〜 色、いろいろな色 2 〜




 放課後の図書室で、シロは窓際の席に座っていた。でも、
「山裾くん」
 と申し訳なさそうに耳元で呼ばれると、ああ、と申し訳なさそうに言われたのよりもっと申し訳なさそうに返事をして、奥の方の席へと移動した。
 図書室の入口付近で気味悪そうにシロを見ていた生徒たちが、安心したように入ってきて、シロからずいぶん離れた場所に席を取る。その後も、ちらちらと窺うようにシロを見る。シロは知らない振りをして、読みかけの小説から目を上げない。
 図書室の席はいつも、おもしろいくらいにはっきりと、シロから離れた場所からか、シロから近い場所から埋まっていった。
 シロのすぐ隣に席を取ったクラスメイトが、
「今日もユメ待ち?」
 と聞いてきた。保育園からの友人で、黄緑色の肌をしていて、名前を「若葉」という。
 シロは本を閉じた。
「そう、ユメ待ち」
「ユメ、テニス部じゃん。大会近いし、遅いんじゃないの?」
「今日の分の宿題は終わらせたし、いいよ」
「あ、その本、青肌刑事の事件簿の新刊?」
「そう」
「次、オレに貸して」
「次は先輩」
 シロは、さっき声をかけてきた図書委員を目線だけで示した。髪の長い、濃い藍色の肌がかわいらしいひとだ。
「あの先輩、中学んときからずっと図書委員だよな?」
「小学校のときからだよ。本好きなんだよ」
「じゃー、先輩の次に貸して」
「いいよ」
「ユメの横入り、なしだぞ?」
「それはユメに言って」
「シロが言えよ」
「なんで」
「オレ、いまだにあの黄色見ると緊張してさあ。だって黄色だぞ、黄色」
「付き合い長いくせに」
「別に、ユメと付き合ってきたわけじゃないだろ。ほんと、あいつきれいな黄色なんだよなあ。シロんとこはねーちゃんが赤系ピンクの美人で妹は青系美人で、おまえの傍にいると三原色美人勢ぞろいで、なんか、心臓どきどき」
「ミズイロは美人とかいう年じゃないよ」
「なんで? 十年後が楽しみじゃん」
 ワカバはまじめな顔をして言う。シロはワカバの横っ面を小説で押しやった。
「もうおまえ、うち来るな」
「なんでだよっ」
「ヨコシマっ。ミズイロが視界に入るところに現れるな。触るな、話しかけるなっ」
 こほん、と先輩がカウンターで咳払いをして、シロとワカバはずいぶん騒いでいたことに気付いて小さくなった。シロの近所に座る生徒たちは叱られたシロたちを、ドジだなあとおもしろそうに笑った。でも、シロを遠巻きにして座る生徒たちは笑わない。ただ、じっと、気持ちの悪いものを見る目でシロを見る。ワカバは気に入らない顔で睨み返す。シロは諦めたように、というよりは慣れたように小さく笑って、ワカバの肩を叩いた。
「もうユメの部活、終わる頃だから、迎え行ってそのまま帰る」
 立ち上がったところで、ユメが図書室に現れた。
 ユメは、立ち上がりかけた姿勢のシロを目に留めて、勢いよく、短くした制服のスカートの裾も気にせずにずかずかざかざかと大股でシロの元までやってきた。
「シロっ」
 図書室の中なので、一応小声で、
「あんた、また席、奥に追いやられてるっ!?」
 シロはわざとらしく、そう? と知らん顔で答えて、
「ユメ、日焼けしてる」
 ユメの鼻の頭を指差した。
「え、うそっ」
 日焼けをすると自慢の黄色がそこだけオレンジになってしまう。慌てて鏡を取り出そうとして、はた、とユメは気が付いた。
「ごまかさないでよっ」
 ユメはシロの扱われように立腹する。でも、ごまかしてない、とあっさり答えるシロは、誰が見てもなにも気にしていない様子だったので、ユメも諦めたように吐息した。それからシロにべったりと抱き付いた。
「もういい。シロ、スーパー、行こ」
 シロの近くに座る生徒たちには見慣れた光景だった。小学生の頃も中学生の頃も、ユメはよくシロのために怒って、シロのために怒りを静めるのにシロに抱き付いた。なんだかそれで安心するらしい。
 新一年生の中で唯一黄色のユメの行動に、シロを遠巻きにする生徒たちはざわめくけれど、ユメはそんなことまったく気にせず、
「あ」
 抱き付いたシロの顔や腕を、なにかを思い出そうとして思い出せなくて、でもどうしても思い出したくて、しつこくしつこく撫で始めた。
 撫でられるシロはユメの魂胆が見えずに、
「ユメ、セクハラ」
 ユメを押し返すけれど、ユメはしつこく撫でてくる。
 どうにかして、とシロに助けを求められたワカバが行動を起こすより先に、
「大福!」
 とユメが叫んだ。ここが図書室だということはすでに忘れている。
 ワカバはユメを止めようと、おい、と手を伸ばした格好でかたまったまま、ユメに、
