2月14日  〜St.Valentine〜



 ……なりゆき……というのも違う気がした。
 どさくさ……? なんか、そんな感じだった。
 だから、唇、ふさがれて、舌、入り込んできたときに、慌てて突き放した。ガシャン、て、キレイにセッティングしといたテーブルの上、植田くんがぶつかってくしゃくしゃになった。
 わたし、腰、抜けて、座り込んだ。
 ……うわ……。キスした感触、残ってる。手の甲で拭おうとしたら、その手、植田くんに掴まれた。
「ヤなの?」
 顔、すぐ近くで聞いてくる。
「イヤなの?」
 続けて聞いてくる。続けて聞くから、わたし、口挟む隙間なくて答えられないだけなのに、わたしが答えないの、植田くん、勝手に、
「ああ、ヤなんだ」
 って結論出した。


 五年ぶりに会った植田くんは、五年ていう月日がそんなに人を変えるのかってびっくりしたくらい変わってて、植田くんの言うこととか、することとか、全部に、わたし、どうしたらいいのかわからなかった。


 五年ぶりに会っても、顔とか、けっこうわかるもんだった。
 ……わたしは、ね。
「嘘つけ」
 植田くん、テーブルで打った右肩、痛そうにしながら、
「俺のが先だったろ」
 わたしに触れた自分の唇、親指でなぞった。
 なぞった親指、舐める。
 親指、舐めた舌、赤くて。
「俺のが先だった」
 声に、わたし、顔、上げた。……舌、見てた。
 うわ、なんかこういうのって……。
 わたし、慌てて、目、そらした。
 短大出て、入社して三年目になる建設会社のモデルルームのキッチンに、植田くんとふたりきりで。
「……キッチンのカタログ、でしたよね。今、お持ちします」
 立ち上がろうとした腕、掴まれた。
「営業の人、いないんじゃないの?」
「カタログを営業の者から預ってますから……打ち合わせが必要でしたら、すぐに連絡、お取りいたしますが」
 ふーん、て、植田くん、どうでもいいみたいな顔した。それ、わたしの営業口調がどうでもいいのか、営業さんがいないことがどうでもいいのか……。
 ウチの会社は社員が少ない。営業さんは出払っていることが多い。事務員はもうひとりいるけれど、事務所はモデルルームとは別になっている。だから、このモデルルームには、わたしと、植田くんだけで。
「……ん」
 強引に引き寄せられて、押し付けるみたいにまた、キス、された。
「植田く、ん」
 逃げようとするの、力じゃ適わない。
 下唇、噛まれて、吸われて、押し退けたら制服のブラウスの襟、噛み付いてきた。噛み付いたまま引っ張るから、くん、て、首ごと引き寄せられて、外れたボタンの胸元、きつく吸われた。
「事務服って、なんかガード、完璧っぽいよね」
 植田くん、胸元だけ見て笑った。
 会社の制服、カーデガンにベストにブラウスにスカート、と、キャミソールにストッキング。
「どうせこんなふうに無理矢理すんなら、セーラーんときにやっとけばよかったなあ」
 植田くん、わたしの胸元で、
「立野サンも、そー思わない?」
 胸元に息、かかる。熱い。
「そしたら俺、五年も我慢しなくて済んだのに」
 胸元から、植田くん、わたし、見上げた。
 わたし、息、飲んだ。……五年、て、言った?
「立野は?」
 上田くんの手、もぞもぞとスカートからブラウス、引っ張り出す。面倒くさそうにキャミソールも。
 冷たい手、直に肌に触ってきた。
「…………っ」
 冷たい、大きな手。
「ねえ、立野は?」
 冷たい手が尋ねてくる。
「立野は、何年前に、俺が欲しかった?」
 冷たい手が背中に回った。爪が、肌を引っかいた。
 強く、引っかいたから。
「……三年生の、とき」
 植田くんと同じクラスになった、高校三年生のとき。もう、五年も、六年も前の、話。
「なんだ、じゃあやっぱ、やるくらいやっとけばよかった」
 手が、肌をなぞる。そっと、引っかく。
 その、感触。
「いや……だめ」
 植田くん、初めてモデルルームに来たのは一週間前、だった。かわいい小さな女の子を抱いて……。
「いやっ」
 ブラウスの裾、押さえた。植田くんの手、追い出す。
