10月 31日  〜 ハロウィン  担当:奈津 〜



「ハロウィン? 学校で?」
 いつもの帰り道で聞き返すと、隣で自転車を引っ張る高橋君は、そー、となんだかおもしろそうな顔をした。
 月末になると残業が多くなる。といっても三十分くらいなんだけど。そうすると部活のある高橋君とちょうど帰りの時間が一緒になる。
 こんな時間、もう、辺りは真っ暗。
 高橋君の自転車のカゴには学校指定のカバンと、テニスラケットが入ってる。その隙間に、わたしの荷物を押し込んでくれながら、
「なんか、うちの学校の生徒会って変わってるんだよね。この間は自主避難訓練とかあったし」
「イベント、やるんだねぇ。高橋君の学校って、勉強ばっかりしてるんだと思ってた」
「してるしてる。むちゃむちゃしてる」
 うんざりしつつも、当たり前、みたいな言い方をする。
「だよね。この辺じゃトップクラスの進学校だしね」
「あー、トップクラス、っていえば、あの望月センパイが意外にも成績首位圏保持者だった……びっくりした……」
「え、そうなの?」
「そーなんだよ」
 高橋君は心の底から意外そうな顔で、
「あの人、避難訓練の後にさ、誰からもかれからもゾンビ呼ばわりされてて、それって、いじめじゃんとか思ったんだけど」
「ええ!? いじめ?」
 すごく想像がつかない顔をしたら、高橋君も似たような顔をした。
「かな、と思ったんだけど。なんか、おれ、うっかり心配とかしたの、余計なお世話っぽかった。ばかっぽそうに見えるのに頭良くて、付き合ってる清水センパイが騙されてるんじゃなきゃ実は人徳あるっぽくって」
「……すごい言い様だね」
 だから顔を見るのも大嫌い、というわけじゃなくて、望月君にならなに言って大丈夫、って感じの安心感でもあるみたいな言い方で、
「てか、いじめられてるどころか、いじめしてんのはあの人だし」
 高橋君は小さな子供みたいに頬を膨らませる。
「あの人、なんか、おれの顔見るたびに年上キラーめ、とか変な言いがかりつけてくるんだよ。うるさいよ、まだ奈津落としてないっての」
 もうずっと誰かに言いたかったらしいことを一気に言う。わたしは高橋君の最後の方の言葉が気になって、前半部分では高橋君と一緒に笑いたいばっかりだったはずの気持ち、どこかに落としたみたいな気分になって、
「ねえ、奈津はいつおれに落ちてくれるの?」
 わたしはどんな顔したらいいのかわからなくって、あはは、って、俯いて笑った。
「すーぐそうやって笑ってごまかす」
「うん、ごめん……」
 なんか、なんでこーなんだろう、って思って。だからすとんって謝ると、
「別に、いいけど」
 高橋君は少し慌てたみたいに、
「無理は、してくれなくていいけど」
「そう、なの?」
「今は、隣にいるから」
 真っ直ぐに言う。
 暗い中、それでも外灯の下で目が合って。
 ……うわ、わたし、顔が赤いの、ばれなかったかな……。
 立ち止まらずに、なんとなく振り返って、今、歩いてきた道を見る。
「奈津?」
 どうしたの? って言われて、高橋君を見る。
 最近この道を通るとき、こんなふうに振り返ってる。気が付くと振り返ってる。
 気が付くと……探してる。
 探してるのに気が付いて、うわ、ってひとりで赤くなる。
 探してるって、何を? ……誰、を?