「ワカバ、大福食べた?」
「みかん大福とか?」
「そんな感じそんな感じ」
「は?」
 シロとワカバは顔を見合わせる。ユメは構わず、ワカバにシロの腕を差し出した。
「さわり心地が、大福な感じがしない? もちもちしてて、粉が、なんかほら、さらさらしてる感じが」
「……ああ」
 と、なんとなく、ワカバは納得する。
 ユメやミズイロのようなぴちぴちつやつやした肌をほめ言葉で風船肌、とはよく言うけれど。
「大福肌?」
 とワカバに言われて、シロは複雑な表情をした。
「違うよ、もち肌、そう、もち肌。お正月につくお餅がこんな感じ」
 ユメに言われてシロはさらに複雑な顔をする。それはあまりシロの望む肌の触感ではないうえに、そんな聞いたことのない言葉ではほめられているのかけなされているのかよくわからない、ので、反応のしようがない。
 りんご大福食べた、とか、メロン大福食べた、とか、パイナップル大福食べた、という生徒たちが一斉にシロの肌を触り始める。騒ぎに困った顔をする先輩を見かねて、シロはユメの手を取ると図書室を飛び出した。
「ユメ、スイカ大福、買いに行こう」
 それを聞いたワカバが、ちなみに柿大福はおいしくなかったぞ、と忠告してくれた。


「もち肌……?」
 どれちょっと触らせて、とモモイロがシロの手に触ろうとする。シロは、冗談じゃない、という勢いで、モモイロから逃げるように自分の手を引き寄せた。
 山裾家の夕食のテーブルにはユメもいる。別に珍しくない。ユメは残業で遅い父の席に座って、山裾家に常備してある自分の箸と茶碗で食事を頂く。
 シロが肌を触らせようとしないので、ケチー、と頬を膨らませるモモイロにユメは、
「もち肌推進委員会とか作ったらどうかな」
 提案なのかひとりごとなのか、ぽそりと言う。シロは味噌汁を飲み込んで、テーブルの下からユメを蹴飛ばした。
「そんなの推進しなくていい。テニス、大会近いんだから、そっちに集中したら」
「そっちはそっち、こっちはこっち」
「余計なお世話」
「だぁってっ!」
 ユメも負けずにシロを蹴飛ばす。手にしていた味噌汁茶碗もどんと置きたい気分だったけれど、こぼすといけないのでそっと置く。そっと置いて、空いた手の平をぎゅっと握り締めた。それから遠慮せずに、ぽろぽろと泣き出す。
 シロは涙が入らないようにユメの味噌汁茶碗をユメから遠ざける。
「だって、あーゆうの見ると、泣けるっ」
 あの図書室で、一番奥に座っていたシロとか。シロからなるべく離れるようにして座っていた人たち、とか。
 ミズイロがティッシュペーパーを箱ごと持ってきた。シロはミズイロの頭を撫でて、箱をユメに渡す。ユメは箱を抱き締める。
「せっかく、シロのこと知ってる人が多いと思って近所の高校入ったのに。意外とみんなシロのこと知らないんだもんっ」
「そんなの当然」
「なんでよっ」
「なんでって、それ真剣に言ってんの?」
 小学校や中学校のように、決められた学区の中からだけ生徒が通ってくるわけじゃない。
「じゃあ、あの学校に入ったの無駄だった? シロ、あたしの言い分に付き合って無理にあの学校に入ったの?」
「無理してない」
「ほんとに?」
「バスや電車でおれのこと知らない人たちに囲まれて通学すること考えたら、徒歩通学圏内で快適」
「ほんとに?」
「ほんと」
 ユメはシロが嘘を言っていない顔を確認すると安心して、抱えていたティッシュで鼻をかんだ。
「じゃあもう泣くのやめる」
「やめなくていいよ」
 ティッシュの箱をミズイロに返そうとするのをシロが取り上げた。また、ユメに押し付ける。
「図書室のときから我慢してたんだから、まとめて泣けば?」
「うわ、バレてるっ」
「だってユメ、ほんとにスイカ大福買ってくれたし」
 ええ!? と驚いたのはシロの母とモモイロだった。よほど珍しいことらしい。
 一応自覚のあるユメは、がっくりと力なくツッコム。
「おばさんとモモさん、驚きすぎ」
「ユメの奇行のせい。気持ちごまかして変な行動取るから」
「だって」
「だってじゃなくて、泣くの、泣かないの?」
「シロが胸、貸してくれるなら」
「……どうぞ」
 仕方ないので胸を貸そうとしたところ、ユメが泣くのにつられてなぜかミズイロも泣き出したのでシロは慌てた。
「やっぱり貸さない。今すぐ泣きやんで」
 と言って、ユメに貸そうとした胸にミズイロを抱き上げる。
 ユメは遠慮なくティッシュの箱を、ミズイロをよけてシロに投げつけた。
「あんた、薄情っ」
 泣きながら怒る元気なユメをシロがあははと笑ったので、ユメも少し、笑った。


