『奈津、イブとかクリスマスとか、仕事?』
無邪気に、子供みたいに、サンタさんくるのが楽しみみたいに、
『サンタ? どうだろ、今年はいるっぽいよね』
お正月にお年玉もらったときみたいに、ちょっとワクワクしたみたいに言ってた、くせに。
「いい、んだよね?」
ふいに、大人みたいに……男のひと、みたいに、低くした声、ずるいと思った。
「……え?」
まだ着たままのコートの袖口引っ張られて振り向いて、そのままキスするんだと思った声が、わたしの、首筋に埋もれてくぐもった。
「すごい……おれ、ヤバい」
「高橋、君?」
「泣きそう」
声が、首筋からずるずるすがるみたいに襟元まで落ちていって、
「奈津」
そこから、呼ばれて。
呼ばれたから、返事をしたら、高橋君は安心したみたいに笑った。
……う、わ。ずるい。
先にそうやって笑うの、ずるい。
わたしは照れるばっかりで。顔はきっとすごく赤くて、俯いて。
……こう、いうの、なんか、気持ちばっかり上擦ってるみたいで、本当はこのまま、こんなふうに傍に、一緒にいるだけでいっぱいいっぱいなのに。
「奈津……」
コートのボタンはずして、押し付けてくる。
気持ちとか、感情よりも、唇の感触が。
そのまま、シャツの上から肌をなぞって胸元に近付く。
「…………っ」
自分の、飲み込んだ息に自分でびっくりして、高橋君の袖口を咄嗟につかんだ。
「あの……高橋、君」
「なに?」
胸元からそのまま、わたしだけ、真っ直ぐに見る、から。
うそ……やだ。
どう、しよう。
目を、そらしちゃった。こんな場面で。まるで拒絶、したみたいに……。
高橋君の戸惑う気配に、なにか言わなきゃと、思ったけど。
言うより先に、高橋君は緊張しすぎて体力消耗したみたいに、ずるずる座り込んだ。
引っ張られて、一緒に座り込む。
「……奈津」
「は……はい」
ごめんなさい、って言いたくて泣きそうなわたしを見て、
「おれ、奈津が好きだよ」
高橋君はちょっと笑う。わたしを見て、わたしに笑う。
わたし……そんなこと言われて余計に泣きそうになって、高橋君はなんだか慌てたみたいに周りを見回した。
「それだけわかっててくれれば、別に……」
ちょっとだけ、言いたくなさそうに、
「別に……いやならいやで……」
自分で言って、自分で少し、傷ついた顔をした。目が合うと気まずそうに、また周りを見回して、テーブルの上に置いた箱を見つけて、それできっかけを見つけたみたいにほっとした。
「ケーキ食べよう」
袖口……。
「ケーキ、おれ、あれやりたい。ホールごとフォーク刺して食べていい?」
今までずっとつかんでたわたしの袖口を離して立ち上がる。
でも、わたしは高橋君の袖口をつかんだままで、くん、って立ち上がる勢いそがれた高橋君が、わたしを見た。
◇
『ていうか、奈津が来て』
気が付くとよくそこで喋るようになってた会社の給湯室の窓から、イブとかクリスマスも仕事のある日? と聞かれたので、うん、と答えた。イブでもクリスマスでもきっちりお仕事はある。
『あ、でもどこか行く?』
高橋君はテスト週間で、部活のテニスが出来なくて退屈そうな顔してたから、
『わたし、駅前の公園のイルミネーションとか、ゆっくり見たいなと思って……』
言いかけたら、高橋君にそう言われた。
『ていうか、奈津が来て』
って。
『どこに?』
『おれんち。おれもう学校休みだし。部活やって、そしたら迎えに来るから、ケーキ買ってこ』
ケーキ……。
一瞬、ケーキに気を取られて、チョコレートと生クリームとどっちがいいか考えようとしたところで、隣でお客さん用のコーヒーを入れてた立野さんが、ものすごくわざとらしく咳払いをしてくれて我に返った。
あれ……今、高橋君、おれんち、って言った……?
『え、高橋君の家。って、ええ!? ご家族とご対面!?』
立野さんが隣で「鈍っ」って笑ったのわかったけど、高橋君はさらりと、
『あ、いないから』
『え?』
『うち、毎年その日誰もいないから』
『……え、毎年?』
『母さんの誕生日で、なんだか家族旅行の日だから。昔からそうだったから、ドコの家も母親の誕生日にはそうするもんなんだと思ってて』
『うち、してない』
『うん、だから、おれも最近、なんかおかしいことに気が付いた。てゆーか、なんで親父、会社、毎年休み取れんの? クリスマス休暇? そーいや、なんかよその国の知り合いとか多い気がするけど……』
立野さんが、はいどーぞ、って差し出してくれたコーヒーを、わたしも、なんだかあらためてお父さんの仕事に疑問持ってる高橋君も、どうもです、って受け取りながら、
『とにかく。おれは部活あるし。この年になってオヤと旅行ってのもあれだし。だから奈津、来ない? イルミネーションなら、うちんとこの住宅街も、わりとすごいことになってるよ』
『あ、それ、見に?』
『それもあるけど』
高橋君はコーヒーのカップを手元でぐるぐるしながら、
『うち、泊まってかない? って誘ってるんだけど』
わたしはコーヒーをちょうど飲み込むところで、
『そろそろ、キスの続き、教えてよ』
窓の外の一段低くなっているところから見上げた高橋君に、むせた。
……隣で立野さんもむせてた。
◇
わたしは高橋君の袖口を引っ張ったままで。
高橋君はわたしを見たままで。
「ケーキより、ご飯?」
高橋君はお腹すいた、という仕草をする。
……とても、そんなこと聞き返す状況じゃないことはわかってたけど、
「ごはん?」
って聞き返してた。そういえばケーキしか買ってきてない、から、なんだか漠然とどこかに食べに行く気でいたんだけど。
すでにもう高橋君の家の中、で。帰ってきたときにつけた暖房も効き始めてた。
「奈津、お腹減ってない? それとも」
高橋君は普通に笑うの失敗したみたいに、今の、状況に、