「奈ー津ー?」
 すっかり立ち止まってたわたしを、高橋君がまた呼ぶ。わたしは慌てて高橋君に追いついた。
「ねえ、ハロウィンて、魔除けのお祭りだったよね、確か」
「らしーから、三年生の受験祈願みたいな感じなんだって。最新の校内新聞の生徒会コメントによると」
「騒いだりするのかな?」
「どーだろ?」
 高橋君はなんだか、どう説明したらいいのかわからないみたいに小首を傾げる。わたしはなんとなく、学生の頃を思い出しながら、
「それって、授業が終わってから? じゃあ、みんなで学校に居残るのを楽しむ、みたい感じなのかなあ?」
「あ」
 高橋君は自転車がなかったらぽんと手でも叩きたかったみたいに、
「そうそう、そんな感じ」
 すっきりした顔で笑った。
「でもさ、三年はさすがに受験生だし、用意は一、二年がするんだって。なんか文化祭の予行演習みたいだよね、時期的に。すぐに模試とかもあるんだけどさあ」
 面倒くさそうに、でもやっぱり楽しそうに言うから。
「……いいなあ」
 気が付いたらわたしがそんなふうに言ってて、わたしがびっくりした。
 だって、いいなあ、って思った理由が……っ。
 その理由が、なんだかすごく恥ずかしくて、だから思わず、
「あ、のね、中学……そう、中学のときずっと好きだった子がね、その学校だったから。頭よくって、だからその子も、その学校でそういう楽しいこと、してたのかなって、ちょっと、思って……」
 うそ。
 そんなの思ってなかった。今、作った。好きな子がいたのは本当、その学校に行ってたのも本当、だけど。
「ほら、よその学校って、もう全然未知の世界でしょ? だから……」
 うそ、なのに。
 よその学校が未知の世界だったのも本当。でも、そんなことはどうでもよかったのに。嘘に、高橋君は、
「じゃあ、来れば?」
 カゴに入れたわたしの荷物が落ちそうになったみたいで、カゴのことを気にしながら、
「三年生とか、一回家に帰ってから来る人もいるらしいから私服の人もいるみたいだし、バレないんじゃないの?」
 カゴを気にして、わたしのことを見ない。
 わたしはわたしのことを見ようとしない高橋君を少し見上げて。
 ……見上げて、え? と思った。
 背、伸びてる……。
 びっくり、した。
 それで、びっくりした勢いで、また、今来た道を振り返ってた。
 振り返ってるのに、今度は高橋君はわたしを呼ばなくて。
 奈津、って。
 呼ばなくて。
 呼んでくれない高橋君に気がついて。
 ……バカなこと言ったな。って思った。
 高橋君は振り返ったわたしが、過去を見てるんだと思ったのかもしれない。学生の頃、中学生の頃に好きだった人のこと。
 今、隣にいる高橋君じゃなくて、振り返ったその先を。
 でも……でもね。
 そんなんじゃないよ、って心の中だけで言って、わたしは高橋君の横を着いて歩いてた。




「なっちゃん、なっちゃん」
 立野さんに声をかけられて、
「うわ、あ、はい?」
 はたと気が付いたら、ぼけっと見てたパソコンの画面で会社のロゴの入ったスクリーンセーバーが動いててびっくりした。
「わたし十分以上ぼけっとしてました!?」
 確かパソコン、十分に設定してあったはず。慌ててマウス触って、画面を戻す。伝票の処理が途中だった、けど、途中までの分を真面目に打ち込んだ記憶がなくって、慌てたついでに慌てたまま伝票の数字と画面の数字を照らし合わせてみた。
「……合ってないー」
 もうそろそろ終業時間を差す時計を見て、残業決定って溜め息をついた。よく見たら立野さん、追加の伝票持ってるし、その処理もしなくちゃだし。
「立野さんは仕事、もうそれで終わりですよね?」
「なっちゃん終わるまで見張っててあげるよ? 部長たちもまだ帰ってこないし、とりあえずお茶入れようか?」
「ありがとうございますー。お茶ほしいです。なんか甘いものもほしーですー」
「甘いものはダメ。ダイエット中」
「……必要ないじゃないですか。え、てことはじゃあケーキもダメですか!? 駅前のケーキ屋さん、ケーキバイキング始めたんですけど」
 立野さんは後ろ髪惹かれるみたいに少し、考えて、
「だめ。だめだめ。お茶、入れるね」
「はーい。あああ、でもお茶なんか入れてないで帰っちゃってくれてもぜんぜんおっけーですよ?」