「綺麗な奥さん、いるじゃない」
 植田くん、きょとんとわたし見た。意地悪く、笑った。
 ああ、そんなこと、って笑う。
「立野、コーコーセイのときに言ってくれれば、そんなこと気にしなくてすんだのにね」
 くすくす、心の底からおかしいみたいに。
「気分、コーコーセイに戻してよ。俺のこと、欲しかったでしょ?」
 唇、また、重なるののほんの少し手前の距離で。
「コーコーセイの立野がキスして」
 わたし、顔、そらした。
「高校生の植田くんには、彼女、いた」
 かわいい彼女が、いた。
「奪っちゃえば?」
「……バカ言わないで」
「そーゆうとこ、変わってないんだ?」
 こつん、て、胸元に頭、寄せてきた。甘えるみたいに。
「立野がさ、奪ってくれたらいいのにって、思ってたんだけどな」
 そう言う顔、見えない。
 からかってるのか、冗談なのか、テキトウ、なのか。
「俺も、立野のこと、見てたよ」
 嘘ばっかり。言葉にしないわたしの声。聞こえたみたいに植田くん、笑う。
「ほんと、マジ、ホント」
 掴んだわたしの手、甲に、口接けた。その唇、指、なぞる。
「でも俺、彼女いたし」
 唇が、指、なぞって。指先、噛んで、舐めた。ひとさし指……。
「だから、立野が俺、奪ってくれないかなあって、思ってた」
 ひとさし指に、舌の感触。温かい唾液、絡みつく。
「でも立野、俺のこと見てるだけだったよね」
 口調、ふいに、おかしそうに。
「しかも立野、なんか、俺のこと見てる割にはセックスとかそういうの関係ないみたいでさ」
「……ただの、高校生の、片想いだよ」
「俺が欲しかったんじゃないの?」
「気持ち、がね」
「ふーん」
 だからか、って納得したみたいに、
「犯しちゃえばよかった」
 彼女ニばれナイヨウニ、犯シチャエバヨカッタ。
「……サイテー」
「なんで? キレイなものって、めちゃくちゃにしたくならない? 立野、キレイだったじゃん。キレイな立野が俺、見てるの、ぞくぞくした。でも立野とはヤれないから、だから彼女とヤってただけ」
 わたしの指、濡れてるの、かまわないみたいに自分の頬に押し付けた。
「でも、ねえ、立野、知ってる?」
 押し付けて、手の平、口接ける。
 わたし、動けないの、なんで? って思いながら、植田くん、ただ見てた。
 植田くんの唇、わたしの手の平の向こうで動く。
「男だって、ヤれればいいってもんじゃないんだよ」
 その、目、とか。
「立野はもう、俺のことどうでもいいの?」
 目が、わたしを見る。
 植野くん、わたしの手、大切そうに扱ってたのに、放り出した。
「立野、処女?」
「……なっ……」
「誰か立野に、喘ぎ方、教えた?」
 目が、怖くて、後退さった。キッチンの対面カウンターが背中に当って、ぞっとした。
 うそ、やだ、逃げられない。
「逃げる気なの?」
 最新の床材使ったフローリングの上で、ぺたんと座ったまま、床、冷たいの思い出した。暖房、効きが悪い。
 植田くんの手、わたしの頬、触った。相変わらず冷たい手。
 そのまま、植田くん近付いて、ゆっくり、強く、抱き締められた。
「植田、くん」
 やめて。って、声、届かない。
「幻滅させないで」
「ゲンメツ?」
 そう、幻滅、させないで。
 繰り返したら、心、震えた。指先、震えた。
「……植田くんの傍、いつも誰かいるじゃない」
「それ、女、限定?」
 わたし、答えないの、答えで。
 だって、わたし、いつも上手くいかない。男の人、付き合っては別れる。
「俺は上手くいってるって?」
「そう、でしょ?」
 奥さんいるの、答えでしょ? 子供いるの、答えでしょ?
「上手くなんて、いってない」
 首筋、植田くんの息、かかるのに、目、かたく閉じた。
 高校生のとき好きだった人。
 でも、そんな想い、もう覚えてない。見てるだけでよかった想いなんて、忘れた。
 好きですって、心、伝えて、相手の心、手に入れて。でも心は見えなくて、見えないのの代わりみたいにからだ、繋いで。だけどそんなの、そのときだけで。
「……わたし、ずっと植田くん、見てたかった。そういう恋だけ、してたかった」