 スイカ大福はおもしろい味、というよりはおもしろい食感、だった。スイカのしゃりしゃり感と餅のもちもち感が微妙で、ミズイロは、いらなーい、と食べかけの大福をシロの口に押し込む。
 宿題があるからとユメが帰った後、ミズイロは最近流行りのアニメをシロの背中によじ登って見ていた。シロはミズイロに遊ばれながら、小説の続きを読んでいた。
 隣の台所で食事の後片付けを終えたモモイロが、ぺたんとシロの隣に座りこんだ。
 シロは少しだけ本から顔を上げた。少しだけ、だ。ミズイロが背中から落ちそうになるのを支えて、また、本を読む。気のせいか、緊張しているのは、モモイロの気配が……。
「ねーさんっ」
 むに、とモモイロに頬をつままれて、シロはミズイロを背負ったまま飛び退いた。モモイロは楽しそうに、
「やると思った?」
「思ったよっ」
 思わずしおりを挟まないまま本を閉じてしまって、シロはため息をつく。モモイロはそんなシロは気にしない。
「ユメちゃん、もち肌って、うまいこと言ったねぇ」
「そんな聞いたこともない言葉言われても、あんまりほめられてる気、しない」
「そう? でもわたしも、そう思ってシロイロ、拾ってきたんだよ?」
 さらりと、モモイロが言う。シロは小説をぱらぱらとめくって、でもすぐには読み終えた場所を探せなくて、諦めて、また閉じた。
「寒い日だったから、シロイロ、ふわふわでふにふにしてて、かわいかったのに冷たくて、死んじゃうんだと思った。でも、生きてる。すくすく成長して、よかった」
「……その話は何回も聞いた。けど、その手はなに」
 モモイロは両手を広げてシロをじっと見て、
「もち肌を、抱っこ、してみようと思って」
「ばか、じゃないの」
 シロは反射的に言って、でも次には努めて冷静を装った。……努めないと、装えないのは……。
「ぇえー、シロイロの胸はユメちゃん専用?」
 不服そうなモモイロに、シロは、なに言ってんの、という顔をして、
「ミズイロ専用」
「なるほどぉ」
 それで納得したのかどうなのか、モモイロはシロから小説を取り上げた。
「あ、これ最新刊? あれ、わたし、この前の話読んでない気がする」
「読んだよ」
「そうだっけ?」
 モモイロはほんのオビについたあらすじを読んで、ついでにいきなりあとがきを読む。ミズイロがアニメを見て笑った。
 シロはミズイロと一緒にアニメを見て、そっと、モモイロを見た。
 ページをめくる指先、とか。文字を追って静かに動くまつげの長さ、とか。
 その滑らかな桃色に目を惹かれる。
 モモイロだけが「シロ」ではなくて「シロイロ」と呼ぶこと、とか。
 その少し舌足らずの声が、嫌いじゃないこと、とか。
 ふいに、こちらを見る眼差し、とか。
 シロの視線に気がついたのかどうなのか、モモイロが視線を上げた。
 シロは慌てて目をそらした。
 こんなときはいつも、奥歯を噛み締めている自分に気が付く。気が付いて、力を抜くのに、細く吸った息を大きく吐き出す。
 そんなふうにしてしまう感情の意味なら、ちゃんと、知っていた。
 ……ちゃんと、知ってる。
 こんなの、厄介だと、思う、けれど。
「ねーシロイロ、この本、今、予約何人待ち?」
 こんな気持ちは、もしかしなくて、おかしいのかもしれないけれど。
 どうにも、ならない。
「予約は、二人。図書委員の先輩と、ワカバ」
「と、ユメちゃん?」
「多分。ワカバの前あたりに無理矢理入り込みそうだけど」
 モモイロがあはははーとのんびり笑った。
 シロの視線の意味になんて、少しも気付いてない。
「ワカバくん、いまだにユメちゃんには逆らえないんだ?」
「ユメに逆らうヤツなんていないし」
「それもそうだね」
「そうだよ」
「じゃ、わたし、最後でいいから貸してね」
 小説を返してくれるモモイロの笑顔は、シロが知っている一番初めの笑顔から少しも変わらない。それは小さな小さなシロが一番初めに見た人の笑顔で、今もここにある笑顔、だ。
 シロはふと伸ばした手で。
 モモイロの桃色の肌に触れないように、小説を取り上げた。触ってしまうのは、少し、ヤバい気がしていた。
 このひとを、欲しいと、思うけれど。
 欲しがらなくても、ここにいる。
「最後なんて、いつになるかわかんないけどいいの?」
「ぜんぜんおっけー」
「あ、そ」
 モモイロはモモイロの笑顔をするから。
 シロも態度を変えない。
 それでいいと思っていた。
 そんなふうに、この先の毎日も過ぎていくんだと、思っていた。



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