「食べる気になんない?」
口元だけでぎこちなく笑った。
「口に合うかはわかんないけど、食べ物はいっぱいあるよ」
わたしがつかんだままの袖口を気にしながら、
「カノジョ、が、来るって言ったら、なんか張り切って作ってた、から」
「え?」
「あー、ハハオヤ、が」
「え……うわ」
「なに?」
「ちょっと、なんとなく……わたしが作るよ、とか、ちゃんと言っとけばよかったね、と思って。あ、キッチン、借りていいなら、だけど」
高橋君は想像もしたなかったことを言われたみたいな顔をした。
「奈津、ご飯、作れるの?」
お昼いつもコンビニじゃん、と言われて、早起きが苦手なんです、と返した。
「でもっ。でも、クリスマスディナーとかは無理、だけど」
そんなのはぜんぜん作れないんだけれど。って言ったら、そんなことは全然まったくかまわないように、
「すげ、料理できるだけでソンケー。んじゃあ、台所見たら温めたりとか、テキトーに仕度できる?」
「……てきとう、でいいなら」
「おれ、食べれればいい」
袖口を気にしながら、でも、今度はもう少しちゃんと笑った。
「高橋君は、料理、苦手?」
本当は、少し、どうでもいい会話だと思った。多分高橋君もそうで。だからなんとなく、上っ面、みたいな会話、で。でも、それでも。
「苦手っていうか……」
ちょっと聞いてよ、と言いたげに、
「前に母さんに頼まれて煮物の火、見てたんだけど。でも実はあんま見てなくってこれでもかって焦がしちゃって。それから台所立ち入り禁止令出された」
「立ち入り禁止令……」
「そー。奈津、焦がしたことある? あれ、すっごくない? 真っ黒い煙出てくるし、すっごい匂いするし、ヤバいなと思ったんだけど」
「そ……こまで焦がしたことはない」
「そう?」
そーゆーもんなの? と焦げレベルのよくわかっていない顔で、
「でも料理よりも、それよりもなんか、すごいいい鍋、ダメにしたみたいでさ。とにかく鍋ダメにして怒られて……ほんっと、鍋のことで怒られて。…………後にも先にもあんなに怒られたことない気がする」
鍋が理由でそこまで怒られたのが腑に落ちない、という顔をする高橋君に、
「……あはは」
気が付いたら、笑ってた。ちょっと笑いすぎなくらい笑って、その合い間に、笑いすぎでごめんって謝って、でもやっぱり笑ってたんだけど。
高橋君も笑ってて。
それではっとして笑うのやめたら、
「もう笑わないの?」
つかんだままの袖口を、ぶんぶん、子供をあやすみたいに振られた。
「ご飯、食べる気になった? お腹、減った?」
高橋君は壁にかかってる時計の、時間を気にする。
どうして、時間、気にするの?
わからなくて、引っ張った袖口に付いてきた高橋君に顔を寄せた。
あやされてる、から、甘えていいんだと、思った。
「あの、ね。あの……」
でも、わたしの言いたいこと、
「んじゃ、ご飯食べよ」
高橋君が、もうなんでもないみたいに言った。
わたしの、言いたいこと……。
言えてなくて。
「高橋く……」
「あんまゆっくりしてると、終電間に合わなくなったりしたらヤバくない?」
わたしが持ってる袖口、離そうとするから。それが突き放すみたいで、ちょっと呆然として、
「終電、て……高橋君……泊まってっていいって、言った、よね」
高橋君も呆然とした。なに言ってんの? と心の底から言いたそうに。
「おれに、ひとり我慢大会しろっていうの!?」
「……え。我慢……?」
「だから、奈津はイヤでもおれはさあ……っ」
それだけ一気に言って。
言ったと思ったら、すごい力で壁を叩いた。なにかに怒ってるんだと思っておもわず首をすくめたのと一緒に、部屋の電気が消えた。
叩いたの……電気の、スイッチ……?
真っ暗、になるんだと思ったけど、明るかった。
部屋の中は暗い、けど。窓から、よそのお宅のクリスマスイルミネーションがクリスマスカラーで点灯してる明り、入り込んできてて。
最近近所でなんかイルミネーション大会みたいになっててさ、ちょっとすごくない? と住宅街を歩きながら高橋君があんまり興味なさそうに言っていたのを思い出す。
高橋君の家では、近所の付き合い程度みたいに庭木の一本だけがオレンジに統一したランプで光ってる。
部屋の電気が消えても、
「奈津、袖、離して」
イルミネーションで明るい。でも、高橋君の顔はイルミネーションを背景にしていてよく見えない。
「離して」
「……やだ」
って言ったら。
「じゃあ、このまま手繰り寄せて襲っちゃってもいいの?」
「襲う、の? 高橋君が?」
「奈津ぐらい襲えるけど」
高橋君の顔、見えなくて、それがいやで見つけたスイッチを押したら、高橋君は赤い顔をして、急に点いた明かりに、ぽかんとわたしを見た。
ぽかんとしてたの、きっとわたしも同じ、で。
赤い顔を隠すみたいに俯いた高橋君が、それでも俯いてばかりいられなくて、戸惑うみたいにわたしを見た。
「奈津」
ただ呼ぶだけで。
声、だけで。
「ほんとに、襲っていい?」
高橋君の顔が、赤い。耳まで赤くて、その耳を触ろうと伸ばしたわたしの手から、避けて逃げた、から。
あんまり勢いよく逃げたから。
逃げられちゃうの、いやで、抱きついた。
「奈、津っっ! ちょっ、たいむ、ほんとーにタイムっ! やばい、からっ。勘弁して……っ」
「い……やっ」
「って、イヤ、じゃなくてっ」
「わたし、好きにしていいよ、って、前に、言った」
……言った。ちゃんと、
「言った、よね?」
抱きついたまま言ったら、ちょっと、抱き返された気がした。と思ったら、ごそ、と高橋君に、わたしのからだ、押し返された。
押し返されて、でもすぐ傍で、息、触れる寸前で、
「おれ、ほんとに襲っちゃう勢いなんだけど……」
いいの? と聞かれて。
