平気の神さま
「あ、信号赤だよね」
そう言いながら飛び出していった。
君はいつも、ちょっとヘンだよ。
はっとして、あわてて伸ばしたわたしの手の向こうで、すごい音がした。車のブレーキの音。それから、鈍い音。
どん。
中学生最初の夏休みの最初の日に、危うく君が死んじゃうかもしれないような場面を見た。……じゃなくて、正確には「見せられた」。
び。
っっくりした!!
のは、わたしのほうなのに、君のほうがもっとびっくりした顔した。
「ええ!?」
叫んだ君はけがひとつなかったようすで、びっくりしながらわたし見てまばたきして、上から下までまたわたし見て、がーんて顔して言った。
「なんで平井がコケてんの!?」
そうだね、わたしコケて、君は元気そうで、わたしのほうがなんか事故にあったみたいだけどさ、君……それ、びっくりしてるポイント、ズレてる。ここで問題なのはコケたわたしじゃない。
やっぱり君、ヘンだよ。だってわたし、中学生になってからこの四カ月間、初めて同じクラスになった君、おかしくないって思ったことないもん。
君をもう少しで正面から轢くところだったおねーさんが、慌てて車から飛び出してきた。紺色の事務服着てた。
「あなた、大丈夫!?」
「あ、へーきです」
夏のトレーニングウェア姿の君、平気な顔で言った。
「どこもぶつけなかったし。でも、信号、こっちが青だったんだけど、別にいーです」
にっこり、うそを言う。
おねーさんは色塗ったみたいに青ざめて信号を見た。まだ赤のままだった。そう、さっきからずっと赤のまま。
「うそ、あなたちゃんと青で渡ってた!?」
君、わたしを見た。
「ちゃーんと青だったよな?」
よく言う……。わたしはおねーさんを見た。
「青じゃないです。赤、でした。だから、おねーさんのほうが青で間違ってないです」
「ほんとに?」
「本当です」
「あ、平井、おまえオレに愛はないのか?」
「ないよそんなの。青だったもん」
君にあかんべした。君、ぶはって下品に吹き出した。
「ごめんなさい、本当は赤でした。オレが悪かったです」
君、あっさりと正直者になった。なんか、おねーさんがいちばん被害者みたいな顔した。
「本当にごめんなさい。オレは平気だから、気にしないで会社、行ってください」
ずいぶん朝早くの人気のない幹線道路のT字路で、おねーさんは逃げるみたいに車を出した。すぐに見えなくなった。残ったのは、ぺったり座り込んだままのわたしと君。
……そうだね、君はものすごく平気そうだね。
車には、本当にぶつかってない。初めからぶつかる気なんてなくて、わかってたみたいによけてた。どん。変な音でわたしがコケただけだった。歩道からの段差で滑って落ちて、ずるって、その段差で短パンから出てた右足のふくらはぎ、すりむいた。
「平井、それ、痛そーだなあ」
「……痛そーじゃなくて、痛いよ」
でもそんなことより、問題なのは君の行動。なんでわざわざ赤信号渡るかな。そう聞いたら君、きょとんとした。
「確認」
なんの!?
とにかく突っ込みたい気分のわたし、わざと無視するみたいに君は目を合わせない。
「どーにも痛そうだなあ」
わたしの怪我しみじみ確認して、それからなにか思いついたみたいにぽんと手を叩いた。
「おぶってってやろーか?」
痛そうにわたしの足を見ていた顔、にへ、って笑った。……悪ガキだ。
「えっち」
左足で蹴飛ばしたら、え、なんで? そんな顔した。それ、わたしの表情。こっちこそ、え、なんで?
