここではユメはちゃんとシロの気持ちを知っている。
ほらみろ、とシロは思う。
「おいシロ、そんな急に動いて大丈夫か?」
ユメの隣にいたワカバが心配をする。モモイロも一緒になって心配をする。
「シロイロ、嫌なバスケ部の先輩にけんかふっかけて返り討ちにあって、それで階段から落ちたんだって?」
「ドジっただけ」
モモイロに『シロイロ』と呼ばれて、ふと泣きたくなったくらい安心したのは誰にも内緒だった。シロはそんな自分をごまかすようにワカバを睨んだ。
「ワカバ、適当なことねーさんに教えるな」
「ええっ、オレはただセンパイの嫌がらせっぷりをユメに締め上げられて白状しちゃっただけで……それをおねーさんがっ」
「そう、あとはわたしがねつ造しちゃった。シロイロがそれで騙されたら、先輩たちにリベンジ仕掛けるかな、と思って」
「……騙されないし、仕掛けないし」
「え? 仕掛けないの?」
「仕掛けてどうしろっていうの」
なんだか疲れてベッドに座り込んだシロに、ユメが今まで笑っていたのも忘れて心配そうにした。
「やだ、シロ、大丈夫? 病院行っとく?」
「大丈夫」
「でもなかなか起きなかったし、実はあと五分寝てたら救急車呼んじゃうトコだったんだけど」
ねえ、とユメはワカバと顔を見合わせた。それからふたりでシロに抱きついた。
シロは、今日はおとなしく、ふたりに抱きつかれたまま、
「夢、見てただけ」
「夢?」
「うん」
「どんな?」
ユメとワカバが一緒になって顔をのぞき込んでくる。
それまでモモイロの隣でおとなしくしていたミズイロが、ベッドによじ登ってきた。シロはミズイロの髪を撫でて、そのままほっぺに触った。いつも通りの、ぺたん、とした感触が気持ちいい。
シロはユメとワカバとミズイロを抱えた。
「なんか、ヘンな夢だった」
「ヘン? どんな?」
「ユメもワカバも、姉さんもミズイロもみんな……」
言いかけて、ユメとワカバと目が合って、シロはあははと笑った。
あんまり心配した顔をするから。ここでさらに夢の話をしたら、みんなどんな顔をするんだろう。
「なに? なにがおかしいの? そんなにおかしな夢だったの?」
「じゃ、なくて」
たしかにおかしな夢だったけれど。そうじゃ、なくて。そんな心配をかけたいわけじゃ、なくて。
だからシロは、どうでもよさそうなことを口にした。
「おれ、バスケ部だったな、と思って」
「夢で?」
「そう」
こっくり頷くと、ユメは怪訝そうな顔をした。少し、怒っているような顔をした。
シロはユメの表情の理由がわからない。
なんでそんな顔してんの、とユメの頬をつまむと、反対側からモモイロに、むに、と頬をつままれた。モモイロの指の感触に、シロは反射的に逃げようとして、でもユメとワカバとミズイロを抱えていて、みんなで一緒になってベッドに倒れこんだ。
それでもなんとかモモイロの手から逃げて、
「なに、してんのっ」
「んー、なんとなく」
モモイロは一番下敷きになったワカバを助け出しながら、
「シロイロ、夢の中ではセンパイたちとのケンカに勝ったんだねえ?」
「は?」
なに、なんの話? とシロは考えて、でもすぐに、だからケンカなんてしてないってば、と返した。
「そんなにおれ、ケンカさせたいの?」
「だって、したかったんでしょ?」
モモイロはシロのことなどよく知っている顔をする。知っているのが当たり前、という顔をする。だってお姉ちゃんだもん、という顔をする。
「バスケさせてもらえなくて、ほんとはムカついてたんでしょ?」
実は、仮入部のときからずっと。
「……え?」
なかなか助け出されないワカバを下敷きにしたままぼけっとするシロに、
「あんた、鈍っ!」
勢いよく立ち上がったユメが勢いよくツッこんだ。勢いでミズイロを抱っこしたまま、
「ほらあっ。やっぱりシロはバスケやりたかったんじゃないっ! 夢にまで見るくらい、ものすごく!!」
「え?」
「え、じゃなーいっ!」
ユメはこぶしを握り締めて、
「いい!? 言っとくっ、言っとくけど! あたしはあたし、シロはシロ、ついでにワカバはワカバなだけなんだから」
ついでってなんだ、と小さく文句を言うワカバは無視して、
「赤だか黄色だかなんて、そんなのテキトーに生まれてきちゃうんだから、そんなこと気にかけてやりたいことやらないなんて、人生、損! そんなこと気にかけてる人、相手にするのも時間の無駄! 損!」
「……損、って」
「とにかく損なの! 無駄なの! オッケー!? わかった!? わかってるぅ!?」
ユメはシロの胸倉を掴んで押し倒す。もともと押し倒れていたシロは、救出されないままのワカバをさらにつぶした。
シロは、どんな返事をしたらいいのか考える。
「……テキトー」
適当に、いろいろな色に。
生まれてきただけ、だ。
宇宙人みたいだけど、宇宙人じゃない。そんなこと、自分が一番よくわかってる。
「わかってる!?」
また、ユメに怒鳴られて。シロはユメの勢いに押されながら、ぽつんと答えた。
「……多分」
気のない、曖昧な返事だったけれど。答えたシロの表情に、ユメはなんだか満足げな顔をした。
シロは、多分、ちゃんとわかった顔をした。
「……なんだ、そっか」
シロはユメからミズイロを抱き上げる。
ワカバはあまり頼りにならないモモイロを頼るのはやめて自力でシロの下敷きから脱出した。
「そっか」
ワカバがいなくなって広々としたベッドにシロは倒れこんだ。ユメとワカバとモモイロが天井から覗き込んでくる。
シロは、自分の家族も、友人もおかしいと思っている。おかしくて笑った。なんだか笑った。
「おれ、バスケやりたかったんだ」
「うん、だからやれば?」
モモイロが、優しく笑った。
「シロイロがやりたいことは、シロイロがやればいいんだよ?」
モモイロがそんなふうに笑うと、柔らかい桃色がさらに柔らかく鮮やかになって見えて、シロはミズイロを抱えたまま、そっと胃の辺りを撫でた。痛かったわけじゃない。胃の、もっと奥のほうがひっくり返ったような音をたてたような気がして、顔を赤くした。
赤くなったのをみんなから隠すように横を向いた。
事情を察してこっそり笑ったユメをちょっと蹴飛ばしながら、シロは前から目をつけていたバッシュを両親にねだってみようかな、なんてことを考えた。
この場所で。
欲しいものは、きっと、いろいろ、手に入る。
〜 色、いろいろな色 おわり 〜
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