真正面から聞かれて。
すごい、びっくりするくらい、高橋君ていつでも真っ直ぐだな、って思った隙に。
そんなこと思ったほんのちょっとの隙に、
「……だから、イヤならイヤで正直に」
なんて言い出すから、高橋君と繋いだ手を、強く握り締めた。そうしたら、
「……いい、んだ?」
すくい上げるみたいに下からキスされた。
わたしを、それでもまだ窺うみたいな、触れるだけのキス、だった。
何度も、何度もそうして、そのうちに。
わたしの顔に触った高橋君の手が、頬をなでてあごにかかって、指先で触れられた唇を、抵抗せずに少し開くと、唇、深く押し付けられた。
「っふ…………っ」
口の中に、高橋君の感触がして、
「……んっ……っっ」
目を、閉じてるのにめまいがするみたいで、高橋君にしがみついた。
高橋君が、わたしのボタンを外したシャツの中を触る。その手が冷たくて、冷たさに我に返って、目を見開いたら、急にぱっちり目を開けたわたしと目が合った高橋君が、びっくりした顔をした。
「奈津?」
覗きこまれて、それで。
わたしが一瞬……一瞬、なに、考えてたのか見透かされた気がして、思わず高橋君から後ずさった……んだけど、まだ脱いでなかったコートの裾、踏まれてて、
「……ぅ、きゃぁっ」
背中からフローリングに倒れこんだ。ごん、ってすごい音で床にぶつかる衝撃を想像した、けど。あんまり痛くなかった、と思ったら、床と頭の間に高橋君の手が挟まってて、そのまま覆いかぶさってきた高橋君が、またキス、した。
何度もそうしてくるから、応じた、ら。
「奈津ってさ」
高橋君はすぐ傍からわたしを見下ろして、
「もどかしい、よね」
わたしのそういうところ、よくわからないし、わかりたくもない、みたいに、怒ってるのか泣きたいのか、笑いたいのか、わからない顔をした。
「おれ、遊ばれてんの?」
冗談、言うみたいに言って。
でも、冗談じゃないみたいに、言って。
「奈津、おれの手、離さないから、だからおれ奈津に夢中になるのに」
わたしは、なに言われてるのかわかんなくって、まばたき、したら。
「奈津は、さあ。おれに夢中にならないの」
疑問形、なのに、疑問形じゃない言い方、で。
「これ以上、かわさないでよ」
わたしの顔の、すぐ横で、高橋君は自分のからだ支えるのに床に着いてた手のひらを握り締めた。
「奈津、なにがヤなの?」
もう、さっきからずっと、
「や、じゃない……よ」
「じゃあ、なんでおれ、見ないの」
「だっ……」
……だ、って。
なんだよ、と言いたそうな目で見られて、思わず両手で顔を隠したら、力任せにはがされた。
「なに。なんだよ。なんでそんな顔してんの」
「ど、んな、顔、してる?」
聞いたら、おれに聞くんだ? って呆れたみたいに笑った。
うん、でも、呆れた、んじゃなくて。
その顔……、とか、表情、とか……。
わたしの顔……、とか、表情、とか。
高橋君は、なにか言いかけて、でも諦めたみたいに吐息した唇を、わたしの額に
押し付けた。
「……なんか、よくわかんないけど」
どんなふうなのか表現するのにわたしをじっと見るから。わたしの目線、行き場なくして逃げるみたいにそらしたら、
「ほら、そんな顔」
って、ほんの少し、我慢できないみたいに低くした声で、
「それ、そんなことばっか、朝まで続けんの?」
高橋君の冷たい手が、わたしの頬に触った。
「じゃあさ、続ければ? おれがっ、奈津に振り回されて、そういうおれの姿はきっとおもしろいと思うけどっ。そーゆーおれを見てたいの?」
ああそう、見たいならどーぞ。って、もうなんだか投げやりに言って。
……投げやりに、言って。でも。
「でも。……そういうおれでもいいから、見ててよ」
「……高橋く……」
「よそ、見ないで。おれ見て、ここにいてよ。一緒にゴハン食べて、傍に、いてよ。終電で帰ればとか言ったの、すごい、ウソだから」
冷たい手は、わたしのこと逃がさないみたいに、
「いてよ」
目線、そらせないくらい近くで、
「いる、よね」
いるだろ? ってほんの少し小首、傾げたから、その目線、追った。
高橋君の目、きれいな二重、だった。……そんなの、知ってたけど、あらためて思いながら、高橋君のまぶたに触った。
「いる、よ。やだ、帰れって言ってもいる」
「絶対?」
「うん、絶対」
子供の約束みたいだった。
でも、そんな約束が一番、安心するのかもしれなくて。
……安心、した。
別に、不安だったわけじゃないけど、でも、だ、って……っ。
「わたし、いる、から。だ、からね……」
高橋君の襟元、引っ張った。
「あの……。お」
「お?」
「高橋君、わたし、襲って、いい、よ?」
「…………は?」
高橋君は何秒かしてやっとそれだけ言って、それからなんだか、とんでもない事態に陥ったみたいに固まった。
「え、奈津、まさか、そういう趣味……」
……趣味……?
わたしも一瞬固まって、
「って、ええ!? や、違うっ」
そう、じゃなくって……っ。
う、わ。部屋の暖房、急に思い出して顔が熱くなった。暑くて、ずっと着たままのコート脱ぎたくて。でも、脱ぐ、とかそんな、自分で思ったことに自分で過剰に反応して慌てた。
暑くて……熱くて、熱さに浮かされたみたいに、
「わたし、だって、今まで、どうしてたんだっけ……って、思って」
思ってたことを、そのまま口にしてた。そうしたら、
「今まで?」
一年生なのに、三年生の授業受けちゃったみたいな、そんなわけの分からない顔をした高橋君が、
「今までって?」
言われて、ふと合った目、はっとしてそらしたら。
それで、なんだか分かったみたいに、
「……ああ」
そっか、って、今までで一番低くした声で呟いた。
……今まで。
こんなふうに。
高橋君じゃない、ひとと。
わたし、どう、してたんだ、っけ?