「桜岡くん、にへって笑った」
「なに、オレ、エロ親父みたいだった?」
「だった」
君、また笑った。にへ。がばって両手開いて、なんか怪しいことしそうな感じに手の指わきわき動かしながら近寄ってくる。
「まあよいではないか。安心してワタクシに体を預けたまへ、平井クン」
「えーろーおーやーじー」
痛くない左足でがしがし蹴飛ばすわたしから君、ひょいって避ける。
「なんだ平井、痛くても元気じゃん」
よかったなあってけたけた笑う。笑いながら、どっかあさってのほう見回してた。そのうち笑うのやめて、じーっとどこかを見る。
日差し、じわじわ暑くなってくる。太陽が本格的に顔出した感じだった。空に雲なくて、セミうるさくて、右足痛くて、君はどっか見てて。……なんだろ、わたし帰るよ? 帰って手当てしてもらうから君も帰りなよ。そう言おうとしたとき、
「あ、いるいる」
君、いきなりくりんってこっち向いて、ピースした。なに? なにがいるの? わたし首傾げたの気付かないで、君、わたし置いてすたすた歩き出す。でもすぐに足、止めた。あれ? って呟いて自分の足見下ろした。なにか考えて一歩、歩く。また足、見下ろす。左足のつまさきアスファルトにつけてぐりぐりやる。三歩、歩いて、またぐりぐりする。それでやっと、なにかに納得したみたいに大きく頷くと、ひょこひょこ左足引き摺りながら歩き出した。
「あ、平井はここでちょっと待ってて」
思い出したみたいに振り向いた。
「くすり箱、借りてくる」
コンビニ行くみたいに言う。わたし、辺り見回した。市街地から伸びてきた道路がちょうど山道に突っ込みかけたみたいなところで、見渡して見えるのは、障害物なくて大きく育った街路樹と、田んぼと、簡単に数えられるくらいの家だけ。一番手前の家に君、入っていく。で、すぐに出てきた。ちゃんとくすり箱、抱えてた。
「桜岡くん、知り合いの家だった?」
「いや、まったく」
「そうなの?」
「そうだけど」
それがなにか? という顔された。ぜんぜん平気な顔で、わたしの足、手当てするのにがしって掴んだ。
「うわあ」
わたしが叫んで、君、慌てて手、引っ込めた。
「なに!? ごめん、痛かった?」
「……そーじゃないけど」
生足いきなり掴まれた女の子の心理、顔、赤くしたわたし見て君もやっと気が付く。歩道の隅っこで、二人して赤くなった。
「平井、自分でやる?」
でも、くすり箱差し出されても、ふくらはぎを自分で手当てするの、難しい。
「……無理、です。よろしくお願いします」
「よし、んじゃあ」
君、気合い入れると、次には遠慮なくためらいなく気遣いもなく、消毒薬だらだらかけた。痛いっ痛いっ、染みるんですけどっ! って、そんなわたしの心の叫びも実際叫んだのも人事だと思って、がまんがまんって君、笑う。たしかに痛いの君じゃないけど。恨めしかったので睨んでみた。でも君、手当てに真剣で気付かない。なんだか気が付いたら笑ってなくて、本当に真剣になってた。
「ホント、オレが悪かった。ごめんなー」
あらためて傷の具合を見た君のしょぼんとした声、俯いたところからして、とりあえず睨むのやめた。
「平井、運動部だろ。こんな早くからジョギングしてるし。もしかして試合とか大会とかあるんじゃないの? 夏だし」
「うん、水泳部だし、あるある」
「水泳部……?」
「そう、水泳部」
「ガーン」
最高に打ちひしがれた様子、君、声にした。
「これじゃ痛くて泳げないよなー」
あんまりの打ちひしがれかたに、わたしが慌てた。
「でも一年生だし、応援だけだよ、応援だけ」
って、君、聞いてないよ。まだ、がーんて顔したまま包帯、手にする。それ、巻くの?
