〜 色、いろいろな色 1 〜




 隣のおばさんから渡された回覧板を、母の目に付きやすいところに置いた。
 ミズイロが、ちょこんとシロを待っていた。どうした? と聞くと、
「ミズイロねえ、ぎゅうにゅうのむー」
 と言うので、ミズイロが差し出すマグカップに牛乳を入れてやった。
「ありがとー」
 ちょんと小首を傾げる仕草がかわいい。かわいいので、どういたしまして、と言うついでにシロはミズイロのほっぺを撫でた。
 ぺた。という感触が、気持ちがいい。
 ミズイロも顔を撫でられて、くすぐったそうにくすくす笑う。
 この小さな妹が、シロはかわいくてしかたがなかった。今でも、生まれたての小さな姿を思い出せる。小さな小さなからだで、でもちゃんとつま先までかわいらしい水色をしていて、だから「水色」と名前を付けた。山裾水色、と、あなたが名前をつけていいのよ、と母に言われて、シロが、名前を付けた。
「シーちゃんも、ぎゅうにゅう、のむ?」
「おれは……」
「シロイロはお茶だよね?」
 モモイロに聞かれて、シロは振り向かないまま、
「……うん」
 モモイロが急須の用意をする音がする。シロはさらさらのミズイロの髪を撫でて、隣の部屋を指差した。
「こぼさないように」
「だいじょーぶ」
 ミズイロはマグカップをそっと両手で持って、イチゴ大福と一緒にテレビの前に座り込む。
 シロは牛乳パックを冷蔵庫に戻して、やっと、振り向いた。
 モモイロが危なっかしい手つきでお茶を入れている。シロの分はシロのマグカップに。モモイロの分は、モモイロのマグカップに。
「はい、どーぞ」
 モモイロから、マグカップを受け取る。少し、触れた指先は、いつでも、柔らかくてやさしい桃色をしている。
 シロはそんなモモイロの桃色から目をそらすように、カップの中の緑茶をじっと見た。
「モモねーさん、いつも言ってるけど、お茶、茶コシ、使わないから、お茶っ葉だらけなんだけど」
「ええ!? それは飲めないくらい!?」
「我慢して飲めと言われれば無理に飲むけど」
「なんだ、飲めるなら大丈夫」
 モモイロはいつでも細かい事は気にしない。気にせずにお茶を飲む。
「あ、なんか、カテキンたっぷりな感じがしない?」
 物事は常にいい方へ考えて、あはは、と気持ち良さそうに笑う。くちびるに茶っ葉が付いても気にしない。モモイロはまったく気にしない。けれどシロは気になるので、お茶っ葉付いてるよ、とくちびるを指す。
「え、どこ? 取って」
 モモイロは気軽るに、顔ごとくちびるを寄せてきた。
「……ばっ」
 モモイロが近付いた分、シロは飛び退いた。
 「ばっ」の続きは、
「バカじゃないの……!? 自分で取れば!?」
 慌てて、というよりは、反射的にそうしていて。
 反射的に、顔も赤い。
 反射的に俯いて、逃げるようにモモイロから顔をそらした。そのままミズイロを気にかけて、
「ミズイロ、あんこがほっぺについてる」
 ミズイロの頬に付いたあんこは、当たり前のように取ってやって、ついでにそのまま自分で食べてしまう。
 ちらり、と顔を上げると、モモイロは食器棚のガラス窓に自分の顔を映して、くちびるに付いた茶っ葉を取っていた。少し開いたやさしい桃色のくちびるに、やさしい桃色の指先が触る。
 そんなモモイロに、一瞬、見とれていた自分い気が付いて、シロは慌てて目を逸らした。見てはいけないものを見てしまったバツの悪そうな顔を、どうしたの? とミズイロがのぞきこんでくる。シロはいろいろなことをごまかすようにイチゴ大福をつまみながら、なんでもないよ、と小さく笑った。


 バナナ大福を差し出されて、シロは遠慮なく、
「おれ、いらない」
 シロの部屋で、シロの机の上に、シロは宿題のノートを開いていた。その隣で、ユメはユメの宿題のノートを開いている。