ど、すればよかった、んだっけ。
そんなこと、考えてた。
高橋君の手を、つかんだ。片手で手繰り寄せるように触って、両手でつかんだ。
「……奈津……」
高橋君は、わたしにつかまれた自分の手をされるがまま見ながら、吐息して、ちょっと呆れたみたいに意地悪に、
「おれに、どーされたいの?」
声だけ聞いたら、もしかしたら、笑ってる、んだと思ったけど。高橋君はやっぱり笑ってなくて、なにか考えてる途中みたいな顔をしてた。だから、なに、考えてるの? って、顔をしたら、
「奈津はおれに、どーしたいの」
ど……したい、って……。
「え」
意外、なことを言われて、
「……ええ? わたし、が……?」
「したいこと、してもいーよ」
高橋君はおもしろいみたいに、だってさ、と付け足した。
「奈津さあ、するの、嫌いじゃないよね」
だよね? と問いかけてくる眼差しが、すごく、意地悪に見えたから。
思わず身を退いたら、追いかけて、きた。
つかんでた手、離したら、つかみ返された。すごい、力で。
「奈津はさ、嫌いじゃないよね。いっつもスキンシップ無意識だし、キス、もっとってせがむのうまいし、そういうの好きで、その先だって好きでしょ。今までだって、気持ちよかったんだよね」
……今まで、って。
そう、言ったの、わたしだけど……。
「……高橋く……?」
「いつ、どこでしたのが一番よかった? どうされたのが一番よかった? 誰が一番よかった?」
「……や」
「どんなふうにするのがいいの? どんなふうにされたのが良かったの?」
「や、だっ。いや……、やめてっ」
「なにを?」
なにを? って、わたしを見た高橋君は、なにか考えてたこと、終わった顔を、してた。けど。
暖房……暑い。
顔が熱い。頭の中、くらくらしてきた。どうして、こんなこと、に。
……なってるん、だっけ?
わけが、わからなくって、高橋君につかまれ手た手、勢いよく離した。
だってっ。どうせっ。
「好き……だもん。なに、好きじゃだめなの? 好きな人に触られるの、好きじゃダメなの? 暖かいとか、気持ちいいとか感じちゃだめ、なの?」
顔が熱くて、わたしの顔はきっと真っ赤で、それで……。
それで、もっと、たくさん、言いたいことあった、のに。
高橋君が、
「……あはは」
口元からこぼれたみたいに笑って、それ、微笑むみたいな笑い方、だったのに。でも、大笑いしたみたいにお腹抱えて、高橋君はわたしのすぐ横に、ごろんと仰向けに寝転んだ。
「奈津、逆ギレ。すげ」
おもしろい、って笑う高橋君を、今度はわたしが見下ろした。上半身起こして、その場所から見下ろしたら、高橋君は真下からわたしを見上げて、伸ばした手でわたしの目元、触った。
「泣かないで」
指先で拭いてくれたの、涙、だった。
高橋君につられて、下、見たから零れてきた。
涙を拭いてくれる高橋君の手に触ったら、
「おれの手も、気持ちいい?」
「……うん」
うん、って言ったら、また高橋君が笑った。
気持ちいいのは、そう感じるのは。
わたしがちゃんと、ほんとうに、高橋君を……。
「奈津、おれのこと好きなんだ?」
……うん。
「好き」
大好き。
繋いだ手を、繋いだままで。
もっと、強く握り締めた。
高橋君に引き寄せられて、この体勢だと体重が高橋君にかかるのに戸惑ったのに、そんなの、かまわないみたいに抱きしめられた。
ごめん、って、高橋君がはっきり言った。
「ごめん。ほんっと、だから泣かないで」
くすぐったいくらい、耳元で。
さっき、意地悪な目をして言ったこと、
「おれ、誰かと比べられてるとか、思ってないよ」
高橋君が、そんなことを考えたり思ったりしないこと、なんて。
「……知ってる」
「ほんとに?」
「うん」
「……おれ、別に、奈津は、前の彼氏にはこうやって抱かれてたんだ、とかも思ってないよ。奈津はいろいろ考えて気にしてる、のかもしれないけど」
背中まで抱きしめられてたから、顔、あげられなかったけど。
抱きしめられてなかったら、思わず高橋君からがばって離れちゃうとこだったの、見越されてて、抱きしめ、られてて。
もう、逃げられなくて。
それでかえって、赤い顔を見られなくて済んで、なんだか安心しながら、
「なんで、ばれてる……のっ」
……今まで。
わたし、今まで、どうしてた?
