〜 色、いろいろな色 4 〜




 おかしな夢は続いていた。
 病院の検査で異常が見つからなかったので帰されたシロは、今日はおとなしく寝てなさい、とモモイロに言われてベッドに横になった。
 シロは仰向けに寝転んで、自分の部屋の天井を見ながら、高く上げた自分の手を見た。
 この部屋にひとりきりで、シロだけがこの肌なら、ここが夢の中なんて思わない。一眠りして目が覚めたら、階段から落ちたときに出来た腕のアザだけが残っているのに違いない。
「シロ、まだ起きてる?」
 ノックと一緒に入ってきたモモイロがお茶を置いていった。すぐに出て行ったモモイロの肌は、あいかわらず、つやつやつぱつぱの桃色ではなかった。
 でも、モモイロが入れてくれたらしいお茶は、あいかわらずお茶っ葉だらけのお茶だった。お茶請けにはせんべいが乗っていた。フルーツ大福祭りは終わって、今度は全国せんべい祭りが始まっているようだった。昨日は湿ったような柔らかいせんべいだった。今日のは硬そうだ。
 シロはお茶を飲む。
 お茶の味も変わらない。この夢の中でおかしいのは、シロ以外の人間の肌の色だけだろうか? そういえば、モモイロが自分のことを「シロ」と呼んでいた。モモイロだけがいつも「シロイロ」と呼んでいたのに。
 病院の受付で、モモイロはシロの名前を「山裾志郎(しろう)」と書いていた。自分の名前は「桃乃(ももの)・姉」と書いていた。よく見ると、ミズイロの幼稚園バッチには「やますそみずほ」と書いてあった。
「なんで『みずほ』が『ミズイロ』?」
 この夢の中で、姉も妹のことを、ミズイロ、と呼んでいること思い出して、どうでもいいことだと思いつつ、シロはお茶を飲みながらひとりで突っ込んでみた。


「それはね、ミーちゃんが生まれたとき、シロのお下がりの水色の服ばっかり着ててね、その色を見てシロがミズイロミズイロって呼ぶもんだから、いつのまにかそういうことになっちゃたみたい」
 シロは結局夢の中で朝を迎えて、夢の中で学校に登校していた。クラスメイトに、
「昨日来てた山裾のねーちゃんと妹、なかなか美人姉妹だな」
 と声をかけられた話の流れでユメがそんな説明をした。クラスメイトは、へー、と頷く。シロも一緒に、へー、と頷いて、ユメにゲンコツで頭をぐりぐりやられた。
「なんでシロが納得してんのっ」
「おれ、この世界の住民じゃないから」
「はあ!?」
 ユメの名前は「由芽」というらしい。ワカバは「若葉」のままだった。
 シロは、家族以外は手抜きの設定だ、と思いながら窓の外を見る。
 どうしてこんな夢を見ているんだろう。こうなって欲しいと、望んだことなんてないのに。教室の中も、窓の外も、みんな同じ肌の色の人間ばかりだった。
 シロは自分のことを宇宙人かもしれないと思っていた。
 ……宇宙人ばっかりだ。
「こら、シロ、落ち込まないのっ」
 ユメに思い切り背中を叩かれて、は? とシロはわけのわからない顔をした。なにに落ち込んでいたと言うのか。少し考えて、手を打った。
「落ち込んでない」
 みんなが宇宙人だからって、落ち込んだりしていない。少し、変な感じはするけれど。
「落ち込んでないなら、未練がましくしないの」
 ユメは窓から身を乗り出して、シロが見ていたと思われるところを見た。
「バスケ部でレギュラー取れなくって残念だったけど、まだ一年なんだから、チャンスはいくらでもあるでしょ」
 シロはユメが見たところを見た。バスケットコートが運動場の隅にある。
 シロは文字通り小首を傾げて、
「……レギュラー?」
 キョトンとする。ユメもキョトンとした。今までは肌の色に気を取られていたけれど、こんなふうに、同じ肌色になってみると、ユメは目が大きくてくりんとしていてかわいい。
「昨日、レギュラーの発表あって、取れなくて、ショックで、ぼーっと歩いてて階段から落ちたんでしょ?」
「……そうだっけ?」
「そうでしょ」
「………………ふうん」
 それは違う、と思ったけれど。
 ここは夢の中だから、そんなふうにつじつまを合わせているかもしれない。
 現実の自分は、階段から落ちたまま、気を失ったままなのかもしれない。目が覚めたらまた保健室だろうか? 病院だろうか? それとも自分の部屋だろうか?
 なにはともあれ、この夢の中では、
「おれ、バスケ部なんだ?」
「バスケ部でしょ」
 ユメは、なに言ってるの、という顔で、
「シロ見てると、ヘタの横好きって言葉の意味をしみじみと実感できて、言葉の意味って深いなあって思うよね」
「……そりゃよかったね」
 ユメはおもしろそうに笑うけれど、シロはおもしろくなくてぷいと横を向いた。
「あ、怒った?」
 ユメがすぐ傍からシロを覗き込む。
「怒ってない」
 シロは近付いてくるユメの顔を、手の平で押しやった。押しやりながら、ごめんね、と、押しやったぶん近付いて抱きついてくるユメを予想した。謝るくらいなら謝るようなことを初めから言わなければいいのに、という言葉を用意した。そんなのわかってるけどっ、とユメは答えるはずだった。それから、周りにいるクラスメイトやワカバが、シロとユメのやり取りを笑うはずだった。
 それがシロの日常だった。
 でも、ユメは抱き付いてこなかった。授業が始まるチャイムがタイミングよく鳴ったせいだと、シロは思っていた。