 シロの部屋の勉強机には椅子がふたつあった。ユメの部屋の勉強机にも椅子はふたつある。お隣同士の幼馴染のふたりは小さな頃から一緒にいることが多くて、気が付くと、椅子はそれぞれの部屋にふたつずつになっていた。
 ユメはバナナ大福の入ったプラスチックのトレーを片手に、
「あれ、シロ、バナナ嫌いだった?」
「そんなことない」
「じゃあどうぞ」
 ずい、とシロに押し付ける。シロを大きく首を振って、
「さっきイチゴ大福食べたから、大福はもうほしくない」
「え、イチゴ? あたしの分は!?」
「取っとこうと思ったけど、ミズイロが欲しがるからあげちゃった」
「……あいかわらず。ミーちゃんには甘い兄貴っぷりが笑えるやらムカつくやら」
 開いたお互いのノートには、解けない問題に薄くバツ印が付いていた。わからない問題は教え合う。ふたりともわからない問題はふたりで悩んで、最終的にどうしてもわからなければ、モモイロか、ユメの兄に教えてもらうことになっていた。
「さっきモモさんに会って、お茶入れてきてくれるって言ってたから、せっかくだから食べなさいよ」
「お茶って、緑茶?」
「そうじゃないの?」
 シロは部屋の入口から、台所に向って大声を出した。
「モモねーさん、おれ、コーヒーがいい」
 はーいりょうかーい、とモモイロから返事がある。シロは安心して勉強を再開する。
 モモイロはすぐに、ユメには緑茶を、シロにはコーヒーを持ってきてくれた。勉強の邪魔をしたら悪い、とすぐに出て行く。
 シロは、インスタントのコーヒーを安心して飲んだ。
 ユメは茶っ葉だらけのマグカップを途方に暮れたように眺めた。
「ねえ、シロ」
「んー?」
「コーヒー、半分ちょうだい」
「どうぞ」
 シロは自分のマグカップを差し出した。そのついでにユメのノートをのぞき込んで、自分のノートと見比べて、それからなにか思い出したように問題を解いていく。
 ユメがなかなかコーヒーを返そうとしないので、シロは諦めてユメの緑茶に口を付けた。
「シロ、お茶っ葉、大丈夫?」
「わりと。カテキン取れていいらしいよ」
「カテキン?」
「動脈硬化と老化の防止に最適」
「え、そうなの? あたしも飲む」
「どうぞ」
 シロにコーヒーが戻ってくる。そこではっとユメが気付いた。
「もしかしてコーヒーを取り戻すための策だった?」
「べつに」
「ホントに?」
「ほんとに」
「……じゃあ、モモさんが入れてくれたモノならなんでも喜んで飲んじゃう、ってことでもない?」
 シロはノートから、ユメを見た。大きくした目で、おまえ、なに言ってんの? という顔で、でも、ふと、ユメの肌の色を目にして、シロはノートに視線を戻した。
 ユメの肌は、きれいな、きれいな黄色だ。
「ねーさんじゃなくたって、飲むよ」
「ふーん」
 ユメはあまり勉強する気がないようだった。勉強よりも気になることがあって、それを確かめるために茶っ葉まみれで苦いお茶を舐めるようにして少しずつ飲む。
「人の好意はムダにしない、ってことね?」
「基本的には、ありがたく」
「じゃ、バナナ大福食べてよ」
「それはいらない」
「あたしの好意なんだけど」
「タイミングが悪いからありがたくない」
「タイミングも何も、スーパーで温室果物大放出フルーツ大福祭りとかやってんだから、町中のおやつがいまや大福一色なの。スイカ大福とかじゃなかっただけありがたいと思いなさいよーっ」
「スイカ大福?」
「あったの、うちに。珍しくてつい食べちゃったの。なんかおもしろい味だった。スイカとあんこがね……」
 ユメが、思い出しただけで奇妙な顔をしたから、シロはおもしろそうに吹き出した。
「おれ、スイカなら食べたかったかも」
「あんた、変っ!」
 気持ちよく「変」扱いされて、シロは吹き出していたついでに笑う。なのに、はっとしたように、ユメは今の自分のセリフを後悔した顔をしたから。