キスされて、触られて。それで反応してるのは、今までもそうやって抱かれてたからじゃ、ない、よ。
今までは今までで、高橋君は、高橋君で……。
……でもっ。
でも、って思うたび、ふと我にかえって、高橋君を戸惑わせた。
「ちょっと、冷静になったら、奈津のことだから、そーかな、と思って」
そう、なんだ、と納得するより先に、高橋君がもう一度、謝った。
「……って、うそ、ごめん。この状況で、あんま冷静でもない。ていうかムリ。ほんとは、奈津がいろいろ考える必要なんてないくらい、おれには余裕、ないから」
背中の高橋君の手が、
「……おれには全部初めてで、余裕もなにも……奈津のことしか考えてない」
わたしの肩を抱きしめて、耳元にますます近くなった声が、囁くみたいに、吐息みたいに言った。
「ねえ、おれの部屋、連れてっていい、よね」
手を引かれて部屋に入ると、高橋君は足元の雑誌を蹴飛ばした。
わたしだけ、ベッドに、座って、勢いよくためらいなくセーターとTシャツを脱ぐ高橋君を見てた。目が、合って、わたしもブラウス、自分で脱いだ。
高橋君が、じっと、見てる、から。下着、はずしかけのまま胸元隠したら、その手を取られて、
「触って、いい?」
頷くより先に下着を取られて、冷たい手が肩から胸を撫でた。鎖骨、から、胸元までが冷たくて、その先の冷たさを想像して、ぎゅって目を閉じたら、そんなわたしにびっくりしたみたいに手が離れて、高橋君がゆっくり、息を吐き出す音だけ聞こえた。
目を開けたら、照れて笑う高橋君に抱きしめられたから、抱きしめた。
わたしも、高橋君も、多分、さっきまでと顔とか、表情、あんまり変わってない。
どんな、って。
ふたりとも、同じ顔してて。
わたしも高橋君も、
多分、
……どうしていいのか、わかんない、表情。
「奈津、まだ襲われたい?」
余計なこと考えたくなくて、そんな暇が欲しくなくて、さっき、そう言ったこと、
「……す」
「なに?」
耳、元で……っ。声より、ざわざわ揺れる息で聞かれて、
「……んっ」
どこかの神経がざわついた。ひとりで握り締めた手のひらを、解かれて、指が絡んできた。
ベッドに膝だけかけてた高橋君に押し倒されて、ふたり分、スプリングが軋む。柔らかい衝撃とか、絡んだ冷たい指とか、耳に触る熱くなってる息、とか。
「す……きに……」
「好きに、していい?」
「ん……」
「奈津も」
呼ばれて、目を開けたら、
「奈津も、好きにしてよ」
笑った、から。わたしも笑ったんだと、思ったけど。
わたしが笑ってたから、高橋君も笑ってた、のかもしれない。
唇や首筋に唇を押し付けられる。でも、胸元でためらう、から。高橋君の胸元に触った指先の、つめを立てたら、その手を捕まえられて、仕返しみたいに胸の先、舐められた。
「…………っ」
我慢、できなくなる声、とか。力を込めた指先、に高橋君が反応する。スカートの裾を撫でられて、
「……奈津、奈津」
呼ばれて、乞われて、自分で、スカートと、下着を脱いだ。その間中キスしてて、肌に触られるのと口の中の感触に混乱してわけがわからなくなる。
「っ……ん、……ぁ」
口の中で一緒になってる音、に、夢中になってる間に、
「……ぅ、んっ。ん……」
胸を、撫でてた手が、わき腹を落ちていくのがぼんやり、わかって。
え? と思った次には、膝から、太ももの内側をなぞられて。
足、閉じたのに、
「……やっ。ねぇ、たかはしく……っ」
泣きたくなった、のは、だ、って。
「……んんっ! や……っ」
ためらわずに触られたその場所の、濡れた感触に、両手で顔を隠した。
キスを中断した高橋君が呆然としてる……ような気がした。その感触に。……見えない、けど。
「……奈津?」
わたしは隠した顔を見せられないでいるのに、高橋君はどこか、のんきな声で。
でも、返事しないでいたら、今度は確信犯みたいに、もう一度呼んで、やっぱりわたしが返事をしないでいると、
「……え……?」
濡れたままの指を……。
「え、……や、いや……っ」
濡れてる場所をなぞって、その、奥で動かす、からっ。
イタズラ、してるみたいに動かす、から。高橋君、いたずらっ子みたいに笑ってるんだと思った。でも、
「奈津」
目隠し、してた両手を捕まれて、目隠しが外れて視界が広がる。高橋君の姿も見えた、けど、それよりも、高橋君の指、が……っ。
「感じてるの?」
「……だ、って……っ」
「なに? おれ見て言って」
そんなこと、言われても。
「……やぁ」
「……なんで?」
だ、って。
これじゃ、わたしばっかり……みたいで、恥ずかしいから、やだ。って、なんとか伝えたら、
「なに、言ってんの」
高橋君、勘弁してよ、って言いたげに、
「……おれもいっぱいいっぱいなんだけど……」
かぶせるようにキスされた、けどっ。
高橋君は少しもためらわずに指を進めてくる、から。
「あ……ゃ、んん!」
逃げるつもりなんてないけど、逃げるみたいにからだが揺れて、キス、どころじゃなくて、つかんでた高橋君の肩につめを立てた。
う、そ……、やだ。こんなの……っ。
「……奈津」
加減を、ぜんぜん知らないままいじられてるの、が。
「こんな、奈津見て……さ」
「ぁっ……! っん…………あ、ああっ」
「奈津ばっかり……な、わけない、じゃん」
声、にも感じるのにぞっとしてそむけた顔、撫でられて。
でも、そんなこと、じゃなくて、高橋君、が。
初めての場所、触るの、おもしろいみたいに、めちゃくちゃにするから。めちゃくちゃなの、もどかしくて涙、出そうになったときに、
「奈津……ねえ、おれもう入れていい?」
って、そんなこと聞かれても。
「や、だっ。知らないっ」
勢いで、言ったら、高橋君はちょっとびっくりして、途方に暮れたみたいな顔をした。
でも、泣きそうなわたしを見て、口元が笑った。
「なんで? 知らないわけないじゃん」
「……なっ」
「知らないわけないよね?」
濡れた指を見て、それでわたしをからかうみたいに笑おうとしたの、失敗して、ふいにまじめな顔を、したと思ったら、指に、キスした。
……自分の指に。
わたしの……。
「おれわかんないけど、奈津、わかるよね。教えて。いいならいいって言って。おれはいつでもいいよ」
子供、みたいに笑ってすごいこと、言ったり。