 お昼の休憩でさっさと昼食を済ませたシロは、図書室で最近読み始めた小説のシリーズの続きを探していた。
「探し物はこれ?」
 横から小説を差し出してくれたのが、図書委員の先輩だと、三秒ほど考えてからわかった。肌の色が一緒だと、声と背格好から判断しなければいけない。
 ありがとうございます、とシロは本を受け取る。
「あのね、山裾くん」
「はい?」
「青山刑事の事件簿、もう一回最初から貸してもらってもいいかな?」
「明日にでも、持ってきましょうか?」
 話をしていると、傍を通った男子生徒がシロにぶつかった。お、悪い、と言葉を置いていく。シロはぶつかった生徒を見送って、ぶつかった肩をさすった。先輩はなぜ本を借りたいのか、と話を始める。立ち話もなんだからと日当たりのいい席にふたりで座った。
 図書室に生徒が増えてくる。先輩は場所を気にして声のトーンを下げただけで、いつものように、席を移動して欲しいと申し訳なさそうな顔をすることはなかった。生徒たちはシロを気にする様子もなく、空いている席に好きなように掛けていく。
 シロは先輩の話に適当に相槌を打ちながら、不思議なものでも見るように図書室の様子を見ていた。


 放課後は、同じクラスのバスケ部員に慣れたように誘われて、一緒に部活に顔を出した。部室には「山裾」と書いたロッカーがあった。スポーツ用品店をのぞくたびに欲しいと思っていたバッシュが入っていた。
 ジャージに着替えて体育館の中を何週か走った。適当に分かれたチームで試合が始まると、ボールは簡単にシロに回ってきた。ボールの感触が嬉しくて、コートの中を思い切り走った。
「嬉しそうな顔しちゃって」
 部活を終えて着替えて部室を出ると、同じく部活を終えたユメがシロを待っていた。シロは腕時計をのぞいて、暗くなりかけた空を仰いだ。
「ユメ、部活早く終わったならさっさと帰れ」
「まったく同じトコに帰るのに?」
「暗くなる」
「だから待ってるんでしょ」
 ユメは短いスカートを、ぴら、とつまんだ。
「見て、この美脚。しかもテニス部期待のホープ。かわいいテニスウェア姿にメロメロの男は数知れず。ストーカーもどきも多発っ。ちゃんときちんと護衛して家まで送ってよね」
「だったら、なんかあったときはその自慢の足で逃げ切れるくらい、もっと家から近い学校にすればよかったのに」
 シロとユメは同じ歩調で歩く。どちらがどちらに合わせているわけでもない。なんとなく一緒になる。そんなところまで、この夢の中も変わらない。ただ、学校は遠かった。
「でも、シロは快適でしょ?」
「快適……」
 シロは思わず自分の胸元をさすった。図書室のことや、バスケットボールの感触を思い出す。
「ええ!? 『快適……』とか、なんでちょっと悩み気味なの!? 快適でしょ? あたしの言い分に無理矢理付き合ったカイはあったでしょ!?」
「無理矢理……?」
「だって、シロのこと知らない人たちが多いトコのほうがいいと思ったんだもんっ。小学校とか中学のときみたいに、ばかばかしい理由でシロがばかばかしい思いしなくていいなら、遠いくらいぜんぜん平気でしょ!?」
 ユメは何かを思い出して腹を立てたように、歩調を早くした。シロは歩調を変えないまま、少しずつ遠ざかっていくユメに呆然とする。ユメの言う、ばかばかしい理由、が思い当たらない。ここではユメもシロも同じ肌をしている。他に何か違っただろうか?
「あ」
 シロは立ち止まる。ユメがずいぶんシロから離れたことに気付いて慌ててシロまで駆け戻って来た。
「おれ、捨て子だったっけ」
 そういえばそうだった、とシロは思い出す。
 ユメはカバンを振り上げた。
「だったっけ、じゃなーいっ。なにノンキに自分の身の上振り返ってんのっ。さんざんそれでいじめられてたくせにー! そういう事は忘れないで、いじめた連中を見返すためにその悔しさを心のバネとか糧とかにして強くたくましく生きてくもんでしょー!?」
 腹の底から思ったことを大声で喚くユメを、シロは声に出して笑った。
「なにがおかしいのよっ」