 恋に恋してるみたいに。おままごとみたいに。
 見てるだけでよかった。好きなだけで、いっぱいだった。
「なんで大人になると、そういうの、許されないみたいになるのかなあ」
 ブラウスのボタン、外されてく。胸、はだけられて、
「立野、処女じゃないんだ?」
 かたくなった胸の先、寒さのせいなのか。植田くんの、せいなのか。
 吸われて、上げそうになった声、飲み込んだ。
 飲み込んだ、けど、震えたからだ、気付かれた。植田くん、動き、止めた。
 わたし、感じたの、
「……幻滅、した?」
 五年も経って、キレイなままなわけない。
「セックスとか、関係ない想いなんて、ないでしょ?」
 心だけで付き合えない。もう、高校生じゃない。
「抱けば?」
 わたし、自分でブラウスのボタン、全部外した。
「しようよ」
 植田くん、わたし、じっと見た。わたしが急に態度変えたの、うかがう、みたいに、そうして、納得、したみたいに。
「おまえ、今の彼氏とも上手くいってないの?」
「いない。うまくいかないから、もう、いない」
 なんで、上手くいかないんだろう……。
 わたしが、植田くんの顔、触った。
 そしたら、涙、出てきた。
 触ったら、答え、わかった気がした。
 上手くいかないの、誰のせい? わたしの、せい? 心とかからだとか、キレイごと言ってるせい?
「立野?」
「……誰かと付き合っても、それで、植田くんのことどうでもいいって思えば思うほど、上手く、いかない」
 まだ、好きなの? 植田くんを? 知らない、わかんない。
「奥さんいるの、植田くんが関係ないなら、抱けばいいよ」
 植田くんの顔、触ってるわたしの手、植田くんが掴んだ。哀れむみたいに、わたし、見た。
「立野、俺に縛られてんの?」
 植田くんが、縛ってるわけじゃ、なくて。
「おまえが、俺でおまえのこと、縛ってんの?」
 一番純粋だった「好き」で。一番キレイだった「好き」で。
 縛ってるの? わたしが、わたしを?
「それってさあ」
 植田くん、困ったみたいに笑った。
「立野が中途半端にするからだろ」
 半端に、したから。
「だから、俺もいまだに立野で俺を縛ってんだよ」
「……え?」
 植田くん、も?
「チョコ」
「……チョコ?」
 わたし、首傾げた。
 なんのチョコ? って、思って、ふと思い出したことに顔、赤くした。
 え……うわ、うそ。
「あれ、ちゃんと届いてたの!?」
「……なんで届いてないとか思ってんの」
「え、だって……」
 高校卒業した次の年のバレンタインに、送ったチョコ。添えた言葉は、
「『好きでした』とか過去形で書いてくるし……」
「区切り、つけようと思って……」
「だったら手渡ししてくれよ」
「え……ええ!?」
 なんか、一気に顔、熱くなった。
 チョコレート片想いの人に手渡すって、それって……かなり……勇気が……。
 植田くん、わたしの慌てぶりにがっくりした。
「抱けば、とかすごいこと言ってたくせに、なんでチョコで赤くなんの?」
 手、掴まれたまま、わたし、自分から連絡しなかったの棚に上げて、
「届いてたんなら、連絡くれたって……」
「しました」
「……うそ」
「した、しました。携帯なんて番号わかんないし、家にした。そしたらなんか、オヤジさん出て、冷たく切られました」
「…………」
 お−とーうーさーんー。
「ここで俺に言うことは?」
「……ごめんなさい……」
「じゃなくて」
 気付いたら、わたしの手、掴んでる植田くんの手、熱くなってた。気付いて、わたしも熱くなった。汗ばんで、きた。
「謝らなくていいからさあ」
 謝るよりも、もっと、別の言葉。
 わたし、自分の胸元、押さえた。ぽろぽろ、涙、出てきた。
「立野」
 言って。って、言う。
「……立野」
 涙、拭いてくれる。
「泣くと、化粧落ちて、事務所、戻れなくなるだろ」
 ……あ、そうだ。仕事中だった。
 やだ。慌てて、ブラウス、はだけてたの直した。涙、止まらない。
 わたし、なにやってんだろ、って、ちょっとパニックになった。ブラウスのボタン、上手くはまらない。
「立野、立野……」