男の人、みたいな声で、子供みたいなこと、言ったり。
「……高橋、く……」
「んー?」
もういいの? ってうれしそうな顔して、みたり。
なんだか印象はばらばらなのに、
伸ばした手を、繋いだ、そういう感触は高橋君に間違い、なくて。
繋いだ手を、引き寄せた。
「……いい、の?」
高橋君が、緊張したみたいに笑った。
わたしも、緊張して、
「……な」
高橋君のことを、
「直(なお)……」
って、呼んでみた。けど、呼んだ瞬間に恥ずかしくなって、
「……くん」
付け足したら、
「……呼び捨てでいい」
高橋君がぼそっと言った。
カーテンの向こうで光ってるイルミネーションに、一瞬だけ、今日がクリスマスイブだったことを思い出したけど。
そういえば、宗教、によっては、クリスマスイブの日の陽が沈んだら、もう日付が変わってクリスマスなんだって、誰かが言ってた気がするけれど。
「……奈津」
一瞬だけ。
だって、呼ばれたから、
「……うん」
呼ばれ続けたから、返事だけ、してた。
……返事しか、できなかった。
「ッあ…………」
受け入れるのにいっぱいいっぱいで。
指先で探し当てられた場所を、さらに指で押されて、のどに引っかかった声を飲み込んだ。
「奈津……」
確認するみたいに聞かれて。でも、聞いてみた、だけで。
押し込む、ように入り込んでくるのを受け入れた。
「……ん……、ふ……っ」
思わず自分の口元を押さえたのは、声を我慢したかったから、じゃなくて。
繋がり……はじめた場所、が。
じわりと、ひどくもどかしく感じたのが、だって、あんまり……っ
や、だ……どうして……。
口元を押さえた手が震えて、奈津? って呼ばれて、
「奈津、奈津……なに? 痛い?」
少し、必死な声が耳元でざわざわした。
……痛い? 違う……。
「違……」
違うよ、そうじゃないよ、って伝わった、のか。安心したみたいに、ごそ、と動かれて悲鳴を上げた。
奈津……? って呼んだ声が、辛いの? って聞いてきて、一度、二度、首を振った。
痛くない。辛くない。そう、じゃなくて……っ。
繋いでた手に、つめを立てるくらい力を込めたら、目が、合って。
それでわたしの、どこかの糸が切れたみたいに、
「え、ちょ……奈津?」
我慢、してたのに。
涙が溢れてびっくりされた。……びっくり、って言っても、まだ……その、ふたり、繋がりきってなくって、それで、そのことでいっぱいいっぱいで、びっくりしてる場合じゃないみたいに汗、かいてて、呆然とした顔で見下ろされて。
……泣くの、我慢してた口元で、
「直……」
って、やっぱり、呼び捨て、できなくって。
「……くん」
って言ったら、それでも笑ってくれた。
笑ってくれた、けど。辛い、のは、わたしじゃなくて、
「……なんで、泣いてんの」
聞かれて、答えたいのに、声が声にならなくて。
だって、辛い……んじゃなくって、
「…………き」
「え?」
問い返されて、聞き返されて。でも少し、動かれるたびに涙が溢れてこぼれた。
……だ、って。
「好き……なの」
途切れ途切れでやっと言って。
言葉が届いて、それで、あらためて顔、赤くされて。おれが好きで泣くの? って聞かれて頷いて、それから、でもちょっと違うって首を横に振ったら、複雑な顔をされた。
そういう顔がかわいくて、かわいいって思って笑い返したら、かわいいって思ったのばれたみたいで、今度はすねた顔をする。
……すねた顔は子供みたいなのに。だから、年の差……というか、まだ、十六歳っていう歳を考えたら、
「わたし、イケナイこと……してるみたい」
そう思うのに。
頭の隅では、そんなことを考えてるのに。
「……でも、ね」
でも……。
……逃げ、ちゃったりされるわけないのに逃がしたくなくて、震える指先で髪の毛、つかんだ。短めの柔らかい髪の根元のほうが汗で、湿ってて、引っ張った。
……ねえ、ねえ。あのね。
「……ん」
なに? って眼差しだけで聞かれて。でも、わたしが聞くより先に、
「奈津ん中、熱い……」
触ったら、熱そうな吐息で、
「……ホント、気持ちいい」
好きな人に、触ったり、触られたり。それだけのことなのに。
それだけのことが。
「奈津も、いい?」
……答えるのが、恥ずかしくて。
だって、そんなこと、言わなくても。
髪を引っ張ってた手を、イタズラしないで、って言いたげに頭を振ったから、その手のひらでそのまま、頬とか耳元を撫でたら、くすぐったそうに動かれて、
「……っぁ、ん……っ」
動かれた、それだけで漏れた声に、気が、付いたみたいに、なあんだ、って笑った。
「奈津も、気持ちいい? それで泣いてんの?」
触ったら熱そうな吐息が、聞かなくてもわかってる答えを、飲み込むみたいに近付いてきた、から。キスをねだったら、ほら、やっぱり、吐息、熱い。
「っふ…………っ」
「……奈津」
呼ばれたのが、合図だったみたいに、
「んっっ! あ……ぁあっ」
勢い、で腰を進められて、全部、受け入れたみたい、だった。その分近付いて、キスが深くなった。
「あ、ぁ……、っ……んんっ!」
片足、邪魔そうに、ひざの裏から持ち上げられて、それで空いた場所にもっと深く入り込まれて。
何度も名前を呼ばれて。
……逃げ、たりなんかしないのに。そんなことわかってるけど、でも、それでも逃がさないみたいに、逃がしてくれないみたいに。
つかまれてた場所を強くつかまれて揺らされた。
シーツを握り締めたら、そんなところ握り締めてないでって言いたげに、背中に回すように取られたから、背中にしがみついた。
素肌で素肌にしがみついた。
つい今まで乱れてた呼吸、さすが運動部だなあ、って速さで整えて、
「……奈津、奈津」
目元を撫でられて目を開けたら、高橋君がわたしのこと、初めて見るものを見るみたいにのぞき込んできた、から。
「な、に? ……どー、かした?」
どうしたんだろうって思って、上半身を起こした。……わたしはまだ、ちょっと整ってない呼吸で、そういえばまだぜんぜん裸だったことを思い出して慌てたら、高橋君はもったいないけど仕方ない、と言いたげに毛布をくれた。
高橋君は気にせずに裸のまま、だなあ、って思いながら毛布手繰り寄せて、それでもう一度、なあに? って聞いたら、
毛布ごと、抱きしめられた。