「いいよ、そんな大げさにしなくて」
「こーしといたほうが、重症っぽくって、オレ、やりやすいし、平井はされやくすていいじゃん」
「なにを?」
「おんぶ」
「え」
「ヤなの? そんなに?オレに送られるのが?」
「一応、いやがっとくのセオリーかなと思って。女の子としては」
それに。
「足、桜岡くんも痛そうだし」
赤信号勝手に飛び出して車よけたとき勝手にひねった足だろうけれど、君、さっきから痛いの気にして庇ってる。陸上部期待のホープだって、このあいだ自分で言ってた。大会には、暇な人応援こいよって、宣伝してた。その足ひねっちゃって、あーあ。
「オレは平気。ちゃんと歩けたし」
君、そう言いながら、わたしの足にあっという間に包帯、巻いた。ちょっと……かなり雑だけど、膝の下からくるぶしのすぐ上までぐるぐるで、立派に重症に見える。
「桜岡くん……平気なの? 本当に?」
「平気だよ」
「……ふうん」
試しにわたし、君の左肩に体重かけてみた。わたしが立ち上がると君も立ち上がったから、左肩、わしって掴んで、ぶら下がるみたいに体重かけた。君、思わず左足ふんばって、直後にぐえって変な声出した。
「やっぱり痛いでしょ?」
「平井おまえ……ひどいことするなあ」
非難の口調は強がってるつもりみたいだったけど、君、気まずそーな目をした。がくーって座り込んで、ついでにばったり歩道に背中から寝転がった。
信号はまた赤になってた。国道だから信号が長い。わたしたちの前走っていった、ナントカ産業って書いた車の運転してたおじさんと目が合った。なんだかすごくヘンな顔してった。近頃の若い者はよくわからん。そんな顔。あ、それ誤解。わかんないのは君だけなんだけど。ねえ、って転がってる君、見下ろした。
「さっき、赤信号飛び出したの『確認』って言ったよね?」
「言ったけど?」
それが? って、近所の小さな動物園のプレリードックみたいにきょとんとする。……本当にトボけてんのかな。そんなこと考えてたら、君、わたし見て、赤信号もう一度見て、また、わたし見た。
「平井『は』、信号、なに色って言うんだろうなあって思ったんだ」
「『は』?」
「オレ、去年、自転車、勢いついて止まんなくなって、赤信号突っ込んでわき腹、縫ったんだけどさ」
わき腹!?
わたし、よっぽどすごい顔したのか、君、特別公開とか言いながら、びろーんて自分のシャツまくってなんだか自慢げに傷跡見せてくれた。いやあの、あんまり見たくないんだけど……。
「事故の後でと警察にさ、おまえが信号無視したのかって言われて、まーそうなんだけど。相手の車、自転車とうまくぶつかってめっちゃへこんでて、そーいうの思い出したら恐くなって、やっぱ青だったかもって言っちゃたんだ。オレが悪くなるのイヤで。そしたらそのときに一緒にいた友達も、青だった、って言った」
「……それで?」
「そんだけ」
「その『確認』?」
そう、って君、こっくり頷いた。
「実は平井で五人目なんだけど」
「それはつまり、今までにも四回、今日みたいに赤信号に突っ込んでいったことがあるってこと?」
「そう」
君、あっさり、返事した。おいおい。
「で、結果はどーだったの?」
「五人とも平井と同じ。うそ言わない」
「……そりゃそーだよね」
「なんで?」
君、まじめな顔でよっこいしょって、からだ起こした。わたし、君に目線合わせて座り込んだ。
「だってね、状況、ぜんぜん違うもん」
「違うか?」
「違うよ。せめて桜岡くん、骨折するくらいの勢いで飛び出して車にぶつかってくれて実際ぼきぼきに折れてたりしたら、わたしも恐くて、うそついたよ?」
「『たよ?』って、そんな恐いこと、そんなかわいく言われても」
そもそも、その恐いこと実行したのはどこのどいつだ。ここのこいつだ。