「ユメはどこでも男前だなあと思って」
「どこでもってなにさぁっ」
 ユメはどこでも元気だった。ユメはユメだ。
 シロは笑いながら、ユメを、きちんと見た。
 あの黄色い肌のユメをきれいだと思っていた。とてもきれいだと思っていた。今でももちろんそう思っている。シロと同じ肌のユメより、黄色の肌をしたユメのほうがきれいだと思う。
 でも。
「どこでも」
 どこでも。
「ユメはユメなんだなと」
 そんなことを思って、また笑った。
 ……でも。
「シーちゃん、はい、どーぞ」
 その日の夕食が終わって、テレビを見ていたシロにミズイロがお茶を運んできた。ミズイロはシロのヒザの上にごそごそと上がってそこで牛乳を飲む。
 ミズイロもミズイロだ。
 食事を済ませたところだというのに、買ってきちゃったから、と大量のえびせんべいを出してくる母親は母親で、いつも通り仕事で帰りが遅い父親は父親で、ここはシロが今まで過ごしてきた世界となにも変わらない。
 シロはモモイロが入れたらしいお茶を飲んで、奥歯に引っかかった茶っ葉を気にしながら、ぐるっと家の中を見回した。
 家具の位置も、柱の傷も同じだ。
「シロっ、ねえ、シーロっ!」
 慌てた声に呼ばれて慌てて台所に顔を出すと、モモイロが食器棚にぶら下がっていた。一番上の棚に片手をかけて、片手に茶碗を持って、なぜか片足で爪先立ちをしている。
「なに、やってんの」
「のんきに見てないで、お茶碗持って、お茶碗、落ちちゃうからっ」
 シロはモモイロから茶碗を取り上げていつもの場所にしまい込む。でも、モモイロの体勢は変わらない。
「ねーさん?」
「足、つった……っ」
 明日の朝食の用意に米を研いでいた母は手が離せない様子で、それは大変ねえ、と笑って見ている。ミズイロが、モモちゃんだいじょーぶ? と手を出そうとするのに、
「だめ、だめっ。ミズイロじゃ潰れちゃうっ」
 おかしな体勢のまま眼差しだけで助けを求められて、シロは溜め息を吐いた。
 シロはモモイロが足に体重をかけなくて済むようにモモイロを抱き上げる。大きな荷物を抱えるように脇から抱き上げて肩に担いだ。それから腰を持ってゆっくり床に下ろす。つった足をさするモモイロを見て、姉も姉だ、と思う。
「シロ、ついでにあっちの部屋に連れてってもらっていーい?」
 モモイロが、台所に座り込んでいるのが嫌で、テレビのある部屋に行きたいと要求する。シロが黙って肩を貸そうとすると、
「いつの間にかシロ、力持ちだねえ。よく育ったねえ。あ、あれできる?」
「あれ?」
「お姫様抱っこ」
 シロはしばらく沈黙した後、
「……お姫様がいれば」
「そうか、できないかぁ。まだまだ力持ちには遠いか」
「できるよっ」
 軽がるとモモイロを持ち上げると、モモイロは気分が良さそうに笑った。
「あはは、今日はシロ、言わないねえ」
「なにを?」
「んー『ばか、じゃないの』って」
 そんなふうに、言われて。
 シロは抱き上げているモモイロを見た。目が合って、モモイロは笑ったまま、
「シロもさすがにお年頃で反抗期かなーって、おねーちゃん密かにシロの成長をばか呼ばわりされつつも涙を飲んで喜んで見守ってたんだけどね」
 シロはモモイロを抱き上げたまま、かたまった。
 本当はショックでモモイロを落としてしまいたい気分だったけれど、落とすわけにもいかなくて、抱いたまま。抱いたままの自分に、またショックを受ける。
 ここはやっぱり、おかしな夢の中だ。
 だって、こんなふうにモモイロに触れるわけがない。
 あんなに避けてきたのに。あんなに、我慢してきたのに。
 モモイロを抱いて、平然としている自分がショックだった。
 だってなにも感じない。
 だって、なにも、感じない。
 ミズイロを抱くときなにも感じないように、なにも、感じない。
「……ねえ、さん?」
「なに?」
 この夢のなかでは、姉は、ただの姉だった。
 ここは、やっぱり、おかしな夢の中だ。



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