髪、とか、頬とか、毛布の上から肩とか胸とか、やさしく触られた。
「た……かはし、君?」
「どっこも、壊れてない?」
「え?」
高価な花瓶を落としてしまって、それで、傷付いてないか探すみたいに。
「……なんか、どっか壊してそー、で」
「わたし、を?」
「そう」
高橋君はわたしに触りながら、
「こんな柔らかくてほっそいもの……。ごめん……おれ、途中からよく覚えてなくて。おれ、ひどいことしてない?」
「してない、よ?」
え、そうだったの? ってきょとんとしたら、奈津がひどいことされたって思ってないならいーや、って高橋君は安心したみたいに大きく息を吐き出した。でもすぐに、なにか、思いついたことにぎくりとして、
「あ、でもいつか壊す、かも。ちょっと、ほんと、抑制できないんだけど。やばい。やばいよね?」
どう思う? ってどう思うってわたしに聞かれても……。
「あ、のね、同じ、ものが欲しくって、それで同じこと、してるんだから。わたしだけ、壊れたりしないよ?」
「ほんと?」
高橋君は子犬みたいな眼差しでなにかを期待する。
えーと……。
「……たぶん」
「そんな曖昧に言われても……」
答えが見つからないことが、不安なような、おもしろいような顔をして、高橋君はわたしをじっと見た後、なにかを我慢、したみたいに布団に包まった。
「奈津」
呼ばれて、はい? って返事を、したら。
ごろん、って高橋君は布団に包まったまま、わたしのひざの辺りに横になった。そこから、わたしを見上げて、
まるで、おまじない、のように。
「壊さない。壊さない。ぜったい壊さない。それだけは気を付ける。だって」
伸ばした手で、わたしの、頬にかかってた髪を指先ですくいながら、
「壊せるわけないよね。こんな大事なもん」
いつもの、真っ直ぐな眼差しに、
……心臓が、壊れちゃうと、思った。
息を、飲み込んで。
見下ろしてる高橋君を、このまま見下ろしてたら、涙、落ちそう、って思ったとき、
「奈津」
「は、はい?」
高橋君に同じ場所から、同じように見上げられて、わたしは、
「てことで、もう一回したい。……んだけど」
「……け、ど?」
「……お腹すいた」
いろいろ、いろいろなことと葛藤してる、みたいな、高橋君に笑ってた。
◇
「ねえ、おたまは?」
もうさっきからずっと、わたしがなにを聞いても高橋君は、
「知らない。ごめん、ほんっと、知らない」
とだけ言って、対面式のキッチンに備え付けられた椅子の上で膝を抱えて、わたしのことを見てる。
わたしはさっきから必死に、おたま探したり、ちょうどいい大きさのお皿探したりで、
「……ひとのお家の台所、こんなにあっちこっち開けたり閉めたりするの初めて……」
「おれもちょっとは手伝え、とか思ってる?」
高橋君は、手伝いたいのは山々なんだけど、という顔をする。でも。
そんなことは別に……キッチン立入り禁止令出てる人には特に、
「思ってない、けど」
「けど?」
オール電化のキッチンなんて初めてで、やっと火加減のコツがわかってきてなべをかけて、高橋君に振り向いたら、高橋君はやっぱりわたしのことを、見てる。
「……そんなに見ないで」
「なんで?」
「だ、って」
「だっておれ、やることないもん。奈津見てるしかないじゃん」
「テレビ、とか見れば……」
「奈津のがいい」
……こういうの、さっきまで、高橋君の部屋にいたときよりもすごく、ストレートに恥ずかしい、気がして、でもあからさまに目をそらせなくて、なべを気にして高橋君に背中を向けた。
なんか、こういうのって……。
「新婚サンみたいじゃん?」
「わあっっ」
「なに、驚いてんの?」
同じこと、考えてた、とは言えずに、落としたなべのふたを拾うのに座り込んだ、ら、
「火傷してない?」
高橋君が慌ててのぞき込んできた。してないよ、って言ったのに、それでも心配みたいに立入り禁止の台所に入り込んで、つかんだわたしの手を見る。
「大丈夫だよ?」
そんなに心配されるほどのことじゃないよ、って笑ったら、高橋君は一瞬わたしから目をそらして、でも、次の瞬間には引き寄せられて、キスされてた。触れるだけ、かと思ったら、もっと、ちゃんと……。
「奈津……奈津」
高橋君がわたしの手を引いて、そのまま、もう少し近くに……と思ったところで、
「う、わっ」
高橋君が熱いままだったなべのふたに触って、ふたりして我に返った。
ふたりで、ちょっと笑った。
でもなんとなく、繋いでいた手は離せなくて。だから、そのままで。
なべが煮立ったのに気付くまで……しばらく、そうしてた。
……夕食の時間、というのには遅すぎる時間だったけれど。
テーブルに向かい合わせに掛けて、いただきます、とわたしが手を合わせると、高橋君はわたしを見てちょっと笑って、母親の真似をする子供みたいにわたしの真似をした。
どうして笑うの? と聞くと、
「なんか、奈津だなあ、と思って」
「……え、どういうとこが?」
「どーゆーとこっていうか、おれの目の前にいるのが」
そこまで言って、高橋君は、あ、となにかに気付いて、
「訂正。奈津だなあ、じゃなくて、奈津がいるなあ。って思った」
「はあ……」
なんだか、よくわからなかったけれど、
「高橋君も、いるね、え」
「いますとも」
高橋君は吹き出しそうになるの、我慢するみたいに笑った。
「そーやって」
一応クリスマスディナー、なんだけど、料理、どうやって盛り付けるものだったのかよくわかんなくって、お茶碗にごはんで、お箸、持って。
わたしがごはん、ひとくち口に入れたところで高橋君が、
「そーやって、ずっといてよ」
口の中のごはん、飲み込むより先に。
わたしが、返事するより先に。
「おれもいるから」
高橋君、もういちど、いただきます、して。ごはんを食べ始めた。
わたし……、ごはん、飲み込んで。
高橋君を見てたら目が合って、
「って、そんなびっくりした顔で見ないでよ」
って言われた。けど。
「高橋君が、びっくりするようなことばっかり、言う、から」
「そう?」
「そう、だよ」
そうかなあ? って高橋君は自分のことをあんまりよくわかってない様子で、
「奈津は意外にあれだよね。なんか、そーやってびっくりするとこ、初々しくって、新婚サンの奥サンてより、同級生の女の子が初恋してるみたいでかわいい」
ええ!?
