〜 色、いろいろな色 5 〜
「いってらっしゃーい、シロ」
家を出る時間が遅いモモイロは、食卓に着いたままのんびりとシロを見送る。シロは、
「……うん」
とだけ答えて玄関を出た。胃のあたりをさする。
「気分でも悪いの?」
ちょうど隣の玄関から出てきたユメに聞かれて、うん、と正直に答えた。今までは、例えば、風邪をひいていることには気付いていたけれど、熱はないと思っていたから大丈夫だと思っていたような、そんな感じだった。熱に気が付いて、からだがダルくなる。
ここが、夢の中だと思い知る。
モモイロはいつも「シロイロ」と少し鼻にかけて、言いにくそうに舌足らずに呼んでいた。なのにここでは「シロ」と呼びやすそうに歯切れよく呼ぶ。昨夜から、モモイロにそうやって呼ばれる度に胃が痛くなった。
それは、聞きたい声じゃない。
シロは痛みを我慢するように奥歯を噛み締める。
「痛いの?」
ユメに聞かれたシロは、通学電車の中でも胃をさすりながら、
「本当は、痛いわけじゃないんだけど」
「なにそれ?」
「なんだろ」
「あたしが聞いてんのっ」
「なんか、さあ」
「なにさ」
「……落とし物」
「え、どこに?」
ユメは自分の足元を見る。シロは少し考えて、
「それとも、忘れ物?」
「え、なにを?」
「ていうか」
「なによっ」
「なんでこの夢、覚めないのかな」
「あんた、寝惚けてんの!?」
満員電車の中で喚くユメの大声に、シロはなんとなく納得した顔をした。
「そうかも」
「なにがよっ」
「寝惚けてんのかも」
言葉にしたら、はっきりした。
「そっか、寝惚けてんのか」
シロは少し安心して、わけのわからない顔をしているユメに笑うと、吊革にぶら下がるようにして目を閉じた。
「シロ?」
まさかその体勢で眠っているわけじゃないよね? とユメが控えめに呼ぶ。
「なにを、落としちゃったの?」
シロは目を閉じたまま、夢の中で喋るように、
「本当はそんなもの、落として、なくしたままのほうがいいのかも」
「大切じゃないから?」
「大切だよ」
「すごく?」
「でもちょっと、不道徳、かも」
「なにそれ」
ユメは相変わらずわけのわからない顔をして、それでも少し、シロを心配した顔もする。
シロは、ユメはシロの気持ちを知っているんだと思っていた。多分、知っていたに違いない。でもこの夢の中でははじめからそんな設定はなくて、だからユメは、なにも知らないのかもしれない。
「……シロ?」
黙りこんだシロをユメが見上げる。ごそ、とユメが動いたので、抱きついてくるんだとシロは思った。
でも、ユメは黙り込んでしまったシロがつまらなそうに、時間をもてあましてケイタイをいじり出す。
「ユメ、電車の中はケイタイ禁止」
「あ、そっか」
ユメはいそいそと電源を切るとケイタイをかばんにしまい込んだ。シロは重たい息を吐くと、また目を閉じた。
この夢の中は少しずつ、どこかいろいろおかしい。
寝ぼけてるときは、どうやってきっちり目を覚ますんだったっけ?
一日中ずっと、寝不足のようにあくびをしながら過ごした。
「ただいま」
今夜は早く寝よう、しっかり寝てしっかり目覚めれば、この夢から覚めるかもしれない。そんなことを考えながら、シロは大あくびと一緒に玄関を開けた。玄関には見慣れない靴があって、台所の横のテレビのある部屋をのぞくと、親戚のおばさん夫婦が来ていた。どこか旅行へ出かけた後らしく、お土産を持ってきてくれたようだった。
「……こんにちは」
おばさん夫婦は挨拶をしたシロをちらりと見ただけだった。親戚連中は近所じゃない人たちよりシロに冷たい。そんなところは、シロはどこにいても変わらないんだなと思う。いつも、肌の色を理由に嫌われていた。こんな肌をした人間が親族の中にいるのが気に入らない。
ここではなにをそんなに嫌われているのか。どこの誰ともわからないシロにかける声はないのか、おばさん夫婦は挨拶を返さない。
おばさんたちは、モモイロがまだ帰っていないのをいいことに、
「あの子はもう少しいい大学に入れなかったの?」
と対応している母を責めていた。
そんなところも、変わらない。
親戚はいつでもがっかりしたように、桃色に生まれてきたモモイロに
『せっかくだから、もう少し赤く生まれてくればよかったのにねえ』
と言った。水色に生まれてきたミズイロにも同じように、
『せっかくだから、もう少し青く生まれてくればよかったのにねえ』
と言った。三原色に少しでも近く、より赤く、より青く、より黄色であることを望んで、そんなことを簡単に口にした。
親戚たちは、シロには近寄らないし話しかけもしない。かと思うと、まったく関係ないユメを話に持ち出しては、お隣の女の子はすごくきれいな黄色なのにねえ、とほめた。
赤の他人を簡単に羨ましがって、簡単に、羨ましそうな顔をした。
でも、より赤くなくても、より青くなくても、シロにはミズイロはかわいかったし、モモイロは……。
シロは玄関を振り返る。
モモイロはまだ帰ってこない。
桃色の肌をしたモモイロと、シロと同じ肌質をしたモモイロをふたり並べて思い浮かべて、シロは胃の辺りをさすった。
一瞬、どちらのモモイロが帰ってくるのか、混乱した。
ふたり並んで帰ってきそうな気もしたし、こちらの世界の肌をしたモモイロが当たり前の顔をして帰ってくるような気もしたし、桃色のモモイロが帰ってくるような気もした。
胃を、さすって。
桃色のモモイロが帰ってくるわけがない、と思う。
この夢の中では桃色の肌をした人間が現れたら大騒ぎになる。そんな肌をしていない人間が、ここでは当たり前だ。
「……おれも?」
シロも、ここにいるのが当たり前?