「じゃあ、お茶、飲んでる間だけ付き合うね」
 嫌な顔ひとつしないで給湯室に入っていく立野さんを見送って、わたしは立野さんが置いていった追加の伝票を手元に寄せた。その枚数の確認をしていると、すぐに立野さんが手ぶらで給湯室から出てきた。
「ねえ、なっちゃん」
「はい?」
「今日、デート?」
 急に言われたから……一瞬、立野さんがなに言ったのか分からなくって、
「……はい?」
 首を傾げて、そこでふと思いついて、
「あ、立野さん、デートですか? じゃあやっぱりここはさっさと帰ってくださいです」
「じゃなくて、なっちゃんが」
「わたしが?」
「デートじゃないの?」
「え、誰が?」
 なんだか会話が噛み合わないなあ、って顔をわたしよりも立野さんがした。立野さんは、どうしようかな、って顔をして。その顔がすごく何か企んでるみたいでどきどきするんだけど、それよりももっと、そんなことよりもそんな顔をする立野さんがかわいくてどきどきした。こんな表情にきっと植田さんは弄ばれてるんだろうなあ、って思ってたら、手を引かれた。
 急に手を引かれたから、手にしてた伝票がばらばらに机に落ちて、
「ああ……っ」
 伝票の順番がくちゃくちゃになっちゃったのに泣きそうになったんだけど、それよりも、とにかく立野さんに手を引かれて行って、給湯室の窓の向こうでモデルハウスの玄関先に座り込んでる高橋君を指差された。
「ほら、デートじゃないの?」
 立野さんが言う。ものすごく念を押すように、
「なっちゃんと、高橋君が、デート、じゃないの?」
 明らかに、誰か、を待ってる様子の高橋君を、立野さんはそんなふうに言う。
「なっちゃんを待ってるんじゃないの?」
「……え?」
 立野さんがなんでもないことみたいに言った言葉が、なんだか、奥のほうに引っかかった。
 ……奥の方。……胸の、奥の方。
 ……胃?
 多分その辺だと思ったんだけど。
 後で立野さんにその話をしたら、心臓でしょ? って言われた。
 ……でも、食べ合わせが悪かった感じに似てる。むかむかする、っていうか、もやもやする、っていうか。もどかしい感じが、どんな薬も効かないみたいで。
「わたし……ですよねぇ」
「他に思い当たる人物がいないんだけど……」
「です、よねぇ」
「なっちゃん、もしかして、なんか、ずいぶん気弱になってる?」
「……実は、そう、かもです」
 呟きながら泣きそうになったのは、どうしてなんだろう。
「たーかはし君」
 立野さんが窓越しに呼ぶと、高橋君は初めどこから声がしたのかわからなくてきょろきょろして、それからこっちを見た。
 目が、合ったから。
 呼んだ立野さんより先にわたしと目が合ったから、いつもみたいに、奈津、って呼んで笑うんだと思った。
 でも特に表情は変わらなくて、名前も呼んでくれなくて、そのままの表情で寄ってきて、窓越しに、
「今日だけど、覚えてる?」
「え?」
 なにが? って聞くより先に、
「ハロウィン」
 ぶっきらぼうに、ぼそりと、
「学校、見学したいんじゃないの? 仕事終わった?」
 聞かれたから、素直に、
「まだ。今日も残業……」
 言いかけたら立野さんが横から割り込んできた。するっと、スマートに、
「終わり終わり、今終わるとこだったから、すぐ着替えるから待ってて」
「って、ええ!? 伝票が……っ」
「わたしも付き合ってあげるから、明日の朝、三十分早く出勤しようよ。はい決まり。帰ろう帰ろう」
 なにをどこまで分かってるのか、それともただの勘で言ってるのか、
「高橋君、もうちょっとそこで待っててね」
 立野さんは、戸締り、って言いながら給湯室の窓を遠慮なく閉めた。そのまま背中を押されて、着替えて、タイムカード押して、そのまま、高橋君の自転車の後ろに乗ってた。
 自転車の後ろに乗るのも、いつの間にか慣れたな、って思ってた。わりと安全運転だから、制服の背中をつまむみたいに掴んでて、それだけで、降り落とされたりはしないんだけど。
 国道沿いの直線を走る高橋君の背中を、掴むのをやめて撫でてみた。華奢、だなあ。細いなあ。
 その細さとかを、誰かと比べたわけじゃない。前の彼氏とか、そういうの関係なくてただそう思って……。
 その背中に、しがみついた。高橋君のお腹に腕を回す。