 シロは、なんとなく笑ったまま、
「おれ、変だもーん」
 コーヒーを飲んで、バナナ大福を食べた。ユメが心配そうな顔をして、おいしい? と聞いてくる。
「けっこう、おいしい」
「じゃあ、あたしも食べる」
 ひとくちで食べるのには少し大きかったからかじったら、中からバナナだけ落ちそうになったので、ユメは結局ひとくちで食べた。
「ユメ、味見済みじゃなかったの?」
 聞かれて、ユメは口いっぱいの大福を時間をかけて飲み込んで、
「スイカでこりたから、シロがおいしいって言ったらあたしも食べようと思って」
「おれ、味見係かよ」
「うちにまだ柿大福あったけど、それも味見する?」
「それはすごくいらない」
「シロ、柿、好きじゃないよね」
「スイカは食べたい」
「明日、学校帰りに買いに行く? おごってあげる」
「おごる? ユメが?」
「そう」
「珍しいこと言って……槍、降ってくるからべつにいい」
 シロはひょいと窓から空を見上げた。ほら、せっかくいい天気なのに、と言い切らないうちに、ユメが、横から抱きついてきた。
「いいよ、おごってあげる。じゃないと気が済まないんだもん。シロ、別に変じゃないよ。ごめんなさい」
 ユメはぎゅっと、シロの肩から首に抱きつく。
 シロはユメの腕をぽんと撫でた。つやつやの、ぺたぺたしたユメの肌の感触は、ミズイロと同じで気持ちいい。
「おれ、変でいいよ。どうせ、変だし」
「うん、スイカ大福食べたがるのは変だと思う」
「おれに平気で抱きつくユメも変だけど」
「え、なんで?」
 たった今、自分が謝った理由も忘れて心の底から聞いてくるから、シロはそれがおもしろくて思わず笑いそうになるのを我慢して、わざとらしくため息をついてみた。
 ユメはシロのため息に慌てて、勢いよく袖をまくって、つるつるつやつやの腕をシロの目の前に突きつけた。
「黄色っ。見て見て、黄色! 超美色肌っ。こんな美人に抱きつかれてシロったらラッキー。よ、憎いねっ。こんな美人幼馴染がいて羨ましいねっ」
 色の三原色は七難隠す。といわれいて、赤と青と黄の肌は特に女性の、美人の条件の一つになっていた。
 ユメの肌はぴかぴかの混じり気のない黄色で、この色なら将来どんな夢も叶う、という意味合いから「夢」と両親が名前を付けた。その肌の色を持つだけで、ユメは多分、ユメが望むどんな未来も手に入れることができる、はず、だ。
 シロも、ユメをとてもきれいだと、思っている。
 シロじゃなくても、誰でも、ユメをとてもきれいだと思っている。
「シロは、あたし、気持ち悪い?」
「なんで? そんなわけないじゃん。そうじゃなくて、ユメが……」
「あたしがなにさ」
「ユメが、おれ、気持ち悪くないなら別にいいけど」
「え、ぜんぜん。すべすべしてて気持ちいい」
「……あ、そ」
「うん、そう」
 ふたりして、キョトンと見合う。先に目をそらしたのはシロだった。素直に、口元がほんの少し、嬉しそうに笑うのを隠したくて、
「宿題の続きやろ」
 くるりと、シロは勉強机に向う。もくもくと問題を解いた。もくもくとしているのに、ユメが、なにか言いたそうな顔でじっと見てくる。しばらくは気が付かない振りをしていたけれど、そのうちにどうにも気になって、
「なに?」
 と声だけで聞くと、ユメは待ってました、というように、
「明日、スーパー寄るよね?」
「うん」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「そっか、ならいーや」
「ほんとにおごってくれるの?」
「その気満々」
 ユメはお茶を飲み干して、さて、と気合を入れるとノートに向かう。黄色の、ユメのくちびるに茶っ葉が付いていたので、シロはそれをひょいと取ってやった。



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