「シロって捨て子?」
バスケ部でクラスメイトの友人に言われて、シロは話の流れで、そうだけど、と答えた。
それまではバスケの話をしていた。昨日の部活では先輩の動きがよかった、とか、シュートするときの手の角度はこんなもん、とか。
シロは特に弁当を食べる手を止めなかった。止めたのはワカバで、隣に座るそのクラスメイトに思い切り頭突きをした。
「なんだよッ」
とクラスメイトが反論する。
「なんだよじゃないだろっ」
とワカバも反論する。
ワカバはシロに、お前もなんとか言ってやれ、と目と言葉で訴える。お茶のペットボトルのふたを開けながら、
「そう、捨て子」
「じゃなくてっ!」
がなるワカバに、
「なに」
「そんなあっさりとっ」
「でもおれ、自分が捨て子なのがおかしいと思ったことなかったから、小学校まで」
「さすがに小学生になったら、おかしいと思ったわけ?」
クラスメイトが聞いてくる。シロは、そういうわけでもない、と肩をすくめた。ふと、どこかでした会話だな、と思いながら。
「それまで、おれ、おかしいって言われたことなかったから」
だから小学校に上がって、シロを知らない子供やその親と出会うまで、シロは自分がおかしいことに気が付かなかった。
シロの物心がつかない頃には近所からいろいろといわれたこともあったけれど、シロも物心が付く頃には、近所もそこにシロがいることに慣れてしまってなにも言わなくなった。小学校に上がって再びそんなことを言われて、あら久しぶりに言われたわねえ、と父と母が感心したように喋っていたのを、シロはなんとなく覚えている。
「おまえ、自分の素性知らなかったの?」
「知ってた」
なあ、とシロはワカバに同意を求める。ワカバはなんとなく言いたくなさそうに、
「近所で知らないヤツいないじゃん」
「その近所とか、家族にでも、お前はおかしいって言われてれば、ちょっとはおれも自覚もしたんだろうけど」
「シロの姉さんとか?」
クラスメイトに、ワカバは大きく手を振った。
「いや、言わないだろ、あの人は」
モモイロは拾ってきたシロを「見て見て、拾ったの。弟にするの、かわいいねえ」と近所中連れて歩いて見せていたらしい。
「シロとシロのねーちゃんとセットでかわいかったって近所で語り継がれてるじゃん」
かわいくてよかったなあ、と言うついでに、玉子焼きちょうだい、とワカバが弁当に手を伸ばしてくる。
シロは複雑な顔をした。クラスメイトもワカバも、シロは「かわいい」を連発されて複雑な顔をしているんだと思った。シロも「かわいい」を連発されて自分は複雑な顔をしたんだと思った。そうじゃなければ玉子焼きを取られたのが不本意だったのか。
シロはお茶を、飲み込んだ。
複雑な顔をしたのは……。
「ワカバ、おれ、前もワカバとこんな話したっけ?」
「さあ?」
ワカバは記憶にない顔をする。
シロは、確かに記憶にある顔をする。
「したよ、確か、階段で……」
階段から落ちた日のことを思い出す。確かあの日は、
『部活でレギュラーの発表あって、取れなくて、ショックで、ぼーっと歩いてて階段から落ちたんでしょ?』
とユメが言っていた。
違う、と、ユメにそう言われたときに思ったような気がする。
でも、なにが違うのか思い出せなかった。
レギュラーになれなくてショックだったのは確かだし、ぼーっとしてたのも確かだった記憶がある。
「……あれ?」
シロは飲みかけのペットボトルの、閉めようとしていたふたを眺めた。ぼうっと眺めた。
階段から落ちる前には、レギュラーになれなくて落ち込んでいた記憶しかない。
ワカバと、こんな話をしていた記憶が、ない。
「オレ、シロとこんな話したことあったか?」
人の玉子焼きを食べて満足そうなワカバに、
「ない」
シロははっきり答えた。
なにかがおかしいと思ったけれど、なにがおかしいのかわからなかった。
そのうちに、おかしいことなんてなにもないような気がしてきた。
「シーロっ。図書室行かない? 行くよね? 一緒に行こ。なんか読んで英語で感想提出しろって宿題出たでしょ。なにがいいか一緒に探してよ」
ユメが元気よくやって来て昼食の邪魔をする。勢いよくやってきたから、勢いよく抱きつくんだと一瞬考えて、そんなことがあるわけない、と思い直した。むやみに抱きついたりする人はあんまりいない。
「おれ、食事中」
「いいからいいから」
腕を引かれて、ユメに図書室に連れて行かれた。
そんなふうにお昼を過ごして、午後の授業を受けて、放課後は部活に出てバスケットをする。
シロはいつの間にか、そんな生活を当たり前に思うようになっていた。
……いつの間にか、ではなくて。
はじめからこんな生活をしていた気分に、なっていた。
〜 色、いろいろな色 6 へ 〜
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