 そうしたらやっと。
 ほんとに、やっと。
「……奈津」
 高橋君がわたしを呼んだ。苛々、したみたいな声で。
「くっつぎすぎ」
 でも、そんなこと言われても、
「離れて」
「やだ」
 わたしの言ったことが聞こえたのか聞こえてないのか、高橋君はそれきり黙ったまま自転車を走らせた。




 自転車は当たり前に、ちょっとも躊躇わないで学校の門を入った。
「う、わ……」
 門の段差に自転車が跳ねたのに驚いたわけじゃなくて。知らない学校だ、って思ってきょろきょろする。もう空は真っ暗なのに、教室にはどこも明かりがついていて、ざわざわと楽しそうな雰囲気で。
 自転車を降りてもきょろきょろしっぱなしのわたしを見て、高橋君が少し笑った。でも、あ、笑った、と思って見ると、目が合って、怒ったみたいにそらす。
 体育館の横の自転車置場で、降りて、って言われたから降りるのに高橋君から離れたんだけど。
「奈津、どこ見たい? 教室?」
 さっさと向けられた高橋君の背中を……。
「奈津!」
 背中……制服を掴んだら、怒られた。
「高橋君、……怒ってる」
 背中、意地でも離さないでさらに掴んだら、
「怒ってない」
 自転車の鍵をポケットに突っ込む。
「うそ、怒ってる」
「怒ってない」
 どうにも怒ってるみたいな声して言うくせに、でも、怒ってないって言い張る。
 じゃあどうして、そんな声するの? そんな顔するの?
「怒ってないなら、なんで……」
 掴んでた高橋君の背中引っ張って、いきなりそんなことされてバランスを崩した高橋君の、胸の辺りを掴んだ。
 真っ直ぐに、見た。
 わたしだって、真っ直ぐに見れる。
「怒ってないなら、こっち、見てよ」
 わたしを、見てよ。
 高橋君は目をそらす。
「奈津こそ、どこ見てんの」
 ぼそって、言った。よく聞こえなかったから聞き返したら、高橋君は一気に、空気を吸い込んだ。
「奈津はどこ見てんの? 誰、見てんの? 前のカレシ? 中学んとき好きだったヤツ!? それとも今好きな、ぜんぜんおれじゃない誰か!?」
「………………え?」
 なにを、言われたのか分からなくて、でもすぐに、分かった。
 最近いつも、振り向いて、その場所にわたしはなにを見てる? 誰を、見てる?
 って、分かったけど。
 高橋君がなにを気にしているのか、分かった、けど。
 一瞬言葉につまったわたしに、高橋君はどこか諦めたみたいに、なにかをしようとして上げた右手を、引っ込めた。
「おれ、奈津が隣にいてくれればそれでいいよ。ほんとに、それでいいよ。それ以上無理強いさせる気ないよ。でもさ、隣にいても、それで奈津が別のヤツのこと考えてたら、それはぜんぜん、隣になんかいないのと同じじゃないの? 奈津はなんで、今、ここにいるの?」
 なんで……。
「なんで、おれのこと掴んで、離さないの? おれを掴んでるわけじゃないなら、触るな」
 それだけ言われても、わたしはまだ高橋君を掴んだままだった。
 うそ、やだ、離したくない。
 ぎゅって掴んだまま、後ろを振り返る。最近いつもそうしてるみたいに、ほんとうに、何気なく。
「ほら、どこ見てんの。なに探してんの」
 高橋君はもうずっとそうするわたしが気に入らなかったみたいに言う。
 みたい、じゃなくて、気に入らなかったに、違いない。
 でも。
「おれは奈津の目の前にいるのに」
「……でも」
 そんなこと言われたって。
「でも、なにさ」
「高橋君が……」
「おれが?」
「だってっ」
 だって、って続けようとした言葉を、思わず飲み込んだ。
 だって、こんなこと言ったらぜったいばれちゃう。
 そう思ったら、顔が熱くなって、泣きそうになった。
 わたしは泣きそうなのに、高橋君はかまわずに、なんだよ、って聞いてくる。
 聞かれたから、しょうがないから、言った。
「……だって、高橋君、いつも後ろから来るんだもん」
 こんなの、子供みたい。中学生、みたい。
 中学生のときに好きだった子がいて、あのときもよくこんなふうにしてた。通学路が同じだった、から。だから。振り向いては、その子がいないか、探してた。その子だけ、探してた。
 だけど今は……。
「わたし、高橋君を、探してるんだよ……?」
 高橋君が息を飲んだ。
 わたしの言いたいことを分かった、みたいに。