 植田くん、見かねたみたいにボタン、はめてくれた。そうして、涙、飽きずに拭いてくれる。手の平で、袖口で、唇、で。
「ごめん」
 寄せた唇が、小さく言った。
「……ごめん」
 繰り返す。
 植田くん、申し訳ない顔して、また、ごめん、って言う。
「立野、俺のこと知らないみたいに平然としてるから、だから、意地悪しただけ、だから。立野、俺より先に俺のこと気付かなかったし」
「……うそ」
 ……植田くんが初めてお客様として来た日のこと、思い出す。
 わたし、若いご夫婦が営業さんの後、着いてくのに着いてた。何気に振り向いたご主人の顔、まともに見て、
「あ」
 わたし、声上げた。だって、植田くん、だったから。
 植田くん、そんなわたしに小首、傾げた。なんだこの事務員、て顔、した。
「……じゃなくて、今ごろ気がつきやがった、って顔、だったんだけど」
「え」
「ついでに言わせてもらえば、何気に振り向いたわけじゃなくて、はっきりと意思を持って、立野に気付いてもらおうと思って振り向いたんだけど」
 ボタン止めたブラウス、身なり整えるのに裾、スカートの中に押し込むの、植田くん、ふいと目、そらした。見ないようにしてくれた間に、わたし、ちゃんと身なり、整えた。なんにも、なかったみたいに。
「それから、立野がオクサンとか言ってんのは、姉貴だから」
「……え」
「姉貴です」
「……ええ!?」
「子供も姉貴んとこの子。ダンナに急用できて、俺が休みだったから子守ついでに連れてこられただけ。今日も、カタログもらいにパシリにされてるだけ。……立野、なに勝手に勘違いしてんのか知らないけど」
 イタズラ、白状する子供みたいにふてくされて、
「だから、ごめん。謝ってもらいたいのこっちだろって気分だけど、立野泣くから、とにかくごめん」
 植野くん、手の平、握り締めた。なにかの感触、忘れるためみたいだった。
 なんの、感触? わたしの、感触?
 ひどくまじめに、そんなことしてるのがおかしかった。
 なんだ、なにも、変わってないんだ。
 こういうの、高校生のとき好きだった、そのままの植田くんで。
 わたし、植田くんが握り締めた手、見つめた。
 この人を、まだ、好き?
 わからない。
 あの頃から、ずっと好き?
 そんなこと、言わない。けど。
 わたし、植田くんの背中に、抱きついた。
「わたし、また、植田くんのことを、好きになる」
 それは、縛られていたままの「好き」かもしれない。引きずってきただけの「好き」かもしれない。
 でも、あれから何年経っても、やっぱり好き、なら、それは今の「好き」と、なにか違うの?
「……とりあえず」
 植田くん、なぜか背中、緊張して、
「チョコ、ちょうだい」
 植田くんの首元に回してたわたしの手、植田くんが取って、親指の付け根のあたり、キスしながら、時計の横にかけてあったカレンダー、目線だけで、
「そこからやり直してくれないかな」
 次の金曜日。
 2月14日。
「とりあえず、無理矢理犯しても、ってくらい立野が欲しかったのはホントで、それは、今もあんまり変わってないから」
 とりあえず、今回は無理矢理そこまでするの踏み止まった植田くん、次はないけどね、って顔、した。
「チョコ、くれたら、立野ももらうから」


 2月14日。
 わたしは植田くんと、少し遠回りしてここまで来たね、と、きっと、笑っているはずだった。


おわり


※別窓で開いています。読み終わりましたら閉じてくださいませ。



あとがき

 思うままに書いてみました。後から見直せば、殴り書き……見直さなくてもそうなのですが。
 まあ、そんな感じで、これからも思うままに書いてみようかな、と。
 しかし、アレです。殴り書き、だからこそけっこうどこか一部実話有り、だったり……。

 植田くん、ものすごく優しい人、として書きたかったんですが……なんか、わたしの書く男の人、こーゆうキャラなのかもしれません。イジが悪ーい、という自分を自分ではちゃんと知ってる感じ……。
 ところでこの話はらぶらぶなんでしょうか? ……この壁紙は……合ってるんでしょうか……。