ど、同級生って、同級生って、それはいくらなんでも、
「サバ、読みすぎじゃない……!?」
って言ったら、高橋君は大笑いした。
「え、なに、今の笑うところ?」
「笑うところじゃん」
「そ、うかなあ」
どうかなあ?
どうなのかなあ? って小首傾げてたら、
「あ、奈津さあ」
突然呼ばれたから、ごはん、おかわりかと思って手を伸ばしたら、
「おかわりじゃなくて」
「もう食べないの?」
「いつもは食べるけど、今日はケーキ食べるから」
なるほど。って納得してたら、そーじゃなくって、だからおかわりじゃなくってさあ、と高橋君は、重要機密事項でも話すみたいに身を乗り出した。から、わたしもお茶碗を置いて姿勢を正した、ら。
「奈津は、さあ」
「なに?」
「えっちしてるときだけ?」
………………な。
「ななななにが!?」
がしょ、ってテーブル揺らしたの慌てて押さえて、なにがなにやら、あわあわしてたら。
高橋君はすごくなんでもないことみたいに、
「おれのこと名前で呼ぶの」
って言った。
名前……。名前。
え、あれ?
「わたし、高橋君のこと高橋君て言ってた?」
「すごい言ってる」
けど、と高橋君は付け加えた。
奈津って融通利かないよね、とか言われるのかな? と思ったのに。
やっぱり、変わらず、重要機密事項でも話すみたいな神妙な顔をして、
「しばらくは、そのまんまでお願いシマス」
「……名前?」
「そう」
「『高橋君』って?」
「ダメ?」
って聞かれて。
「高橋君、自分の名前、いやなの?」
うっかりわたしも、高橋君のこと、高橋君、って呼びながら。
……あ、もしかして。
「外で、わたしに名前呼ばれるのいや?」
なのかな、って思った。だって、すごく、もしかして、それって、見た目で、お姉ちゃんが弟を呼んでるみたいに見えたりする、のかなって思って。
でも高橋君は、
「ぜんぜん」
そんなことはどうでもいい、って感じで。
どんな呼び方でも、呼んでくれるならそれだけでよくて、呼び方なんかかまわない、って感じで。
「奈津がどーのじゃなくって、望月センパイ、にさあ」
なぜかここで望月君の名前を出して、すごくいやそうな顔をして、
「からかわれそうでイヤ、だよね」
「……そう?」
いったいどうして、そんなに望月君のことが気になるのかわからないけど。高橋君にはなにかこだわるところがあるらしく、
「あのひとぜったい、おれと奈津でダブルなっちゃんとか言い始めるから」
なにかをリアルに想像して、
「うわ、うっとーしー」
もう心の底から言った。それからやっぱり多分心の底から、
「てか、おれ、なんで奈津とらぶらぶクリスマスイブにセンパイのこととか考えてんの」
自分にちょっと呆れて、望月君のこと忘れたいみたいにまたごはんを食べ始めた。……忘れちゃいたいところ、悪いかな、って思ったけど、
「高橋君、望月君のことが好きなんだねえ」
「はあ!? やめてよ!」
高橋君が、お箸を放り出す勢いで立ち上がって、
「ケーキ食べる」
冷蔵庫、開けたりして。
「って、ごはん、まだそんなに食べてない、よ?」
「後でまた食べる」
「え、ケーキの後?」
「だめ?」
そんな、急に子供の顔でかわいく言われても……。
「奈津はケーキ食べたくないの?」
……さすがに、もうすぐ日付が変わりそうで、そうしたらクリスマスおめでとうなんだけど、ってそうじゃなくていくらクリスマスだからってこんな夜更けにケーキを食べたりしたら太る……ぜったい太る、って思った、けど。こんな時間、に、ごはんも食べてるし。だから、
「食べないの?」
って聞かれたら、
「……食べるっ。食べるか食べないかって、そんなの絶対食べるっ」
思わず力説してて、笑われた。
「んじゃ、食べよ」
はいどーぞ、ってフォークを差し出されて、
「ねえ、ほんとに切らないの? ホールのまま食べるの?」
「食べる」
小さなケーキ、だけど。
生クリームにしようかチョコレートにしようか悩んで、真っ白な生クリームにイチゴの乗ったケーキがあって。
「奈津、ケーキ食べてるとき幸せそうだよね」
「うん、幸せ」
「ほんと、ケーキ好きだよね」
「うん、好き」
「あとは、映画も好きで」
「好き」
「おれは大好き?」
「うん、大……」
顔を、赤くして、ケーキを食べる手を止めたら高橋君は、おしい、って笑いながら、
「おれ、今晩さあ、奈津抱っこして寝ていい?」
……ケーキを、食べながら……。
そんなふうに、たわいのない……ようなあるようなはなしを、ずっとふたりでしてた。
『それはまた、クリスマスイブらしいっていうか、恋人たちの祭典っぽいっていうか、そんなクリスマスイブだったんですねえ』
ってしみじみ清水さんに言われるのは、年が明けてからのこと、だけど。
おんなじことを、翌日、会社で立野さんにも言われた。
……そんな、クリスマスイブ、でした。
おわり
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