 でもなんだかよく分かってない、みたいに。
 わたしの言葉を、自分に都合よく取れないみたい、に。
「でも、奈津、おれといても振り返ってる、じゃん」
「それは、高橋君がどきどきさせるからっ」
 真っ直ぐにわたしを見たり、名前を呼んだりして、ドキドキさせるからっ。
「いつもわたしの後ろから来てた高橋君は、わたしより小さくて、細くてなんだか頼りなくて、だから、こんなふうにどきどきしなかった」
 高橋君の学生生活をうらやましがって、わたしも一緒に学生だったらな、なんて思うこともなかった。そう思ったことをごまかそうとして、中学のときに好きだった子の話を出したりなんてしなかった。 
 だから……。
「高橋君のことなんかぜんぜん気にしてなかった頃、とか、振り返ってるのかも……だって楽だったんだもん」
「……今は楽じゃないの?」
「ぜんぜん、楽じゃ、ないよ」
「どんなふうに?」
 高橋君は、なんだか高橋君に都合のいい展開になってるみたいで、笑いたいんだけど、どう笑ったらいいのか困ってるみたいな顔をした。掴んでた胸元、とん、て叩いた。
「不安に、なるでしょ?」
「なにが?」
「なんで……高橋君は、わたし、なの? とか」
「……奈津だから」
「それって、いつまで……とか」
「ずっと」
「ほんとに?」
「ほんと」
「でも……」
「……奈津」
 真っ直ぐに、いつの間にか少し、高くなってた視線から、呼ばれて、ほら、どきどきする。
「そんなことが不安なの?」
「だって……」
「なんで、そんなこと不安に思ってんの?」
 だって……。
 年の差とか、本当はぜんぜんそんなことじゃなくて。
 だって。
 そんなこと、今まではどうでもよかったのに、今は、どうでもよくない、から。
「奈津?」
 呼ばれた先には、高橋君がいる。
「……どうしよう」
 ……緊張して。
 やっぱり、胃、じゃなくて心臓が。
「……壊れそう」
「そんなに、どきどきしてんの?」
「してる、よっ」
「なんで?」
 高橋君は、そうやって聞くけど。
 そんなことは……。
「奈津?」
 そんなこと、今さら聞かなくても、
「やだ、もう、分かってるくせに」
 もうとっくに。わたしの気持ち、
「ばれてる、でしょ?」
 高橋君がわたしの髪を掴んだ。顔が、近付いてくる。
「わたしが言いたいこと、もう、わかってるでしょ?」
「……うん」
 ほら。
 ばれてる。
 そう思ったら、ちょっと力が抜けた。高橋君の自転車の荷台に座り込む。
 大丈夫? って高橋君が見下ろす。
 あんまり大丈夫じゃない、って思った。
「やだ、もう、ばれてるなら、言わせないでよ」
「やだよ。ちゃんと言ってよ」
 すぐ傍から覗き込まれて、恥ずかしくて目を逸らしたら、
「奈津」
 顔を触られた。頬を包むように撫でられた。
 そういえば、初めて、高橋君がわたしに触った。
「じゃあ、おれから言う? 今度は応えてくれる? おれ、奈津が好き。なんでだかわかんないけど、めちゃめちゃ好きなんだよ。……好きだよ。おれと付き合って。おれのもんになって」
 明日からもう十一月で、その冷たい空気で冷たくなってた手を、それでも暖かいと思った。
 高橋君がわたしを真っ直ぐに見るから、わたしも、真っ直ぐに見た。
「……う、ん」
 高橋君の手に、重ねたわたしの手は、暖かかったのかな? 冷たかった、のかな……?
「わたしも、好き、だよ」
 すとん、と落ちた。
 わたしの言葉は。
 高橋君に落ちて、高橋君が受け止めて。
 そうしたら、やった、って嬉しそうな言葉と一緒にキスが落ちてきた。
 う、わ。
 ぎゅっと目を閉じた。
 でも、一瞬のキスで。
 やだ、もっと、って思って離れた唇を追いかけたら、
「うわぁっ」
 高橋君はなんだかものすごく動揺して飛び退いた。
 その、高橋君の大きな声に驚いたように、ガチャン、と音がした。
 すぐ傍で誰かが自転車を止めていた。その誰かが高橋君に気が付いた。
「あれ、高橋? なんだよ、大声出して。……って、そちら、カノジョ? お、私服じゃん、三年?」
 興味津々のその声に、
「違うっ」
 高橋君は咄嗟に言って、でもすぐに、
「あれ、違わない……んだっけ?」
 って、わたしに聞いた。
 わたしは三年生じゃない、けど、もう、高橋君の彼女……?