「あのね、なんかね、いつも桜岡くん、いちいち確認してんの。そーいう好奇心でまた赤信号飛び出したりしたら、いつかもっと大けがするからもーちょっと考えて行動しようよ」
「あ、確認するのは好奇心じゃなくて、オレ、慎重派のつもりなんだけど、いつも」
……よく言う。
「慎重な人、足ひねったりしないです。くすり箱借りてきてくれたの嬉しかったけど、家に人がいるのだけ確認して、行き当たりばったり他人の家訪ねたりしないし、足、痛いのわかったら、それ以上ひどくならないように歩いたりしないですー。それから」
「……まだあるの?」
「あるよ、いっぱい」
君、微妙に情けない顔した。そんなにあるの? とわたしの顔うかがう。あるある。わたし、頷く。
「たとえばね、数学の小テストで、いつも同じところ間違えてるの、もしかしてあの奇っ怪な、教科書と違う公式が本当に間違ってないか確認してるでしょ」
数学の小テストは、隣の席の人の丸つけをする。
「奇っ怪って……いや、オレもしかして新しい公式、発見したかなと思って」
「その桜岡くんの公式、カッコで閉じるとけっきょく教科書に乗ってるのと同じ公式になるの知ってる?」
「え、そーなの!?」
ふたりして場所移動して、アスファルトのない街路樹の根元に数字書いた。
「ほら、ここ開いてここ、カッコで閉じるの」
あれ本当だ、って君、鉛筆代わりの小枝、砂にぐりぐりする。
「じゃあさ、オレ、でも考え方はあってるんだろ。遠回りしてめんどうくさいことしてただけで。なのになんでけっきょく出た答え、間違えてんの?」
「途中の計算ミス」
君、わたしがコケたときと同じくらいのレベルのがーん、て顔した。気分、地面にめりこんだ感じだった。
それからねえ、ってわたしが君がいかにヘンかという話を続けようとするのさえぎって、くすり箱返してくるって、君、逃げるみたいに立ち上がった。足、痛いせいでひょこひょこしてる。
「よし、んじゃ、帰ろう」
くすり箱返してきた君、わたしに手、出した。よし、じゃないよ。よくないよ。
「その足で、手、差し出されても……」
わたしの顔、じとーんてさぞ不信げに君を見ていたに違いない。君、慌てて言い訳みたいに言った。
「あ、なんだよ、平気だったら」
とんとん自分の右足でアスファルト蹴った。うわ、この人なにするかなっ。
わたし、君の足、見かねて掴まえた。がっしり、両方の手で。それでわかった。腫れてた。びっくりして手を離した。びっくりしたくらい、腫れてた。
これで平気なの!?
「桜岡くんの平気の神さま、間違ってない!?」
とっさに言ってた。
「……平気の神さま?」
誰それ? って顔された。
「うー、こうね、ニュアンスでわかってくれると嬉しいけど……わかる?」
「……ニュアンス、ねえ」
君、自分の足さすった。
「ようするに、足が痛いか痛くないかってこと?」
「まあ、そうなんだけど、そうじゃなくて」
って、君、聞いてないよ。
わたしの話なんて聞いてない君、気に入らなそうにほっぺた、膨らませた。
「痛いよ」
どーせ痛いですよ、って投げやりに言った。
「こんなの平気だと思うんだけど、やっぱ痛いし」
神妙な顔して、大きな溜め息ついた君、
「オレの平気の神さま、意気地無しじゃん?」
やっぱ間違ってるよなあ、って言った。
「え?」
わたし、びっくりした。
「ええ?」
君、わたしにつられて、真似して小首傾げる。びっくりしてるわたしに君、びっくりして、わたしにびっくりした君に、またわたし、びっくりした。
「桜岡くん、それ、平気の神さまの用法違う」
「違うの?」
「違うよ」
君、ちょんと肩すくめた。
「説明書ないもん。わっかんねーよ」
「だからね、えーと」
「なに?」
ずいって君、わたしにつめよったとき、なんか変な音がした。てんてんてん。
え、なんの音? って、ふたりして見向いたら、サッカーボールが赤信号に向かって転がって行くところだった。そのボール、早起きの小さな小学生が追いかける。君もわたしも、足、痛いの忘れて駆け出した。
