〜 色、いろいろな色 0 〜
山裾(やますそ)さんのお宅は少しおかしい。
と、近所じゃない人たちが噂しているのをシロは知っていた。
シロだって、自分の家族は少しじゃなくて、かなり、おかしいと思っている。
でも、おかしくなり始めてからかれこれ十五年も経って、近所の人たちはもうすっかり山裾家のそんな形に慣れてしまっていた。今では陰口を叩く近所の人はいない。気軽に挨拶だってしてくれる。回覧板も回ってくる。
たから多分、今のところこの近所で「山裾家はおかしい」と思っているのはシロだけだ。
だって……。
「シロ、シーロ」
休日の午後、トントン、とノックしながら部屋に入ってきた母は、来年小学校に上がる小さな妹を連れてきた。
「おかーさん、買い物行ってくるから、ミズイロの面倒見ててくれる? って、なんだ、昼寝でもしてるのかと思ったら勉強してたの?」
昼寝を叩き起こす勢いの母の声は大声だった。
シロは勉強机から振り向いて、
「宿題中」
ぽつり、と言う。勉強中だから妹の面倒は見られない、と主張したかったわけではない。昼寝ではなくて勉強していた、と主張したかった。なのに母は前者の意味にとらえたようで、
「昨日も夜遅くまでなんかやってたでしょ。あれも宿題?」
「そう」
「もう、宿題多すぎじゃないの? だーから、あんな難しい高校、ムリして入らなくていいって言ったのに」
「ムリ、してない」
「勉強大変だからってバスケもやめちゃったくせに」
「勉強のペース掴めるようになったら、またやる」
「ほんとにぃ?」
「ほんと」
「ならいいけど」
母はため息と一緒に言って、高校一年生にもなった息子の頭をがしがしと撫でた。
がしがしと撫でる母の手は、手の平まで緑色をしている。手の平も手の甲も、その先の腕も顔もからだも緑色をしている。新緑の季節を思わせる、色鮮やかな緑色だ。
「とにかく、ミズイロをよろしくね」
「そういえば父さんは?」
「休日出勤」
母は繋いでいた妹の手をシロに渡す。
渡された妹の手は、水色をしている。手だけではなく全身が、近所の公園の滑り台と同じような、かわいい水色をしている。
シロはシャーペンを置くと妹を抱き上げた。抱き上げられて、妹は嬉しそうに笑う。嬉しそうなまぶたも唇も、くまなく水色だ。
「あのねー、おやつあるよー? だいふくー。シーちゃん、いっしょにたべるー?」
「大福? ミズイロの好きなイチゴの?」
「そー」
「じゃ、食べよっかな」
シロも、笑う。
玄関で母を見送って台所に入ると、姉がいた。シロは驚く。
「あれ、ねーさん、出かけてたんじゃないの?」
シロより四つ年上の姉は、イチゴ大福を皿に取り分けながら、
「そー、それがね、ちょっと聞いてくれるー? 今日ね、平日と間違えて大学行っちゃってねぇ」
「……はあ」
「だから慌てて帰って来たの」
「ねーさんらしいね」
「でしょー?」
「『でしょー』じゃなくて……」
どうコメントしようかとシロは考える。考えている傍から、
「ああっ!?」
ぼっとりと、手を滑らせた姉が皿からイチゴ大福を落す。シロはがっくりする。
姉は慌てて大福を拾う。その手は、きれいな桃色をしている。大福を拾うのに座り込んでスカートの裾から見える足も、伸ばした手も、邪魔そうに髪をかけた耳も、桃色をしている。柔らかい、やさしい桃色だ。
……シロは、自分の家族をおかしいと、思っている。
だって。
妹は水色で、姉は桃色で、母は緑で、父は紫だ。
ちなみに妹の名前は、山裾水色(みずいろ)。
姉の名前は、山裾桃色(ももいろ)。
母は山裾木々(きぎ)で父は山裾葡萄(ぶどう)という。
誰の肌も、ぺたり、としていて、ぴんと張ったラップのようにつやつやしている。母は最近、そのつやつやの肌にシワができてきたのを嘆いている。
……こんな家族、だって、普通じゃない。
ピンポン、とドアチャイムが鳴った。
「あ、わたしが出ようか?」
と言った姉がまた大福を落としたので、
「おれ、出るよ」
妹を姉に預けて、シロが玄関に出た。隣のおばさんが回覧板を持ってきた。
「あら、シロイロくん、こんにちは。どう? 宿題、終わった? うちの娘、もー泣きそうになって必死にやってるわよ。ふたりして難しい学校に入れたのはいいけど、大変よねえ」
「宿題、おれもまだだから。あとで見せっこしようってユメに言っといてくれる?」
「はいはい。ふたりともがんばってね」
おばさんは、にこにこ人懐こそうに笑う。そんなおばさんの肌は、スーパーのフルーツコーナーに並んだオレンジのように派手やかなだいだい色をしている。隣の、幼馴染の肌はきれいな……とてもきれいな黄色をしている。なにしろ色の三原色に含まれるあの黄色だ。きれい、以外の言葉が見つからないくらい、きれいな色をしている。
シロは回覧板を受け取った自分の手を、見た。
シロの名前は、山裾白色(しろいろ)、という。
白色、という名前をもらったけれど、シロの肌は白色じゃない。白、といえば白に見えないこともないけれど、白、といえばシロの理想の色は例えば、グラスに注いだミルクの白なのに。
シロの肌はそれより少し、黄色い。でも、幼馴染のようにつるんとしたきれいな黄色ではなくて、黄色と、白と、それからだいだい色と茶色と、もっと、なにか混ざったようななんだか微妙な色をしている。
肌触りも、みんなのようにつるつるつやつやしていない。触ると、ぺたり、と少しつっぱる感じが最高の肌触りなのに、シロの肌はなんだか、さらさら、している。よく見ると、普通じゃ絶対にありえないうぶ毛が生えていたりして、もうぜんぜん、どう見ても明らかに、肌質が違う。
目と耳はふたつで鼻と口がひとつで手足は二本ずつで、指は五本で、太陽を背にしてできる影はどこの誰とも変わらないけれど。
シロイロはこの家の子どもじゃない。
そんなのは一目瞭然で、誰が見ても、誰に言われなくても誰にでもわかることだった。
十五年前に、姉が拾ってきた。
近所では有名な話だった。
シロはこの家の子どもじゃない。
シロは自分のことを宇宙人かもしれないと思っている。
だから、ほら、こんな自分を養ってくれるこの家族は、多分、きっと、かなり、おかしい。
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