 うわ、今したキス、思い出した顔したら、高橋君もなんだかあらためて思い出したみたいな顔をした。口元、顔を赤くして気にしたところに、
「なんだよ、彼女なの? どうなの?」
 と追い討ちみたいに聞き返されて、高橋君は耐えられなくなったみたいにわたしの手を引っ張った。逃げるみたいにざかざか歩く。
 自転車置場を突っ切ったところで、どうしよう、という感じに立ち止まって、
「奈津、中、見る?」
「……うん」
 ここまで来たんだから、と思ってそう返事をした。じゃあ、って校舎に入った。
 繋いだ手は冷たくて、暖かかった。




 校舎の中は雰囲気の不思議な空間になってた。
 教室に明かりはついてても、廊下は消されていて、代わりに足元の両端にオレンジ色の豆電球が並べてあった。それだけでなんとなく、かぼちゃのランプが転がってるみたいなイメージだった。なんだかよくできてるなあ、って感心する。
 廊下が暗いおかげで、すれ違う人たちにわたしが見咎められることはなかった。
「けっこう、ばれないもんなんだね、わたし」
「そんなもんなんじゃないの、意外に」
 でもわたし、成人式も済んでるんだけど、となんだか気分が複雑になってきたときに、どん、と、
「うわ、すみませ……って、うええ!? 奈津サン!?」
 ぶつかった人を見上げたら望月君、だった。望月君のほうも、ぶつかった人を見下ろしたらわたしだった、って感じで。
 さすがに、知り合いにはばれた。
「あ、望月君だ。清水さんも」
「って、奈津サン冷静だしっ」
 清水さんは、こんばんはー、って挨拶してくるのに、なんだか望月君がひとりで冷静じゃない感じだったんだけど、ふと、手を繋いでるわたしと高橋君、に気が付いてなんだか突然なにか納得したようだった。にやっと笑って高橋君の肩を叩く。
 高橋君はいやーな顔をして、
「ねえ、清水センパイ」
 と、きっぱりはっきり高橋君を無視した。
「音楽室とか、入れるかな? 奈津の見学コースにするの、無理?」
「どうかな、全部閉まってると思……あ、ここに音楽室の鍵がちょうどあった、りして。てことで、音楽室は見れるけど」
 清水さんはぺろん、とスカートのポケットから鍵を出した。
「え、なんで清水がそんなの持ってんの?」
「さっき部活終わったときに部長から預ってたの、職員室に返すの忘れてた」
「なんだよ、じゃー、それでオレとふたりっきりになれたんじゃん」
「……ならないし」
「なんで!?」
「そんな暇なかったでしょ。それにあたしも忘れてたし。あ、ほら、もう体育館行かないと」
 体育館? とわたしが聞くと、望月君が、
「ゲームあるんデスよ。高橋は不参加?」
「不参加!」
 高橋君はどうも望月君と仲良くない喋り方をしながら、清水さんから鍵を受け取った。
「こっちの校舎、本当は今日立ち入り禁止だから見つからないよーに。鍵はゲームが終わる頃には返してね。おっけー?」
「おっけーです」
 じゃあどーも、とぺこんと頭を下げた高橋君に、望月君が待ったをかけて、なにかを手に押し込んだ。
 隣で清水さんがぎょっとした。
「ちょっと、なに渡してんの!?」
「一応」
「一応って、それより、なんでそんなもん、そんなぺろって出せるとこにしまってるかなっ」
「ぺろって出せなきゃ困るだろ、イザってときに」
「いざ、ってなにさ、いざ、って。ああ!? まさかそれもまた植田クン伝授技ー!?」
「おっまえ、最近なんでも師匠のせいにしてねえ?」
「だってそうなんでしょ!?」
「………………………そう、だけど」
「ほらーーー!!」
 清水さんと望月君て普段からこんな感じなんだなあ、って思ってると、行こう、って高橋君に手を引かれた。
「ね、望月君になにもらったの?」
 と聞いたら、
「……別にっ」
 高橋君は言いにくそうに、そう言った。




 音楽室の中は真っ暗……だと思ったけど、月明かりが差し込んでた。