君のほうがものすごく早かった。わたし、思わず利き足の右足でふんばちゃって出遅れた。けがした足だった。うわ、痛っ! くうううってうずくまって痛いの我慢してるうちに、君、サッカー少年の襟首つかまえてた。
わたしと少年は横断歩道で、君が車に注意しながら赤信号の真ん中まで転がってったサッカーボール拾ってくるの見てた。戻ってきた君、ものすごくなにか言いたそうに子供見たけどなにも言わなかった。……そりゃそうだ。赤信号だろ、気をつけろ、とか、君が言えるわけないよねえ。
サッカー少年はサッカーボール抱えて、信号が青になると勢いよく走っていった。
「いってぇ……」
痛そーに眉根寄せて、君、痛い足をアスファルトにとんとんやりながら、サッカー少年が見えなくなるまで何度も何度も、少年を確認してた。ボール落としてまた道路に飛び出したりしないか心配してる。少年の姿が角曲がって見えなくなるとあからさまに安心して、息、吐き出した。
君は本当に、なんでも気になってしょうがない。色々なこと、気になってしょうがない。
「平井、足、平気? 今、右足でふんばってなかった?」
君、まずわたしの心配した。自分の足とんとんするばっかで……今、わかったけど、君、人のことばっかり心配する。
わたし本当に、そんなことに、今、気が付いた。ヘンな君の、優しいところ。
「桜岡くんは人のことばっかで、それで自分のことはおろそかになっちゃう人なんだね」
「だって、人の痛みなんてわっかんないもん。気ぃつかってないと間違えるだろ」
だからいつも確認してる。ついでにどーでもいいことまでつい確認しちゃう君は、やっぱりヘンな人だ。
「でも、もーちょっとくらいは自分のことにも気を使ってあげてもいいと思う」
わたし、自分の足の白い包帯、なでた。
「わたしの平気の神さまは、もうね、足、痛いから他人に頼っていいよーって言うの。わたし、もしかしたらもう少し頑張れるかもって思っても、そこんとこ、もう無理だよってブレーキかけてくれるの。もう平気じゃないから無理すんな、って。でもそこんとこの判断、神さま次第みたい。だからわたしと桜岡くんは、同じ痛いのでも反応違うんだね。桜岡くんの平気の神さまは頑張りやさんみたい。桜岡くんの平気の神さまにも、平気の神さまが必要かも」
「それ、なんかヘンな宗教?」
「むかしね、そんな絵本、読まなかった?」
「読んでない」
君、即答する。
「……なんだ、絵本か」
あ、ばかにされちゃった。君、ぷいって横向いて、足さするのやめた。くつした思いっきり引っ張り上げて、腫れてた足首隠した。わたし、その足、またがっしり掴んだ。
君、驚いてわたし見る。ぷいって横向いたから怒ったのかと思ったけど、普通の顔してた。普通に、わたしが足掴んだことだけに、驚いてた。
「なに、やってんの?」
「手当て……かな」
足に手を当てて、手当て。ほかに言うことなくてそのままのこと言ったら、君、ぶへって吹き出して笑った。なんでそんなぶへって笑うかなぶへって。睨んだら、もっと笑った。
「平井、子供じゃん」
……君に言われちゃったよ。
「すごく痛いの我慢して平気なふりして、一緒にいる人間を心配させるのは子供じゃないの? そりゃ、泣きわめかれても困るけどっ」
わたしの声、ちょっと大きくなってた。君、なにか考える顔して「うん」て、それだけ言った。それだけじゃ、わかったのかわかってないのかわかんないけど……。
道路走ってく車、いつの間にか増えた気がする。遠くの方、小学生くらいの子供たちの団体を見つけた。ラジオ体操だ。君がそう言った。じーわじーわじーわって、すぐ近くでセミが鳴き出した。
「痛み測定器、とか、あるといいよなあ」
君、しみじみ言った。
「は?」
なにそれ? もしかしてそんなことずっと考えてたの?