 見回すとピアノがあって、音楽室だなあ、って思う。
 手を、繋いだまま。
 体育館の方から歓声が聞こえた。
「ゲーム、始まったのかな?」
「そうかも」
「高橋君、ほんとに出なくてよかったの?」
「いいよ。どーせ出される問題、大学入試対策用問題だし」
「え」
「おれも三年になったらマジメに出る」
 それは頑張ってね、って言うしかなくて。多分必死になってる望月君や清水さんを想像した。高橋君はわたしがなにを考えてるのか分かってる様子で、
「せっかくだから、おれのこと考えてよ」
 せっかく、なんていうからおかしくて笑ったら、繋いだままの手を引き寄せられた。キス、する。
 優しい。
 優しく、触る。
 でも……。
 でも、ってわたしが思ってるのは、分かってる様子で。
「あのさ、奈津」
 言いにくい、というか、言いたくなさそうにしたから、なに? って聞いたら、
「おれ、初めてなんだけど」
「え?」
 なにが? ってわたしの顔に、
「キス、ファーストキス、奈津がっ、さっきのがっ」
「……あ」
 えーと、はい……。
「だからっ」
 だから、
「そんな物足りない顔されても、おれ、どーしていいのかわかんないんだけどっ」
「……え、ええ!?」
 わたし、そんな顔してた……?
 って、聞いたら。
「してた、てか、してる」
 高橋君が座り込むのに、腕を引かれて一緒に座り込んだ。
「けど、だからって、奈津に教えて、っていうのもなんか不本意」
 手が、わたしの顔に触る。そのまま、腕を首に回す。
 確かめるように何度も髪をなぞる。
 本当に、そんなふうに、高橋君がわたしに触るのは初めてで。
 わたしも高橋君の背中を抱き締めた。でも、それだけで高橋君はなんだか硬直する。硬直したまま、ギクシャクと、少し離れた。
「……あのさ」
 高橋君はごそごそとポケットから出したものをわたしに押し付けた。でも、押し付けたまま、その高橋君の手の平の中にあって見えない。
「なに?」
「…………ゴム。さっき望月センパイがくれた」
「っご…………」
 この状況で、なにそれ、とは聞かないけれど。望月君と植田さんと、ちょっとどっちにこの気持ちをぶつけたらいいのか……この気持ちってどの気持ち、って聞かれても、困る、けどっ。
 高橋君がはっきり顔を赤くしたから、わたしもつられる。
 だって、あらためて、こういうのって、恥ずかしい、んだけど……。今までは気付いたらそうなってて、て言うか、いつも相手のペースで、こんなふうに面と向うの、初めて、で。
 それ、は相変わらず、高橋君の手の中、で。
「奈津にさ、触りたくて、それでやりたいことなんてひとつなんだよ。夢で見るくらいしたい、んだけど、さ」
「夢、見る?」
「……見るよ。奈津、おれにめちゃくちゃにされてるから。ほんと、次の日奈津に会ったときに、おもわず謝りそうになるくらい」
「そう、なんだ……」
「ヒくでしょ?」
 高橋君の顔に、わたしが触った。そのまま抱きついた。
 高橋君の顔は見えなくなったけど。
 心臓の音、聞こえる。
 音で、安心する。
 そんな音で安心しちゃうの、人間のからだってすごい、よね。
「好きにして、いいよ?」
 そう言ったら、聞こえてた心臓の音が、どくんて跳ね上がった。
「奈津を? ……すげえ」
 高橋君が笑った。なんだか、おかしくておかしくてたまらない感じで。
「これ、夢だったらどーしよ」
 わたしだって、これが夢だったらどうしようって、ちょっと思うけど。
「夢じゃない、よ?」
「……うん、ほんと、すげえ、けど……ちょっと、まだ……」
「まだ?」
「だって、奈津に触って、やっとで……胸、あたってて、今はそんだけで精一杯だから、まだこの先はちょっと、無理、っぽい。したいは、したい、けど」
 …………胸。
「……胸?」
 って、ええ? 胸!?
 思わず高橋君から離れたら、高橋君はもの惜しそうな顔をした。それからなんだか安心したみたいに笑った。
「なんだ、奈津、すっごいのかと思ってたのに」
「え?」
「おれのほうが食べられちゃう覚悟あったんだけど」
「……ええ!?」
「だって奈津、けっこう平気でおれに触ってくるし、ずいぶん慣れてるなあって。でもけっこうそうでもない?」
 おれは奈津の何人目? って、聞きたそうに、でも、聞かなくて。そんなこと、どうでもいいように。
「そっか、おれ、考えすぎだったかも。でも、なんだ、夢の中の奈津はすっごいのになあ」
 もう本当になにか安心した感じで、言うから。
「うわ、高橋君、なんかむかつく。わたし、すごいよ?」
 ちょっとわたしも心にもないことを言ってみた。でもあんまり言い慣れてないから、そこのところ、簡単に見抜かれて、
「わかったわかった」
「って、笑うし……」
「だって、笑っとかないと。ほんと、幸せで笑っちゃう。奈津がすっごくてもすごくなくても、もう全部、おれのもんだもん。あ、なんか実感出てきた」
「すっごいんだってば」
「はいはい」
「って、わかってないでしょー?」
「じゃー、どうぞ」
「なにを?」
「だって、ハロウィンだし」
 そうだけど。でもそれがどうしたの? と思ってると、
「ハロウィンで、子供たちがなんて言って他所の家、まわってるか知ってる?」
 ええと、確か。
「トリック オア トリート?」
 『なにかくれないとイタズラするぞ。お菓子ちょーだい』
「そう、だから、ほら」
 高橋君は無防備に手を広げた。
「お菓子持ってないから、イタズラしていーよ」
「え」
「おれ、初めてだもん。優しくしてよ?」
 真っ直ぐに、わたしを見る。
 こんなときに、真っ直ぐ、見られても、こ、困る。困ったから、
「子供って、わたしじゃなくて高橋君のが子供だよっ」
 言ってから、わたしはまだ年の差とか気にしてるの? って思ったけど、高橋君は特に気にしてないみたいに、やっぱりおもしろそうに笑った。
「じゃあ、おれがイタズラしていい?」
 ほんとに、ほんとに、おもしろそうだったから。
 今日一日が、もう楽しくてしかたないみたいで。
 それは、わたしもそうだけど。
 でもっ。
 なんかっ。
 咄嗟に、肩に引っ掛けてた鞄の中から出したのど飴を押し付けた。
「お菓子、あげるっ」
「……なんで持ってんだよ」
「いつも持ってるのっ」
「……梅の味、嫌い。黒あめとかないの?」
「甘いの好きなの?」
「わりと」
「え、じゃあ、今度ケーキバイキング行こう?」
「……いいけど」
「やった。ダイエット気にせず付き合ってくれる人発見」
 すごく普通に単純に喜んだら、高橋君は甘えるみたいに顔を胸元に摺り寄せてきて、そこからわたしを見上げた。
「ねえ、奈津」
 手が、気持ちよさそうにわたしの顔を触った。
「キス、教えてよ」
「え?」
「だって奈津かわいい。我慢できないから、不本意だけど教えてよ、すっごいやつ」
 ……え? って考えてるうちに近付いてきた唇が、
「それも甘いんでしょ?」
 キスが甘い、って……高橋君もね、かわいいよね。って思う間もなく、
「…………んっ」
 押し付けられた唇に、高橋君の制服を掴んだ。



『よかったね』
 って、立野さんがかぼちゃのプリンを焼いてきてくれるのは、次の週の土曜の話。



おわり


※別窓で開いています。読み終わりましたら閉じてくださいませ。



あとがき

 ちょっと観察してみたんですけど、最近、学生さんが乗ってる自転車って荷台、付いてないのが多いんですね……。
とかいってごまかしてみました……高橋少年のへっぽこぶり。
いえ、へっぽこはわたしです。また、清らかなお話になってしまいました(悔恨/笑)
高橋君が望月君からもらったものを使用できる日はいつやってくるんでしょうか、ね。