わたしの怪訝な顔、君、ちょっと傷付いたみたいな目で見た。もういいってふてくされるかと思ったけど、言い出したこと引っ込められなくて、控え目に口にした。
「この数値以上だったら堂々と痛がっていいですよって、痛みのレベル計ってくれるやつ」
「べつに、自己申告でいいと思うけど」
「オレはすごく痛くてもさ、それってもしかして自分で大ゲサにしすぎてるだけかもじゃん。これだって我慢すればあるけるんだし、じゃ、やっぱ我慢できる程度のものなのかって思うし」
君、君にとってはものすごく重要なことみたいにかなり真面目に言う。
「痛いって思ったら、痛くていいんじゃないの?」
「……そーかな」
「自分のことは自分で折り合い付けていかなきゃ、じゃないの?」
「妥協すんの?自分に?」
「そういうわけじゃなくて、ここだよここ、平気の神さまとよく話し合わないといけないところは。無理してるんだか、もっと無理できるんだか、それが平気なのかどうか、よく相談するの。桜岡くん信号飛び出して、もしね、大けがしちゃったりしたら、そりゃ、去年のときの友達みたいにうそ言うよ、わたしも。だって、平気じゃないもん。友達の大けがに我慢できないくらい平気じゃなくて、うそつくくらい平気なんだよ。平気のライン色々だから、色々、話し合わないと」
「つまりは自分と話し合うってこと?」
「だって、自分の最大の決定権持った神さまは、自分だし」
「自分が平気のライン決める神さま、ね……」
「そう、すべては神さまの言う通り。ひいては自分の思うまま」
「それ、自己チュウじゃん」
「それくらいでちょうどいいよ。桜岡くんは」
「オレ?」
君、「は?」って、そんな顔した。なんでオレ?って聞き返してくる。わたしも、「は?」って顔、した。
「桜岡くんの話してるんでしょ?」
「そうだったっけ?」
「そうだよ」
「……そっか」
「そうそう」
そっか、ってまた君、口の中で言った。何回も言って、それで確認終わって納得したのか、わたしの背中、照れ隠しみたいにばんばん叩いた。
「平井、もしかしておとなじゃん」
君、調子いいよ。と思ったけど君の声、少し低めだった。ぶほって笑うのかと思ったのに笑わない。あ、やっぱり真面目なんだ。
なんだか感心してたら君、ぶほって吹き出した。なにがそんなにおかしいかって、わたしのこともしかしてでもおとなって言っちゃったこと、かなり自分でウケてるみたいだった。
「……桜岡くんは子供だね」
「オレ子供だもーん」
君、胸張った。……子供だ。
気の済むまで笑った君、笑いすぎて痛くなったお腹さすって、ぷはあって笑いすぎて吸い込みすぎた酸素、吐き出した。そうして、いつまでも君の足、手当てしてるわたしを見た。
「平井の手、気持ちいい、冷たくて」
「桜岡くんの足が腫れてて、熱もってるからだよ」
「そっか」
「そーだよ」
腫れてて痛いから、わたしの手が気持ち良いこと、否定しなかった。君の平気の神さま、君に無理に「平気」って言わせるのやめたみたいだった。
君、自分にも少し優しくなる。そんな君のそばにいるのがなんだか、嬉しかった。
◇
三日もたつとすりむいてただけの右足のふくらはぎ、すっかりカサブタできて、走ってもなんとか平気になった。
ノルマの半分走ったところで、三日前、君が突っ込んでった信号で止まった。君がいた。
君、自転車に乗ってた。左足の足首、包帯がぐるぐるに巻いてあった。
「平井、足、もう平気?」
「桜岡くんよりはぜんぜん平気」
「あ、オレも平気」
「……本当に?」
「信じてないし」
君、相変わらず吹き出して笑う。ほんとだよって、自分の自転車指差した。
「オレ、走らないで自転車乗ってるじゃん」
「そっか、桜岡くんの平気のラインだ」
「そうそう」
自転車ならなんとか大丈夫だけど、走るのは痛くてやめてる君、ちょんて肩すくめた。
「せめて自転車で体力維持はわかるけど、無理はしないよーにね」
「あ、オレは別にトレーニングじゃないよ」
あっさり首を振った君、さらりと続けた。
「平井に会いたくてさ、だから会いに来た」
……は?
「平井さあ、オレと付き合ってよ」
「はあ!?」
って待ってわたし、ちょっと今、勘違いした。顔、赤くなってる場合じゃない。だって相手、君だし。君はなんだか平然としてるし。
「オレ、平井と付き合った分、平気の神さまとも上手く付き合えるような気がするんだ」
「……もしかして、その『確認』?」
「お、あたりあたり」
よくわかったなあって感心する君、わたし思わず蹴飛ばしてた。
君、やっぱりヘンだよ。
……女心の確認もしてよ。
おわり
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